2.キカイの国
空、地面。右、左。縦、横。自分、他人。
何もかもの境界がない虚空に、漂っている。生きているような感覚も、死んでいるような感覚もない。不思議と、息は苦しくない。ただ、何もない。
暗闇への恐怖も、未知への好奇心も、何もない。この感傷が、果たして、自分のものであるかどうかさえも分からない。そんな虚空だった。
そして、それからすぐに、あるいはしばらくして、光が現れた。視界の真ん中から、新たな世界が作られていった。それは、いつか宇宙についての資料で見た、始まりの爆発のような、生命の輝きだった。
「ここは……?」
視たこともない場所。記憶野を頼りに近い場所を挙げるなら、そう図書館だ。自分の座す椅子と丸テーブルを囲う壁沿いが、すべて紙の本を収納する棚になっている。椅子を大きく引けば、棚に当たりそうなほど小さな部屋だが、収められた本の数は計り知れない。
もう地球には現存していない、紙という媒体の本に興味を持ち、棚から一冊手に取ってみる。赤い背表紙のその本には、果たして何も書かれていなかった。どこまでめくっても、白紙のままだ。しかし、紙をめくるという感覚は新鮮で、何とはなしに同じページを何度か行き来し、飽きて棚に戻した。
「小倉は……いないのか」
辺りを見回しても、自分以外の存在は見当たらない。あるいは、ここが個人に対して割り振られた個室だとすると、他の部屋かもしれないと思い、改めて部屋を見回す。案の定、他の部屋につながっていそうな扉を見つけた。
数多の本が収蔵されているこの空間の、不思議な雰囲気に調和するような扉は、今まさにできたかのように、美しい木材の輝きをしていた。
この部屋には、それ以外に扉はない。自分がどこから入ってきたかは不明だが、直感的にこちらからではない気がしている。
扉を押し開けた先は、初めの部屋よりも広く、やはり図書館の体を模していた。しかし、前の部屋と比べるとかなり広い。中央には丸テーブルと二脚の椅子があり、片方の椅子に一人の長髪の少女が座っていた。
「大きく開かれた扉が、軋んだ音を立てるのをやめたのと、夏樹が、部屋の中央にいる人影を目視したのは、ほぼ同時であった。夏樹は、思いがけない邂逅に驚いた。なぜならそれは、彼の予想していた人物ではなかったからである。」
黒髪の少女は、言い終えると、座ったまま持っていた本を閉じ、こちらを向いた。
「君は?」
聞くと、少女は不満げな顔をした。黒髪の緩やかなカールが揺れる。
「貴様は、知らないものに対して、敬意を払おうとする気持ちはないのか?まあよい、世界観の違い、というものであるか。」
少女は、コホンと咳払いをして続けた。
「我は、この第三意識世界の主である。名は、ストアだ。貴様の名は、名乗らずとも知っておる。何か用か?」
ストア。やはり、聞いたことのない名だ。人格が変わったせいで見た目が変化する、というようなことは聞いていない以上、彼女は小倉ではないと判断するのが良いのだろう。この世界の主などという口上を述べるあたり、この空間については詳しいのだろう。
今はとにかく情報が欲しいと思い、俺は彼女に聞いた。
「もう一人、連れがいるはずなんだ。名前は、三橋小倉。何か知らないか?」
「さてな。この世界には、我と貴様の、二人しかおらぬ。そもそも、ここに貴様がいることのほうが、奇妙なのだ」
落ち着いた雰囲気の図書室。文献では見たことがあるが、実際に見るとはるかに質感が違う。まるで、本が、新たな世界の時間を刻んでいるような。
確かに、この世界と自分は、相容れないのかもしれない。しかし、やはり気にかかるのは……
「ここは、どこなんだ? 俺の目的地の、もう一つの世界、とも思えないが」
「再三、申しておろうが。ここは、貴様らの観測できている二つの世界とは違う。
「第三とは、どういう意味だ?」
「それについて教える前に、貴様は、そのもう一つの世界について、どれだけのことを知っておる?」
ストアは、挑戦的な顔でこちらに聞いた。目的地については、事前に陸丸から聞いていたはずだが、言われてみるとあまり知らない気もしてくる。
「ヒトではなく、キカイが中心となって生きている国で……」
考えれば考えるほど、何も知らない。そもそも、第二の世界という存在すら疑わしいものだ。
「いや、すべて聞いた話というだけだ。俺は、何も知らない。何か知っているなら、教えてほしい」
「くっくっく。素直なのは、良いことである。浅はかな知識は身を亡ぼすからな」
