二章 うさちゃんとの思い出は重いで
朝五時。
これを「朝早い」か「いつもの時間」か「遅いくらい」と思うかは人それぞれだと思うが、クオリテッド班二人にとっては「帰りたい……」時間だった。
麗しい顔をげっそりやつれさせ、リロイは倒れこむようにミットレン行列車の座席に倒れこんだ。同じくその向かいの座席に腕を組んだまま座りこんだクルーガーの顔も濃い疲労が見て取れるのだが、こちらは陰が濃ければ濃いほど見るほうからしたら「恐い」につながる相貌をしているため、直視するのは憚られる。
昨日の朝8時からぶっ通しで働き続けた二人は、次の目的地ミットレンに向けて動き出した列車の揺れに身を任せた。本来ならば一度帰宅して、夕食をとって、風呂に入り短い睡眠の後に駅で待ち合わせる予定だったのだが。
「……暴れまわるぬいぐるみ型防犯装置って、誰が考えたんだろうな」
己の目の上に両手を乗せて天井を仰いだリロイが、ようやくポツリと呟く。
「……防犯としては正しく機能していただろう。おかげでひどい目にあったが」
こちらは腕組みしてうつむいたままで、クルーガーが絞り出すように言った。
「俺、もうヤだよ~……これから妹のぬいぐるみ、まともに見れねーよ~……」
「白いウサギの姿が余計な心的ダメージを与えてきたな……」
昨日、絶対に定時に帰宅しようとした二人は急遽事務方に呼び止められる。緊急の依頼が入ったからだ。
共働きの夫婦が、夜遅く一人眠っている幼い我が子を守るためにと、大枚をはたいて購入したのがフワフワの白いウサギの姿をしたぬいぐるみだった。寝る前に子供がぬいぐるみに向かって「守っていてね」と言うとスイッチが入り、いかなる危険からも子供を守る、という触れ込みで購入したのだ。そのおかげなのか、両親が遅くに帰宅する日があっても、その子はかすり傷一つ負うこともなく、朝までぐっすり眠っていたという。そもそも家庭内に暴漢が侵入するようなこともなかったわけだし、その子が眠るまではベビーシッターがやってきて面倒をみていたので問題が起こることもないわけなのだが、それでもわずかな時間を心配するのが親というものなのだろう。
ぬいぐるみの効果があるのかは分からないが、子供が安心した様子でぬいぐるみと眠るのを見て両親は「高かったけど購入してよかったね」と微笑みあったという。
ただ、昨日はその子が、子供会でキャンプに行く予定だった。
キャンプには勿論指定されたものしか持参できない。三日後のその子の帰りまで、ぬいぐるみはその子のベッドの上で待つこととなったのだ。両親に準備を手伝ってもらい、指定された集合場所まで出発する前に、その子は大好きなうさちゃんに「あたしがいないあいだ、お家を守っていてね」と声掛けしてから出発した。かわいい挨拶である。
ただ。
それが悲劇の始まりだった。
子供を指定の場所まで送り届けた両親が「初めてのお泊りだね」「なんだか寂しいね」としんみり会話しながら家のドアを開けると。
可愛いうさちゃんが、包丁を投げてきたのである。
すんでのところで包丁をかわしたものの、うさちゃんはその造形に相応しくないアクロバティックな動きで二人に突進してきた。慌てて扉を閉じて両親はひとまず最寄りの警察に連絡。駆け付けた警官が屋内に入ったところ、七針縫う裂傷を負わされ、更に三名援護に駆け付けたものの皆全治2週間以上の怪我をうさちゃんから受けることとなる。
こらダメだ教会に連絡だ~、となったのが午後五時。
そしてやってきたクオリテッド班は、守る対象が「こども」ではなく「家」となった為に「侵入者」を排除しようと暴れまくるうさちゃんを、どうにか取り押さえるために格闘したのだった。
うさちゃんは強敵だった。
障害物の多い屋内で、サイズの小さなうさちゃんは見つけにくく、更には先述した通りにアクロバティックな動きで翻弄してくる。前回の仕事の失敗(倉庫破壊)がある二人は、とにかく被害は最小限にと頑張った。
「娘の大好きなうさちゃんなんです、どうか、どうか壊さないで」
という優しい両親の無茶なお願いも相まって、おかげで肉体も精神も酷使し、最終的にクルーガーがどうにかうさちゃんを捕まえて、リロイが強制命令解除の術を使って止まらせたのだ。その時は既に夜中の一時を回っていたが、そこから現場検証と片付け、報告書、うさちゃんの分析を研究班の窓口まで申し出たところでタイムアップとなったわけである。もう帰ることも、風呂に入ることもできず、どうにか食堂が残しておいてくれた軽食をかっこんだところで駅に向かって今に至る。
