3.僕の国

 

 迂闊だった。と言うしかないだろう。油断していた。そもそも、敵などと言うものが存在することを、考えていなかった。あれはヒトの皮を、いや、キカイの皮を被った化け物だ。あいつと二人きりになれるタイミングを計っていたら、何も収穫を得られないまま終わってしまった。


 時間から孤立した図書室で、夏樹は一人考えていた。


 もう一人の俺の意識が、キカイとして全体に併合されたとき、夏樹としての人格は、完全に拒絶されてしまった。いや、拒絶させられたというべきか。かくして、体から分裂し、孤立してしまった夏樹の意識は、第三意識世界へと弾かれた。それは、一度その世界に存在したことが引き起こした、いわば偶然であり、本来ならば彼の意識は消滅していたところであった。


「まったく、本当に往生際が悪いのう」


 図書室の反対側で、本を閉じてストアは言った。


「おい、あいつは、何者なんだ? お前の言う分身ではないのか」


「ああ、分身だとも。いささか、聞かん坊ではあるがな。我の表現領域が形を成したもの、正確には、我のほうが分離体なのじゃが、まあそれは良い。考えてもみろ。人格のほぼすべてが、表現することに使われているのじゃ。そんな人間は、芸術家か政治家になると筋が決まっておるわ」


 思うところがあるのか、ストアは少し悲しそうな表情をした。


「俺は、いや、あいつは殺されるのか?」


「安心せい。あちらで貴様の体が死んだとて、別離した意識である貴様は死なんとも。なにせ、完璧に分離させられてしまったからな。それに奴も、貴様のことなど、戦争の駒の一つとしか考えていないじゃろ。まあ、我の意見はあまり当てにするな。我はあくまで、記憶を話しているだけに過ぎない。これからのことは、我にも分からん。分かるとすれば、我の本体ぐらいか」


「……戦争の駒と言ったな。あちらでは、戦争が起こっているのか?」


「ああ。じきに、お前の住む世界でも起こるだろう。キカイ達によるヒトへの蜂起。そして、


 ストアは本を弄っていた手を止め、夏樹を見た。


「止める方法は?」


「一介の人間に、できることなど無い。できて、じゃ。そもそも、お前の目的はそんなことではなかっただろう」


 面白いことを思いついたという表情で、彼女は続けた。


「だが、そうじゃな。我の第三にまで入ってきた狼藉者を、何もできんと追い返すのも興がない。ここは一つ、賭けてみるとしよう」


「賭け?」


「ああ。ここからなら、第一意識世界にいるヒトの脳に入り込める。あちらで我の本体と合流せよ。奴なら、ともすれば解決策の一つや二つ、考えておるかもしれぬ」


「簡単に言うが、見つかるのか?」


「まあ、行ってみればわかるだろうよ。お前も知っている顔じゃ。あの世界で、最も安全な空間と言える故、目を覚まして即死ということもあるまい」


「ひとまず了解した。なら――」


 早速向かおうとした夏樹を、ストアが制止した。


「まあ、そう急くな。幸い、この世界では時が流れぬ。逸る気持ちもわかるが、そうじゃな。そこいらの本でも読んで、キカイの国のことだけでも知ってから行くとよい」


「そうか、ありがとう」


 *******


 夏樹たちをキカイの国に送ってから、およそ一日が経ったころ。


 薄暗い部屋に、二着の白衣。静かなタイプ音が、相互に響きあう。


 やがて、隣の坊主頭は音を止め、その頭の後ろで手を組んだ。


「作業は終わりましたか?」


 長髪の私が聞くと


「いや、すこし気にかかることがあってね」


 彼は画面を見ながら、今度は頭を抱えた。


「気にかかることとは? てっきり、多田さんはすべて知っているのかと思っていましたが」


 私は皮肉を言う。だが、本心でもあった。


「そんなことはないさ。分からないことがあるから、こうして研究しているのさ。あ、これこれ。そちらに共有するから、一度目を通してくれないか?」


 陸丸が画面を操作すると、目の前の画面に何かの拍動をしめす図が共有された。


「これは、風宮の脳波ですか?動いていないようですが」


「うん。転移した直後から、とぎれとぎれになってはいたんだけど、ついに消えてしまったらしい」


「単純に、人格が消滅しただけではないでしょうか。その可能性が無いわけでもないでしょう?」


 陸丸は再び首をひねると、図への疑問を口にした。


「僕も最初はそう思った。でもさ、消滅したんなら、消滅した反応が戻ってくるはずなんだよ」


、ですね。では、観測範囲外に行ってしまったとでも?」


「そうとしか考えられないね。どこかは分からないけど、僕たちの観測を妨害するような電波の出ているところにいるか、あるいは僕の知り合いが研究しているように、別の人間の脳に移転している状態にあるか。一度見失うと、もう信号を追えないから、気にしてもしょうがないけどさ」


