第34話アッシュからの忠告

 

「やあ、グレア。それから……ヴィーレさん」

「昨日ぶりだね、アッシュ」


 アッシュの顔を認めたグレアは、一瞬だけ表情を歪ませたが、そんな顔を見せていればまた不機嫌になって絡まれると思い、すぐに普段通りの笑みを浮かべて応えた。


「こんな所に居て良いの? 僕みたいなのとは違って、君は人気者なんだし、家の付き合いもあるんだろう? 挨拶回りはかかせないんじゃないのかい?」


 いくつもの大会で優勝の経験があるアッシュであれば、今回この会場に集まっている者達からも注目されているだろうし、声もかけられるだろう。しかも、職人としての腕以外にも、家の付き合いや家格を考えて声をかけてくるものもいるだろうから、他の職人たちよりも声をかけてくる人数は多いはずだ。


「まあな。でも、それも大半は終わったから心配されるようなことはないさ。後は大したことない連中だけだからな」


 だがそんなグレアの言葉にも、アッシュは肩を竦めて何でもないことかのように答えた。


「そっか……」


 簡単にそう言ってしまえるアッシュの姿を見て、グレアは表情は変えないまま、だがその声には悔しさを滲ませて小さく呟いた。


「それよりも、二人はどうしたんだ? 見たところ、誰とも話してなかったみたいだけど、お前みたいなやつの方こそここで顔を見せておいた方が良いんじゃないのか?」

「僕が顔を見せたところで、僕が家から認められていない婚外子だって知ってる人にとっては厄介もの扱いされるのがオチでしょ。だったら、余計なことはしないほうがいいかなってね。今のところのお客さんだけでも、まあ何とかギリギリやっていけるだけの儲けは出てるしそれでいいかな」

「確かに、お前とかかわりを持ったと知られれば、お前の実家は良い顔をしないし、最悪の場合何かしらの手を打ってくるかもしれないな」


 グレアの答えに、アッシュはニヤリとどこか楽し気な様子で笑みを浮かべ、最初から分かっていたと言わんばかりに頷いた。


 いい格好をして自陣に引き入れたい相手であるヴィーレがすぐそばにいるにもかかわらず、それを忘れてグレアのことを笑っている辺り、アッシュという人物の性格がわかるというものだろう。


 もっとも、そんなことを本人は気づいていないし、他人も余計なことを言って面倒な目に遭いたくないので誰も言わないから、これまでもこれからも、アッシュが自身の悪癖に気づくことはないだろうが。


「だろう? だから僕はここで大人しくしているのが一番いいんだよ」

「ふっ、そうだな。そうと知りながら友達でいてやっている俺に感謝しろよ?」

「そうだね。こういう時にも話しかけてくるし、一人にならずに済んでありがたい限りだよ」


 そういったグレアだったが、当然その言葉は上辺だけのもの。内心では近づいてこないでほしかったし、さっさとどっか行ってくれないかと思っているが、それを口にすることはない。


「――ところで、お前の作品だが自信はあるのか?」


 その質問はこの場所にいれば当然聞こえてくると言ってもいい世間話のようなもの。だが、わずかではあったが突然アッシュの目が細められたことでグレアは何か嫌なものを感じた。


 そもそも、グレアの作品の出来なんてアッシュも知っているはずだ。なにせ昨日ギルドに大会用の作品を提出する際にアッシュもその場に居合わせたのだから。だから、なぜ今そんなことを聞いてくるのかわからなかった。


 しかし昨日見たとはいえ質問自体はおかしなものではないし、嫌な予感がしたというだけでこの場から離れるわけにはいかず、グレアは嫌々ながらもアッシュの話に付き合うことにした。


「え、ああ、うん。今回はこんな大会に出るくらいだしね。全力で準備してきたよ」

「ふーん。全力で、か……。なら作品の最終確認でもしてきた方が良いんじゃないか? いくら前日に出したから登録はできているって言っても、それで安心しきってはいけないと思わないか?」

「え……でももう提出した以上はこれ以上手を加えることはできないし、今は道具も持ってきてないよ?」


 安心しきってはいけない。確かにその通りなのかもしれないが、だからといって心配したところで今更グレアに何かができるわけではない。だからこそ、グレアはアッシュの言葉に首を傾げた。


「そういう意味じゃないさ。ギルドだって前日に預かっているが、所詮は人の手による作業だ。保管の不備によって破損や紛失することだってあるだろう。その確認をしなくてもいいのか? 本気で挑んでいるんだったら、それくらい確認しておくべきじゃないのか?」

「でもそんな事……そもそも確認なんてできるの?」


 アッシュの言葉も一理ある。預けたから登録の不備はないだろうが、保管の不備によって破損があるかもしれないというのは十分に考えられることだ。


 だがしかし、貴族としての身分を持っていて、大会での優勝経験もあるアッシュのような人物であればまだしも、グレアのような弱小工房主では相手にしてもらえるか分からない。むしろ、相手にしてもらえない可能性の方が高いだろう。