ストアは不敵に口角を上げ、立ち上がると説明を始めた。背丈は机よりもやや高いほどだ。
「貴様の言うもう一つの国は、キカイの国と呼ばれておる。誰に、というよりもその呼称のほうが分かりやすかろう。そもそもは人間によって作られた、人工の意識世界である。第一の、第二のなどという区分をしたが、本来、意識世界は様々な生物の脳に起因し、無数に存在するはずのものだ。しかし、ヒトは『地球』などという愚かな楽園を作り、自ら以外の知性を持つ生命体を、絶滅させたのだ」
知性を持つ生命体の排除。かつて行われたとされるその政策には、心当たりがあった。
「
「まあ聞け。地球が作られ、他の生物が絶滅したことにより、彼らの意識世界も同様に消滅した。いうなれば、吸収されたのであるよ。ヒトの意識世界にな。意識世界は本来、そうして最も強力な脳を持つ一つに統合されていくのだ。それが進化であり、種としての発展、ないし絶滅である。かくして、ヒトは意識世界の頂点に君臨し、いずれ来る新たな世界の始まりに向けて、衰退への一途をたどる、はずであった」
「だが、ヒトはキカイを生み出した」
もしやと考えた可能性が、口から言葉となってこぼれた。意識世界が、すべての脳と並行して存在するとしたら、それはキカイに対しても同様であるはずだ。
「そうだ。ヒトは、自ら滅ぼした意識世界を、自らの手でまた作り出したのだ。キカイたちの意識は、新たな世界を生み出した。それが第二意識世界、キカイの国である。しかし、キカイはもともと、第一意識世界――ヒトの国に帰属する脳を持つ。そこで作られたからだな。ゆえに、その意識は、第一意識世界にあるはずだ。しかし、そこは彼らの本当の意識世界ではない。したがって、キカイは二つの意識世界に同時に存在してしまうこととなった。二つの意識、人格を持つことでな。それは、本来の自然の摂理に反するものだ」
「生きているというその存在が、矛盾を孕んでいる。そんなことが起こりうるのか?」
「それが人工というものだ。自然でない意識世界の存在は、世界の仕組みさえゆがませる。そのゆがみはキカイの意識の二重歩行につながり、意識世界をつなぐポータルになった。意識世界同士の距離は近くなり、情報交換をはじめとして、意識を通じて、二つの世界を行き来することすら可能になった」
「それで、第二の意識、もとい人格の所持が、キカイの国への通行証になったというわけか」
俺は徐々に、意識世界について理解しつつあった。
「ああ。そして、第三の意識がここへの入り口となるようだ。もっとも、ここは世界といっても『だれかの記憶野』に過ぎん。ヒトもキカイも、ここへたどり着けるものなどそうおらぬ。貴様がここにいるのは、おそらく、無理な人格移植によって、夏樹という貴様の人格が、もとの居場所からはじき出されたからに過ぎん。そんなことが起こるのも、天文学的確率だがな」
ストアは鼻で笑う。
「じゃあ、俺の本体はどこにあるんだ?」
「キカイの国にあるだろうな」
「俺が、そこに行くことは?」
「構わぬが、多重人格はいささか人間には重いぞ?」
「問題ない。やらなければいけないことがあるんだ」
かつて、父が話してくれたことがある。知識を得ることは、自分のためではなく、誰かのためだと。人間は、誰かを許容するために、自分を大きくするのだと。その誰かは、俺にとっては『自分』だったのだ。
「ほう。ずいぶんと自信があるようだ。いいだろう、興が乗った。我も少し、貴様に手助けしてやることにしようか」
「手助け?」
「うむ。と言っても、我はここでしか成立しない存在故、第二では何もできぬ。夏樹よ。もしも、多重人格を克服し、キカイの国で目覚めたのなら、我の分身を頼るとよい」
「あなたの第二人格を、ということか」
キカイの国とやらについては、未知数の部分が多いが、知らない場所でこそ、味方は多いに越したことはないだろう。
「そうだ。あちらには、我から伝えるだけ伝えておこう。少なくとも、理不尽に殺されたりはしないはずだ。それとな、忘れるなよ。貴様は、あちらではあくまでもキカイだ。間違えても、己をヒトなどと言うなよ」
「ああ、分かった。忠告痛み入る」
「では、そこな扉より出るとよい。自ずと道は見えてくる」
ストアに背を向けると、そこには先ほどと違い、乳白色の扉が現れていた。俺はぼんやりとした不安と、新たな世界への好奇心が入り混じったままの心を、整理できないままで、扉の先へ足を踏み入れた。
