第36話機巧人形の覚悟

「グレア。このような小者にかまっている暇はありません。今はこの腕をどうするか考えるべきです」

「そうだけど……でも流石にこれから直すだけの時間なんてないよ……」


 一旦気持ちが落ち着いてきたのか、グレアも怒りを静めて自身の作品である義手へと視線を落としたが、その表情には諦観が浮かんでいた。

 実際、この状況から直すには、不可能ではないがそれなりの時間を要する。グレアの腕では最低でも数時間はかかるだろう。それだってひとまず動くという程度で、完全に直すには丸一日は欲しい所だ。

 だがそれでは、どう考えたって大会への出品は間に合わない。


「関節が壊れていることもだけど、神経線の切断が痛い。ちゃんと直すには他の神経と同調させる必要があるし、丸一日かかる。仮にこの場で直したとしても、うまく動かないよ。少なくとも作品として大会に出すほどの出来にはならない」

「出さないよりはマシなのではありませんか?」


 壊れていたとしても、事情が事情なのだからひとまず出品し、壊れてしまった状況や事情について話をすれば、何らかの措置が取られるのではないだろうかとヴィーレは考えていた。

 加えて、そうして公表することで、最低でも協力したであろうこの男性職員を飛ばすことは出来るだろうし、上手くいけばその裏にいる人物までも表に出すことができるかもしれない。


 だから出品しないよりはした方がいいのではないかと判断したのだが、そんなヴィーレの言葉にグレアは首を振って否定した。


「いや、そんな程度の出来で出すくらいだったら、出さない方がマシだよ。そこにどんな事情があったんだとしても、その事情は結果には反映されない。ちゃんと動かないようなものを出せば、こんな大事な大会に不出来な品を出す程度の能力しかないってことになって、僕の工房の評価が下がるだけだ。だったら最初から事故で破損したって言って出場の取り消しをした方が周りからの理解も得られるはずさ」


 確かに出品すれば男性職員をや企んだ者を処罰することができるかもしれないが、〝未完成の作品を出した〟という事実は変わらない。


 予備の作品を用意してあり、その作品が何らかの賞を取った後に「実は……」と話すのであれば何の問題もなかった。だが、今の何の備えもない状態で戦うのは不利どころか無謀な自殺志願者と同じだと言えるだろう。


「では、どうされるのですか?」

「どうもこうも、言っただろう? このまま取り消して終わりだよ」


 そういったグレアの表情は普段通りのどこか困ったような笑みを浮かべていたが、その笑みは空虚さを感じさせるものだった。


 だが、そんなグレアの表情の違いを把握していながらも、その心の内までは理解できないヴィーレは尚も食い下がるようにヴィーレに問いかける。


「あなたはそれでよろしいのですか? この大会で何らかの賞を取らなければお母様が亡くなるかもしれないのではありませんか? だからこそあなたはこれまで努力を重ねて――」

「いいんだよっ!」


 しかし、そんなヴィーレの言葉を拒絶するかのようにグレアは笑みを消したかと思うと、一瞬だけ歯を食いしばってから叫んだ。


 これまでヴィーレもマーガレットも聞いたこともないほどの大声で叫びを聞いて、マーガレットはびくりと肩を跳ねさせ、ヴィーレは動きを止めた。


「……いいんだ。これは仕方ない事なんだから。それに、嫌だって言ったところで何ができるって言うんだい? 母さんの事は、どうにかするよ。必死になってお金を稼げば、きっと何とかなると思うからさ……」


 そんな二人の反応を見て、自分が大声で叫んでしまったことを理解したグレアは、怒りの表情を消すと眉尻を下げて困ったように笑って言った。


「マーガレット。悪いけど、取り消しの手続きお願いするよ」

「え、あの……」


 グレアに声をかけられたマーガレットは、何と答えて良いのかわからず反応することができなかったが、グレアはそんなマーガレットを無視してテーブルの上に乗っている壊れた義手へと手を伸ばした。


「この腕はもう引き取っていいんですよね」

「あ、ああ……な、なあ。母親のって……本当なのか? そんな大事な事だったのか?」


 きっと、この男性職員は〝どこかの哀れな奴が貴族に目をつけられた〟くらいにしか思っていなかったのだろう。あるいは、自身の小金稼ぎのためか。なんにしても、グレアにそんな思い事情があるとは考えていなかったが、そのことを今になってようやく理解したのだろう。


 先程の話を聞いて、男性職員は焦ったように挙動不審な様子で問いかける。


「はい。でも、仕方ないですよ。管理の不行き届きはあったかもしれないけど、壊れてしまったのは事実なんですから。仮に誰かが壊したのだとしても、ギルドを敵に回してでも作品を壊しに来る相手とまともにやりあったら痛い目を見るのはこっちです。だったら今のうちに下がっておいた方が利口ってものじゃないですか?」

「それは……」


 対した理由もなく、正義もない自分の行動を赦すというように笑いかけられ、男性職員は唇を嚙み、拳を握ってうつむいてしまうが、その場にいる誰もそんな男性職員の事なんて気にすることはなかった。


「それじゃあ、僕はこれで失礼します」

「グレア――」

「ヴィーレ。今日はもう自由にしてくれていいよ。今まで付き合わせたのにこんな結果になってごめんね。明日からまた仕事を頑張っていこうね」


 既に諦める様子のグレアだったが、それでも納得できないのかヴィーレはグレアへと声をかけた。だが、そんなヴィーレの言葉を遮るように、グレアは一方的にそれだけ言うと、後は何も聞くことなく、足早に去っていった。


 そんなグレアの背を見送り、残った三人はしばらくの間黙り込んでしまった。


「――こちらの品は何者かによって破損させられたものであり、あなたはその行為に協力している者ですね? そうでなければグレアの作品だけが破壊されていることに説明がつきませんので」

「い、いや、私はっ……!」


 グレアが去ってからしばらくして、男性職員を見つめながら問いかけたヴィーレ。

 だが、事ここに至っても自身のやったことだと認めるつもりはないのだろう。あるいは、反射的に否定しようとしてしまっただけなのか。どちらにしても誤魔化そうとした男性職員だが、ヴィーレはその言葉を止めるように手で制止した。


「ええ、分かっています。貴方がなにがあったとしても認めないことは。ですので、言葉にせずとも構いません。その代わりに、貴方にもし『心』があるのでしたら、一つ私の頼みを聞いていただけませんか?」


 そして、そんなことを言いながらヴィーレは一つの覚悟を決めて行動し始めた。


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