一章 誰が為に火は噴きだす
三丁目、といっても都市イースティンはかなりの区画でわかれているため、三丁目と形容される場所はそれこそ星の数ほど存在する。いや、実際はそこまで多くはないのだが、全部の区画名を言える者は、イースティン広しといえどもそう多くはない。
クオリテッド班の二人が向かったのは、若い家族層が比較的多く住む、静かで、新しい区画の三丁目だった。昼を少し過ぎた頃、学校から帰る子供たちの笑い声が聞こえる路地の中のアパートの前で、明らかにその景観には不釣り合いな黒いカソック姿の二人は、今回連絡を送ってきた「被害者」とされる夫婦二人の話を聞いていた。
「……ここまでのお話をまとめると、二人で寝ていたら突然奥さんの指輪が火を噴いた、と?」
「ですです。そうです」
リロイから聞き返されて、線の細い夫の方がコクコクと頷く。不自然におろした前髪で表情は見えにくいが、そこまで疲れている様子ではない。対照的にその横に立つ妻は何も言わず、時折ちらりとリロイの方を見てはすぐに目を伏せる。
彼女の左手の薬指には、透明な石のはまった指輪がはめられていた。
この指輪が昨夜、突然火を噴いたらしい。
「幸い二人とも怪我はありませんでしたが、この通り……」
「ああ、大変だ」
言うなり、夫はさっと己の前髪を持ち上げた。途中から焼け落ちた右側の眉毛があらわになり、リロイはさして気持ちのこもらぬ声で同情した。
しかし、これだけ見事に眉毛を燃やしているのに、顔にやけどが無いのはおかしい。
つまりこれは。
「あー……石から魔力の反応がありますねぇ。ここから火が噴いたのは確かに間違いなさそうだ」
「そんな、遠目から見てもわかるものなんですか…?」
そこで妻の方が初めて口を開いた。沈んだ声はそのまま心の内を表しているかのようだ。疲れた具合は声だけでなく、顔色も悪い。それに気づかぬふりをして、リロイは努めて明るい声をだした。
「魔導製品を鑑定するのも我々の仕事の一つなので。ですがもう少し詳しく拝見したいので、申し訳ありませんが少しお借りしても構わないでしょうか?」
「……ええ、どうぞ」
そういうと妻は指輪を外してリロイに手渡した。指輪の取れた薬指には、それと同じ形の日焼けの跡がある。日頃から外すことはないのだろう。
「あなたはしていないのですか?」
それまで黙っていた黒髪の男、クルーガーに唐突に話しかけられ、夫がビクッと肩を揺らした。一瞬何を言っているのかわからないような表情をしていたが、
「あ、指輪」
と気が付いて、困ったように笑って見せる。
「お揃いのを購入しようと話していたのに、僕の祖母がお守りだから、先祖代々嫁を守るものだからって渡してきたんですよね。嫁の分だけだから、僕の分はないんです」
「……なるほど」
リロイが渡された指輪を陽にかざすのを横目で見ながら、クルーガーは曖昧にうなずく。妻の方も陽に照らされる指輪を見上げるようにしていたが、その目は金髪の青年の横顔を眺めていた。まぶしいような表情は、本当に陽の光のせいなのか。
「……あの」
「なにか?」
話しかけられて、クルーガーは視線を夫に戻す。少し戸惑ったような顔をして、彼は妻とリロイから背を向けるように促すと、小さな声でクルーガーに問いかけた。
「お連れさん……人間なんですか?」
ちらりと背後のリロイを見て呟く。突然すぎる物言いではあるが、実はこうした質問は、クルーガーは初めてではない。そろそろ来る頃だろうと思っていたくらいだ。なのでいつもと変わらぬ不愛想な調子で答える。
「人間です。ただ、魔術に精通しています」
「あの…魔術に精通している人って、みんなあんな感じなんですか?」
「あんな感じというのは?」
「その……人間離れしているというか……綺麗すぎるというか……」
褒めるというよりも畏怖のこもった口調で、夫がたずねてくる。
言われてクルーガーも、見慣れた相棒の顔をちらりと見てから
「個性だと思います。教会に務める魔術関係者はみんな普通ですよ」
「はぁ、そうですか……それにしても、ほんと、絵の中から出てきたみたいな綺麗な人ですね……」
人間と聞いて安心したのか、同性ではあるのに夫から発せられた声はほれぼれとした様子に変化する。そんな様子に、クルーガーは心の中で大きくため息をついた。
