第33話会場の隅で

 ――◆◇◆◇――


「流石に人が多いね」

「やはり、手を繋いでおくのが正解のようですね」

「いや、それはどうだろう……」


 そう言いながらも手を放すことなく握り続けているグレア。今更手を離すのもヴィーレのことを拒絶しているようだし、それに何より、グレア自身ヴィーレと手を放したくはなかったから。


 だが、そのことを改めて自覚するとやはり恥ずかしさを感じるのか、グレアは繋いでいる手に視線を落とすと、すぐに顔をあげてヴィーレから視線を外した。


「そ、それにしてもアレだね。やっぱりこれだけ大きな大会だからかな。有名な人が結構多いみたいだね」


 ヴィーレを見ないようにするためにわざとらしいほど辺りを見回すグレアだったが、そうして会場を見渡してみればすぐに意識はそちらへと向いた。


 今グレアの視線の先にいるのは過去に新しい機巧義肢技術を生み出した研究者で、その前に見ていたのはいくつもの大会で優勝したベテランの義肢職人。他にも王宮の専属をやっている者や、なんだったら義肢を使用して英雄的な活躍をした騎士達までもいる。

 今回の大会はそれほどまでに注目されているということなのだろうが、そのことをここに来てようやく本当の意味で理解できたようで、グレアはごくりと息を呑み込んだ。


「そのようですね。何名か存じている方がいらっしゃるようです」


 そんなグレアとは対照的に、ヴィーレは普段通り落ち着いた態度で会場を見渡しているが、そこにいる人物全員とは言わないが、それでも何人かは〝ヴィーレ〟が聖女として活動していた時に見かけたり実際に会って話したことがある者達だった。


 普通であれば懐かしいと感じたり、話しかけに行ったりするものなのだろうが、もう既に聖女であったヴィーレは死んでいる。そこで繋がりは途切れているのだから、話しかけに行く必要はない。


 それに、あれから二十年以上たっているのだ。それだけ昔に死んだ人物のことなど、皆覚えていないだろうし、仮に覚えていたとしても今更顔を見せる必要もないだろう。亡霊や屍獣として勘違いされ騒ぎになるだけだ。


「え、そうなんだ……って、そっか。ヴィーレはミムスさんの娘なんだから、その関係で知ってる人がいてもおかしくはないのか」

「そうですね。あちらにいらっしゃるのは義肢ギルドのトップで、そのお隣は有力貴族ですね。それから……」


 本当のことを話したところで混乱させるだけだろうから、勘違いしているのであればそのまま勘違いさせておいた方がいいだろうと判断し、ヴィーレはグレアの言葉を訂正することはなかった。

 とはいえ、まるきりの嘘というわけでもない。〝ヴィーレ〟として彼らに会った時は、確かに父親であるミムスの紹介であった人物もいるのだから。


 だが、そうして話を続けようとしたところで、ヴィーレはふと言葉を止めた。


「どうしたの?」

「……いえ、あちらには教会の方がいますが、このような大会に来られるのだな、と」


 言葉を止めたヴィーレのことを不思議に思ったグレアは、ヴィーレの顔を覗き込むようにして問いかけ、ヴィーレは一瞬の間を開けてから何でもないとばかりに答えたが、その視線はどこかへと固定されたままだ。


 そんなヴィーレの様子を見て首を傾げたグレアは、その視線の先に何があるのかとヴィーレの視線を追って顔を向けたが、その先にはヴィーレ自身が言ったように教会の関係者だと分かるような法衣を着た人物がいた。


「え? あ、本当だ。教会の人も来るんだね。でも、分からなくもないかな。教会の人達は街の外で戦ってるわけだし、手足の代わりが必要な人だって多くいるだろうからさ。そういう意味では職人以上に新作や有望な職人についての情報は集めてるんじゃないかな」

「そのようですね」


 そこで話は終わり、ヴィ―レはその教会の関係者から視線を外すと何事もなかったかのように先ほど見ていた方向に背を向けた。


「――ん?」


 だがその瞬間、グレアは先ほどまで自分達が見ていた教会の関係者である男性と目が合ったように思えた。

 しかしどういう訳か、その男性は何か信じられないものを見たかのように目を見開いており、驚きからか口まで開いてしまっている。


 どうしたんだろうか。ヴィーレの知り合いだったりするのかな?


