第10話 マテウス様の罪

 マテウス様。

 マテウス様は何も悪くないわ。貴方が美しすぎるからよ。美しすぎるから。

 私は蹂躙と陵辱を受け続けた天涯孤独の非力な少年の日々を想像して胸が詰まった。


「フラン。君の思い出だけが私の心の拠り所だった。記憶の君はいつも天使のように清らかで明るくて。私はその思い出だけで自分の心を保つことが心を温めることができたんだ」


 彼の告白にあたしは涙ぐんだ。


 彼と実は両想いだった、てことが分かったから? 片想いが成就したから? 違う。

 彼が可哀想だったから? 違う。


 自分が嫌だったからよ。

 このマテウス様にあたしも欲情してるからよ。

 マテウス様を苦しめた男たちと同じように、マテウス様の身体を自分の好きなようにしたいからよ、あたしも。ごめんなさい、マテウス様。


『あー、めんどくせー、めんどくさいったりゃありゃしない。そこまでの境遇なら、ぐにゃりと歪んでしまえばいいものを。ふんじばって真っ直ぐに留まりやがって。たいした肝ですよ、この男は』


 あたしは猫悪魔の言葉も気にならなかった。


『貴女もね、フラン。自分の気持ちを否定することありませんや。動物を見てごらんなさい。発情、交尾、繁殖。相手の気持ちがどうとかなんだとかみんな、考えてなんかいやせんぜ。相手を苦しめたくないとか、労わるだとか、これ人間だけですからね。どうでもいいこと』


 あたしはその言葉も耳に入らず、泣き出してしまった。


『ダメだ、こりゃ』


「私は罪深い人間だ。君がこんな境遇になっているというのに、心の奥底では君と再会出来たことに喜んでいたのだから。許してくれ」


 マテウス様はあたしの頰を包んだ。


「君を救いたい。なのに、私の心は君と二人きりで居られる状況に歓喜さえしているのだ。この状況が永遠に続けばいいとまで願っている。私は罪深い男なんだ。君は知りさえしないだろう。修道士の身でありながら、街に出た時は、君を見たくて遠くから眺めてた。君は記憶よりどんどん美しく魅力的になって、更に眩しかった。これまで、君と二人で過ごす時間を私は何度も頭の中で思い描いたんだ。街中で見る男女のように。淫らなことは想像していない。ただ、そばにいて見つめ合えたらと。他愛ない話を出来たらと」


 あたしがマテウス様の記憶が薄れていくなかで、マテウス様はあたしのことをずっと想い続けてくれていたの?

 あたしを見つめてくれていたの?

 そんなのちっとも知らないわよ。

 あたしの前に出てくれなきゃ、言ってくれなきゃ分かんないじゃない!


 あたしはまた、首を持ち上げてマテウス様の頰に泣きながら口づけた。

 ホントは唇にしたかったけど。マテウス様がダメだって言ったから。

 マテウス様は目を見開いたあと。

 顔を歪ませてあたしの身体を抱きしめた。

 あたしの首もとに顔を埋める。


「好きだ、フラン。子供の時から君を愛している。全てを君に告白した。どうか私を受け入れてくれないか」


 松の匂いがあたしを包み込む。黒い森に抱かれているよう。


 こんな時でも貴方は清浄で高潔なままなのね。

 でも、あたしは今も欲情してる。貴方に抱かれたいと思ってる。頰に触れる貴方の温かな地肌に陶酔して、裸で抱き合うことを願ってる。


「私が男として不能でなければ、君の純潔を私が無理矢理奪っていたかもしれない。だが私は不能であり、この行為に吐き気がするほどの嫌悪感を覚える。君に淫らな欲情を抱くなんて想像するだけで身の毛がよだつ。そのくせ、君が誰かに汚されるかと思うと焼け付くような嫉妬にかられるのだ。君の純潔は私が守る。君のことは私が守る」


 あたしはマテウス様の頭に頬ずりした。

 嬉しいけど悲しいわ。



「フラン。君のことを愛させてくれ」


 あたしの顔を見下ろし、マテウス様はあたしの頰に頰を押し付けた。

 あたしは悲しさと幸福感という正反対の感情でそれを受け入れた。


 * * *


 その夜、マテウス様はあたしのそばを離れず傍らにいた。あたしの髪を撫でて、顔を見つめて、本当に幸せそうだった。


「君の顔を近くで見ることが出来なかったから。見ても見ても見飽きない」


 微笑みながら言うマテウス様に、あたしは少しイライラした。

 あんなに私の顔をみてほしかったのに。タイミングが悪いのよ。何故、今更なのよ。


 それでもあたしの身体を静かな幸福感が満ちて押し寄せた。

 猫悪魔の魔術で変えられた身体に多少の疼きはあったけど、この幸福感の方がそれより勝ったみたい。

 だって、初恋の君は実はあたしのことを大好きで、愛していて。ずっとあたしのことを見ていたのよ。あたしだけを見てくれていたんだもの。


 マテウス様はあたしにとろりと蜂蜜を塗ったパンを食べさせてくれた。あまりにお腹が空いていたからマテウス様の手にこぼれた蜂蜜をパンと共に思わず口に含んでしまった私に


「君は蜂蜜が好きなんだね」


 マテウス様は動揺した様子で、だけど笑ってくれた。


 二人で一晩中見つめ合って、微笑み合って。

 ああ、あたしこのまま死んじゃっても満足かもしれない。


『なあに、言ってやがんですか?!』


 だって、こんなにマテウス様に愛されて幸せなんだもの。


『本当は突っ込まれてバコバコされたいんでしょ?』


 そんな下衆でお下劣なことなぞどうでもいいわ。あたしはマテウス様の聖なる愛で包まれるだけで胸がいっぱい、幸せになるのだもの。


『どうしちゃったんですか、貴女。気持ち悪いですよ。修道女のようにおかしくなっちゃって』


 これが真実の愛なのよ。人間としての美しい崇高な愛情なの。


『だぁめだ、この男に感化されてハマっちゃって。身体の術も効きやしない』


 ああ、マテウス様。

 あたし、まるで聖女になったみたい。

 貴方の愛に私の性欲は昇華されたみたい。

 これがアガペーなのね。

 愛の極みなのだわ。


 気高くも美しいあたしたちの空間はそこで侵入してきた修道士たちに遮断された。


「マテウス。魔女と戯れ合うとはどういうことなのですか」






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