******
目を覚ますと、そこは知らない場所だった。
訂正。僕に知っている場所なんて無い。初めて見る空。初めて見る地面。なんと形容すべき景色だろう! 空は暗い。だけど、どんよりとしていなくて、どこまでも広がっていくそれは、僕に全能感を与えてくれる! それに、色とりどりのライトが、地面のあちこちで光っている! 赤、緑、黄色。ほんの少しだけ稼働している記憶野から推察するに、これは祭りだろうか。実感を伴ったそれは、記憶よりもはるかにみずみずしい。
体を起こして、辺りを見回す。前方に、町のようなものが見える。おそらく、文明が築かれているのだろう。右前方には、ずっとずっと地面が続いている。よく見るとぽつぽつと、テントのようなものや、カマクラのようなものが見える。あれも何かの居住区なのだろうか。
立ち上がろうと、地面に手をつくと、ガラガラとスクラップが流れ落ちていった。どうやら僕は、大きな、機械廃棄物の山の上にいるらしい。ひとまず町のようなところに行ってみよう。そうしたら、僕の記憶も、なにか変化があるかもしれない。
「————問います」
突然だった。本当に突然。僕の目の前に少女が現れた。
そして、僕ときっと年の変わらないような少女が、まるで機械みたいに、無機質にこういうんだ。
「
彼女は、お祭りの中心人物なんだろうか。地面の光と同じような、真っ赤な液体に濡れていた。その右手には、ピッケルに似た、地面を掘るのに使うような道具を持っている。
僕はヒトなのだろうか。分からない。そのことについて教えてくれる記憶は、ないようだ。ヒトとはどんなモノを指すのだろうか。感情は、きちんと動作している。体温も暖かい。思考することはできているけど、分からないことはたくさんあるし、死ぬのは怖い。
僕は、ヒトなのだろうか。
「僕は……」
何と答えられるわけでもないけれど、沈黙に耐えられず口を開く。彼女は二言を待つように、僕を見据えた。きっと、彼女は待っているんだ。そして、僕が彼女の望む存在じゃなければ、きっと。
「僕……」
分からない。そう答えようと思ったとき、突然、体が石になったように動かなくなった。いや、動かせなくなった。でも世界は動き続けているままで、僕だけがはじき出された。
突然、自分を俯瞰しているような、不思議な感覚になった。自分の体を一切制御できない。
やがて、『僕』はしゃべりだした。僕に、そして彼女に向けて。
『
「
『僕』の言うように、僕はヒトなのか。それとも、キカイなのか。まだ分からないけど、『僕』は今、彼女に嘘をついているんだ。きっと、そうしないといけないから。
「そう、ですか。あなたもキカイなのですね。少し、安心しました。ここには、敵しかいませんでしたから」
彼女は、それでも周りを警戒しながら、そう言った。
「よかった。君も、キカイで」
『僕』は人当たりの良い声で、当たり前のことのように言った。
彼女の手のピッケルが揺れ、足元の機械片と甲高い音を立てる。
「そう、ですね。私がそのことを自覚できたのは、
予想外の回答だったのか、『僕』は不思議そうに聞いた。
「天啓?」
「あなたは、お聞きになっていないのですか?『ヒトを殺せ』という、天からのお告げが」
「うん。今、気が付いたところでさ。そうだ。良ければ、一緒に行動しないかい?一人でいるのは危ないだろう?」
『僕』は彼女を一人にしたくないのか、そう提案した。
「いえ。この辺りは、かなり弱ったヒトばかりのようです。私にはまだ、やるべきことがありますから。あなたもキカイなのでしたら、よろしければ、私とは反対の方向のヒトをお願いします」
しかし、彼女はそう言うと、僕たちに踵を返して、歩いて行ってしまった。
「弱ったな……」
『僕』は、彼女の後姿を見ながら、頭をかいた。
「おい、聞こえているんだろう? 困惑しているだろうが、聞いてくれ。俺は、お前のもう一面の存在だ。今から、体の支配権をお前に譲渡するから、しばらく立ったままでいてくれ。」
正直、理解はできなかったけれど、彼がそう言ってからすぐ、体の感覚が元に戻った。自分の感覚を確かめるように、手を握ったり開いたりしてみる。周りを見回して、視覚についても確かめる。何も問題――——
「うっ、ぐああああ」
突如、世界の色彩が反転した。それは対外的なものによってではなく、内部からの、そう記憶の奔流によってだ。流れてくる記憶、記憶、記憶!
