第26話ヴィーレを勧誘
「まだ生きてたんだな。家を追い出されて死んでるかと思ってたぞ」
親し気な笑みを浮かべて話しかけてきたアッシュだが、その話している内容はひどいものだ。間違っても知り合いに向けるような言葉ではないのだが、そんなことは露ほども気にならないらしい。
「何とか生きてられたよ。そっちは調子いいみたいだね。結構噂話とか流れてくるよ」
「噂か……まあそういうのがあるのは仕方ないことだが、どんな噂なんだ? 恥ずかしくないものだといいんだけどな」
普段ヴィーレに向けるものより幾分か砕けた調子で話すグレアだが、砕けているというよりも強がっているように思えるのは気のせいだろうか。
「恥ずかしいなんてとんでもない。みんな褒めてるものばっかりだよ。ホーエン家の次男が義肢職人として素晴らしい腕を持っているとか、小さな大会で優勝したとか、そういうやつさ」
「ことさら広めたわけじゃないんだが……流石に市井にも話が流れるか」
「大会の優勝者ともなれば流石にね」
「参ったな……この程度のことをそう大げさにしてもらいたくないんだけど……どうせだったら今回の大会で優勝してからにしてほしいものだよ」
「はは……アッシュなら優勝しても不思議じゃないだろうね」
謙遜しているように話しているアッシュだが、言葉から尊大な心がにじみ出ている。
「ふっ。まあな。それにしても……お前も今回の大会に出るんだな。それが作品なんだろ?」
「うん、そうだね。どこまでいけるかは分からないけど、精いっぱいやったつもりだから賞の端っこにでも引っかかってくれるといいんだけどね」
グレアとしては優勝したいと思っているし、そのつもりでこれまで準備してきた。だが、そんなことを言えばアッシュが騒ぎ出し、自身に絡んでくるだろうということは容易に想像できた。
この場で騒ぐだけであればやり過ごせばいいだけだが、アッシュが本当に気に入らないと思えばこの場で分かれたとしてもちょっかいをかけてくるだろう。そう判断したからこそ、グレアは目立たないように大人しくこの場をやり過ごそうと卑屈に笑ってみせたのだ。
「お前はいつも卑屈だな。せめて賞を取る、って断言するくらいしても良いんじゃないか?」
そんなグレアの態度がお気に召したのか、アッシュは楽し気にグレアの肩を叩きながら笑った。
「いやー、僕は義肢職人って言っても大手じゃない零細だからね。そんな自信なんて持てないよ」
「お前がそんなんじゃ俺が困るんだぞ。俺達は同士だろ? 貴族出身で義肢職人となった仲間だ。昔からの知り合いでもあるし、ある意味ライバルのようなものだろ? そんなお前が自信もなく、賞を争うこともできないとなれば、俺も恥ずかしいじゃないか。まあ、自信だけ先行してみっともない結果を晒すよりはいいのかもしれないけどな」
「はは……そうだね。できれば結果を残せればいいんだけど……どうだろうね」
ライバル、などと口にしているアッシュだが、実際にはライバルだなんて思っていないことはグレアも理解している。精々が引き立て役といったところだろう。
「まあ、ライバルとは言っても、お前と違って俺の場合は家の力があるからな。はっきりと比べることはできないよな」
「仕方ないよ。それに、環境だってその人の能力の一部だろう? 僕の場合は家の力を借りられないことを承知で義肢職人を目指したんだから、そこは納得してるさ」
「そうか? ところで……そちらの女性はどなたなんだ?」
グレアとの話で自尊心を満たすことができて満足したのか、鷹揚に頷いたアッシュだったが、そこでようやく周囲に目が向くようになったのだろう。グレアの斜め後ろに立っていたヴィーレの存在に気が付き、観察するような目つきでヴィーレのことを見ながら問いかけた。
「あ、ああ。彼女は僕の工房で働いてもらっているんだ」
「初めまして。ヴィーレと申します」
ヴィーレとしては話そのものに参加するつもりはなかったが、問われ、紹介されることになれば挨拶くらいはする。
だが、その挨拶も完璧と言える所作を披露してしまったことで、ヴィーレ自身の見た目も相まってアッシュの気を惹いてしまうこととなった。
「……凄い綺麗な人だな。グレア、どうやってこんな人と出会ったんだ?」
観察するような視線から獲物を狙うような視線へと変わったアッシュ。そんな視線に、カウンターの向こうで見ていたマーガレットは気が付き、少し面倒なことになるかもしれないと思ったが、グレアはそんなことには気づかずにアッシュの問いかけに答えた。
「それが、僕の不注意だったんだよね。ちょっとぶつかっちゃって、それで……まあ色々話してうちで働いてもらうことになったんだ。丁度この街に来たばかりで仕事がなかったみたいだし」
「そうだったのか。でも、それならどうだろう。ヴィーレさん、うちで働かないか。うちも丁度人手が欲しいと思っていたところだったし、給金もグレアのところより出せると思うんだが」
ヴィーレのことを引き入れるためだろう。それまでグレアと話していた時とは打って変わって言葉遣いは気を使ったものとなっており、雰囲気も心なしか優し気なものとなっていた。
「ありがたい申し出ではありますが、私は現状に満足しておりますのでお断りさせていただきます」
だが、ヴィーレはアッシュの申し出に対し、失礼にならない程度に間を開けてから断りの言葉を告げた。
それも当然だろう。確かにアッシュの許で働いた方が給金の額は良いだろうし、待遇も良いだろう。だがヴィーレにとっては給金の額など、最低限生活をすることさえできれば問題はなく、待遇も今の状況に不満はない。
義肢職人としての腕も街を見て回った限りでは大差はなく、むしろ自身がミムスの知識を与えて研鑽を積んだ今のグレアの方が良いとさえ言えた。
その為ヴィーレとしては悩む必要のない問いであった。
だが、アッシュとしては断られるとは思っていなかった。