相棒のリロイ・ロイロードという青年は、魔術や魔法に精通している。だがその特性や性格を知られるよりも先に、人々が注目するのはその容姿だった。
金糸の髪に、緑青色の瞳も目を惹くが、それ以上に顔の作りがおかしい。眉や目の形がスッとしていたり、鼻筋が通っていたりは勿論なのだが、それらのバランスが整いすぎている。何も言わずに立っていたら確かに絵の中から出てきた聖人や、どこかに存在しているといわれる「エルフ」という種族ではないかと錯覚を覚えるのも頷けるというものなのだが、相棒の普段の行動を見ているクルーガーとしては、その美貌はもはや評価に値しないものとなっていた。
その美貌の人が振り返り
「クルー、ちょっとこれ」
と指輪を持って小走りに駆け寄ってくる。小さな指輪を無言で手渡され、クルーガーは目を閉じて指輪に顔を近づけた。
「……あの、お連れさん、なにしてるんですか?」
手のひらにのせた指輪に顔を近づけたまま動かないクルーガーを見て、リロイの背後から妻の方が控えめな声で問いかける。リロイは相棒の集中を欠かないよう、彼から顔を背けて小さな声で答えた。
「においを嗅いでいます」
「え! やだ……!」
「すみません、語弊がありましたね。指輪についたにおいというわけではありませんよ」
確かに長身巨躯の男が、先ほどまで身に着けていた物のにおいを嗅いでいるといったら変態にしか思えない。
「彼の鼻はとても良くて、その成分までも嗅ぎ分けることが出来るのですよ。魔導具には特有の材料が使われています。その成分を嗅ぎ分けることによって、何が原因で今回のような暴発を起こしたのか、探るためのきっかけを掴むことができるのです」
「……暴発?」
リロイの言葉に、妻は不審そうに聞き返した。更に顔が白くなった彼女に、リロイは通称「天使の笑顔」で微笑みかけた。
「そう、暴発です」
だがこれで分かった。
やはり、偶然ではなかったか。
「リロイ」
相棒の声にリロイは振り返った。クルーガーはいつもと同じ不愛想な表情のまま呟く。
「ヤシㇲとヤンメーラの臭いだ」
「なるほどなるほど……それじゃ一度確認しないとな」
「あの……確認とはなにを?」
二人のやり取りに今度は夫の方が不安そうな声をだす。リロイは変わらぬ笑顔のままで彼に向き直った。
「今回の暴発の原因物質が分かりました。ただ、それが地域による湿度や温度の差異によっておこるものなのか、それ以外が原因なのか現状ではわかりかねるので、お手数ですが指輪を贈ってくださった貴方のおばあ様に一度お会いさせてもらえませんか?」
「祖母に……ですか?」
「先祖代々伝わる品だとお聞きしています。この指輪もご家族と一緒に様々な場所を移動してきたことでしょう。その間に中に込められた魔力成分と指輪を構築する成分とに不具合が生じることが稀にあります。そうしたことを照らし合わせるのに、長く保有してらしたおばあ様のお話を直接お聞きしたいのですが」
「そういうことでしたら……」
理由を聞いて夫は少し安心したようにうなずいた。
「ご迷惑が掛からないよう、事前に教会本部からも訪問のご連絡をさしあげますが、念の為お孫さんであるあなたの方からもおばあ様にご連絡をお願いいたします」
リロイの営業スマイルにすっかり心を許したのか、夫の方は家の中に戻り早速電話で例の祖母へと連絡をつけ始める。すぐに連絡ができるというところを見ると、普段から家族間で仲は良いようだ。開け放された扉の奥から「おばあちゃん、久しぶり? 今ちょっといいかな?」と夫の声が聞こえ始めた。
その間、アパートの入口で待たされている三人だったが、クルーガーは横にいた妻の方へ声をかける。
「……どうぞ中に戻ってください。申し訳ありませんが、指輪は解決するまでお預かりさせていただきますが」
「ええ、でも……」
教会の関係者とはいえ、客人を外に残したままにするのは気が引けるらしい。家の中から聞こえる声は、どうやら世間話も交えているようでまだ終わりそうになかった。
そこでクルーガーは、静かにカソックの内ポケットから用紙を二枚取り出して、妻に差し出した。突然目の前に出された用紙に驚いた様子だったが、そこに書かれた文字を読んだのだろう、妻は驚いた様子でクルーガーを見上げる。
