第31話大変な一日だった
「確かに私がいることは事実ですが、ここがあなたの部屋であるということも事実なのですから、遠慮をする必要などないかと」
「え、あ、ヴィ……え……………」
部屋に入ったグレアは言葉を失った。口から出てくる言葉は意味をなさない音でしかなく、その頭の中は言葉を為さない文字列しか浮かんでこない。
だがそんな纏まらない思考の中であっても、その視線だけは一点を見つめたまま動かない。
「どうかしましたか?」
そんなグレアの態度を疑問に思ったヴィーレは訝し気に問いかけたのだが……
「っ! ……ふ、服! なんで脱いで!?」
問われたことでハッと気を取り戻したグレアは、ドアを開けたまま数歩よろめくように後ろに下がると、混乱したままの頭で何とか言葉を紡ぎ出し、叫んだ。
今のヴィーレは、服を纏っていない。下着は身に着けているが、それだけだ。
もちろんグレアとの情事に備えて、というわけではない。この格好はヴィーレなりに理由があってのことなのだが、自分の部屋に下着姿の女性がいるなんて思ってもみなかったグレアからしてみればそんな理由なんて関係ない。慌てるのも仕方のない話だった。
「これから就寝となりますので、就寝用の服に着替えるのは普通の事ではありませんか?」
「そうだけど! でもなんで今着替えてるの!? 僕がいない間に着替えておけばよかったじゃないか!」
下着姿をグレアに見られながらであっても羞恥心を感じることなく、自身の体を隠すこともせずに淡々と話を続けるヴィーレ。そんなヴィーレに対してグレアは慌てて顔を背けながら問いかけた。
だが、そうして顔を逸らしながらもチラチラと視線をヴィーレに向けているのは、男であれば仕方のない本能だと言えるかもしれない。
もっとも、これが普通の女性が相手であれば苦言の一つでもあったかもしれないが、ヴィーレには羞恥心などなく、グレアの行動に不快感を感じることもないので、そのまま話は淡々と進んでいく。
「先ほどまでは夜間に襲撃者が訪れた場合に備えていくつかの仕掛けを施していましたので、着替えにまで回す時間がありませんでした」
「仕掛けって……」
そう言えば自分たちは今夜襲われるかもしれないんだったと思い出すグレアだったが、それ以上にヴィーレのことが気になるために上手く頭が回らない。
「その件に関して一つ謝罪しなければならないのですが、勝手に部屋に仕掛けを施してしまい申し訳ありませんでした。明日の退去時には全ての仕掛けを整備、あるいは撤去しますので、ご安心ください」
「いや、それは別にいいけど……それよりも! ふ、服をどうにかしてよ! そんな悠長に話してないでちゃんと着て!?」
「お見苦しいものをお見せしてしまい、失礼いたしました」
これまで話をしながら何か別の行動をするのは失礼にあたると判断していたために下着姿のまま会話を続けていたが、グレアに言われたことで謝罪を口にしてから服を手に取って服を着始めた。
その際に服を取ろうとしたヴィーレがしゃがんだことで、先ほどまでとは違ったアングルからの姿が見えてしまい、グレアは今度こそ何も見るまいとギュッと固く目を閉じた。
「いや、別に見苦しいなんてことはなかったけど……いや、っていうかなんで止めなかったの! 僕はちゃんと入っていいか聞いたよね!?」
服を着るための衣擦れの音を聞きながら、グレアはその音をかき消すように大きな声で問いかけた。
「はい。ですが、それと私が着替えていることに何か関係がありますか? 私はあくまでもこの部屋で眠る許可をいただいただけであり、部屋の主はグレアなのですからグレアの行動に私が何か不平不満を言うのは間違っていますし、その行動を止める事もまた間違いです」
「そうかもしれないけど……でも普通は止めるものでしょ!?」
「そうでしたか。では次からは止めるようにするとしましょう」
「次なんてないからね!?」
今回グレアの家に泊まっていることが特別なのであって、これからも同じようなことがあるわけではない。だからもうこんなふうに着替えに遭遇することもないのだとグレアは叫んだ。
「? ですが、状況次第ではそのようなことが起こり得るかもしれません。グレアとではなかったとしても、別の方の部屋に泊まることになる事は十分に考えられますので」
「それはっ……」
ヴィーレの言ったように何らかの事情でグレアの家に泊まることはあるかもしれない。
だがそんな事よりも、グレアではない〝別の誰か〟の部屋に泊まることがあるかもしれないと言われたことがグレアには衝撃だった。
確かにその可能性は十分に考えられることだ。だが、グレアは先ほど一人だった時に考えたヴィーレへの感情を思い出し、嫉妬心が湧き――
「しかし、今回は私がご迷惑をおかけしてしまったようで申し訳ありませんでした」