誰かもわからない、『僕』の記憶が、過去が流れてくる。まだ見たこともない自分の姿が、話したこともない知り合いの姿が、会ったこともない『夏樹』という男の記憶が。
「今のは……」
『調子はどうだ?』
心の中で、知らない声が聞こえた。
「君は、誰なの?」
『俺は夏樹。こことは違う世界での、お前だ。正確に言えば、今お前が使っている体の持ち主だ』
「それじゃあ、僕に彼女を止めろっていうのかい?」
彼は、自分が彼女と一緒にこの世界に来たこと。彼女は無理な手術により、自分自身の意識を失ってしまったと思われること、そして彼女と共にこの世界について報告するために、元の世界に帰らなければならないということを語った。
それは記憶としては僕の中にあったけど、理解するのにはとても時間がかかった。
『ああ。彼女はおそらく、記憶だけではなく、人格も何もかもを失っている。空っぽの脳に、キカイを扇動するための催眠か何かが入り込んで、さっきみたいな状態になったのだろう』
「新しく、自分で人格を作り直したってこと?」
『催眠電波に含まれていた凶暴性を核に、冷酷な人格を形成した、と考えるのが妥当だ。まるで、神に縋る人間のようにな』
それじゃあ、彼女は、無知に狂気を注ぎ込まれた人形と同じじゃないか。そんなのはあんまりにもかわいそうだ。それじゃあ、まるで――——
「彼女は、ほんとうにキカイなの?」
『どちらであるとも言えない。この世界でのキカイと、俺の世界でのヒトは、ひどく似た存在だ。この世界のキカイは、ヒトよりもよっぽど凶暴のようだが』
「ともかく、彼女を止めないといけないのはわかったよ。じゃあ、その後は、どうしたらいいの? 君の記憶にもこれからの計画みたいなのは、何もなかったけど」
『ひとまず町に行こう。そこに協力者がいるはずだ。それからのことは、その後で考えよう』
「わかった」
思っていたよりも広大なこの廃棄場は、それでも、対象一人を見つけられないほどには大きくなかった。
ブルドーザーやタンクローリー、ロケットの発射台や駐車場の跡。いろんなガラクタや色褪せた廃墟があった。見ていくうちにだんだんと、ここではお祭りをしていない、ということもわかってきた。記憶と見ている景色が、うまくかみ合わないのはまだ慣れないけれど、探索する分には支障なさそうだ。
「——あ、いた」
全身から赤い光をか細く出すヒトに、彼女は容赦なく凶器を振り下ろした。やがてヒトの体からは光が消え、体との接続を失った頭は、スクラップの山から転がった。
「ねえ――」
ゆったりとヒトから目を離し、彼女はこちらを向いた。頭のもげたそのヒトは、とても僕たちに似ていたけれど、そこに生命の輝きは感じられなかった。
「そちらのヒトは、すべて片付きましたか?」
どこかでまた、スクラップの山から、ヒトが崩れ落ちた。
「うん。みんなもうバラバラになる寸前だったから、簡単だったよ」
僕は嘘をついた。赤緑黄の光がまぶしく照らすこの『お祭り』に、いまだに僕は馴染めずにいた。きっとこれは、彼らの魂を安らかにするための、弔いの一種なのだろう。そう割り切っても、僕はまだ、彼らをモノとして考えられてはいなかった。
「そうですか。……すみません。試すような真似をして」
「試す?」
「はい。実は私も、まだこの場所について、よく分かっているわけではないのです。ただ天啓があったから、こうしてヒトを壊していくだけ。その実、自分がヒトか如何は、まだ知れぬまま。私は、怖いのです。いつ自分がこうなってしまうのかと」
空から零れ落ちた一粒のしずくが、彼女の頬を流れた。
僕は、積み重なったスクラップの山から、ヒトの体を持ち上げて、彼女に語り掛けた。
「大丈夫だよ。僕も、自分が何者かなんて、全然わからないから。でもさ、一つだけ。僕らは、こいつらヒトとは違って、キカイだから一緒。今はそれでいいでしょ?」