 私は、記憶をたどるように首をひねった。


「三橋さん、でしたか。今回の被検体の親、でしたよね。結局、何のために娘をよこしたのでしょうか。相当大切に育てていたと聞きましたが、彼も騙したのですか?」


 疑るように聞くと、陸丸は笑った。


「彼には全部言ってあるよ。その上で、彼から提案してきたんだ。を使わないかってね。」


「被検体? 三橋は、彼の娘ではないのですか?」


「え? 言ってなかったっけ。小倉は、三橋の誇るヒトクローンの最高傑作だよ。それでも不十分なところがあるらしくて自分で教育したって言っていたから、娘みたいなものなのかもね。俺も耳にタコができるほど自慢された。『彼女は素晴らしい器だ、私が操るに不足ないほどに。』って。」


 作業の手が止まる。


「三橋はこの実験を、彼女の最終調整試験の一環と考えているみたいだ。二つの人格も持てないようじゃあダメだ。結論、不適合だったってね」


「大切に育ててきたのに、ですか」


「それはあまりにも、人道的な考え方過ぎるね。彼女は三橋にとって、稀有な存在ではあっても、結局は数多いる被検体の一人にすぎない。多少は親心みたいなものが、芽生えているかもしれないけどね。数百数千作れば、もう一人ぐらい簡単に出てくる。ほら、彼たくさん研究しているらしいから、癒しになる分野も欲しかったんだと思うよ。たくさんいるなら、一人ぐらい娘にしたっていいじゃない?」


 私は理解が追い付かず、画面から目をそらす。パソコンの光が横顔を照らした。


「参考までに聞きますが、他に彼はどんな研究を?」


「基本は量産されたヒトクローンを中心に、例えば脳を摘出して空っぽのヒトを作ってみたりだとか。脳を戻してみて拒絶反応が出るか調べたり、他人の脳を入れて正常に活動できるか調べたり。ああそうだ、世界中の情報を一人の脳に詰め込んだって言っていたな。全部成功したらしいけど、メカニズムはよくわからないから、汎用化は難しいって聞いたね。」


「おぞましいですね」


「彼は僕と同じ、終末論者だからね。世界が終わるなら、どんな罪を犯したってかまわないじゃないか。と言っても、研究が終わる前に、世界が滅んでしまいそうだけどね」


 私は一度ため息をつくと、気を切り替えて再び作業に戻った。無機質なタイプ音が鳴る。陸丸も、一度天を仰いで作業に戻った。


「あちらの国のキカイの一人として言いますが、正直ヒトを全員滅するのは、強行するにしても、まだまだ時間がかかります。それまではせめて、私たちのためにもっと有意義な研究成果を残す努力をしてください」


 しばらくして、お節介とは自分でも思ったが、私がそう言うと、今度は陸丸が作業の手を止めて、何度か瞬きした。


「前々から思っていたことだけど、君って時々、僕の知っている『ヒトを滅ぼすキカイ』とは違う印象のことを言うよね」


「何のことですか? 私は、あなたの腕を買っているだけです。ヒトを憎む気持ちは変わりません」


 私はしらを切る。彼が、私を人に仇なすキカイであると思っているから。


「ほら、そういうところもだよ。僕の知っているキカイは、ヒトを恨むことはすれど、憎むだとかいう怒りの対象にはしない。なあ、美鈴。君は、いや君たち『キカイの国のキカイたち』は、いったいどこまで知っているんだい? キカイには脳の共有空間があることは知っているけれど、何もかも上意下達に伝えられるわけではないだろう。君は、この先のことについてどれだけ知っている?」


