第6話ヴィーレの結婚観
そんな日々を過ごしておよそひと月が経過した頃だろうか。この日はいつもとは少し違った出来事があった。
「あ、母さん」
毎朝の日課として、その日に行うことをダイニングのテーブルで話し合っていたグレアとヴィーレだが、この日も二人が話し合っているとグレアの母親――セリアが姿を見せた。
今までもセリアは家にいたが、体が丈夫ではなく、体調に問題があったために普段は姿を見せることはなかった。
ヴィーレがグレアの家で食事をするときには共に食べたことはあったし、工房で仕事をしている以上顔を合わせることは普通にあったが、それはいつも午後の事だった。その理由は午後からでないと起きることができないからではあったが、どういうわけかこの日は朝から起きて来たようだ。
「あら、ヴィーレちゃん。今日も来てくれてるのね。毎日ありがとう」
「感謝は不要です。こちらも利があることですので」
セリアは微笑みかけながら感謝の言葉を述べたのだが、言葉をかけられた当の本人であるヴィーレはいつものようにただ淡々と返すだけだった。
セリアとしては息子であるグレアの側にヴィーレのような美しい女性がいることを喜ばしく思っているのかもしれないが、ヴィーレにとって今の関係はあくまでも利害関係での付き合いでしかない。
グレアの家にやって来たのは腕を直してもらうためだったし、共に勉強をしているのはグレアを鍛えることで将来の不安を取り除くためだ。
仲が良く見えるとしたら、それはそうしたほうが効率的だからであり、険悪な関係であっても意味がないと判断したから。
だからこそ、ヴィーレはセリアに感謝を告げられてもいつものように淡々と返すだけだった。
そんなヴィーレの言葉に不満があるようで、セリアは困ったように眉を顰めた。だが、その視線は言葉を発したヴィーレではなく、ヴィーレとセリアが話している間にも話に参加しようとはせずにノートに何かを書き込んでいる息子へと向けられていた。どうやらセリアの不満はヴィーレではなくグレアに対するものだったようだ。
恋愛どころかそもそも感情自体が薄く感じられるヴィーレに、ヴィーレのような美しい女性がいるのにアプローチをかけることもせずに作業の事ばかりを気にしているグレア。
そんな二人を見比べた後、セリアは悩ましげな様子でため息を吐きだした。そして、改めて二人のことを見ると、一つ問いかけた。
「……ねえ、二人は結婚するのかしら?」
「ぶっ! なっ、かあっ、何言ってんの!?」
突然の言葉に、ノートに本日行うことの工程などを書き込んでいたはずのグレアが突然噴き出し、慌てながら振り返って母親であるセリアのことを咎めた。
そのこと自体は分からないでもないのだが、こうしてすぐに反応をすることができる辺り、ノートに書きこみながらもヴィーレ達の会話に耳を傾けていたということだろう。
盗み聞き、というにはあまりにも堂々とセリアが話しをしていたわけだが、黙って作業をしながら二人の会話を聞いていた息子に対してセリアは呆れたように息を吐きだしてから言った。
「だってあなたもそろそろ良い年じゃない。私もこんなだし、安心したいと思うのは普通でしょ?」
グレアの今の年齢は二十三である。男性としてはまだ余裕があるとはいえ、それでももう結婚していてもおかしくない年齢ではある。
それに加え、セリアは自身がそう長くないことを理解しているため、できることならば死ぬ前に息子の未来に安心しておきたかったのだ。だからこそ、野暮であることは理解していながらも、セリアはヴィーレ達に問いかけたのだ。
そんな母親の内心などつゆ知らず、息子であるグレアは顔を赤くしながら慌てて立ち上がり、否定するべく叫んだ。
「でも! ヴィーレはそういうんじゃないって前にも言ったでしょ!」
「そうなんだけどねぇ……」
「ヴィーレ、こっちに。早く今日の分を終わらせないと」
そう言ってセリアの言葉を遮ると、グレアはヴィーレの手を取って工房へと引っ張っていった。普段もそれだけの行動力があればいいのに、などと思いながらセリアは二人のことを見送っているが、先ほどの話が胸の中で引っかかっていたヴィーレはそんなセリアのことを見続けていた。
「──ふぅ。順調に進んでるね。なかなか良い感じじゃないかな? ……ヴィーレ?」
朝のセリアとの話から逃げ出した後は、特に何か起こることもなく普段通りに作業を進めていった二人。
作業を進めていき一区切りついたところでグレアが顔を上げてヴィーレに話しかけたのだが、普段ならばすぐに反応が返ってくるはずのヴィーレはどうしたことか今日に限ってはどこか上の空だった。
「……申し訳ありません。そうですね。以前よりは性能が上がっているでしょう」
グレアに呼ばれたことでハッと気を取り直したヴィーレは、すぐにグレアの手元にある義肢を見つめ、いつものように無表情で頷いた。
「……何か悩み事? よかったら相談に乗るよ?」
もう既におかしなところなんてないように見えるが、明らかに先ほどは様子がおかしかった。他の人物が相手であれば、グレアも特に疑問は思わなかったかもしれないが、相手がヴィーレとなると流石に違和感を覚えずにはいられなかった。
