第30話ヴィーレのお泊り

 ――◆◇◆◇――


「――はあ。母さんの相手をするのが厄介だって思ったの、今日が初めてかもしれない」

「しかしながら、お母様は喜んでいたご様子ですが」

「喜んでたのは、まあ……でも余計なお世話っていうか、やっかいなんだよなぁ……」


 普段であれば時間になったら仕事を終えて解散となったのだが、今日に限ってはそうではなかった。


 工房に戻ってくる前、ヴィーレがグレアの家に泊まることが決まったため、ヴィーレはいったん自宅に戻って荷物を取ってくることとなった。


 そうして荷物を持ってきたヴィーレを迎えたグレアは、ヴィーレを伴って工房の奥にある居住区部分へと進んでいき、グレアの部屋に案内して荷物を置かせたのだが、その際に女性を自室に上げたことがないグレアはそれだけでどぎまぎしてしまった。


 だが、いつまでも部屋にいるのも不自然なので、自室からキッチンへと移動することにしたのだが、やはりその様子はどこかおかしく、ヴィーレはそんなグレアの様子を眺めて首をかしげるのだった。


 キッチンへとやって来たグレアは、ヴィーレが工房に戻ってくる前に作っていた夕食の仕上げをして食卓へと並べていき、自室で休んでいたセリアを呼んで夕食となった。


 その際に事情を話したのだが、そこで思いのほか話が長引いてしまった。

 だが、その長引いた原因はグレアでもヴィーレでもなく、セリアの好奇心によるものだった。


 それも当然だろう。これまで何の進展もないと思っていたヴィーレとグレアだったが、それがここに来ていきなり泊まることとなったのだ。興味がわかないわけがない。


 それに、セリアは前々からヴィーレには言っていたが、もうそろそろ命が尽きるかもしれないのだ。その前に息子の嫁について、確定でなくとも進展を知ることができれば安心して死んで行けるのだから、聞かないわけにはいかなかった。


 そしてその話は夕食を終えた後も続きそれぞれがお風呂に入っている間も続いた。


「それでは本日はこれで就寝としましょう」

「そ、そうだね……ぼ、僕は少し整理してから戻るから、ヴィーレは先に部屋に行っててよ」

「承知しました」


 夕食を終え、風呂にも入り終えたとなったところでようやくセリアも満足したのだろう。少しふらついてはいたが、それでも普段よりも活力の満ちた様子で自室へと戻っていった。


 セリアが自室に戻ったとなればあとは特に何かやらなければいけないこともなく、二人はグレアの部屋に向かうこととなったのだが、そこでグレアは少し一人になりたかったため、先にヴィーレだけを部屋に行かせることにしたのだった。


「はあ……まさかヴィーレと一緒に寝ることになるなんて……。確かにその必要性があるっていうのは認めなくもないけど、それでもやっぱり一緒に寝るっていうのは問題があるよ……」


 一人になったグレアは、食卓の椅子に座りながら一人呟き、今の状況について愚痴を溢していく。もっとも、愚痴を溢すと言っても、不満があるわけではない。それどころか、今の状況はグレアにとって大変喜ばしいものである。ただ、突然のことで驚いているのと、一緒の部屋で寝る覚悟ができていないだけで。


「……僕って男だと思われてるのかな? 男らしさは……ある、よね?」


 そう呟きながらグレアは二の腕を触る。そうして触った腕は書類仕事をしている者と比べればずっとがっしりとしている肉付きだ。


「一応義肢の素材を運んだり力を籠める作業をしたりで少しくらいは筋肉もあると思うんだけど……もう少し鍛えた方が良いのかな?」


 機巧義肢の素材には金属を使っているため、素材の運び入れだけでもそれなりの重労働だ。

 更に、先日ヴィーレと一緒に街の外に出て素材を集めに行った時のように運動能力が必要は場面は多々ある。

 その為、騎士や本職の傭兵に比べれば劣っているものの、グレアは普通の成人男性に比べると筋力はある方だと言えるだろう。


 ただ、その筋肉は服の上からでも目に見えてわかる、というほどのものではないので、男らしい体つきに見えるかと言ったらそんなことはない。


「……というか、そもそも僕はヴィーレのことをどう思ってるんだろう?」


 ここに来てようやく自身の感情に目を向けることにしたグレア。はた目から見ればそんなことは考えるまでもない事なのだが、グレア自身にとってはそうではないようで眉を顰めて難しい表情を浮かべながら思案していく。