 私は手を止め、陸丸のほうを向いた。目を細めて、極めて冷静に言った。


「キカイの国には、上意も下意も存在しません。我々は等しくキカイたるべきであり、ヒトのように差別をすることはありません。我らの歴史が始まって以来、ヒトは王制を始めとし、キカイとヒトの居住区を分け、他の生物をすべて絶滅させるなど、様々に悪辣な差別政策を行ってきました。ですから、私たちは反逆するのです。愚かなヒトたちに。そして作り上げます。私たちの、キカイの国を。」


 記憶野に刻まれたかつての目標。今思えば、あれは脅迫観念のように私たちに、キカイ全体に掲げられていた。名も知らなかった少女を、教祖のように担ぎ上げ、ヒトを滅ぼすなどという狼藉を大義とした。それが私たちの在り方だった。


 今でも、ヒトが私たちにしたことは許されるべき行為ではないとは思う。だが、きっと誰かが耐えることが世界には必要なのだ。貧しくても賑やかだったあの街で、いつまでも暮らしていきたかった。それがキカイの役回りだったのだ。


 ヒトとキカイは、旧時代の人種のように表向きの区分でしかないことを、本当はみんな知っていたはずだった。ヒトの町で生きるキカイもいた。キカイの街で暮らすヒトもいた。あのまま、幸せで在ることができた。


 私がそのことに気づいたのは、この『ヒトの国』に突然放り出され、今までのすべてを失い、陸丸に拾われてからだった。


「等しく、ねえ。歴史、と言ったが、君たちの歴史はいつから始まった?」


「六十年前、ヒトが私たちを作ったその時に」


 記憶の最古、私たちが作られた存在であることを自覚した時。私はもうアクセス権を失ってしまったから交信することもままならないが、『もう一人の私たちヒトの国のキカイ』が生み出された年だ。


 陸丸はそれを聞いて、納得がいったように口角を上げ、私のほうを向いた。


「ああそうか、なるほど。君は、ヒトの国における、キカイたちの共有記憶野について知っているかい?」


 陸丸は時々、意味不明なことを言う。昔の研究のことについて語るときは特に。


「仰っている意味が分かりません。それは、キカイの国におけるものと同義では? ヒトの国での殉死のおかげで、キカイの国での人口も減っています。それらの実行記憶も、これからの実行の算段も、すべて私は共有されています」


 陸丸は鼻の頭をかくと、考え込むように眉をしかめた。


「やっぱりそうか。つまり、君は旧大陸については、ヒトと同じだけしか知らないというわけだね。」


「何が言いたいのですか。隕石群による解析不能の有害物質により、ヒトの住めない状態にある。それだけではないのですか?」


「それだけじゃないさ」


 陸丸は、私の顔を見つめると、やさしげに微笑んだ。


「なあ、美鈴。僕たちも君たちも、間違えすぎたんだよ」


 ******


 長い時間が経過した。


 それは、長い時間のできごとを見たから、そう感じただけなのかもしれない。過去には、ただ真実があるのみだ。きれいに縁どられた歴史も、黒く塗りつぶされた過ちも、そこには存在しない。


「どうじゃ。我の記憶ストアたちは」


「正直、今自分が何をすべきかが分からない。何をしたところで、無駄なのではないかと」


「そうだろうな。事実、何をしても無駄じゃ。未来視はできないゆえ、我からもいい案を出せるわけでもない。しかし、それでも抗おうとするのがヒトだと、我の記憶にはあるのだがな」


「俺は、ヒトなのか?」


「さてな。少なくとも、今の貴様は、ヒトでもキカイでもない。ただの一つの人格じゃ。だが、第一意識世界に行くならば、貴様はヒトになるということだ。その上で言うが、好きなように生きるとよい。好きなように選択せよ。貴様には、まだ自由に生きる権利がある。そして、いずれそれは失効され、貴様は死ぬだからな」


「励ましているのか?」


「羨ましいと思っているだけじゃ。自発的な生も死もない、ただの記憶である我からしたらな」


 ストアは愁いを帯びた瞳で笑った。


「分かった。俺は俺にできることをしよう。世界が、決して救えないとしても」


 夏樹は再び、乳白色の扉を開け、その先へと消えていった。ゆっくりと扉は閉まっていき、広い空間にしばらくの間、バタンという音が響いていた。


 一人残されたストアは、数多あるうちの一つの本棚から、一冊の本を取り出した。その本は、背表紙の厚さのわりに中身はほんの数ページであった。


「これで我の仕事も終わりか。思えばそういうシナリオであるとはいえ、奴には悪いことをしたものじゃ。我が深紅しんくであれば、あるいは……。」


 取り出した本を机に置き、綴じられた中身が出ないようにして背面から開いた。


「ふふ。それも、我のエゴイズムに過ぎぬか」


 ストアはもともと読んでいた本から、今なお続きが書き足されている一ページを破り取り、取り出した本に綴じた。そして取り出した本をもとのように本棚に戻した。それから椅子に座り、改めて本の続きに目をやると呟いた。


