第二話


 おおよそ二、三人か。


 突然響いたその足音に、とっさに体を強張らせる。本能的に、ボクはその場を後にして隠れることにした。マスターとかくれんぼをしたときにボクが見つけた、さいきょうの隠れ場所に。嬉しいことにそこからは部屋全体の様子を見ることができたので、本当にうってつけだった。



 息を潜めていると、奴らがついに部屋に入ってきた。大男と、やせ細ったメガネの男の二人組、どちらもほぼ真っ黒の服を着ている。ボクは、奴らがマスターの知り合いだとひとまず思うことにした。とはいえ、マスターがこの五年間で知り合いを呼んだことなんて、一度も無かったのだが。

 そういうことも含めて、ボクは継続して隠れることを選択した。

 そして、その選択は正しかった。


『やっぱ、大富豪の家は一味違うね』


『見ろよこれ、何用なん? もしかして、アニメとかで見る仮想現実空間でゲームできるみたいなやつ? すっげぇなぁ』


『それは動物言語を人間の言葉に瞬時に翻訳できるマシンだね。そしてカイト、目的を見失うなよ。俺達の目的はあくまでこの家の金目のものを持って行くことだ。ただ大富豪の家に勝手に入ってみた、みたいなことをやってるわけじゃない』


『わーってるよ。にしても、人間と動物が話せる時代がもう来てるのか、すっげぇなぁ。これ、持っていっていい?』


『好きにすれば? そしてカイト、それは人間と動物が双方向で会話できる代物には、まだ至っていない。あくまで、人間が動物を理解するための一方向のマシンだ』


『へぇ、そーなんだな』


『ま、何にせよ早くしろ』


 二人はマスターがいつもボクといるときにつけているマシンを見て何やら小さな声で話している様子だった。わかってはいるが、その言葉はわからない。

 この時点ではまだ断定はできないが、口調からボクは微かな犯罪の香りを奴らから感じた。明確にマスターに危害を及ぼすという情報が足りないので、観察を続ける。



 しかし、そのたった二十秒後、ボクは思わず飛び出してしまっていた。

 それは、二人が壁にかかっている絵に手をかけ、奪おうとする瞬間であった。


『おわっ、なんだネコか』


 瞼を開くと、少し開いた距離の先に二人組の姿が見えて、自分でも驚いた。そして、考えるより先に体が動いてしまっていたことに後から気づく。迂闊だったな、そう思いつつも。

 その絵は、マスターが毎日大切に手入れしていたものだ。マスターは、鼻歌を歌いながら午後三時に欠かさずそれを行うのだが、その周辺からは、奴らはもちろん、ボクさえも傷つけたら一生許さないという、そんな覇気さえ感じられるほどだ。

 それを、その空間を、ボクたちを全く知らない無知蒙昧で野蛮な奴らに奪われるなんて。

 冷静に考える余地は、そこにはなかった。


『にゃあにゃあにゃあ!!』


 手を出すなという威嚇をその鳴き声に込めた。でも、そもそもヒトと関わる機会がなかったせいか、奴らには威嚇とすら捉えられていないようで、


『可愛い鳴き声だね』


『だな。ほらほら、ご飯ですよー、なんつってな、俺達についてきたらやってもいいぞ〜? あ、そうだ、このマシンつけてなんて言ってるか聞いてみよ』


 やはり、何を言ってるかいまいち分からない。でも、確かにボクを馬鹿にしていた。


『ありゃ、なんか使い方よくわかんねーな。もういいや』


 マスターのつけていたマシンをあれこれしていた大男は、面倒だといった顔で、ボクに見向きもしなかった上に、そのマシンを床に乱雑に投げ捨てる。

 くそ。ボクは奴らにとっては所詮かわいいネコで、注目するにも値しないって言うのか? ふつふつと怒りが込み上げてくるのを全身の毛で感じた。


『あ、でもちょっと待てよ』


 すると、ますます鋭い目に変わるボクを見ながら、さっきはボクを害とさえ判断していなかったであろう大男が、急に真面目な顔になった。


『さっきのマシン──あれってよ、俺達の顔とか見てるこのネコちゃんから情報収集できるようにするためなんじゃねぇのか?』


 その言葉を聞いて、もう一人の方もメガネをくいっとして真剣になる。


『……確かに。このネコをセルフ監視カメラにすることでの、確実な犯罪者の確保。どちらかといえば”有り得る”線だね』


『だろ?』


『そうなると、このネコを殺す必要性が出てくるか……』


 ドヤ顔をしていた大男は、打って変わってうろたえた様子で尋ねた。


『え、おい、ちょっと待てよ。このマシンをぶっ壊すって方法はねぇのか?』


『何を言ってるんだ、カイト。私達が侵入しているのは、大富豪の家。つまり、マシンの補填なんて容易いことなんだ。マシンの破壊は多少の時間稼ぎにはなるかもしれないが、決定的な証拠を見ているこのネコがいる限り、私達の逮捕は児戯も同然。そういうわけだから、物品回収の時間を早めるくらいの重要度でこのネコを殺すのは必要不可欠だ』