「……ぬいぐるみは明日調整の後に家に戻されるから良かったじゃないか。子供は何も知らずにまたぬいぐるみと眠れるんだからな……」
うつむいたままクルーガーが言うと、仰いだ姿のままリロイも頷く。
「……まあ結果オーライだわなぁ……調整されたら今回みたいなことは無くなるし」
「防犯としては効果があることはわかったが、業者側には行政処分がなされることだろうな……」
うさちゃんを販売している会社は大手魔導具メーカーの一つである。だがそうしたノウハウを熟知しているはずの会社が作る魔導具においても、昨今ではこうしたトラブルが絶えない。それというのも、魔導具を発案、設計、開発するものの中には魔術にそれほど詳しくない者が増えてきているからだそうだ。
通常ならば配合を憚られる物質を「効果が高くなるから」というだけでかけ合わせたり、適切な制御魔法をかけないままくみ上げたりと、魔術を知る者からしたらまずしない数々の失敗が昨今の暴発や不良品へとつながっている。
だが、大戦を終えて二十数年。経済成長期の真っただ中の現在において、そうした法整備はいまだ確立されておらず、同時に新しい物を作り上げ、それをもって新しい暮らしを求める世間の波に押されるようにして不良品の魔導具は年々数を増やしていっていた。
そうした魔導具の処理をかって出たのが、大戦以前から巨大な勢力を誇示するカーロン教会である。
女神カーロンの教えの通り、教会は困っている人々を国、性別、年齢関係なく救済していく。また他宗教では悪とされることも多い魔術に対しても、はるか昔から許容していたこともあって、そのため教会で勤める魔術師は多い。ゆえに、行政だけでは立ち向かえない魔導具や魔物といった「魔」が付くそれぞれに対して、カーロン教は慈善として無償で対応しているわけだ。私営の魔術団体も勿論存在はするわけだが、カーロン教以上に魔術関係の物に対応「できる」私設団体は少なかった。
人のトラブルは警察へ、魔のトラブルはカーロン教へ。
それが大戦後に広まった市民の一般常識である。
そして、そのカーロン教に所属する人々は、熱心な信者もいれば、己の立場故にそこしか所属できない者も多くいた。
リロイとクルーガーはまさに後者だ。
「……豪華海鮮料理が食べたい……ミットランでは、ワインもつけて、豪華な食事が食べたい……」
ブツブツ呟くリロイに、向かいの席に座るクルーガーは何も言わず目を閉じたままだ。疲れすぎてもう話す気力もわいてこない。これから四時間列車に揺られてミットランに到着したら、そこからまた別の列車に乗り換えて、一昨日の件に関係する「祖母」に会わなければならない。
「エビ食べたいな……あと、でっかい蟹も食べたい……ワインと……」
リロイの声はだんだん小さくなり、最後の方は寝息へと変わっていた。
ちらりと片目を開けて相棒の顔を盗み見たら、だらりと手が落ちて、神話の登場人物のような顔があらわになっていた。列車の中でたまたま居合わせるにしては、美しすぎる寝顔だ。あとで乗ってくる他の乗客の迷惑になると思い、クルーガーはその顔に無言で懐から取り出したタオルをかけた。顔にタオルをかけて一種異様な雰囲気は助長されたのだが、クルーガーは気にしない。
カーロン教に流れ着いて、そろそろ二年。
行く当てのない者をすべて受け入れるのが、女神カーロンの教えだと聞いているが、日々はなかなかに厳しい。人づきあいが苦手な自分が、こんなにも一般市民と会話して、時には助言する側になるとは思ってもみなかった。だが、文句は言っていられない。
行く当ては、もう、ほかにないのだから。
少しでも物事を円滑に進めるため、クルーガーは改めて目を閉じた。列車の揺れに添うように、緩やかな眠りが次第に体をとらえ始める。到着する頃には、体力もある程度回復していることだろう。
孫の嫁にだけ渡した結婚指輪の意味。
守るためだと話して渡したらしいが、それはいったい何から?
包丁をふり回して家を守ろうとしたうさちゃんと、静かな指輪の持ち主とを思い出して、クルーガーは共通点を探そうとしたが、その意識は次第に深い眠りへと落ちていった。
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