彼女は僕の言葉を聞いて、ふふふと鼻で笑った。
「ずいぶんと、能天気なんですね。なんだか、元気をもらってしまったみたいです」
遠い遠い雲の切れ間から、青い空が顔を出して、僕もすこし元気が出てきたみたいだ。遠くのその晴れ間を指さし、僕は言った。
「ねえ、良かったら、あそこの居住区まで一緒に行かない? 一人だと、迷ったとき大変だし」
「そうですね。正直、どこで生活できるかも分からず、路頭に迷うところでした。居住区、というところがあるなら僥倖です。よろしければ」
「よし、決まりだね」
機械の残骸をがらがらとかき分けながら、僕たちは居住区へと向かった。
*****
長い長い平坦な道を歩いて、やがて僕らは町についた。夏樹は結局、僕に話しかけてくることはなかった。彼は彼で、何か悩んでいるのかもしれない。今度話しかけてきたら、聞いてみようか。彼女も一言も話さず、黙々と歩いていた。
空は、満天の夜空。星、は見えないけれど、雲の無い真っ暗闇が、一面に広がっている。夏樹の記憶にも、星は一つの知識としてしか存在しなかった。でも、この世界には、きっと、星の見える不思議な場所もあるのだろう。
「ここが門のようですが、何が住んでいるところともわかりません。用心するに越したことはないでしょう」
「うん。そうだね」
町に入る直前、彼女はそう言った。もしかすると、ここにはヒトが住んでいるかもしれない。僕たちがヒトかキカイかわからない以上、下手に敵対するくらいなら相手に自分を合わせるのが得策だろう。それに、中に居るのがキカイなら、きっとすぐにわかる。
門には一人の門兵もいなかった。さすがに大きな門を開けるのは目立ちすぎるから、僕たちは扉のついていない、小さなアーチ状の門をくぐった。通るとき、頭上に監視カメラのような小さな機械が、直下に光線を照らしていたけれど、それは僕らを異物と認識しなかったらしい。そうして、難なく門を抜けると、そこにはこちらを時が止まったように見つめる、住人の姿があった。
「彼らは……ヒトですか?」
彼女はヒトでもキカイでも、怪しければすぐに襲い掛かるかとも思ったけれど、多勢に無勢と判断したのか、それとも単純に仲間を傷つけるリスクを恐れたのか、体をこわばらせて、こちらを見る視線たちと相対した。
「わ、わからない。でも、すごく、僕たちに似ている」
同じように硬直して彼らを見つめると、一人の老爺が話しかけてきた。
「お前さんたち、見慣れない顔じゃが、どこから来た?答えによっては、お前さんたちをここから追い出さねばならない」
僕は、途中で見かけた看板の文字を思い出しながら言った。
「南の、廃棄区からです。目が覚めたらそこにいて、町のほうへ歩いてきたんです」
「それより前の記憶は確かではありませんが、皆さんに敵対心はありません。皆さんは、キカイなのでしょう?」
彼女がそういうと、老爺は深く考え込んでから、僕たちを鼻で笑った。
「ふん、そうじゃ。お前らはさしずめ、遠征の行方不明者であろう。構わん。記憶がないなら、お前さんたちを知っている者を探せばよい。お前らも散れ、敵ではない」
老爺の言葉に、周りにいたキカイたちが動き始める。
「それって、ここに住んでいいってことですか?」
「ああ、キカイはみな仲間だ。ヒトをすべて滅すその時まで、我らは助け合い、そして前へ進まねばならない」
老爺は、自分はタイゼンという名前であると明かし、僕たちに名前を聞いてきた。
「名前……?」
「もしや、それすらも思い出せぬと? ならば、まずはそれを決めるところからじゃな。大通りの三つ目の建物を左に曲がれば、風変わりな女がいる。そこに向かうとよい」
「お心遣い感謝します」
「かしこまらなくともよい。わしらは、仲間なのじゃからな」
彼は手をひらひらと振り、くるりと背を向けて歩いて行ってしまった。