 そう思ってヴィーレに問いかけようとしたが、ヴィーレが話さなかったことを考えると知らない人なのか、知っていたとしても話したくないことなんだろうと判断し、グレアは問いかけることはせずにいることにした。


 ……だが、仮に知っていて話さなかったんだとしたら、あの男性とヴィーレはどんな関係なんだろうか。

 そんなことが気になり、不安に……いや、不満に思ってしまい、グレアはヴィーレと繋いでいる手にギュッと力を込めてしまった。


「グレア? どうかしましたか?」

「え? あ、ああいや、ごめん。やっぱりまだ緊張してるみたいでさ」


 そう言いながら握っていた手から慌てて力を抜き、なんでもないのだと誤魔化すことにした。


「迷惑をかけても問題ですので、我々は始まるまで壁際で待機していることにしましょう」

「そうだね。それが一番いいだろうし、そうしようか」


 これが著名人であれば会場の中心にいても何も言われないだろう。それどころか壁際にいる方が迷惑となるかもしれない。だが、グレアたちのように全くの無名の人物がホールの中央で陣取っていては迷惑となる。現に、グレアたち以外の一般参加者達は知り合いたちで話をするにしてもホールの隅の方に集まっている。


 グレアたちもそれに倣って余計なことが起こらないようにと壁際で大会が始まるのを待つことにした。


「もうそろそろ始まるけど……流石にこの時間だとこれだけ広い会場でも結構人が集まるもんだね」


 グレアたちが来てからしばらく時間が経ったからだろう。グレアたちが来た時にはまだ広々としていた空間も今ではそこら中に人がおり、少し歩けば人とぶつかってしまうかもしれない程度には密集した状態となっていた。


「そうですね。一応は出品者本人とその者に招待された者一名だけとなっていますが、出品者は二百人を超えているようですのでそれだけでも収容が大変でしょう」

「二百の倍で四百人か。そこにいろんなところの関係者もだし、それだけの人数がここに集まったら、そりゃあ多く感じるよね。それに、審査のためなんだろうけど前の方にはスペースが開けられてるし、その分会場が狭くなってるし」


 会場となった建物自体は広く、グレアたちのいるホールも本来であれば今この会場にいる人数程度であれば十分に収容しきることができる広さはある。

 だが現在は大会のためにホールの前半分は審査のための舞台となっている。その為、実質この会場の半分しか使うことができない状況となっていたこともあり、狭く感じてしまうのも当然だろう。


「グレアは挨拶回りなどは行わなくて良いのですか?」


 もうほとんどの人が集まってきたからか、会場を見渡せばそこらじゅうで話し声が聞こえてくる。

 だが、話しかけられれば答えるものの、グレアはこの会場に来てから一度も自分から誰かに話しかけに行くことはなかった。


 グレアは職人としてどこかの組織に所属しているわけではなく個人で営んでいるわけだが、それでも横のつながりという者は存在している。そしてその繋がりのある人物たちもこの会場に来ているのはグレアも知っていたし、ヴィ―レも把握していた。だからこそ話しかけに行かなくともよいのかと問いかけたのだが、グレアは苦笑しながら首を横に振った。


「ん? あー、うん。一応横の繋がりってことで他の職人にも知り合いはいるんだけど、ここでの挨拶はいいかな。どうせ向こうだってこんな場所でのんきに話す気にはなれないだろうし、多分話す余裕があるんだったら売り込みでもかけてるんじゃないかな?」

