第19話 怪我
八月に入っても、愛理はルイーズたちと相変わらず険悪な雰囲気だった。
最初は仲直りしようと思っていた愛理も諦めて、最近は関わらない方向で生活をしている。
そんな愛理が気に食わないのか、ルイーズたちの嫌がらせはエスカレートしていた。聞こえるように悪口を言われたり、意味もなく笑われたり。
お風呂に入っている時に服を水浸しにされていたこともあった。
ルイーズたちがやったという確証はないが、思い当たるのはルイーズたちだけだ。
愛理は鬱々としていた。
午後の訓練の時間、ルイーズたちがまた愛理の悪口を言って笑っていた。
ジュリアスが休憩中にこっそりと初級クラスにやってきて愛理を連れ出した。
「アイリーン。もしかして、ルイーズたちにいじめられている?」
愛理は微笑んだ。
「なんのこと?」
「誤魔化してもだめだよ。さっきルイーズたちがアイリーンの悪口を言っていたのを聞いたんだから」
愛理の笑みは苦笑に変わった。
「俺から言ってやろうか? それか、ルイーズは姉さんの『妹』だから姉さんに……」
「大丈夫、ジュリアス。もっとルイーズと拗れちゃう。心配してくれてありがとう。休憩時間終わっちゃうよ。戻ろう」
「酷いことされたら隠さずに言えよ」
ジュリアスは納得していないようだ。
「わかったよ。これ以上エスカレートするようならジュリアスに相談するね」
愛理とジュリアスは訓練場に戻って行った。
それから数日が経ったある日、掃除当番の愛理は訓練後に教室に戻った。
掃除当番は二人で、今日一緒なのはルイーズの取り巻きの一人であるダイアンだった。
愛理はダイアンを待ちながら掃除をはじめたが、いくら待っても来ることはなかった。
「やられた……」
愛理は掃き掃除をしながらそう呟く。
ダイアンが掃除当番をサボったのだと、愛理はやっと気がついたのだ。
最近、ルイーズたちは愛理をいじめるのになりふり構わなくなってきている。やってくることは小学生かと思うような低レベルなことばかりだ。
だが、そろそろ愛理の堪忍袋の緒も切れるというものだ。
とはいえ、まずは掃除当番としての責務は果たさねばならない。
愛理は掃き掃除を終えて、ごみ箱を持って焼却炉へと向かう。
焼却炉は寮棟の奥にある。愛理は学舎を出て、女子寮と女性職員寮の間を通って、焼却炉へ向かっていた。
「アイリーン! 左へよけろ!」
愛理は咄嗟に声がした方を向くと、そこにいたのは鎧姿のジュリアスだった。
それと同時に水が降ってきた。
「きゃ!」
愛理はよろけた拍子に体勢を崩した。
そこへ桶まで降ってきて、愛理の左肩を掠めた。
肩に激痛が走って、愛理はごみ箱をぶちまけ、その場に蹲った。
「アイリーン、大丈夫? 桶が当たっただろ」
「い、痛い……」
ジュリアスは愛理の横に腰を落として、愛理の様子を見る。それから、上に向かって吠えるように言った。
「お前ら! やりすぎだぞ!」
愛理もつられて上を見た。
寮の窓から愛理に水をかけて、桶を落としたのはルイーズだった。そこには掃除当番をサボったダイアンも一緒にいた。愛理がごみ捨てに来ることを予想して、待ち伏せしていたのだろう。
ルイーズは青い顔で言う。
「あ、違う……。桶は手が滑って……」
ルイーズは踵を返して、窓から姿を消した。ダイアンも後を追うようにいなくなった。
ジュリアスは愛理に尋ねる。
「歩ける? 治療院へ行こう」
「うん」
愛理は立ち上がるが、歩く振動で肩に激痛が走る。
ジュリアスは愛理を支えるようにして歩いた。
治療院は教会の敷地内にあるが、訓練場を横断した先にあるので少し距離がある。
愛理はゆっくりとした歩みで進んでいく。
「ジュリアス、なんであそこにいたの?」
「訓練を終えた後、帰ろうとしたら、アイリーンの姿が見えたんだ。だから、少し話そうと思ったんだよ。この前のことが気になっていたから」
「なんだか、はじめて会った時のこと思い出すね」
「そうえいえば、あの時もアイリーンのこと支えていたな」
二人は小さく笑い合った。
愛理はジュリアスを見た。
「このことはイアン様たちには言わないで……。心配をかけたくない」
「分かっているよ。だから安心して」
ジュリアスは愛理から目を逸らした。愛理が泣いていたからだ。
そこから治療院までは二人ともなにも話さなかった。
治療院の裏口から愛理たちは入った。
シスターの一人が愛理たちに気がついて声を掛けてきた。
「どうしたの? 訓練で怪我をした? あなた、びしょ濡れじゃない」
「訓練ではなくて、あの、肩をぶつけてしまって……」
「診てみましょう。治療室へ案内するわ」
ジュリアスは言う。
「じゃあ、俺はこれで……」