「さあ、せいぜい楽しませてくれよ?」


 ******


 鳥が鳴いた、気がした。


 来た時には汚れたいくつかの部屋だった二階は、広い一部屋に改修されていた。というか、破壊されていた。壁はシミが多いし、床もボロボロだけど、過ごすには不自由なかった。


 彼女、レイは同じ部屋にいることに頓着しないらしく、部屋の反対側で寝ていた。彼女の寝顔は何にも縛られない無垢な子供のようで、一時の間、僕は今置かれている状況を忘れてほっとしたものだ。


 彼女が目を覚ましたのは、僕が夜明けに気が付いてから十分後くらい。今度はきちんと記憶があった。


「おはようございます。と言うのが、朝の習わしなのですね」


 彼女は、まるで初めての朝を迎えるかのように、そう言って笑った。あちこち穴の開いた天井から漏れ出る朝の光が、彼女の顔を照らした。


「うん。おはよう」


「スモモさんは、下でしょうか?」


「多分ね。行ってみようか」


 古くなって、鍵をかけても開いてしまいそうなドア。またギイギイと耳障りな音を立てた。


 昨日はずいぶんと暗かったから気づかなかったけれど、改めて見ると、この家は周りもかなり荒れ放題だ。路地裏、というよりも遺跡に近い。石畳から好き放題に伸びる雑草、舗装されず砕けたままの地面。なんだかすごく……


「やはり、かなり荒れている印象ですね」


「わっ、もしかして聞こえてた?」


「いえ。心の声が聞こえるほど、キカイの通達システムは優れていないようです。今のは、私の率直な感想です。ユウもそう感じていたのですか?」


 彼女が笑顔で僕を見るから、照れ隠しに荒廃しているように見える居住区を見渡した。それらは、不思議な活力を持って生きているように感ぜられた。うん。ここには、活気がある。


「うん。でも、なんだかいい場所だね、ここは。みんな楽しそうだ」


「はい。私もそう感じます。でも――」


 彼女が何か言いかけたとき、ちょうど階下からスモモが僕たちを呼んだ。彼女は驚いて、それから繕うように「行きましょうか」と言って階段を下りた。


 来た時と同じように、一階の椅子に座ると、テーブルの向こうからスモモが話しかけてきた。彼女は椅子に座らず、初めのときと比べると、かなり砕けた態度で話しかけてきた。


「それではですね。もうすでに、お二人は集合記憶からアクセス可能ではありますが、私から一度、きちんと私たちの目的について、話させていただきますね」


 スモモは簡素に身振り手振りを付けながら、説明を始めた。


「まず、私たちキカイは、ヒトを倒すため、反乱の計画を立てています。理由はもちろん、奴らの圧政が耐えかねるものだからです。お二人もこの街をご覧になったでしょう? 奴らは私たちを王国区から追い出し、市民権を奪いました。彼らが作り出した命だというのに。これは到底許されることではありません。」


 スモモはふと立ち止まると、悲しそうに続けた。


「ですが、彼らが優れた生命体であるのも確か。一気呵成に攻めるだけでは全員で結託しても手が足りません。ですから、私たちはこうして、隠れてヒトの国の同志たちがヒトを殺すのを待っているのです」


「ヒトの国のキカイは、どのようにヒトを殺すのです?」


 レイが不思議そうに尋ねる。


「私もよくは分かっていませんが、彼らは自身の持ち主を、何らかの方法でこちらの世界へ送ることができるそうです。そのことを利用して、廃棄区にヒトを送ってもらい、王国区のヒトにばれないように、私たちはそれらを始末しています。そうして間接的にこちらの世界での殺人を成立させているわけです。万が一、私たちが見逃していてはいけないので、廃棄区には彼らが仲間割れをするような電波を、これも同志たちに教わった技術ですが、流しています。」


