第18話 王城

 そして、愛理が王城に招待された日が来た。

 愛理は教会での朝のお祈りが終わると、すぐにエヴァンス邸へと帰ってきた。

 帰って来て早々に王城へ上がるための準備をはじめる。

 まずは、先日メアリーが受け取ってきてくれたドレスに着替えた。

 洗礼式のドレスとは違って、濃い緑色のシンプルなドレスだった。胸元にはイアンの母のネックレスをつけ、髪はメアリーにうしろで編み込みをしてもらった。


 愛理は支度を終えて、リビングへ降りる。

 イアンも支度を終えて、ジャケットを着た正装をしていた。


「騎士の恰好で行くのだと思っていた」

「今日は侯爵として王城に上がるからな。時間になったら、王城から馬車がくることになっている。それまで待とう」


 お茶を飲んで待っていると、玄関のドアをノックする音が聞こえた。

 イアンが来客に対応し、すぐに愛理が呼ばれた。王城からの迎えが来たようだ、

 愛理が玄関を出ると、家の前に馬車が一台止まっていた。

 愛理はイアンにエスコートされて馬車に乗った。

 馬車の内装は赤いビロードのソファーでふかふかだった。討伐の時の荷馬車とは全く違って、お尻が痛くならない。


 王城まではそんなに距離がないのですぐに着いた。

 馬車は城門を抜けて、王城の前で止まった。

 愛理はイアンの手に掴まり、馬車を降りると、王城を見上げて感嘆した。


「大きい……」


 イアンは苦笑し、右腕を掴むように愛理に差し出す。愛理は手を添えた。

 愛理たちは使者のあとをついて行き、王城の中に入った。

 王城の中は赤い絨毯が敷かれており、壁は白い。前方には階段があり、そこに王太子のアルフレッドが立っていた。その一歩後ろには招待状を持ってきた初老の男性もいた。


「よく来たな。アイリーン」


 イアンがお辞儀をする。


「お招きいただき、ありがとうございます」


 愛理もイアンの隣でお辞儀をする。


「イアン、お前は呼んでいない」

「わたしはアイリーンの後継人です。アイリーンが初めて王城に上がるのに後継人がついてくるのはさほどおかしくはないと考えます」


 アルフレッドは鼻を鳴らした。


「まぁ、よい。ついてまいれ」


 愛理とイアンがアルフレッドのあとについて行くと、着いた場所は庭園だった。

 薔薇が咲き誇っていて、ガゼボにお茶の準備がされていた。

 愛理、イアン、アルフレッドの三人は席に着き、お茶をする。

 話の内容は当たり障りのないものだった。


 しばらくして、アルフレッドは立ち上がった。


「少し歩こうか。アイリーン」


 アルフレッドは愛理のそばに行くと、右腕を差し出した。

 愛理がイアンに視線をやると、イアンは頷いた。

 愛理は立ち上がり、アルフレッドの腕に手を添えた、

 二人は庭園を散歩する。


「どうだ? アイリーン。薔薇の庭園は」

「はい。とても素晴らしいです」


 緊張した面持ちで答えた愛理をアルフレッドは笑う。


「そう固くならずともよい。湖の時のように楽にせよ」


 そんなことを言われても、慣れないドレスと隣には王子様だ。緊張せずにはいられない。

 庭園を回り、ガゼボに戻ろうとした時だった。

 愛理の脳裏に夢の中で追いかけっこをしていた時の映像がよぎった。

 愛理はガゼボを指差す。


「あのガゼボは昔からありましたか?」

「なに?」


 アルフレッドは訝しげに愛理を見た。


「夢の中には、あのガゼボはありませんでした。でも、『私』が追いかけっこをしていたのはこの辺りとよく似ています。あのガゼボの辺りにはテーブルがあって、大人が四人座っていて、こちらを見ていました」