シスターは愛理を支えながらジュリアスを振り返った。
「連れてきてくれてありがとう」
治療室に案内された愛理は、制服から肩を出してシスターに見せる。
愛理の肩は濃い紫色になっていた。
「折れてはいないみたいね。動かせる?」
愛理は肩を動かそうとするが、痛くて少ししか動かせなかった。
「しばらく固定して様子をみましょう。準備してくるわね」
シスターは治療室から出て行った。
ジュリアスは愛理を治療院へ送った後、女子寮へ向かった。
女子寮に戻ろうとしていた生徒を見つけて声を掛ける。
「姉さん……、アンジェリカ・ランドールを呼んでもらってもいいですか?」
「ええ。ここで待っていてください」
生徒はそう言って女子寮に入っていた。
しばらくして、不機嫌そうな顔をしたアンジェリカが寮から出てきた。
「なんですの? わたくしを呼び出すなんて」
「姉さん、ちょっとこっちにきて」
アンジェリカは溜息を吐いて、ジュリアスについて行く。
ジュリアスは女子寮から離れたところへアンジェリカを連れてきた。周りを見回して、人がいないことを確認する。
「アイリーンが怪我をした」
「え? アイリーンが? 怪我の具合はどうですの?」
「今、治療院で診てもらっている。姉さんは知っていた? アイリーンはルイーズたちにいじめられていたんだよ。今日も寮の窓からアイリーンに水を掛けていたし、桶を落としたのは手が滑ったからだと言っていたけど」
それを聞いたアンジェリカの目が怒っていた。
「ジュリアス、知らせてくれてありがとう。わたくしがしっかりと対処いたしますわ」
アンジェリカは踵を返して寮へと戻って行った。
アンジェリカは三階にある愛理とソフィーの部屋のドアをノックする。
室中からソフィーの声がした。
「はい。どうぞ」
アンジェリカはドアを開けた。
ソフィーはアンジェリカを見て、目を丸くする。
「アンジェリカお姉さま?」
ソフィーと一緒にドロシーとカレンもいて、二人も意外な来訪者に驚いている。
「アイリーンが怪我をしたそうですわ。治療院へ迎えに行って差し上げて。服が濡れてしまっているようだから、替えの服も持って行ってちょうだい」
アンジェリカはそれだけ言って、部屋を出た。
次にルイーズの部屋へ行き、ノックするとルイーズが出てきた。室中には他にも数人いるようだ。
アンジェリカの顔を見て、ルイーズは表情を硬くする。
「ルイーズ、わたくしが何のことできたのか分かっていますわね? 関わった全員を連れて、わたくしの部屋へいらっしゃい。すぐに、ですわ」
ルイーズは俯きがちに小さく頷いた。
ソフィーたちは愛理の治療中にやってきた。
何も知らないはずのソフィーたちが現れて、愛理は驚きを隠せない。
「ソフィー、ドロシー、カレン? どうしてここに?」
「アンジェリカお姉さまからアイリーンが怪我をしたって聞いたの。替えの服も持ってきたよ」
「ありがとう、ソフィー」
治療をしていたシスターは言う。
「先に着替えてしまいましょう」
愛理はソフィーに手伝ってもらって着替えをはじめる。
「いたた……」
「なにがあったの? アイリーン」
「ルイーズに寮の三階から水を掛けられて……。桶まで落ちてきた。ルイーズが言うには手が滑ったかららしいけど」
それを聞いたソフィーは怒りを露わにする。
「ルイーズが? これはさすがにやりすぎだよ! 桶が頭に当たっていたら、死んでいたかもしれない」
ドロシーも同意する。
「最近のルイーズは度を越している。もう我慢ならない」
カレンもそれに頷く。
「さっき寮で見かけたよ。アンジェリカお姉さまがルイーズの部屋の前にいるところ。わたしたちに知らせてくれたのもアンジェリカお姉さまだ。きっと今回のことでお叱りを受けているんじゃないかな」
愛理はジュリアスがアンジェリカに言ったのだと気づいた。
これ以上、ジュリアスに黙って見ていてというのは無理な話だった。
ルイーズたちがアンジェリカに怒られて、少しは大人しくなってくれたらありがたい。
愛理は、はっと思い出した。
「そうだ。女子寮と女性職員寮の間にごみ箱を置いたままだった。お願いしてもいい?」
ドロシーが言う。
「いいよ。あたしとカレンで片してくる」
「ありがとう」
カレンが言う。
「いいよ。いいよ。ソフィーはアイリーンのことをお願い」
「任せてよ」
ドロシーとカレンは治療室から出て行った。
愛理の治療も終わり、また明日の訓練後に治療院で経過を診てもらうことになった。
愛理は三角巾で肩を吊った状態で治療院を後にした。
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