アッシュの運営している工房は実家である貴族の後ろ盾が存在しており、給金の良さはもちろんだが、設備もほぼ最新といっていいものでそろっている。これ以上を求めるのであれば、それこそ国における最精鋭たちが集まる国営の工房くらいなものだろう。
だがそういった場所は、何の伝手もない一般人が入れるような場所ではない。それは職人ではなく雑用であってもだ。
つまり、一般市民が就職する先としてアッシュの工房は理想的とさえ言ってもいい場所なのだ。普通の相手であれば、引き抜きの話が来たら迷わずに頷くことだろう。もっとも、今回の相手であるヴィーレは〝普通〟ではないので頷きはしなかったが。
「満足って……グレアのところではそんなに裕福な生活ができる程の額を出すことはできないんじゃないか? うちだったらもっと贅沢をできるくらい出すことができるんだぞ? それに、環境だってもっといい仕事場を用意することもできるんだ。ホーエン機巧義肢工房の名前くらい聞いたことがあるだろう?」
まさか断られるとは思っていなかったアッシュは、わずかな時間だけ間の抜けたような表情を晒したあと、ゆっくり首を左右に振ってからそう話した。そういえば名前を名乗っていなかったな。きっと自分の工房の名前を知れば頷くはずだと考えたのだ。
だが、それでもヴィーレは頷かない。
当然だ。そもそも判断基準が違うのだから、普通のものであれば喜ぶような条件もヴィーレにとってはどうでもいい事でしかないのだ。
「給金には満足しておりますし、環境も問題を感じておりませんので」
「……まさか、グレアと付き合っているのか?」
普通であれば頷くような条件を提示しても頷かないヴィーレにアッシュは眉を顰め、まさかと思いながら問いかけた。
「付き合う、とは恋愛を通した関係ということでしょうか?」
「まあ、そういうことだな」
「であれば、違います。私達の関係はただの雇用関係であり、仕事に付き合っているということはできますが、そこに恋愛感情はありません」
「そうか。……でも、だったらなんでグレアのところにこだわるんだ?」
ヴィーレの答えにどことなくおかしさを感じたアッシュだったが、そんなことよりも今は自分が拒絶されたことの方が気になるため、ヴィーレのおかしさを無視して話を続けた。
「こだわっているわけではありません。グレアの工房を止める正当な理由がないにもかかわらず、身勝手な我欲を理由に仕事を止めるというのは人としての道理を外れています。私はそのような不義理を行ってはならないとお父様から教えられていますので」
ヴィーレがそう答えたことでアッシュは眉のしわを深くしたが、すぐに納得したように頷いた。
融通が利かないほど真面目……頑固ともいえる性格をしているだけで、筋さえ通せば問題なく自分に靡くと考えたのだ。
「いや、待て。それなら今すぐじゃなくていいとすればどうだ? 確かに今すぐに辞めるとなれば問題だろうが、辞めると宣言してから一月後に手順を守って辞めるとなれば、それは正式な雇用関係の解除となるのだから不義理にはならないだろ。雇用側に問題がなくても自分の都合で仕事を止める人間なんてそこら中にいるんだ。むしろそれが普通のことだ。俺だってすぐに辞めろって言ってるわけじゃないんだし、別に一月くらいは待ってやってもいいんだぞ」
これならば問題ないだろうと考えたアッシュは、ヴィーレが頷く未来を思って笑みを浮かべた。
だが、そう上手くはいかない。なにせ、ここにいるのはヴィーレなのだから。
「しかしながら、皆様が普通に行っているとしても、それが道理にのっとった行動なのかは別ではないでしょうか? 少なくとも、雇用側は雇用してから一月で辞めることを望んで雇ったわけではないと判断します。であれば、現状で辞めるというのはやはり不義理であり、かつ不誠実な行いであるのではないでしょうか?」
以前ヴィーレの腕を直す際もヴィーレはグレアの工房で働いていたし、その期間は半年近いものだが、その時は正式なものではなく一時的な関係だった。
だが先日大会用に義肢を作ることとなり、そこで正式にヴィーレは雇われることになったのだが、その日から考えると確かにヴィーレはまだ一月かそこらしか働いていないことになる。
そのことを考えると、確かに辞めるにしては早すぎると言わざるを得ないだろうし、不義理と言うこともできるかもしれない。
「……なら、どうしてもうちには来ないっていうのか?」
「現状での話という意味であれば、その通りです。また将来的な話となるとその時の状況次第となりますので断言することはできませんが」
ヴィーレとしても、アッシュがグレアよりも優れており、自身の腕を完璧に直すことができる程の義肢職人であれば移籍も考えたかもしれない。だが、それは今ではない。
ヴィーレもホーエン機巧義肢工房のことは知っているが、グレアとの技術の差はほとんどないように思えた。そのため、今は移籍をするつもりはなかった。
ここまで自分が言葉を尽くしても頷かないヴィーレに苛立ちを感じたアッシュだが、それでもよほどヴィーレのことが欲しいのか、アッシュは苛立たし気に眉を顰めながらも騒ぎ立てることなく話を続けた。
「そうか、わかったよ。ちなみに、グレアとの雇用期間はどうなっているんだ?」
「特に期限を設けていたわけではありませんが、この大会に向けての補助という話でしたので、その後のことは何とも。大会の結果次第となるのでしょうか?」
「ぼ、僕としては大会が終わってもうちで働いてくれるなら大歓迎なんだけど……」
二人の話に割り込むように呟いたグレアだったが、その声がそれほど大きくなかったのは彼がヴィーレに自身の想いを伝える勇気がないからだろう。
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