第8話 エヴァンス家②

 愛理とマリアンヌは一階に降りて、キッチンの向かいにあるお風呂場へ向かう。扉を開けると、脱衣所があった。その奥がお風呂になっているようだ。


「タオルはここにあるから使ってね。そういえば、アイリーンは杖を持っている?」


 愛理は首を横に振った。

 マリアンヌは少し困ったように頬に手を当てた。


「そうよね。水だけ用意すれば大丈夫かしら」


 マリアンヌが浴室のドアを開けると、もわっとした蒸気が溢れ出し、浴室内の様子が見えた。サウナのようになっていて浴槽はない。

 浴室の中で、マリアンヌは杖を使って桶に水を注いでいる。

 愛理は申し訳なさそうに言った。


「あの、マリア」

「なぁに?」

「お風呂の使い方、教えて……」


 マリアンヌはゆっくりと振り返った。


「え?」


 愛理は恥ずかしさで顔が真っ赤になる。

 マリアンヌは愛理を安心させるように、にっこりと笑った。


「じゃあ、今日は一緒に入ろうか」



 愛理はお風呂から上がった後、イアン、マリアンヌと一緒にリビングでのんびりとお茶を飲んでいた。

 そこへメアリーがお使いから戻ってきた。


「マリアンヌお嬢様。マダムケリーに事情を話したら、明日一番にいらしてくださいと請け負っていただけましたよ」

「よかったわ。アイリーン、明日、洗礼式のドレスの注文をしに行きましょう。それから、杖も必要ね。他にも必要なものを買い足さないと」


 メアリーは鞄から紙に包まれた肉を取り出して見せた。


「それから、旦那様の言いつけ通り、肉も買ってきましたよ」


 マリアンヌは嬉しそうに胸の前で手を合わせる。


「今日はアイリーンの歓迎会ね!」


 愛理は昨夜のビックウルフの肉入りのスープを思い出しておそるおそる尋ねる。


「……なんの肉ですか?」


 イアンはそんな愛理を見て笑った。


「安心しなさい。街でビックウルフの肉は売っていないから」


 メアリーは笑顔で答える。


「奮発して牛肉を買ってきました。アイリーンお嬢様は牛肉は好きですか?」

「牛肉は好きです!」


 愛理が嬉しそうにそう言うと、メアリーはにっこりと笑った。


「よかったですわ」


 メアリーは牛肉を持ってキッチンへと向かった。



 まだ外が明るい時間の夕食だった。

 リビングテーブルにはメアリーが作った食事が並ぶ。

 メインは牛肉を塩で味付けして焼いたものだった。他は玉ねぎのスープとパンだ。



 食事が終わると、日も暮れて暗くなってきた。

 ジェームズがランタンに火を灯して、ダイニングテーブルに置いた。

 メアリーとジェームズは寝る前の挨拶を済ませ、キッチンの奥にある二人の寝室へ入っていった。

 マリアンヌは新たにランタン二つに火をつけて、そのうちの一つを愛理に差し出した。


「アイリーン、暗くなったからもう寝ましょう。部屋まで送るわ」


 愛理はランタンを受け取り、足元を照らしながら歩く。

 部屋に着くと、マリアンヌは言う。


「寝る前に火は消してね。おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 マリアンヌは部屋を後にした。

 愛理はベッドの横にあるサイドテーブルにランタンを置いた。

 マリアンヌから借りた寝間着に着替えて、ベッドに潜り込んだ。そして、ランタンの火を吹き消す。

 窓から月明かりがほんのりと部屋を照らしている。


 ――起きたら夢だった……。なんて、オチだったらいいのにな。


 愛理は目を閉じると、疲れていたのかすぐに眠りについた。



 マリアンヌは愛理の部屋を出たあと、また一階へと戻った。

 リビングではイアンがランタンに照らされながらお茶を飲んでいる。

 マリアンヌはイアンの前に座り、尋ねる。


「アイリーンのことだけど、どういう出自の子なの?」


 イアンはマリアンヌを見て尋ね返した。


「マリアから見てどう思う?」


 マリアンヌはしばらく考えた後、答える。


「わたしたちとは違う生活をしていたように思う。持っていた洋服のデザイン。湯浴みの仕方を知らないけど清潔だったし、髪の毛も整えられている。食事の仕方もちゃんとしていた。だからこそ、どういう出自の子なのか分からない」


 イアンは感心したように頷いた。


「さすがは、マリアだ。よく見ている。話すか迷っていたが、マリアには伝えておこう。アイリーンとは狭間の森で出会ったんだ。アイリーンが言うには、自室にいたが、気がついたら森の中にいたという」