「い、いや、いいよ。それより、準備は終わったんだよね? じゃあもう寝よう。僕はそっちの椅子で寝るから、ヴィーレはベッドを使ってよ」
と、ヴィーレに話しかけられたことでハッと気を取り戻したグレアは顔を上げ手ヴィーレの姿を見るが、その姿は先ほどとは違い下着姿ではなくしっかりと夜着を身に着けていた。
そんなヴィーレの姿にホッとしながらもどこか名残惜しそうに眉尻を下げたグレアだったが、本人にはそんなかおをしている自覚なんてかけらもなかった。
「いえ、部屋の主であるグレアを差し置いて私が使用することは出来ません。それに、いざという時にとっさの動きができない恐れがありますので」
そういったヴィーレだったが、だがグレアとしても女性をソファで寝かせるわけにはいかないという思いがある。というよりも、そうしないと男としてのプライドが傷ついてしまうため、どうにかしてヴィーレにベッドを使ってほしかった。
しかしどうあってもヴィーレが譲らないため、グレアはいつも通り自身のベッドを使い、ヴィーレがソファで寝ることとなった。
「そ、それにしても、今日はあれだね。なんかこう、すごく色々あった感じがするよ」
ベッドとソファというお互いに寝る場所は離れているが、それでも寝ている部屋は同じである。
真っ暗な空間で、聞こえてくるのはお互いの息遣いだけとなったために、グレアは否応なく緊張を感じてしまう。
そんな緊張を誤魔化すために、グレアは少し言葉に詰まりながらもなんとか無言の空気を壊すように言葉を紡いでいった。
「そうでしょうか?」
「そうだよ。会いたかったわけじゃないけど昔の知り合いに遭遇したし、マーガレットともまともに話すことができたし。まあ、その結果こんな状況になってるんだから、トータルで見るとプラスなのかマイナスなのかちょっと判断しづらいけどね」
話し始めてしまえば緊張も薄れるのか、あるいは緊張誤魔化すために饒舌になっているのか、グレアは先ほどのように詰まることなく話を続けた。
だが、次のヴィーレの言葉で再び言葉に詰まることとなった。
「お二人はお付き合いをされていたのですか?」
「へ……? ……二人って、僕とマーガレットの事? なんでそんなこと……」
突然の問いかけにグレアは困惑し、どうしてそんなことを聞いたのか、どう答えるべきか悩み、言葉を紡ぐことができなかった。
そんなグレアの反応を待つことなく、ヴィーレは話を続けていく。
「男女が親しい場合はお付き合いをしていると考えるものなのですよね? 皆さん、私とグレアがお付き合いをしているのかと聞いてきますので」
ヴィーレがグレアの工房で働いていることは既にヴィーレの行動範囲にいる住民たちは知っている。そして、ヴィーレがグレアと共に街を歩いている姿を見た者は多い。
となれば、二人の関係が気になるという者も出てくるわけで、買い物の際の雑談としてヴィーレに聞いてくる者は多くいた。
ヴィーレはそのたびに否定してきたが、どうしてそんなことを聞いてくるのか不思議には思っていた。
「いや、まあ、確かにそういう関係を考えることもできるけど、それはただ揶揄ってるだけっていうか、そうだったら面白いなって願望が入った冗談みたいなものだから」
「他人の恋愛事情が面白い、ですか? 自身の未来に関わってくるわけでもないのに?」
自身や自身の血縁の話であれば理解できるが、自身の生活に全く関係ない他人の進退など気にしてどうするのか。気にしたところで何が変わるわけでもないのだから、そんなことに時間を割くくらいであれば他のことを悩んだ方がいいのではないだろうか。
ヴィーレは真面目にそう思っているのだが、確かにその考えは間違いではないのだろう。だが、人間とはそれでも気になってしまうものだ。人の噂話程面白い娯楽はないのだから。
「そうだけど……まあ人ってそういうものでしょ。他人の不幸は蜜の味っていうけど、それと同じようなもので、他人事を安全な場所から見てるのが楽しいって思うのが人間なんだよ」
「それは何とも醜悪な性質ですね」
「しゅう……いや、まあ……でもそうだね。人は、きっと醜い存在なんだよ。だからこそ、こんな『闇』なんてものが世界に広がることになったんだし」
眉尻を下げて困ったようにそういったグレアだったが、その言葉はきっと正しい。人間全員が清廉潔白な心の持ち主であれば、この世界に『闇』なんてたまらなかった。あるいは、溜まったとしても世界樹だけで浄化しきれる程度のものだっただろう。
だが現実としては世界樹が浄化しきれない程の『闇』――人間の悪性が溜まり、世界樹は枯れてしまった。
それこそが人間が醜く、悪意を宿した存在であることの証明だと言えるだろう。
もっとも、人間はそんな自分達の醜さを認めることはないだろうが。なにせ、認めることができたのであれば、これほどまでに『闇』に悩まされることもなかったのだから。