一人で考えていたところで答えは出ない。答えが出るのであれば既に解決しているのだから。
そう判断したヴィーレは、グレアの言葉に頷きを返してから自身の考えていたことについて話し始めた。
「ありがとうございます。ではひとつお尋ねしたいのですが、結婚とはどのようなものなのでしょうか?」
「え……? ヴィ、ヴィーレもその話!?」
普段のヴィーレであれば考えられないような問いかけに、グレアは一瞬何を言っているのか理解できず、出てきた言葉も上ずったものとなってしまった。
しかしそれでもヴィーレは顔色一つ変えることなく話を続けた。
「女性であれば、結婚は気になることなのではないでしょうか?」
今朝のセリアとの会話においてヴィーレが気になっていたのはそれだった。ヴィーレ自身に結婚をしたいという願望はない。
「そ、それは、そうかもしれないけど。……す、好きな人でもいるの?」
「いいえ。そもそも、私には恋というものが分かりません。何をもって恋とするのでしょう? 何のために恋をするのでしょう? 恋をすれば、幸せになれるのでしょうか?」
自身を作った父に言われた『幸せになれ』という言葉。だがヴィーレには何をもって幸せとするのかが分からなかった。
女性は恋をし、結婚すれば幸せだと一般的には言われているが、ヴィーレには恋というものさえ分からない。それどころか、誰かを好きになるという感情もなく、誰かを利用したいという打算もない。そのため、結婚をする者の気持ちというのが理解できなかった。
もちろんヴィーレとて結婚をすることの理由は理解している。だが、その心の在り様までは理解できていなかった。だからこそ、結婚しないのか、という言葉に対して心を揺さぶられた。もし結婚する者の気持ちというものを理解することができれば、自分は〝普通〟に暮らすことができるようになり、ひいては〝幸せ〟というものを手に入れることができるようになるかもしれないから。
「結婚とは、人間が自身の血を残すために行う契約の一種であり、その契約は現在の社会においては書類を出すだけで終わります。そのようなもので、本当に幸せになれるのでしょうか?」
「……えっと、う〜ん。何だろうな。……確かに書類上というか、言葉にすればそうなるのかもしれないけど、それはちょっと違う気がする」
最初こそ慌てていたグレアだったが、そんな普通ではない斜め上のことを言ってきたヴィーレの言葉を聞いて目を丸くした後、少し困った様子で悩みながら話し始めた。
「結婚っていうのは、好きな人とずっと一緒にいたいって思うからするんじゃないかな。この人と一緒に居たい。この人と離れたくない。そう思うからこそ、それを目に見える形で作ってるんだと思う。極論、書類なんて出さなくても本人たちが幸せならそれは結婚しているのと変わらないんじゃないかな? まあ契約っていうと堅苦しいけど、間違ってはいないよね。お互いがずっと一緒にいる事を誓う契約だなんて、ちょっとロマンチックじゃない?」
グレアの言うことは間違っていないのだろう。だが、些か理想論が過ぎる言葉であるというのも事実だ。現実にはそんな愛情だけで結婚をし、家庭を築いていくことなど不可能に近い。あくまでもグレアの言った内容は、結婚をする理由の一つの側面でしかない。
だが、結婚どころか恋愛感情すら理解していないヴィーレにとっては、そんなグレアの言葉こそが結婚というものに対する真理であるかのように思えた。
「僕は結婚した事ないし、自分でも夢みがちだとは思うけどね。でも、そういうことだと思う。まあ、中には理由があって好きでもない相手と結婚する、なんて場合もあるけど」
家の立場や繋がりを考えてや、お互いの財政状況を考えての結婚というのも世の中には溢れている。中には結婚を考える程好き合っていたとしても、その後の生活に不安があるために泣く泣く別れる者達もいるだろう。
とはいえ、こう語ったグレアだったが、実のところグレア自身結婚というものをよくわかっていないのだ。当然と言えば当然だろう。なにせグレアはまだ一度も結婚したこともなければ、結婚をしたいと考える程の相手に出会えたこともないのだから。
もっとも、それは今まで出会ってこなかったというだけで、今のグレアは一人だけ気になっている相手がいないわけでもなかった。
とはいえ、気になっているというだけで、グレア自身結婚したいと明確に思っているわけでもないし、今の自分の感情が恋愛感情であるのかすらも分かっていなかったが。
「……と、ところで、ヴィーレは結婚したいって思ってるの?」
「……どう、でしょうか? 幸せにならなくてはとは思っていますが、結婚は……分かりません」
「そう、なんだ……」
「はい」
ヴィーレの言った〝幸せにならなくては〟という言葉にどこか義務感で言っているように感じたグレアだったが、これ以上この話を続けるのは恥ずかしかったため、話はそこで終わりとなり二人は再び作業へと戻っていった。
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