掌犬《乙》

 街中には泥棒が出るらしい。それで番犬がほしいと友人に言ったら、掌に載るほどの大きさの犬をくれた。とても小さいから、番犬どころか、ドッグフードを食べることすらできない。肉や野菜を煮てスープを作り、スポイトで注意深く与える。夜は眼鏡ケースを改造した寝床で眠る。

「こいつ、番犬になるかなぁ」

「そのうちこのくらい大きくなるから。このくらい」

 犬をくれた友人は、両腕を広げて「このくらい」と言ったが、肝心の犬は半年ほど経っても掌サイズのままで、ヒャンヒャンと頼りない声で鳴く。やはり番犬は厳しい、と思う。


 冬が近づいてきた。犬は相変わらずの小ささで、食事はスープのままだが、眼鏡ケースの寝床が些か寒々しく見えてきた。

 そこでひとつ寝床を作ってやろうと思った。まずは近くのペットショップで、ハムスター用の巣箱を買ってきた。それからドーム状の巣箱に合わせて、柔らかい毛糸で円座を編み、中に入れてやった。

 犬は大喜びである。ヒャンヒャン鳴いて飛び跳ね、中に入ると丸くなって寝てしまった。これだけわかりやすく喜んでもらえれば、作った甲斐があるというものだ。

 ぴいー、ぴいー。犬の鼻息が聞こえる。水槽の中では金魚が静かに泳いでいる。犬の息の音を聞きながら、私も眠ることにした。


 夜半、目が覚めた。犬がヒャンヒャンと吠えている。

 サイドテーブルに置いた巣箱の入口の前で、犬が足を広げて踏ん張り、懸命に威嚇をしていた。その手前には、体長二センチほどのハエトリグモが陣取っている。

 助けねば、などと考える前に、まず感動した。これはなかなかどうして番犬の器ではないか。急いでスマートフォンを起動させて写真を何枚か撮り、深夜だったが興奮状態のまま友人に送信した。

 いかに掌犬といえど、さすがにハエトリグモよりは何倍も大きい。私が手を出さなくても危険はあるまい。そう思って観戦していると、ハエトリグモが先に動いた。ふわふわの体躯でぴょんと跳躍し、犬の背中にすとんと着地した。

 犬は相当驚いたらしく、半狂乱になって走りだした。ハエトリグモを背中に乗せたままサイドテーブルの上を駆け回り、そこからぴょんと飛び降りたかと思うと、電光石火の如く部屋の隅へと消えた。

 あっという間の出来事だった。

 慌てて探したが、棚の下を見ても、カーテンの裏を見ても、犬の姿は見当たらなかった。呆然としていると、友人から返信があった。

『ピンぼけでよくわからん』

 言われてみれば確かに、ぼんやりとした茶色いものが写っているようにしか見えなかった。


 犬は一週間後に帰ってきた。大きさは相変わらず掌サイズだが、きっと冒険でもしたのだろう。顔つきはきりりとして、吠える声もワンワンと張りのあるものになっていた。

 ハエトリグモも一緒に帰ってきた。今日は特別寒いのか、二匹ともハムスターの巣箱の中で、脚を縮めて眠っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る