 ガゼボに戻ると、アルフレッドは初老の男性に声を掛けた。


「ルパート、このガゼボはずっとここにあったよな?」


 ルパートは脈絡のない質問に驚くことなく頷く。


「はい。ございました」

「そうか」

「このガゼボが建てられたのは殿下がお生まれになる二年ほど前だったと記憶しております」


 それを聞いたアルフレッドは驚いた様子で更にルパートに尋ねた。


「なに? それまではここはどうなっていた?」

「お茶ができるように四人掛けのテーブルが置かれておりました」


 アルフレッドは驚いた顔のまま隣にいる愛理を見た。

 愛理は呆然としていた。

 このルイスフィールドには夢で見た湖があり、庭園があったのだ。


 ――あの夢はいったい……。


「アイリーン、他にも見せたいものがある。イアンとルパートはここで待っていろ」


 アルフレッドは愛理だけを連れて城の中へと入っていく。

 二階に上がり、ひとつの部屋に入った。そこは応接室のようで、壁には人物の絵画が何枚か飾られていた。

 アルフレッドは一枚の絵の前に立った。

 それは、ひとりの男性が座り、その後ろにもう一人男性が立っている絵だった。二人とも茶髪でよく似ているが、座っている男性は髪が長く、うしろの男性は短い。

 愛理は座っている男性に見覚えがあった。夢で見たアルフレッドとよく似ている男性だった。


「この絵画に描かれているのは父と叔父だ。後ろに立っているのが父。前に座っているのが叔父だ。アイリーンが刺したのは叔父ではないか?」


 愛理は青い顔でアルフレッドに言う。


「私は刺していません! 夢の中の出来事です!」

「分かっている。叔父が行方不明になったのはもう二十年も前の話だ。アイリーンを疑ってはいない。だが、アイリーンが夢で見たというのは間違いないのだろう。再度問おう。お前は何者だ?」


 アルフレッドの問いに愛理は青い顔を俯かせた。


「私は……、アイリーン・エヴァンスです。それ以外の何者でもありません」

「そうか」


 アルフレッドは絵画に目を向ける。


「父は、生きているのであれば、兄であるケヴィン・ラッセル・ルイスが王位を継ぐべきだとずっと言っていた。叔父に子がいるのであれば、次の王位はその子であるべきだろう。俺は叔父を探したい。アイリーンの夢はその手掛かりになるやもしれん。今後、また叔父の夢を見たら教えよ。このことは俺とアイリーンとの秘密である。イアンにも言うなよ」


 愛理はお辞儀をした。


「承知いたしました」


 愛理とアルフレッドは庭園へと戻ると、ガゼボでイアンが待っていた。

 イアンは愛理が戻ってきたのを見て、ほっとした顔を見せた。


「殿下、アイリーンだけを連れて行くのはおやめください。噂が立ちます」

「俺との噂であれば、悪くはないであろう?」

「女性との噂が絶えない殿下が相手だから困るのです……」


 イアンは頭痛のする頭に手を添えた。

 アルフレッドは高らかな笑い声を上げた。

 こうして、アルフレッドとのお茶会を終えた。



 愛理は家に着くと、息を吐く間もなく、今度はイアンとマリアンヌの尋問が待っていた。

 イアンは愛理に尋ねる。


「アイリーン。殿下と二人きりの時、どのような話をした?」

「どんなって……」


 愛理は言い淀む。

 話した内容は秘密だとアルフレッドに言われている。

 愛理は逡巡したあと答えた。


「絵を見せていただいたの」

「絵?」

「そう。部屋に飾られていた絵画を」


 イアンは溜息を吐く。


「あの方の考えていることは分からない……」


 マリアンヌも困惑したように言う。


「アイリーンがあの放蕩王子に気に入られたのは確かなようね。アイリーン、誰かに何を聞かれても、肯定も否定もしてはだめよ」


 愛理は首を傾げる。


「どう答えたらいいの?」

「ただ笑顔でいなさい。いいわね?」


 愛理はよくわからないまま頷いた。

 これで、すべて終わったと愛理は思っていた。



 だが、その翌日、終わってないことに愛理はやっと気がついた。

 愛理が寮に戻ると、談話室にいた上級生たちに囲まれたのだ。


「アイリーン、殿下とお茶をしたというのは本当?」

「殿下とはなにをお話しされたの?」


 上級生たちの目は輝いている。

 愛理は思わず後退りして、マリアンヌから言われた通り、笑みを浮かべた。だが、頬が引き攣ってしまう。


「あなたたち、おやめなさい。殿下と何を話したのかなど、アイリーンが話せるわけがないですわ」

 

 そう執成してくれたのはアンジェリカだった。

 談話室の奥にいたアンジェリカがこちらを迷惑そうに見ている。

 愛理を囲っていた上級生たちはバツが悪そうに愛理から離れた。

 その隙に愛理は逃げるように階段へと向かいながら、アンジェリカに感謝の意を込めて会釈した。


 愛理が寮の部屋に戻ると、今度はソフィーから言われた。


「アイリーンが殿下とお茶をしたって、貴族のお姉さま方が騒いでいたよ」

「さっき囲まれてきたところだよ」


 愛理は疲れたようにベッドに飛び込んで、大きな溜息を吐いた。


「アイリーンが殿下の婚約者候補に挙がったんじゃないかって」

「はぁ⁉」


 愛理は驚いてソフィーを見た。


「なんでも、殿下も年頃なのに婚約者を定めないから、貴族の方々はやきもきしているらしいよ。そこに、エヴァンス侯爵家が後継人になったAランクのアイリーンが王城に呼ばれたから、そういう噂になっているみたい」

「もういやだ……」


 愛理は枕に顔をうずめて、動かなくなった。

 しばらく、学院ではその噂で持ち切りだった。

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