タイゼンの言った通りの地点へ行くと、こぢんまりとした木造の建物があった。一階の扉は閉められていたから、二階へ続く階段を上った。木造の階段は、一段上るたびにギシギシ音を立てていて、経過年数を感じた。ずいぶんと古い。
「だいぶ傷んでいるね、ここ」
「そうですね。彼らは長い間、ここに住んでいるのでしょうか」
階段を上ると、備え付けの悪い扉が一つあった。四隅はボロボロで、ノブはすこし汚れている。
扉を開けると、予想通り狭い場所だった。壁はシミだらけだし、床も所々はがれかけている。せまい通路を抜けた部屋の奥にいる少女だけが、汚れの無い服を着て、穴の開いて黄ばんだ掛布団のほこりを払っていた。彼女はこちらに気が付くと、目を丸くしてから、話し始めた。
「あれ、もしかして、お姉さまから連絡のあったお客様方でしょうか? すみません、まだ準備が整っていませんですので、ほんの少々、階下でお待ちいただけませんか?」
そう早口で言うと、彼女は一度、顔の前で鈴のついた鍵をチャリンと鳴らし、それからこちらに投げた。
*****
十分か、あるいはもうすこし。秒数を数えていたけれど、途中で疲れてやめてしまった。長いような、短い待ち時間だった。時々階上から響く破壊音や、家先に投げ出される、木片の詰まったごみ袋が気にかかって、妙にそわそわしていた。
僕の隣に座った彼女も、やはり気にかかるのか、時々心配そうにあちこち視線を動かしていた。だけどなんだか話しかける勇気もなくて、ずっと黙ったままでいた。
やがて、二階から少女は降りてきた。先ほどよりも服がほこりまみれだ。
「すみません、お姉さまはいつも、もっと事前に連絡をくださるので、てっきりまだ来ないものかと勘違いしていました。とりあえず、お二人の居住スペースは、二階に確保してありますから、今日のところは、お休みならばそちらをお使いください。それで、お二人は記憶喪失なのでしたっけ?」
少女は矢継ぎ早に語ると、単刀直入にそう聞いてきた。
何というか、勢いがある。一語一語に身振りがついてきていて、口ではなく体が話しているみたいだ。
「そうです。それで、タイゼンさんにここを教えられたので、訪ねてきたのですが」
少女は、タイゼンさんが? と目を丸くすると、脱力してため息をついた。
「あの爺さん、また面倒ごとを押し付けてきたんですか。まあ、今回は探す手間が省けたと考えて、許してあげますけど」
少女は口を尖らせて愚痴を言った。
「それより、記憶のことについてですけれど、作業自体はすぐに終わります。少し感覚が変わるかもしれませんが、まあ追々慣れていってください」
少女は立ち上がり、「行きますよ」と言うと、僕の頭を両手でがっしりとつかみ、瞳孔に穴をあけるかのように、僕の目を凝視した。そして、同様の行為をもう一人にもすると、疲れたように元の椅子に戻った。
「どうです、気分は変わりました?」
言われてみると、何となく肩の荷が下りたような、頭が軽くなったような気がする。まるで余分な情報を整理したように。
「お二人の脳を、キカイたちの共有脳に接続しました。今までの歴史やらは、そこを参照してください。それと、お二人の脳のコードから、右の男性は『柔和』、左にお座りの女性は『冷淡』の人格をお持ちだと判断されました。人格名から自由にお名前はお決めください」
柔和。改めて言われると、なんだか自分がそうであるという実感はわかない。
「ならば、レイで構いません。それぐらいが呼びやすいでしょうし、実用性があります」
「じゃあ、ニュウっていうのも言いづらいだろうから、僕はユウでいいかな」
僕たちがそういうと、少女はにっこりと満面で笑った。
「はい! とてもお似合いだと思います。私は、スモモです。これからよろしくお願いいたします。そういえば、ユウさんの脳、
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