 マリアンヌはその話を聞いて驚いた。


「お兄様はその話を信じたというの?」


 イアンは真面目な顔をして言う。


「状況が状況だった。マリアもあの見慣れぬデザインの服を見たのだろう? あの服を着た少女が森にひとりでいて、帰り方が分からないと泣くんだ。置いていくわけにもいかないだろう」


 マリアンヌは困惑したような顔で頷く。


「それはそうだけど……」


 イアンはマリアンヌを安心させるように微笑んだ。


「俺も全部を信じているわけではない。だから、アイリーンが教会に入るまで、騎士団の方は休みを取った。アイリーンの後継人としての手続きなどもあるが、彼女の様子を見る必要があると思っている。マリア、すまないが、ここでの生活を一から教えてやるつもりで、アイリーンの世話をしてほしい。せめて教会で困らない程度に」


 マリアンヌは一つ溜息を吐いた。


「分かったわ、お兄様。あまり日もないけど、できる限りやってみる」

「ありがとう、マリア。さぁ、俺たちも寝るとしようか」


 イアンはそう言って立ち上がった。



 薔薇が咲き誇っている。綺麗に整えられた庭園だった。

 六歳くらいの男女の子供が二人と、四歳くらいの男の子が追いかけっこをしていた。『私』も一緒に駆け回っている。

 離れたところでは貴族らしい様子の男女二人ずつの大人がお茶をしていた。そして、走り回る子供たちを見守っていた。

 その周囲には騎士や侍女もいる。


 四歳くらいの男の子が転んだ。

『私』はその子に駆け寄り、抱き起す。怪我がないかを丁寧に見ていた。

 その横に女の子も来た。金髪で緑の瞳をした女の子。

 そして、男の子もそばに寄ってきた。茶髪に薄い茶色の瞳をした男の子。

 転んだ男の子も茶髪に薄い茶色の瞳をした男の子だった。

 特に怪我をした様子もなく、泣くのを我慢しているようだ。

 そして、また追いかけっこがはじまった――。



 愛理は目を覚ました。窓からは朝日が差している。

 愛理はベッドの中で見ていた夢を反芻する。

 突然、ファンタジーみたいな世界に来てしまったからだろうか。夢に出てきた人たちも貴族の様相だった。霧の夢に出てきた女性の面影がある金髪の少女が気にかかる。

 

 ――あの夢となにか関係があるのだろうか。

 

 愛理は気になって仕方がなかった。


 しばらくして、ドアの閉まる音がした。誰かが起きたようだ。

 愛理は起き上がり、白いブラウスと緑のスカートに着替えてから一階へ下りた。

 リビングではマリアンヌがお茶を飲んでいて、キッチンではメアリーが朝食の準備をはじめている。

 愛理は二人に声をかけて、リビングに入っていく。


「おはよう」


 愛理に気づいたマリアンヌは返事をする。


「おはよう。今日も女神ララーシャのご加護がありますように」


 それから、マリアンヌは自分の座っている横の椅子を引く。


「さぁ、アイリーン。こちらに座って。これからは、ここでの挨拶も覚えていかないとね。メアリーに練習台になってもらいましょう」


 メアリーはキッチンから愛理のお茶を持ってきた。


「おはようございます。アイリーンお嬢様。今日も女神ララーシャのご加護がありますように。お茶をどうぞ」

「おはよう、メアリー。今日も女神ララーシャのご加護がありますように」


 愛理は言い終えて、ちらっとマリアンヌを見た。


「その調子でお兄様やジェームズとも挨拶しましょう」



 しばらくして、イアンが下りてきたので、愛理は立ち上がった。


「イアン様、おはようございます。今日も女神ララーシャのご加護がありますように」


 愛理がそう声をかけると、イアンは少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔を浮かべて言う。


「おはよう。アイリーンにも女神ララーシャのご加護がありますように。ずいぶん早く起きたようだな。鐘もまだ鳴っていないのに」


 愛理は首を横に傾げて尋ねる。


「鐘?」


 ――そういえば、ラウラやローナ先生も鐘の話をしていた。


 マリアンヌは説明してくれる。


「時間を知らせてくれるのよ。朝は六時に一の鐘が鳴るわ。街の門が開く時間。そのあとは一時間おきに鳴って、最後の鐘は十三の鐘、夜の六時。街の門が閉まる時間ね」


 そんな話をしていると、鐘がゴーンと鳴った。


「今のが一の鐘。二の鐘は二回、三の鐘は三回、四の鐘は四回、五の鐘は五回。六の鐘はまた一回に戻っての繰り返し。鐘の回数で時間が分かるようになっているのよ」

「昨日、教会で十五日の五の鐘までに教会へ来るようにと言われた。五の鐘だから十時?」

「そうよ。時間の指定は鐘の回数で言われることが多いわ」


 ――時計がなくて不便だなと思っていたけど、ルイスフィールドでは鐘の回数で時間を把握していたのか。慣れるまでには時間がかかりそう。

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