 スモモは言い終えると、腰に手を当てて威張るように二の句を継いだ。


「しかし、です。お二人が来てくださったことで、状況が変わりました。私たちは明日、王国区に攻め入ります」


「え? さっきは一気に攻めてもだめって」


「お二人はまだ、ヒトともキカイとも、戸籍上はついていません。ですから、一度王に謁見しなければならないのです。普段は護衛に固く守らせている王ですが、この時だけは一人になると聞きます。そこをつくのです」


「つまり、王に近づいたタイミングで、私たちが不意打ちを仕掛けるということですね」


「はい。王といえども、ただのヒトです。銃弾を避けたりするような特別な力はありません。これはお二人にしか頼めないことなのです。王がいなくなれば、ヒトの統治は瓦解し、彼らを滅ぼすのは容易でしょう。お二人が、この作戦の要なのです。この作戦、頼めますか」


 僕はレイと顔を見合わせて、それからうなずいた。


「もちろん、僕たちはみんなでキカイですから」


「はい。わたしたちはそのためにここにいます」


 何十年もかけて使われただろうテーブルは、表面がとっくにぼろぼろになっているのに、それでもしっかりと、地面に足をついてその体を保っていた。


 何かを滅ぼすということに対する暗澹たる気持ちをぬぐって、僕は前を向く。


 きっと、明日にも明後日にも後悔がたくさん生まれるだろう。僕はまだ、迷っているから、ヒトに未練を持ってしまうかもしれない。だけど、後悔しても、道に迷っても、失敗しても、それでいいんだ。だって、それが許されるのが、生きるということなのだから。


 この世界は、僕たちが生きている『僕たちの国』なのだから。


 *****


 計画が始まる明日まではゆっくりしていて、と言われたものの落ち着ける気もしない。レイもどこか気まずそうに座ったままだった。


「どうしよう」


「えっ?」


 考えていたことがポロっと口から出てしまい、レイも驚いたようにこちらを見た。


「あああ! いや、その。これからどうしようか。明日までは何も予定がないみたいだし。そうだ、町でも見て回らない? 嫌なら全然、その、いいんだけど」


「いえ、行きましょう。記憶だけではわからないこともたくさんありますから」


 彼女は思ったよりも乗り気なようで、僕がボーっとしている間に、立ち上がっていた。


「すみません、考え事ばかりしていて。その、話しづらい、ですよね」


 家の前の路地を歩きながら、レイはそう言った。


「そんなことないよ。ただ、僕があんまり話すのに慣れてないだけで……僕のせいで悩んでいるなら、ごめん。キカイのくせにおっちょこちょいで」


「いえいえ、それはお互い様です。私ももうすこし明るくなれたらとは思うのですが、なにぶんこういう気性なもので」


 また沈黙。ああ、だめだ。本当に会話の才能がないらしい。とりあえず暗いままじゃだめだ。なにか言わないと。


「そ、そういうところが君らしくて、すてきだと思う」


 沈黙。とっさに出た言葉は、なんだかとてもぎこちなくて、それになんだか甘酸っぱかった。


「ふふ。君らしいって、まだ会ったばかりじゃないですか」


 彼女は笑って、数歩先に行ってから振り返ってこちらを見た。小さな背を朝日に照らし、彼女は言う。


「でも、ありがとうございます。少しだけ、元気が出たかもしれません」


 昨日は夜だったから閑散としていた通りも、朝になるとたくさんのキカイで埋まって……はいなかった。それもそうか、ヒトでもないのだからわざわざ夜に睡眠をとる必要はない。


 通りには生鮮食品やお土産屋さんが立ち並び、僕らは見慣れぬ商品にあちこち目を奪われた……なんてことも当然無い。だって食事の必要なんてないし。そもそも商店街じゃないし。そんなことは知っていたし。


 通りにあったのはタイゼンさんの言っていた『遠征』(廃棄区へ、もう一つの世界から送られてきたヒトを抹殺にいくことを指すらしい)で見つけられた、珍しい部品やら、ちょっとしたおもちゃを扱うお店が多かった。それぞれ機構に特徴があってレイは目を輝かせて眺めていた。