 これがマーガレットに頼めば聞き入れてもらえるかもしれないが、この会場からマーガレットを探し出すのは難しい。他の職員たちに頼んでの呼び出しも、この忙しい中では応じてくれないだろう。


 だがそんなグレアの疑問に対して、アッシュは自慢する様に頷いて答えた。


「身元を証明する人物がいればな。まあ大抵は出品用の作品を受け付けた職員がひきうけてくれるだろうな。そもそも信用がなければ前日の預かりなんてことも引き受けないだろうから、身元の証明くらいしてくれるだろ」

「そうなんだ。でも、今から確認したところで何ができるわけでもないし、きっとマーガレットならちゃんと保管してくれるから大丈夫だよ」

「……ふーん。まあ、好きにすればいいんじゃないか? 俺は忠告はしたぞ?」


 自分の思い通りにグレアが頷かなかったからだろうか。アッシュは少しだけ不機嫌そうに眉を顰めると、だがすぐにニヤリと感じの悪い笑みを浮かべてその場を去っていった。

 そんなアッシュの様子にグレアは何か嫌な予感がしたが、それがいったい何なのか具体的に言葉にすることができず、去っていくアッシュの背を見送るしかなかった。


 だが、そんなアッシュの行動の意味も、すぐに理解することとなった。


「あっ! いたっ、グレア!」

「? マーガレット? どうしたの、そんなに急いで。僕に何か用でも――」

「い、急いで来て! こっち! あんたの作品がっ……早く!」


 自分の作品が、と言われたことで、先ほどのアッシュの発言が脳内で再生されたグレア。

 ゾワりと悪寒を感じ、全身から血が引いたようにさえ感じられた。


 そんなグレアの手を掴み、マーガレットは説明もろくにすることなく走り出したが、それで正しかっただろう。なにせ周りには大会の関係者や他の出場者がいるのだ。そんな中で何かあったと叫べば、それはギルド側にとってもグレアにとっても良い結果にはならないだろうから。


 ただ、マーガレットが手を引いて走り出した際に逆の手を握っていたヴィーレのことを忘れ、そのまま走り出したことでヴィーレの手を放してしまった。


 そのことにも気づかず、グレアはマーガレットに手を引かれるままに走り、ヴィーレはそんなグレアの姿に一瞬動きを止めてから二人の後を追うべく走り出した。


「マーガレット。そちらがこの作品の制作者か?」

「はい……」

「そうか。グレア・アルカードで間違いないかな?」

「は、はい。僕で間違いないです」


 そうしてマーガレットに手を引かれながら保管庫までやって来たグレアだったが、辿り着いた先では一人の男性職員がグレアたちのことを待っていた。


「私は義肢ギルドの資材管理課主任だ。まずは謝罪をさせてもらおう。この度は我々の不手際でそちらにとって不利益を被る結果となってしまった。申し訳ない」


 グレアが本人であることを確認するなりその職員の男性は謝罪をしながら頭を下げたが、グレアには何が何だか分からない。

 だが、ひとつわかっていることがある。それは、自身の作品に何か問題が出たということだ。


「え、あ、あの……いや、あの、その……ぼ、僕は何も聞いていないんですけど、何があったんですか? 僕に不利益って……まさか……」


 それがどんな問題なのかは分からないが、こうして呼び出されるくらいには大きなことなんだろうと言うことは分かる。


 そう理解したグレアは、嫌に大きく聞こえてくる心臓の音に不快感を感じながら、だが何事もなくあってほしい。勘違いであってほしいと思いながら、震える声で言葉を紡ぎ、問いかけた。


「なにも話していなかったのか?」

「はい……急いでいましたし、大っぴらにする話でもないと思ったので」


 職員の男性に問われたマーガレットは、昨日までの態度が嘘のように沈んだ姿を見せており、その表情は沈痛な面持ちになって。


「そうか。いや、そうだな。君は正しい判断をした。では改めて説明させてもらうが、我々……マーガレットが昨日君から預かった今大会に提出するための作品だが、先ほど確認した際に破損が見つかった。これが元々破損していた可能性もあるが、先ほどマーガレットに確認したところ受付時には問題なかったとのことだ。その為、保管中に破損したと考えられる」

「破損って……そんな!」

「ご、ごめん、グレア……」


 そんなことあってほしくないと思っていたことが実際に起こってしまったのだと言われ、グレアは一歩踏み出しながら叫んだ。

 だが、そんなグレアの叫びに肩をびくりと跳ねさせて謝罪の言葉を口にしたマーガレットを見て、今言われたことは本当なのだと理解し、目を見開いてマーガレットのことを見つめた。

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