「女医のいる婦人科系病院の連絡先です。顔は怖いですが、とても優しい先生で、必ずあなたの助けになってくれるはずです」
「……っ」
妻の喉から息をのむ音が聞こえた。
その声にリロイは何事かと眉をしかめたが、相棒が出来るだけ穏やかな声を出そうとしているのに気が付いて、口をはさむのをやめた。
クルーガーは、固まっている妻へ更に静かな声で話しかけた。
「もう一枚は、教会の婦人会が作っているお守りです。寝る前に五度、逆さに読んで枕の下に敷いてください。そうすると意に添わぬことから身を守ってくれるそうです。あくまでお守りなので、確実とは言えませんが」
「あ、怖いもんじゃないですよ。やる気をなくさせる妖精を呼ぶためのおまじないなんで。その空間でしか効果ないし、それで死ぬこともありません」
今度こそ黙り込んだ妻に向かって、横から慌ててリロイが付け加える。その言葉に少し安心したのか、これまで張りつめていた妻の表情が瞬間的に和らいだのを、クルーガーは見逃さなかった。
「悪意があって渡された指輪でないのは我々も理解しています」
手の中にある小さな指輪の感触を確かめながら、クルーガーは続ける。
「ただ時と場合によって、予想もしない被害を及ぼすことがあるのが魔導具です。おばあ様がどこからこれを手に入れたのか、そうした経緯も確認しないと、何も知らないほかの人々が傷つくこともある。それを未然に防ぐために我々がいるのです」
「……わたし、こんなことになるって思ってなかったんです」
渡された用紙を握りしめながら、妻は声を震わせた。うつむいたため表情は見えないが、その顔は更に青ざめていることだろう。
「ただ……ただ……いやだったから……」
「オレの妻もそうでした」
クルーガーは彼女の上からそう言った。できるだけリロイの真似をして軽い口調を志したものの、あまり上手くいかなかったようだが。
「ただオレの妻は気が強いので、はっきり嫌だといった後に、更に椅子まで投げてきました」
「……まじかよ」
後ろで聞いていたリロイが少し怖そうに聞いてきたので「まじだ」とクルーガーはうなずく。「ついでに総重量12キロのロッキングチェアだった」と付け加える。
それを聞いて、うつむいていた妻が初めて吹きだした。
「すごい、奥さんですね……」
見上げた顔はまだ白いし、その目にはまだ涙の跡が残っていたが、表情には少し陽が差して見える。これが普段の、健康な時の彼女の本当の顔なのだろう。クルーガーは唇の端を軽く持ちあげる。それが彼なりの精いっぱいの笑顔であることをリロイは知っている。
「もうすぐ旦那さんが戻ってこられます。あとは彼に任せて、今日はもう横になっていてください」
「……なんでも分かるのですね?」
少し恥ずかしそうに、困ったように笑った妻の方に、リロイは横からニカッといつもの彼らしい笑顔を見せた。
「まぁ、魔導具なんて怪しいモノに対応してますから」
そこで家の中から夫が「祖母と連絡とれました~」と明るい声で戻ってきた。
見送る若い夫婦に笑顔で手を振り終えてから、リロイは改めて教えられた住所に目をやると「おっ」と嬉しそうな声をだした。
「おばあちゃん住んでるところって、ミットレンか。あそこは魚が旨いっていうから、楽しみだな」
「約束は明後日か。ずいぶん早くに約束できたものだな」
夫婦二人がアパートの部屋に入ったのを見てから、クルーガーはカソックから時刻表と地図を出す。歩きながら時間と場所を確認し、大体の出発時刻を計算し始めた。
「これは、祖母のほうは遅かれ早かれこういった事態になることが分かっていた様子だな」
「先祖代々というにはなぁ。使っている魔導成分がここ十年の間にできたもんなんだもんなぁ。わざわざ買って持たせたのが丸わかりだよなぁ」
「石自体はどうなんだ? あれも新しいものなのか?」
自分もカソックから取り出した本を同じように歩きながら確認するリロイに、クルーガーは聞いた。だが瞬時に眉をしかめる。リロイの読んでいる書籍のタイトルが「ここが東部のうまい店!」とデカデカ書かれたガイドブックだったからだ。だが当のリロイは相棒の非難がましい視線にはまったく気づかず、首を横に振った。