『そうなんか、でも、うーん……。動物は割と好きなんだよなぁ……』


 頭を抱える大男にダメ押しをするように、メガネの男は催促した。


『カイト、ぐずぐずしてる暇はないぞ。タイムリミットはあと10分もない。私達のボスによってできた時間を浪費するとなれば、即ち死だ』


『……仕方ない。悪く思わないでくれよ、ネコちゃん』


 大男の言葉を契機にして、二人のボクに対する目つきが変わった。

 きっと、こいつらはヒトも殺したことがあるかもしれない。何度も血を見てきたような赤黒い眼に怯える反面、ボクはこうも思っていた。

 やっと本気になってくれて、ありがとう。

 そして、ヒトに比べてはるかに小さいその体を使って奴らからの逃走を始めた。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 奴らの会話の最中に、ボクは具体的な逃げ方をすでに考えていた。

 マスターのいる二階に彼らを向かわせないで逃げるという前提条件を踏まえて出した結論。簡潔に言えば、”外の世界”への逃走。

 この五年間、ボクは一回も外へ出たことがない。かつ、”外の世界”へ逃げたボクを追いかけるほど、ボクの重要性が奴らにとってあるかによっては二階にいるマスターをさらに危険にさらすことになってしまう。

 一見リスキーでしかないその計画は、前者は定位置の窓から逃げればいいとして、後者の問題も解決されたように感じた。だって、あの眼は本当に殺すときの眼だと、直感が語っていたから。


 だから、本気になってくれてありがとう。


 あとは、それを実行するだけの勇気だけだ。それは、とっくの昔に誓ったマスターへの忠誠で簡単に吹っ切れた。



 ボクと共に動き出した彼らの動きを眼で見てから、経路を探し出す。

 ここ冷蔵庫から最短で定位置に到達するにはどこがいい? 大男はボクに向かってまっすぐ、メガネの男はボクの行き先を見てから大男と挟み撃ちにしようという素振りが見えた。つまり彼が向かうのは、玄関。だとすれば、ボクが向かうべきは。


『おい、玄関向かったぞ!』


『了解……って、いないぞ!?』


 冷蔵庫⇨玄関までの通路⇨ボクだけが通れる狭い通路(マスター特製)⇨再び冷蔵庫上の隙間!!


『ネコが入れそうなちっちゃい通路発見! どこかから出られると予想!』


『ネコちゃん背後に確認、だけど多分追いつかない!』


『おいカイト、そこって確か窓──』



 一瞬、振り返ると奴らの姿が見えた。

 必死でどうしようもないって顔だ。どうやら、奴らからボクは逃げ切ったらしい。十分な時間も、マスターが事態に気づく物音も立てることができた。一日ぐらいたってから戻れば、またマスターとの毎日に戻れる。

 微かな安堵と達成感で、ボクの体は満ち溢れていた。



『ぱん』



 これで終わったという確信があった。確かに、あった。

 明日への希望が、羨望が、欲望が、形になっていたはずだった。

 でもそれは、どうやら仮定から違ったらしい。


『え、これ撃ってよかったやつ?』


 定位置に横たわりながら、目の前のヒトを見る。大男でも、メガネの男でもない、金髪の男。ああ、そうか。ボクの認識が間違っていたのか。最初から、”奴ら”が二人であるというわけじゃなかったんだ。ああ、くそ。

 っていうか、なんだこの感覚。体温が外に溶け出していくような……。痛い。寒い。痛い。寒い。寒い痛い痛い寒い寒い。ああ、あああ、あああああああああああ!!


『おい、拳銃使ったら不味いだろ!』

『もう、当初の計画がグダグダ。どうしてくれるんだ、カムラ?』

『あ、拳銃ってここじゃ使っちゃダメだったんだ』

『『ダメに決まってるだろ!』』


 ──なにか聞こえる。ぼーっとした意識でそれを聞きながら、悔しいという気持ちだけが宙に浮いたように感じた。今度こそボクは死ぬのだろう。あのときと違って、今はとてつもなく、怖かった。今のボクには、失ったら悲しいものがあまりに多すぎる。

 ねぇ、マスター、せめて死ぬ前にあなたに伝えたいことが一つだけあるんだ。だからさ、また前みたいにボクの前に現れてよ……。




『……とはいえ、まぁカムラのおかげでネコは殺せたのでおとがめ無しとしましょう。大富豪に勘付かれる前に、あの絵と諸々の金品を持って帰ってください、カイ、ト……!?』


 言い終わる前に、メガネの男の眼に写った光景の、あまりの想定外度合い、恐怖、危機、災厄、虚無……は計り知れない。そんな彼の顔に疑問を持つだけで済んだ大男は幸運だとも解釈できた。


『おん、どうした? 俺の顔に虫でもついて』


 ──「  」ザシュッ。


 音が遅れて聞こえた。


 と同時に、カイトと呼ばれる大男は真っ二つになった。

 文字通り、真っ二つに、だ。


 それからコンマ五秒の時が経って、大量の血が彼の体をついさっきまで繋いでいた境界線から吹き出した。



『虫はお前だよ』




 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _


ごめんなさい、もう一話ありそうです。

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