「売り込みですか……確かに、このように様々な分野の権力者が集まるのであれば、それは有効な手でしょう。ですが、グレアはよろしいのですか?」


 確かに、個人でやっているとはいえ、周りを気にしないでやっていけるかと言ったらそんなわけはない。後ろ盾となってくれる者がいればそれだけ安心できるし、資金繰りも楽になるだろう。

 だから個人営業の職人たちはこう言ったところで自分を売り込んで後ろ盾――パトロンを探すものなのだが、グレアはしなくともよいのかとヴィーレは疑問に思った。


 実際、グレアの工房も資金が潤沢にあるというわけではないのだ。ヴィーレはこれまでの帳簿を確認したことがあったが、依頼の報酬で次の依頼の素材や道具を用意し、そうしてこなした依頼で次の準備をするという自転車操業と言ってもいい状態だった。

 それでも機巧義肢自体が高価であり、常連もいるために何とかなっているが、決して資金繰りが楽だというわけではないのだ。


 だがそれでもグレアはゆっくり首を横に振った。


「僕は問題を起こす方が怖いかな。こうして手を繋いでるのだって、問題に備えてでしょ? 問題が起こるかもしれない状況で誰かに関わっていくよりも、こうして始まるのを待ってる方が良いかなって。それに、これでも結構お客さんはいるんだ。少なくとも、売り込みにいかなくても問題ないくらいにはね」


 資金繰りは楽ではない。だが、赤字となっているわけでもなく、破綻しそうな状況でもない。仮に常連がに何人か放れていったところで、生活は苦しくなるかもしれないが生活できなくなるわけではないのだ。


 これが普段の小さな大会であれば、グレアも売り込みをかけたかもしれない。だが、今回は規模が違う。

 全くの他人が声をかけただけで無礼だと相手の不興を買う事だってあり得る。はっきり言ってリスクとリターンが合っていない。

 もっとも、その辺りは声をかけている職人たちも把握しており、声をかけて問題なさそうな人物にだけ挨拶をしているのだろうが、それでもリスクは亡くなるわけではないのだから、無駄な危険を冒す必要はない。


 それに、グレアは今回は大会で結果を残すつもりなのだ。であれば、今から売り込みなど掛けずとも、後ろ盾となる方から声をかけてくるに決まっている。そして、その中から最も条件の良い所を選べばいいのだから、グレアに焦って声をかける理由などなかった。


 とはいえ、優勝すると決まったわけではないし、なんだったら何の賞も取れないかもしれないが、その時はその時だ。無駄に動いて敵を作るよりは何もないほうがずっといい。

 そう考えたからこそ、グレアは自分から動くことをしなかった。


「そうなのですか? 私があなたのところで働いている間、客と呼べる方に遭遇したことはないのですが?」

「それは大会に向けて注文を取るのを止めてたからだよ。流石に人生をかけた大一番って言っても過言じゃない時に仕事なんてしても手がつかないからね」

「それでは、私は迷惑をかけてしまったのではありませんか?」

「迷惑だなんてとんでもない! ヴィーレの場合はどっちかって言うと僕が迷惑をかけた側だし、それに、ヴィーレに会えただけでも僕にとっては幸せなことだよ! ……って、何言ってるんだろうね!」

「それほどおかしなことでもないでしょう。義肢職人であるグレアにとって、お父様の作品である私の状態を視ることができたことは良い機会だったはずですから」

「あー……うん。そうだね。いや、うん。そうだよ」


 焦ったことで自爆したグレアだったが、そんなグレアの言葉にも普段通りの調子で返すヴィーレ。そして、そんなヴィーレの態度でまたも肩を落とすグレア。言ってしまえばいつも通りの光景が繰り広げられている。


「……しかしながら、誰とも言葉を交わさない、というのも不可能なようです」

「え? ……あ」


 だが、そんな平穏も永遠に続くわけではなく、特にこの会場は特殊な場であり、グレアにとっていくつもの危険が潜んでいた。そして今、その危険の筆頭である人物が、グレアたちの許へと近づいてきていた。


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