「石自体は古い魔石で出来ていた。しっかり制御されているから、本人の感情による命令がない限りは暴発することはないな。まぁ火が噴く術自体は新しい紋印だったから、完全に後付けだったけど」
「だとすると、やはり彼女自身が望んで発動させたのか」
「自発的でなかったにしても、結果としてはそうだな」
違うポケットから預かってきた指輪を取り出して、リロイは目の前に掲げて見せた。
なんの変哲もない結婚指輪だ。
シンプルな造形をみて、これが夫の眉毛を燃やした原因であるとは誰も思わないだろう。
「彼女は生理中だ」
唐突にクルーガーがそう言ったので、リロイは驚いて足を止めた。それに伴ってクルーガーも立ちどまる。嫌そうにこちらを見る相棒をにらんで
「においで分かるのは仕方ないが、それよりもあの様子だ。明らかに生理痛の様子だっただろうが」
「……だろうが、って言われても、俺はまだよく分かんねぇよ。男兄弟ばかりだし、妹はまだ小さいし……」
ゴニョゴニョ呟くリロイに、クルーガーは「オレも妻と出会うまでは知らなかった」と言い放つ。
「かなり辛そうだった。生理痛というのは生理がきたからなるというものではなく、その何日も前から症状が現れるそうだ。人それぞれ痛みや吐き気など症状も対応も異なるらしいな」
「え!? それじゃあの旦那は、そんな状態の奥さんにおさかんに挑もうとしてたのかよ!?」
「そのようだ」
言ってから、クルーガーは眉間の皺をグッと深めた。
「女房の体のしんどさも分かりもせずに、自分がしたいからというだけで体を求めてくる旦那は、オレが彼女と同じ立場でも燃やしてやりたいと思う」
「うわぁ~……俺なら魔術で相手の頭を吹き飛ばしちゃってるかもなぁ……」
己がうっかり加害者になっている場面を想像して、リロイはげんなりした声をだす。しかしすぐにハッとして、クルーガーの顔を覗き込んできた。
「さっき椅子投げられたって言ったけど、クルー自身もそんなことしたのかよ? 生理痛の奥さんに? いどもうと?」
「……昔の話だ」
己の失敗を思い出したくないのか、クルーガーは渋い表情で目を閉じる。
「だが、あの時は本当に妻に殺されかけた。生理中というのはホルモンバランスのせいもあって、普段よりも感情的になるらしい。それで今回の場合も指輪が発動したんだろう」
「なんにせよ、奥さん一人が悪いわけじゃないよなぁ」
手の中の指輪をしげしげと眺めながら、リロイはため息をついた。
魔導具は確かに便利だ。
そして体力、腕力、経済力と様々な点で弱者となり得る人々を等しく守護する力を持ち合わせている。ただ、その扱いを間違えたら、その力は簡単に相手を「崩壊」させるものに成り下がる。
「おばあちゃんはなんでこれを、孫の嫁さんに渡したのかねぇ……」
「知らん。だが、純粋な気持ちがあっても、一歩間違えたら孫が死ぬことだってあり得たわけだ」
「確かにな。とりえあずおばあちゃんに会って、どこでこれを購入したか確認しないとな。あの成分は併合したら違法だって、知らない業者も多いみたいだし」
二人は再び歩き出しながらため息を吐いた。
「明後日は何時の便で出るんだよ?」
「……朝5時38分だ」
「まじかよ~。前の日から泊りじゃダメなのかよ~」
「そんな費用は、教会にはない」
「まじかよ~。給料もあがらないし、出張前の日も夜まで仕事だし、早朝に出発なんてやってらんねーよ~……」
不満を口にしまくるリロイだったが、その時これまたハッと何か思い出したように、隣を歩くクルーガーに詰め寄った。
「そういや、精力減退のお守りなんてよく持ち歩いてたな? あれ、この前婦人会のおばちゃん達に性犯罪防止運動で持たされたやつだろ?」
「しかも無理やり参加させられて、オレが作ったやつだ……」
「……なおさら、なんで持ち歩いてんだよ」
「じゃあ教えてくれ。あんなお守り、どうやって捨てたらいいんだ? 燃やすのか? 燃やしていいのか?」
「……今度、おばちゃん達に聞いてみる」
こうして、ただでさえ見た目が目立つ男二人は、盛大にため息を吐いてから、次の現場に向かうのだった。
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