第5話 あったまり天使

 気がつけば、1日が終わっていた。あっという間に放課後になり、帰路についていた。仲のいいクラスメイトの遊びの誘いも、ついつい断ってしまった。山岡先生の奸計によって生じかけた溝を埋める絶好の機会であったにも関わらず、暁人はひとりで家路を歩いていた。さすがにちょっと、考える時間を作りたかったのである。


 白羽エルナのアクリルキーホルダー、0番のシリアルナンバーが入ったそれを、暁人はいまだに持っていた。


 もちろん、綺麗なハンカチで丁寧に拭いたあと、家庭科室から持ってきたジップロックにしまっているが。


 1時間目に強烈な出会いを果たした修学旅行の班員たち。各クラスの余り物を集めたアベンジャーズ。あの中に、もしかしたら白羽エルナがいるのかもしれないという事実は、暁人をおおいに動揺させていた。いったい、誰なのだろうか。


 順当に考えれば、あり得そうなのは一ノ瀬静乃だ。確かにあの身体には驚かされたが、穏やかでのんびりめ性格はエルナに似ていないこともない。少しばかり人と話し慣れていなさすぎる気もするものの、初めて他のVtuberと絡んだコラボ配信の時も、あんな感じだった。「仲良くなりたくない」というスタンスが、何かの秘密を守りたいためだと考えればしっくりくるし、そもそも声質は結構似ている。


 というか、静乃以外の可能性をあまり考えたくない。


 藤崎麗は見た目のイメージこそエルナに一番近いが、いきなり東北弁で恫喝してきたのが怖すぎた。というかエルナはバリバリの標準語だし、訛りを隠している様子もない。もし麗の東北弁が正体を隠すための演技なのだとしたら、それはそれでもっと怖い。


 加納浩子は……まぁ多分絶対違うだろう。彼女だけは無い。


 飛鳥馬莉央はなんかギリギリありそうなラインだなと思ってしまった。ただ、えるーなの正体がしょっちゅう舌打ちばっかりするヤンキー娘だったとしたら、ショックで3日間寝込んだ後に新しい性癖に目覚めそうだ。


「あー、くそっ!」


 暁人は立ち止まり、頭を掻いた。


 Vtuberの中の人を詮索するのはマナー違反である。最近は転生文化やら何やらで有名無実化している側面もあるし、暁人も他人の楽しみ方にケチをつけるつもりはない。だが少なくとも、暁人はバーチャルの向こう側を覗こうと思ったことはなかった。仮に何かが漏れてきたとしても、ありのままの白羽エルナを応援するつもりでいた。


 だが! さすがにちょっと、こういう漏れ方は予想してなかった!

 漏れてるというか、もはや水道の蛇口が全開だ。


 せめて、もうちょっと特定できない状況だったのなら!

 このアクキーが校庭に落ちていたものだったなら、「えるーなはうちの学校の生徒かも!? ドキドキ!!」なんて気分で学校生活を送れたというのに! 選択肢がここまで絞れる状況になってしまうと、さすがに気にしないというわけにもいかない。


 エルナのアクキーは、後日きっちり彼女の所属する事務所に郵送しようと考えている。が、それにも慎重を期さねばならない。「学校に落ちてました」なんて言おうものなら、エルナが学校に来づらくなってしまうだろうし、もしエルナが落としたタイミングを把握しているのなら、逆にこっちが視聴者だとバレてしまうかもしれない。そしたらエルナは修学旅行を楽しむどころではなくなってしまう。

 エルナのことを考えるなら、「本人を特定し、このアクキーがなんなのか知らないふりをして返す」という手もある。だが、これも諸刃の剣だ。暁人は自分が羽友であることを公言している。何かの拍子でバレてしまえば、自分は「推しのリアルを特定して接触しようとしたウンコ視聴者」の誹りは免れず、そしてそれはたったひとつの客観的な事実になってしまう。


「どうすりゃいいんだよもー……」


 あれか。特定したあとに、まったく関係ない先生に知らないふりして返してもらえば良いのか?


 でもそれって結局、特定しなきゃいけないんだよな。なるべく知りたくない真実なのだが。他に方法はないのか?


 そんなことを考えているうちに、家についてしまった。




 その日の夜、ちょうどエルナの配信があった。格ゲーのランクマ配信だ。暁人はベッドに寝っ転がって、スマホで配信を見ていた。

 エルナはもともと格ゲーとは無縁なVだったが、大会企画に初心者枠として参加し、プロゲーマーの指導を受けてめきめきと腕をあげた。結局大会では勝てなかったが、格ゲー自体は今も続けている。格ゲー配信は清楚で穏やかな印象があるエルナが「あったまる」シーンが稀にあって、彼女の新しい側面を引き出した配信としてファンにも人気が高かった。


「……班員全員でスト6やったら、誰がエルナかあたりつけられたりしねぇかな」


 暁人はボソリと呟いた。しょせんはフラッシュアイディアだ。

 そもそも、あの班員全員で仲睦まじく格ゲーをやるということ自体が、極めて実現性の低いシチュエーションである。


『天こーん。天使見習い兼天界JKのエルナだよ〜』


 考えているうちに、配信が始まった。待機画面のアニメーションが終わり、格ゲーの重厚なBGMが流れる。にこにこと微笑むエルナの立ち絵が表示されると、コメント欄が『天こん』で埋まっていく。


『今日はランクマの続きやるよぉ〜。でもまずは感謝のコンボ練習100回から〜』

【えらい】

【トレモ大事】

【今日はあったまり天使見れますか?】

【切り抜きからきました】

『今日はねぇ〜。ふふふ、アンガーマネジメント覚えてきたので、あったまり天使は見れませ〜ん』

【はいはい】

【俺の禁煙くらい成功してそう】

【前回と同じこと言ってて草】

『は? 今回は本当なんだが? ふふ……』


 間に挟まる清楚な笑い声が五臓六腑に染み渡るようだ。すでに暁人は幸せだった。


 エルナはこの配信の中で、アクキーを落としたことには触れなかった。気づいていないのか、それとも単にファンとの絆であるアクキーを落としたと配信で言いたくないのか。手元に戻ってきて初めてトークのネタにできるのだとすれば、早く返してあげたい気持ちもある。一方で、白羽エルナの秘密を意図せず握ってしまったことに対して、えも言われぬ気持ち悪さと罪悪感があった。


 配信はその後2時間ほど続いた。エルナがランクマで一勝をあげるごとに、名物リスナーの“かなりあ”氏が無言の高額スパチャを叩きつけていく。負けが込んでだんだん言動が荒っぽくなる「あったまり天使」も垣間見え、配信は見どころたくさんのうちに幕を閉じた。


【今日も天使はあったまってました】


 配信終了後、暁人はSNSの推し活用アカウントを更新する。すると、タイムラインにはもう先ほどの配信をネタにしたファンアートが上がっていた。デフォルメ化したエルナが涙ながらに台パンしようとして、それを必死に我慢しているイラスト。投稿主は暁人と同じく、個人勢時代からの古参ファンである“ライオネル紳士”氏だった。リポストといいねをつけておく。ひとこと『かわいい! 最高!』とリプライしておくのも忘れない。


 この日、エルナの配信も、エルナのファン界隈もいつも通りだった。


 だが明日になれば、また疑惑の1日が始まる。さっさと事務所に郵送してしまうべきか、第三者を通して直接返すべきか。どちらがいいのか、結局答えは出なかった。

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