7.失楽園

 薄暗い地下施設。電力源の切れた電灯はつかず、自立して発光している支柱が、ぼんやりと廊下を照らしている。床を流れる水は、かつてクローンたちを保存していた羊水だ。一歩ごとに水しぶきが立ち、廊下の支柱が静かに濡れた。


 そうして彼らは対面した。


「やあ」


「よお、ずいぶんと元気じゃねぇか」


 真紅が気さくに挨拶すると、イカリはにやりと笑った。足元を満たす水は、まるで鏡のように彼らを反射していた。


「キミに話したいことがあったからさ。ボクたちを殺す前に、話だけでもどうかな」


 二人は静かに牽制しあい、もう一人は口をはさむことができずに唇をかんだ。


「構わねえよ。どうせ滅びるんだ、大した差じゃあない」


「ありがとう。まずは感謝からかな。ボクの脳は君たち、零号機のコピーから作られている。ここのクローンたちも同様に。重ねて感謝するよ、キミがいなければボクはいない」


 イカリは腹立たしそうに舌打ちをして、真紅に言った。


「その目障りな話し方は、お前の人格独自のものか、それともクローンだからか?」


「独自とも言えるね。キミたちに影響を受けたことは言うまでもない。その在り方が、ボクは好きだったんだ。」


 イカリは複雑な顔で、ため息をついた。


「ボクは真紅。キミたちの後続機になるはずだった、ただのガラクタさ」


「そんなバカでかい脳持ちながら、よくガラクタだのと言えたもんだ」


「あはは、分かっているなら話が早い。最後に忠告をしたかったんだ。キミたちに」


 真紅はイカリを見ながら、夏樹にも、聞くようにと片手で示した。


「何か、秘策でもあるのか?」と夏樹は問う。


「ないよ」と真紅は笑った。


「これはボクの、未来を知るものとしての老婆心だ。キミたちが、背負っている『責任感』から解放されるようにというね」


 閉め切られた地下に、風は吹かない。


「ボクたちは死ぬ。そして、人間も機械も滅びて、この世界から意識がまっさらになる。でも、何億年、何兆年後、地球はまた始まる。新たな『ヒト』が、世界に生まれる。ボクたちが滅びることは、決して終わりじゃない。地球は、終わったりしないよ。それがボクの思考の果て、この世界の未来さ」


 真紅の声は廊下で反響し、そしてイカリは笑った。


「——ああ、。それが、俺たちの求めた、人間の姿だからな」


 水面が揺れた。


「そう、か。そのような考え方もあるのだな。結局、俺は自分のことばかりを考えていたのかもしれない」


 夏樹は悔いるように言った。


「それでいい。それで良かったんだよ、お前は」


 水面に青白い光が映った。光の先端が水に触れ、一部を蒸発させた。


「それじゃあ。次は人間として逢えたらいいね」


 青白い軌跡は二人をなぞり、大きな水音が残った。


 水は、いつまでも透き通ったままだった。


 *****


 死ねばいいだけだった。後はただ、俺が残されているだけだった。


 死にたくないわけじゃない。死ねない理由もない。だが、俺はまだ生きていた。


 地下行のエレベーター用の穴を、逆さに進んだ。長いはしごだった。


 ようやく外に出て、圧倒された。何もない。廃墟というにも、元の面影が無い。まったくの更地であった。


 空を見上げた。風に流され、ずいぶんと横長になったキノコ雲が漂っていた。


 強く風が吹いた。キノコ雲がぼやけた。ろくに空の色も分かりやしない。


「なあ、イカリ。死んだ奴には、どうやって怒ればいいんだろうなぁ?」


 目から零れ落ちた雫を、青白い光が蒸発させた。


 そして、最後の意識が途絶えた。


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