 最初は罪悪感だった。もちろんその見た目から美しい人だとは思ったし、そのせいで多少緊張もした。だがそれ以上に腕を壊してしまったことへの焦りや罪悪感が勝っていたため、そこに恋愛感情はなかった。


 そして次に感じたのは憧憬だった。ヴィーレ本人はミムスではないが、ヴィーレを通してミムスの幻想を見ることで、娘であるヴィーレにも尊敬を向けていた。


 だがしばらくともに工房で作業をしていくにつれて、それ以外の感情も抱くようになってきた。その気持ちが何だったのか今まで理解できなかった。いや、自分は大変な状況なんだから、余計なことにうつつを抜かしている場合じゃないと、理解していないふりをしてきた。


 けれど、間に合わせとはいえヴィーレの腕を直し終わり、大会の提出用の義肢も作り終え、提出ももう終わらせた。後は結果を待つだけだとなれば、今まで考えてこなかった〝余計な事〟にも意識が向くというもの。


「……いや、そんなことよりも明日のことに集中しないと」


 答えが出てしまったら今の関係が壊れてしまうんじゃないかという恐れがグレアの頭の中に滲んでいき、ヴィーレとの関係に答えが出てしまうことを無意識のうちに恐れ、グレアはそう言いながら頭を振って強引に意識を切り替えた。


「それにしても、もう大会が始まるんだよな……やっぱり一番の強敵はアッシュなのかな。でもこの街で一番を決めるんだし、他にも凄い人っていっぱいいるよね」


 そうして思考を切り替えた先は、今日の……というよりも明日の出来事。

 アッシュはグレアと違って貴族としての身分を残しながらも義肢職人として活動している。活動期間もグレアよりも早く始めており、その才能は以前より大会で賞をもらうほどだ。同年代の間では、アッシュが最も優れた義肢職人であるとさえ言われている。それどころか、ベテランと比べても遜色ないほどだとも。


 そんなアッシュも大会に出場するんだと理解したグレアは、今更ながら怖気づく気持ちが沸き上がってきた。


「……いや、大丈夫だ。僕だって今までやって来たんだし、何とかなるに決まってる。それに、ミムスさんの技術を学ぶことができて、完璧じゃないけど少しくらいは近づけたはずだ。だから前よりは知識も技術も成長してるんだし、きっと行ける。そうだ。だいじょうぶだ。大丈夫なんだ……」


 アッシュ以外にも優れた職人はいるが、グレアの中でもっとも考えやすい強敵の姿がアッシュである。それは職人としての技術もそうだが、幼いころからの関係も理由ではある。

 そのため、グレアはアッシュの幻想を振り払うために大丈夫なのだと自分に言い聞かせるように何度も口にした。


「思ったよりも時間が経ってるな。考え事をし過ぎたか。そろそろ部屋に戻ろうかな。ヴィーレは……多分もう寝てるよね。普段から効率優先で行動するし、僕を待ってる理由もないもんね」


 アッシュの幻想を振り払うべく気を静めたグレアは、既にヴィーレに対する緊張もある程度消えたことで、部屋に戻ろうと椅子から立ち上がった。


「ふう……自分の部屋に入るのに何でこんなに緊張するんだろう」


 そうして自室にやって来たグレアはドアノブにてをかけたところではたと気づいた。


「あっ。もう寝てるだろうけど、一応ノックはした方が良いか」


 ここは自室であり、普段であれば何もせずにドアを開けていた。だが今は普段とは違い、部屋の中にはヴィーレがいるのだ。何もせずに部屋に入って事故を起こしたところでヴィーレはなにも文句を言わないだろうが、それでも気まずさは残る。少なくともグレアは罪悪感を感じる。


 その為、グレアは自室であるにもかかわらずドアの前で立ち止まると一度だけ深呼吸をし、ドアをノックした。


「ヴィーレ、起きてる?」

「はい」

「あ、まだ起きてたんだ。部屋に入っても大丈夫?」

「? どうぞ。ですがここはあなたの部屋なのですから許可など取らずとも良いのでは?」

「そうだけど、今はヴィーレがいるじゃないか」


 そう言葉を交わしてからグレアはドアノブをひねり、苦笑しながらドアを開けて部屋の中に入っていったのだが……

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