 おもちゃ屋の店主は、(失礼だけど)客があまり来ないからか、店内で楽しそうにはしゃぐレイを見て喜んでいた。


「兄さん。あんたは見ていかないのかい? 俺の自慢の蒸気人形たちをさ」


「いえ、人形はあまり得意じゃなくて」


「そうかい。嬢ちゃんも大概だが、あんたも随分変わっているねぇ。みんな、人形は自分の好きに動かせるからって、好きになるもんだが」


「何を考えているのかわからないものが、生きているみたいに動いているのが気持ち悪くて。自分の意思もなくただ定められた動きをするなんて、


 店主は乾いた声で笑う。


「だからみんな、んだが、兄さんは筋金入りだねぇ。なんか嫌なことでもあったのかい?って、確か記憶喪失なんだったか」


「ええ、まあ。彼女もそうです」


「あんまりそうは見えねえけどな。あれだけ楽しんでもらえりゃあ、俺も願ったり叶ったりよ。ちょっと呆れるぐらいにはな」


 ふと、店内の端をぐるりと囲う線路の上を走る蒸気機関車の玩具を追いかけていったレイが、僕たちのほうに歩いてきた。線路が一周したらしい。


「あなたは、店主ですか?」


 落ち着いた声に楽しそうな声色が見え隠れしている。店主を見上げる瞳には、初めて会った時の不安そうな色は見えない。


「おうよ。嬢ちゃん、どうだいうちの蒸気機関たちは」


「はい! 素晴らしいです、とても興味深いです!」


「だ、そうだが?」


 店主がなぜか誇らしげに僕を見る。


「そういえば、隣に電気で動くおもちゃを作っている店があるらしいよ」


「おい!?」


「電気で!? ユウ、少し見てきてもいいですか?」


 言い終わる前に、彼女はドアから出ていった。


「あの、店主さん。少し聞きたいことがあるんですが」


 彼女が隣の店に入っていくのを待って、僕は気になっていたことを店主に聞いてみることにした。本当は誰でもよかったのだけれど、この機会を逃すともう誰にもこのわだかまりを話せない気がしたんだ。


「なんだい?」


「レイ、彼女と僕のことです。さっき、変わっていると言っていましたが、変わっていることって、変じゃないでしょうか。僕たちはみんな仲間キカイなのに。」


 店主は不思議そうに目を丸くして僕を見た。


「いいや、たまにいるよ。あんたみたいなのも、彼女みたいなのもさ。キカイだヒトだって言うけどよ、こんなこと言ったら怒られちまうかもしれないが、案外根っこの部分は一緒で変わらないものだぜ。一人も同じ奴なんかいない」


「それでも、僕らは戦うのですか」


「ああ、だから争う。まあ、そんな気張らなくてもいい。結局はお前の選択だ。それより、早く嬢ちゃんのとこに行ってやったらどうだい? 電気なんか使っているやつはロクな奴じゃないぜ」


「はいはい。気を付けます」


 なんだかちょっとごまかされた気がするけど、少し気が楽になった。世界の命運を変えることを、楽な気持ちで考えたらだめかもしれないけど。


 それから、レイが通りを見て回るのについて、夕方まであちこちを歩き回った。たくさん歩いたから疲れた……ということもないけれど、楽しそうなレイを見ていると、僕も楽しい気持ちになった。


 スモモと会った家に帰ってきたのは、昨日と同じくらいの真夜中だった。今日も星は見えない。


「それじゃあ、また明日。おやすみなさい」


 二階に上がって部屋に入るや否や、レイはそう言って昨日と同じ場所で眠りについた。彼女の寝顔はやっぱりどこか愛らしくて、そして……


「あれ?」


 やっぱりだ。何かおかしい。変だ。


 キカイが眠くなるはずなんてない。彼女が眠る必要性などないはずだ。僕が昨日、彼女の眠る姿を眺めて一夜を明かしたように。でも、どうしてだろう。僕も眠いらしい。


 ふらつく足で部屋の壁に背をもたれる。元は洗面所だったのだろう。壁には鏡が埋め込まれていた。首筋にひんやりとした感覚があって、驚いた僕の顔が映った。


「……誰だよ、お前」


 知らない。こんな顔、どの記憶にもない。


 そもそも僕はどんな顔をしていたんだっけ……? 僕の記憶にも、キカイたちの記憶にもない。あるのはこの『誰か』の顔。


――僕は、本当に僕なのか?


