第33話:不運は重なる
不運の始まりは。あの魔術師に手出しをしたことだ。
足場の悪い森の中を駆けながら、少年は少し過去を振り返り、そう確信した。
魔術師マナール。ミュカレーに突如現われた、経歴不明の魔術師。
精悍な体つきや鋭い目つきをしているくせに、どことなく長閑な雰囲気を漂わせている、わけのわからない男だ。
先生はあの男に手出しをすべきじゃなかった。
周囲の魔術を探知する。身につけた魔術具の反応を見る。魔術師として未熟な少年だが、逃げ回って隠れ潜むことには少し自信がある。魔術と道具を用いての潜伏と観察と通信。それこそが、師の魔術の得意とするところだ。
あのマナールという男が来てから、魔術師達の派閥に変化が起きている。
『万印の魔女』が派閥争いから離脱したのは非常に大きかった。たった一人で小派閥なら叩き潰せるくらいの実力を持つ強大な魔術師。魔女の異名を持つ者はそのくらいの存在だ。その力が競争から消えた後、勢力拡大を企み動く派閥がいくつかあった。
少年の師匠が所属するのもそんな団体の一つだった。
派閥争いをやめると同時に『万印の魔女』はヴェオース大樹境内に確保していたいくつかの地域を放棄した。まるで、もう自分には必要ないと見限ったかのような、あっさりしたものだった。
あるいは、彼女にとっては元々その程度の場所だったのかも知れない。
しかし、小さな派閥にとっては違う。
魔女の放棄した場所で産出する貴重な魔石。それさえあれば、研究が飛躍する。
武闘派とはいえない小派閥が、意を決して大樹境に飛び込むには十分な理由だ。
少し不安はあったが、止まるわけにはいかなかった。マナール勧誘の失敗によって師が受けた痛手は大きかった。
あのよくわからない魔術攻撃によって、長年研究していた通信用の魔術に用いる魔術具の多くが破壊されてしまったのだから。
背に腹は代えられない。覚悟を決めて、少年と師は派閥の仲間と共に、危険に飛び込んだ。
そして、成果を得た。
多少の怪我はあったが、全員無事に目的の物を入手。
本当に運が良かった。魔獣を避けることができたのと、『万印の魔女』が防衛用の魔術を残していなかったのが幸いした。
仲間達と共に凱旋気分でミュカレーに帰還。後は、拠点で研究に打ち込むのみ。
ささやかな宴で祝い、これからの前途に気分を明るくした。
先生も、ようやく笑顔を見せてくれた。
足下の木の根を丁寧に避けながら、少年は奥歯を噛む。久しく見ることの無かった、師の控えめな笑顔。それを思い出すのが辛い。
彼らの派閥は襲撃を受けた。
成果の横取りだ。
ずっと監視されていたのだろう。
ようやく本来の仕事、魔術の探求を始めようとした矢先、魔術師達の襲撃を受けた。
襲撃をしてきたのは『真実同盟』。大規模で、攻撃的な連中だ。
戦闘が得意で無い上に、ヴェオース大樹境探索で力を使い切った直後の彼らに耐えきれるものではなかった。
拠点はあっという間に占拠され、少年は必死に逃げ出した。
逃げ出せたことすら奇跡に近い。師が魔術を駆使して、活路を開いてくれた結果だ。
「……っ。もうきたのか」
舌打ちしかけるのをどうにか止める。周囲に魔力の反応がある。身につけた魔術具も危険を知らせて振動を始めた。
隠形の魔術は常に発動しているが、きっと長くは保たない。
自分は未熟だ。戦い慣れた熟練の魔術師の相手にできない。
先生を救うどころか、満足に逃げ出すことすらできないのか……。
絶望的な結論が頭の中を支配しかけるが、どうにかしてそれを打ち消す。
まだ手は沢山ある。逃走用の魔術も道具も残っている。自分も魔術師の端くれ、隠れ潜むのは師よりも得意と褒められたこともある。
とにかく、隠れて時間を稼ぐ。それで、助けを呼ぶ……一体どこに?
走りながらどうにか頭を巡らせて考える。魔術師組合くらいしかない。頼りにならない組織だが、自分を保護くらいしてくれるだろう。その後は交渉だ。師を助けるために研究成果の提供を申し出よう。それでなんとか、『真実同盟』から先生を解放する算段を立ててもらえないだろうか。
他力本願な上に実現の可能性は低い案だ。でも、それしかない。
あるいは、一息つけば別の策が思いつくかも知れない。仲間の隠した拠点に役立つ物があるかも知れない。
今はとにかく逃げ切ることだ。
そう思い直し、少年は走る足に力を込める。
その直後、目の前に攻撃魔術が着弾した。
「――――っ!」
悲鳴を上げる間もなく、少年の視界が爆発の炎で赤く彩られた。
静かだった森の中に、突然の爆音と炎、そして煙が立ち上る。
森の外にいる人々は、それに気づいても何もしない。
きっと魔術師の仕業だ。この町では珍しいことじゃない。
そう、正しい結論を出して、日々の生活に戻ってしまうから。
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