第36話 バニー姿でおはよう――ママの優しさが詰まった朝の魔法

雫の奮闘 ~味噌汁編~


朝から母・なゆたが繰り出した「汁なし味噌汁」の衝撃は、まだ頭から離れない。

仕方なくキッチンに立ち、私は出汁を取る作業に取りかかる。


「もう、朝ごはんくらいちゃんと作ってよね…。」


ため息をつく私に、なゆたは天真爛漫な笑顔でこう返してくる。


「え~、でも雫ちゃんが作る味噌汁は特別おいしいから、お願いしたくなるんだもん♪」


そう言いながらテーブルに座り、足をブラブラさせている。


「それなら最初から作らせるつもりだったんじゃないでしょうね?」

「それもあるけど、今回は本当にアレが失敗すると思ってなかったの!だって豆腐がメインなら汁いらないかな~って思うでしょ?」

「普通は思わないよ!」


私は鍋をかき混ぜながら、思わず声を張り上げる。


朝ごはんの完成とギリギリの時間


なんとか完成した本物の味噌汁をテーブルに置くと、なゆたは目を輝かせて拍手した。


「わぁ~!さすが雫ちゃん!これこれ!この湯気が味噌汁の命だよね~!」

「最初からこれを望むなら、私に作らせるんじゃなくて自分でやってよ。」


私は呆れた声を出しながら時計を見る。


「ほら、あと10分で仕事なんでしょ?早く準備して!」


なゆたは味噌汁をすすりながら、突然ぽつりとつぶやいた。


なゆたの爆弾発言


「ねぇ、雫ちゃん。」

「何?」

「私、雫ちゃんに弟ができた気がするんだよね。」

「……は?」


私は手に持っていたお椀を置き、完全に動きを止める。振り返ると、なゆたは赤面しながらスプーンをくるくると回している。


「弟って何の話?」

「えへへ、ちょっと夢を見ちゃってさ~。赤ちゃんを抱っこしてたんだけど、それがね、とってもかわいい男の子だったのよ!」

「……だから?」

「その子が、私の子どもみたいな気がしてね。つまり雫ちゃんの弟になるのかな~って♪」


妄想とツッコミの嵐


「ちょっと待って!弟!?いやいや、お母さん、何言ってんの!?誰の子!?どういう仕組み!?」

私はパニックになりながら、一気にまくしたてる。


「そりゃ私の子どもってわけじゃないけど、例えばさ~天から降ってくるとか、異世界から迷い込んでくるとか、あるじゃない?」

「そんなファンタジー展開がリアルにあるわけないでしょ!」


なゆたは目を輝かせながら、さらに続ける。


「でももし本当に弟ができたら、雫ちゃんが面倒見てくれるよね?」

「何で私が!?第一、弟ってどうやって…!」


私が頭を抱えている間に、なゆたは楽しげに笑っている。


妄想は置いて仕事へ


「もういいよ!お母さん、仕事に行く時間でしょ?そんな妄想してないで準備しなよ!」


時計を指差すと、なゆたは慌てて立ち上がる。


「はーい!じゃあ、行ってきま~す!」


バタバタと準備をする母の背中を見送りながら、私はため息をつく。


「弟ねぇ…。そんなことあるわけないよね。」


そうつぶやいた瞬間、ふと胸の中に「もしそんなことが起きたら」という漠然とした不安がよぎった。


なゆたの妄想劇は続く


なゆたが出かけた後、私はソファに座り込んだ。今朝の喧騒が嘘のように静かなリビング。


「……また変なこと考え始めるから、つい振り回されるんだよね。」


それでも、不思議と嫌な気持ちはしない。


「まったく、お母さんって本当に自由なんだから。」


小さく笑いながら、私は残っていた味噌汁をすすった。


こんな日常がずっと続いていくような気がして、どこかホッとする。だけど――


「弟かぁ…。まぁ、ありえないか。」


そう呟いたものの、なゆたの妄想がどこか現実味を帯びる日が来るのかもしれない――。


そんな淡い予感が、私の心に一滴のしずくを落としていった。


星乃雫の心の傷――「不登校」の始まり


雫は2年前の嫌な記憶をふと思い出してしまった。それは、彼女の人生が一変するきっかけとなった出来事だった。


裏切りの始まり


中学2年のある日、雫は教室の片隅で、一番仲が良かったはずの友達、マリナから信じられない一言を浴びせられた。


「あんたの目、気持ち悪い。」


雫の左目は青、右目は緑のオッドアイ。これまでマリナはその瞳を「きれいだね」と褒めてくれていた。だからこそ、その言葉は雫にとって信じられない裏切りだった。


その日を境に、雫の周囲は冷たく変わっていった。マリナの取り巻きたちは彼女に目を向けなくなり、さらに素行の悪い男子たちが雫に嫌がらせを始める。


孤立と信頼の崩壊


それでも雫は、「きっと何か理由がある」と自分に言い聞かせ、マリナの本心は違うと信じていた。だが、その希望もある日、音を立てて崩れ去った。


学校帰りの道で、数人の不良たちが彼女の前に立ちはだかった。


「そこのブス、止まれ。」

「お前、逃げられると思ってんのか?」


雫は怖くなって走り出したが、すぐに追いつかれ、肩をつかまれて地面に押し倒される。


「服、脱がしてやろうぜ。でも、ぺったんこだし、つよし、お前にやるよ。」

「ふざけんな!こんなやつ無理だわ!」


冷たい笑い声が耳元で響く。つよしと呼ばれた男子が、雫のスカートをめくり上げようとした瞬間、彼女は恐怖のあまり体が震え、言葉が喉に詰まる。そして――耐えきれず失禁してしまった。