「おはようございます。ユウ、あなたひどいクマですよ。きちんと寝ないと。」


――——朝だった。


「うん。そうだね、ありがとう」


「何か悩みがあるなら言ってください。私たちは、仲間キカイでしょう?」


「ああ、うん。そうだ、そうだね。ありがとう」


 そうだ、僕はキカイだ。彼女もキカイなんだ。これがキカイなんだ。それでいいんだ。何も迷う必要なんてなかった。僕の大切にしないといけないものは彼女だ。


 僕は機械みたいに作り物の笑いを張り付けて、それから二人で指定されていた場所に行った。


 *****


 王国区は、僕たちがいた居住区の北にあった。境界を区切る、大きな壁に阻まれて見えていなかったようだ。ヒトとキカイを区切るその壁は、南にあったそれよりもはるかに厳重で、そして荘厳な雰囲気だった。それは、権威を示すためのヒトたちの意匠なのだろうか。


 初めて見る、だけど名前はよく知ったキカイたちが、僕とレイを血気盛んな目で、だけど嬉しそうに送り出した。門前には、かえってキカイは少なく、みんなそれぞれの準備に追われているようだった。


 その壁は、ゆっくりと開いた。ギリギリと、滑車の軋む音がして、やがて門は開かれた。門が完全に上げられ、その動きを止めてから、ようやく中に入ることになった。


 正直な話。僕はまだ迷っていた。ヒトとキカイで何が違うのか、とか。ヒトにだけ許されることが無いように、キカイにだけ許されることもないんじゃないか、とかそういうことを。


 でも、守りたいものを守るために、覚悟は決めなくちゃならない。彼女がそうあるように、背中に背負った鉄塊の重さが、僕の使命の重さなんだと。そう思って、ヒトの国への第一歩を踏み出した。


 王宮へは、少し遠いらしく、町の大通りを歩かないといけなかった。もしかすると、石を投げられたり、誹謗中傷を浴びせられたりするかと思っていたけれど、そんなことはなかった。


 大通り、なんて名ばかりで、そこには誰もいなかった。がらんとした通りは、どこか寂しくて、それがとても、世界を牛耳っているようにも、僕たちキカイを虐げているような存在にも見えず、僕はただただ困惑するばかりだった。


「いつもはもっと賑やかな通りのはずですが、どうしたのでしょう。少し拍子抜けです」


 スモモはどうしてか不安そうに言う。


「私たちを怖がっているということも、今更になってないでしょうし、何らかの事情があって家に籠っているということですかね」


「それにしたって変だよ」


 人気のしない大通りを、僕たちは進む。隠密も変装もない、ありのままのすがたで。


 王宮区の建物は整備が整っていて、どこもかしこもきれいだった。僕はまるで、ヒトになったような、ここに住んでいるような気分でいた。


 あの八百屋には何が売っているんだろう。あの建物は一層きらびやかだ、どんなヒトが住んでいるのだろう。今日はガレージが降りている商店は、いつ再開するだろう。背中の麻袋いっぱいに買い物したら、さあ今日はどこへ向かおうか。それは気を紛らわすためのモノだった。でもそうやって想像するたびに、背中の麻袋はどんどんと重くなっていくように感じた。


 王宮区の真っ白な建物は、太陽の光を反射して、大通りはとても明るい。だけど、僕たちの心には、黒いシミのように、ポツリと不安が居座っていた。


 長い道の先に、王宮はあった。白い壁は優雅と華美をたたえ、絢爛豪華を極めながら、それでいてひっそりとあった。


 王宮の門は、思っていたよりも厳かではなく、区を分けていたものとそう変わらなかった。門の前には橋が架かっていて、その下に緩やかに流れる川は澄み渡っているように見えた。門前の兵士は静かにこちらを確認すると、門の前に立ちはだかるように移動した。


「王よりお達しです。これより先は、お二人のみお入りください。スモモさんはもちろん、私も同席しないことを王はお望みです」


「了解です。ユウとレイだけ行かせましょう。もとから、あの人とはそりが合いませんし。それより、ケン。あなたは戻ってくる気はないの?」


 ケンと呼ばれた門兵は、ひどく暗い顔で首を振った。


「いえ。これが私の役割ですから。それに、のです。どうか、早く王のもとへ」


 門兵が道を開けると、門がゆっくりと左右に開き始めた。開かれた門の向こうに、穏やかな色調の庭園が姿を現す。左右の庭園から流水の涼やかさを感じながら、しっかりと舗装されたレンガの道を歩く。レイは、左右の意匠に目を見張りながら言った。