「……ヴィーレはさ、いつまでもこの世界が続いていくと思う?」
不意にグレアが真剣な表情で俯きつつ問いかけた。
小さく呟くように聞こえてきたその言葉だが、ヴィーレにはその言葉の真意が理解できなかった。だが、仮にこの場にいたのがヴィーレでなかったとしても、グレアの言葉の真意を理解するのは難しかっただろう。
「? 質問の意図が良く理解できません」
ヴィーレに問い返されたことで自分が言葉足らずだったことを理解したグレアは、ハッと顔を上げると、苦笑してから話し始めた。
「あ、ごめん、いきなりだったね。……この『闇』っていうのはさ、世界中に広まっていて、そのせいで生き物は当たり前の〝死〟っていうのを迎えられなくなったでしょ? 街の外に出れば屍獣なんてものもいるし、街の中だって本当の意味で安全なわけじゃない。それに、親しい人の死だって純粋に見送ってあげられないんだ。そんな世界であっても今は『聖者』や『聖女』が頑張ってくれているおかげでどうにか暮らしを維持することができているけど、それはいつまで続くのかな……いや、いつまで続けられるのかなって、そんなことを思ったことがあったんだ」
この世界の街は壁で囲われており、一般人はその外に出ることは出来ない。いや、出ても構わないが、戦う手段を持たない者はただ死んでいくことになる。
だが、街の中にいれば安全かというと、そうでもない。街の中にいる生物――人間に限らず、ネズミや鳥さえも死ねば『屍獣』として蘇り、壁の内側を徘徊することになる。その為、聖女や騎士達が定期的に街の中を巡回しているが、それでも全ての『死』を処理できるわけではない。その為、壁の内側だろうと本当の意味での安全ではないのだ。
そして、家族や友人が死んだとしても、その者達が『屍獣』とならないかを気にしなければならず、その死を悲しむ間もない。処置が遅れて『屍獣』となってしまえば、動けないように遺体を破壊してから浄化することになるのだから、そうなれば故人と最後の別れもまともにできなくなる。
しかし、そんなギリギリのところで維持しているような生活がいつまで続くというのか。今のこの世界がこのまま続いていくという保証など、どこにもない。永遠だと思われていた世界樹が枯れてしまったように。
「世界がいつまで続くか、という答えは出せませんが、今の状況を維持していられるのかという問いであれば、その答えは――いずれ破綻します」
「……そっか」
淡々と答えられたヴィーレの答えに、グレアは一瞬だけ目を見開いて驚いたが、ある程度予想はしていたのだろう。グレア自身も思っていた以上に落ち着いて理解を示すことができた。
だが、理解できることと受け入れることは別物だ。今の世界が壊れると聞いたグレアの胸の内に、じわりと重い何かが溜まるような感覚があった。
「はい。現状を維持することができていると言っても、それはただ単に世界樹の行っていた仕事を人間が代わりに行っているにすぎません。つまり、聖女、聖者の働きはイコール世界樹の働きと同様のものとなります。であれば、徐々に積み重なっていく『闇』を浄化しきれずに世界樹が破綻したように、いずれ今の状況も破綻するでしょう。それがいつなのかは不明ですが、早ければ明日にでも」
「明日にでもって……それは流石に早すぎじゃないかな? 聖騎士たちが全滅したとかそういう話は聞かないよ?」
そうであってほしくないという希望を抱きながらグレアはヴィーレの言葉に反論をするが、ヴィーレの答えはグレアの望むものではなかった。
「もし本当に全滅していたとして、そんな話を市民に広げることはないかと思われます。もし隠しているだけで状況が悪いのであれば、ありえない話ではありません」
確かに、本当に聖女や騎士の手に負えない状況に陥っていたのだとしても、その話を市民に広げることはないだろう。
むしろ、今の状況――今までやってこなかった国主導での義肢職人大会が開催されたことを考えると、急いで状況を整える、あるいは立て直そうとしているように感じられさえしてしまった。
「……もし仮にそうだとして、僕たちにできる事って何かあるかな?」
「なにもありません」
「なにもない、か……」
突き放すようなヴィーレの言葉ではあるが、事実としてグレアにできることは何もなかった。
聖者のように浄化の奇跡が使えるわけでもなく、ミムスのように卓越した機巧義肢職人というわけでもない。
そのことを悔しく思いながらも、グレアはちらりとヴィーレのことを見たが、それ以上何も言うことはなかった。
そうして一度話が途切れたことで二人は黙り込み、この日はそのまま眠りにつくこととなった。
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