「くっせえ!こいつ、漏らしやがった!」


親友の裏切り


嘲笑が響く中、現れたのはマリナだった。


「おい、まだやってないの?」


雫は涙ながらにマリナの名前を呼び、助けを求めた。


「マリナ、助けて…」


だが、返ってきたのは冷たい一瞥と言葉だった。


「馴れ馴れしく呼ばないで。お前の目、本当に気持ち悪いんだよ。」


その一言で、雫の体は硬直した。心を砕く最後の一撃だった。


絶望の果てに


「そいつの持ってるもん、なんだ?」


男子の一人が雫の手から写真を取り上げた。それは、父が生きていた頃の家族写真で、愛猫ミルクも一緒に写っている。雫にとって唯一の心の支えだった。


「これか、大事なもんだって?」

「ちょっと貸して。」


マリナは写真を手に取り、ライターで火をつけた。


「いや!それだけはやめて!」


だが、雫の叫びもむなしく、写真は赤く燃え上がり、跡形もなく消えてしまった。


「もういいだろ、行こうぜ。」

「マリナ、約束の家な!」


男子たちはマリナを連れて去っていった。


取り残された雫は、その場で崩れ落ちた。地面には燃え尽きた灰だけが残る。


不登校の日々の始まり


それ以来、雫は学校に行けなくなった。毎日部屋に閉じこもり、心を閉ざす日々が続いた。


母・星乃なゆたの視点


リビングでの星乃なゆたの表情は曇っていた。娘が学校に行かなくなった理由を何度も聞き出そうとしたが、雫は頑なに口を閉ざしたままだった。


「お母さんが何をしてあげればいいの…?」


なゆたは、娘が持ち続けていた家族写真の存在を知っていた。そして、ある日、それが消えていることに気づいた時、全てを悟った。


母の愛


「雫ちゃん、大丈夫だよ。」


小さな体で雫を抱きしめながら、なゆたは優しく彼女の背中をさすった。それでも、雫の瞳からは涙が止まらなかった。


星乃家の朝――母の思いと娘の日常


「お母さんはいつもそうだよね…。でも、無理しなくてもいいんだよ?」

私がそう言うと、なゆたは微笑みながら私の頭を優しく撫でた。


「無理なんかしてないわよ。私が笑ってると、雫ちゃんも少しでも楽しくなるかなって思うだけ。」


その言葉を聞いても、私は視線を落としたまま、ぼそりと呟いた。


「ミルクがいたら、お母さんも私も、もっと元気になれるのに…」


なゆたの仕事へ出発


そんなやり取りの後、なゆたは出勤の準備を始めた。バニーガールの衣装からスーツに着替える姿は、どこか忙しなさを感じさせながらも、どこか愛おしいものだった。


「じゃあ、行ってくるわね!今日は帰りが少し遅くなるけど、夕食には間に合うように頑張るから!」


「うん、行ってらっしゃい。」


なゆたは最後にもう一度振り返り、笑顔で手を振った。その小さな背中を見送りながら、私はリビングの片隅に飾られた家族三人と猫のミルクの写真に目をやった。


「ミルク…君がそばにいてくれたら、もっと頑張れるのに。」


写真の中のミルクは、どこか誇らしげに微笑んでいるようにも見えた。


雫の日常――オンライン授業の準備


時刻は朝の8時50分。私は自室に戻り、机の上にノートパソコンを開いた。


「今日は数学からだっけ…。Zoomのパスコードは…っと。」


ログイン画面を開き、入力作業を進める。通信教育を受けるようになってからもう半年。慣れてきたとはいえ、画面越しの授業にはやっぱり物足りなさを感じてしまう。


「今日の内容は関数の応用か…。分かる気がしない…。」


画面に映る先生の姿を眺めながら、小さくため息をついた。


「でも、お母さんが頑張ってるんだから、私も頑張らないと…だよね。」


そう言い聞かせるように呟く。視線を横に向けると、また目を引く家族写真が目に入った。ミルクの柔らかな毛並みと笑顔が、どこか私に安心感を与えてくれる。


「ありがとうね、ミルク。今日もよろしくね。」


静かな部屋の中、授業が始まるベルの音がパソコン越しに響いた。私は姿勢を正し、ノートを開いて授業に集中し始める。


その夜――思わぬカオスの予感


静かな朝が過ぎ、昼が過ぎ、夜へと続く。だが、その日の夜、私を待ち受けているカオスな状況のことなど、まだこの時の私は知る由もなかった――。

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