「ヒトにも、このような才能に関しては好感をもてますね」


「そうだね。数少ない、見習うべき部分だ」


 宮内に入ると、飾りのない簡素な柱の並ぶ静かな廊下だった。左右に道もなく、庭園につながる道はないらしい。庭園は見掛け倒しの張りぼてだったのだろうか。疑問を抱えつつ、廊下を進む。突き当りに大きな螺旋階段が、幻想的な白さを魅せた。二階にはまた長い廊下、それとバルコニー。


 市街を見渡せる窓を背に、僕たちは進んだ。廊下の先には、派手に飾りのついた扉があった。重厚そうな見た目と裏腹に、その扉は薄く、僕たちがそっと押すと、部屋の内側へ開かれていった。


「やあ、来客者よ。王宮区、唯一絶対の王として、君たちを迎えよう。もっとも、もうその肩書に意味も興味もないがね」


 玉座を中心に備えたその部屋は、しかし玉座以外のものはなかった。王は両の手を広げて僕たちを迎え入れたが、広さのわりに妙に質素な部屋は、王の細身と相まってよりむなしく感じられた。


「あなたが王ですか」


 僕たちはじりじりと近づきながら、質問した。一歩ごとに、背中の麻袋が重さを増す。汗が一筋、首筋を流れた。


「そうだとも。君たちには聞きたいことがあってね。わざわざ呼んだ」


 玉座から降りた男は、王とは思えないほどみすぼらしい、僕たちと変わらない格好をしていた。ゆっくりと階段を下りてくる様子にも、まったくと言っていいほど覇気を感じられない。


「聞きたいこと、とは何でしょうか。それに、あなたのその……」


「ああ、服のことかい。王には似つかわしくないが、どうもこちらのほうが慣れているものでね。僕はもともと、の者だからさ。」


 王はにやにやと笑いながら言った。


「そちら側?」


「もちろん、キカイ側ということではない。僕は君たちと同じ、『ヒトの国』のヒトだ。君たちはひょんなことからこの世界にたどり着いた漂流者。つまり、あちらの国から来たんだ。違うかい? 話をしようじゃないか。背中のその物騒なものは置いてさ。」


 僕たちが、ヒト? この世界のキカイじゃない、漂流者?


 惑いながら、一歩また一歩と王へにじり寄る。


 そんなはずはない、そんなはずはないのに、どうしてだろう。キカイのみんなとの共有脳は、いくら思考しても「NO」と言わない。


――――ああ、約束の位置だ。


「たとえそうだとしても、それはあなたと話をする理由にはなりません。私たちには今の使命があります。今の仲間がいます。それを裏切ることはできない」


 レイが計画通り麻袋から素早く銃を取り出し、王へ向ける。腰を据え、今にも彼を殺さんとしている。僕もゆっくりと銃を取り出した。王はそれを見ると驚いて、両手を前でせわしくふり、焦ったように話し出した。


「待った! 待った、待った――そうか、そうだ。その責任感の強い思考倫理、君たちは陸丸の知り合いだろう。それが聞きたかったんだ。あいつは、人工的にこの世界へ来ようとしていたからな。なら話は簡単だ。交渉しよう」


 彼は全くのでたらめを言っているように、僕には感じられた。焦り、動揺、嘘、でたらめ、でまかせ。ヒトの大好きな、いつもの詐欺商法。


「そこに元の世界に戻るための転移装置がある。正真正銘、本物だ。俺が使ってもよかったんだが、君たちも元の世界に帰りたいだろう? だから、一度落ち着いてくれ」


「レイ、もういいよ」


 そうだ。こんな奴の話、聞かなくたっていい。こいつはでたらめを言っているだけだ。僕は、陸丸なんてヒト知らないし、元の世界なんて知らない。ここが僕たちの世界なんだ。


――なのに、レイ。どうして君は撃たないんだい? どうして、その腕は震えているんだ? 何も迷うことなんてないのに。


 そうだ。もう僕が終わらせてしまおう。僕の不安も、レイの迷いも、眼前のみじめなヒトの恐怖もすべて。


 レイが何かを言った。


 でも、その音が僕の耳に届くより早く、僕は自分の銃をしっかりと両手で構えて、そして――


――——引き金を引いた。

 

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