クオリテッド!

みなかみもと

序章

 時計の秒針が耳障りに感じる。

 ということは、今の自分はさして集中できていない状態なのだろうと認識しながらも、目の前にある白い用紙を眺めながら、リロイはボンヤリと指に挟んだペンを振ってみた。

 ペン自体は固いはずなのに、振るとミョンミョン動いて見える。

 不思議だ。

「それ言うなら、手から光線出しているお前の方が奇天烈だ」

と自分の相棒は言うわけだが、それはホラ、魔術とか魔法とかそういうのは、そういうものだからとしか言いようがない。そもそも光線が出ているわけではないのだ。光線なんか出ていたら、それこそ人間ではないではないか。

 自分は人間であるからして、それも幼少の頃からたまたま魔術やら魔法やらという「ちょっと不思議」が身近にある存在であったからして、ついでにその「ちょっと不思議」がいうなれば野球投手のフォークとかカーブとかくらいのものであるからして、それなりの素質と鍛錬があれば決して不思議ではないということを、以前相棒に何度か解説したわけなのだが、生真面目が服を着て歩いているような相棒は

「不思議とは言っていない。奇天烈だといったんだ」

と言ってきた。

 いや、それをいうならば、平気で相手を殴ったり蹴ったりできる相棒の方が、自分からしたら奇天烈だと、リロイはミョンミョンしたペンを眺めながら思うのだった。

そもそも俺は、何かを傷つけるのも、それこそ物を壊すのも嫌な、根っからの平和主義だというのに。

 それなのになんだこの紙は。

 目の前の白紙の、否、実際は左上に薄くその存在理由を明記されている紙をにらんで、リロイは形の良い口をへの字に曲げた。

 左上に書かれた薄い文字にはこう書かれている。

 始末書、と。

「ちょっと出したやつで物が壊れたからって、わざわざ紙一枚書かせるってなんだよなぁ? こんな事させてる間に、ほかの溜まっている仕事を片付けさせた方が、絶対に能率的だと思うけどなぁ?」

 始末書(白紙)をにらみつけながら、リロイはペンを動かすのをやめ、ため息をつく。

 今月に入って、もうこれで四枚目である。

 そもそも文才がない自分に対して、白紙から書き進めろというのは罰でしかない。

 ああ、そうか。

 これはいやがらせなのか。

 上層部からのいやがらせなのだな。

 そもそもちょっとした破損でこれだけの用紙を埋め尽くせというのは、いやがらせとしか言いようがないではないか。

「これは……ハラスメント委員会へ報告だな。不当だ。俺は断固として職場におけるいやがらせに屈しないぞ!」

「何を言っている、この痴れ者が」

 低い声が響いたと同時に部屋の扉が開いた。埃っぽい執務室の中に瞬間、外気が入り込む。その扉を後ろ手に閉めたのは、長身体躯の黒髪の青年だ。精悍な顔つきをしているのだが、それよりも眉間の皺と鋭すぎる眼光により「怖い」が先にきてしまうその青年は、リロイいわく「生真面目が服を着ている」ような相棒である。

「クルーガー? あれ? お前仕事は?」

 リロイの問いかけに、クルーガーの眉間の皺は更に深くなった。

「終わった。その後、報告書も提出した。次の現場に向かう時間になっても、まだお前が来ないから、もしやと思ってやってきたら、本当に……」

 そう言って、金色の瞳が白紙の始末書をぎろりと射貫く。

「お前は朝から何をやっていたんだ? なぜ一行も書けていない?」

「やだ、クルー、怖い」

 言葉としては単純明快なのに、言っている相手から出された怒りのオーラにリロイは震える。その相手、クルーガーは、可視化できそうなほどの怒りを纏いながら更に続ける。

「簡単な話だろうが。昨日、現場で暴走した猫型ネズミ捕り機を停止させるのに魔術を使い、そのままネズミ捕り機ごと倉庫を破壊したと書けばいいだけだろう」

「ごとって言うなよな。破壊したのはネズミ捕り機だけ」

「その破壊した猫型ネズミ捕り機が魔術で遥か後方に吹っ飛んで、倉庫の支柱を三本破壊。そのため老朽化していた倉庫が崩落。ケガ人は出なかったものの、オレが朝からずっといなかったのはその倉庫の片づけをしていたからだということを、よもや忘れたわけではあるまいな?」

「よもや、とか、あるまいなって、言い方古風だよなクルー。

 今読んでるのって、中世文学書だっけ?」

「黙れ痴れ者が」

 穏やかではない物言い以上に、穏やかではない空気をまとってクルーガーは座っているリロイの眉間を、静かに指でさした。触れてもいない指の先からキリキリした鋭い何かが発せられているようで、リロイの喉がおもわずゴクリとなる。

「お前の手が止まるたびに、わけのわからん商品をつかまされた人々を助ける時間も止まるんだ。そのことを思い出せ」

「で、でもさぁ。お前が報告書をだしたら、俺は別に始末書なんて書かなくていいんじゃねーの? 完璧な報告書を読んだら何が起こったかなんてわかるじゃねーかよ」

「始末書とは、業務などにおいて過失や規定違反を犯した者が、事実関係を明らかにするとともに謝罪し、再発させないことを誓約するための書類だ。そして、給料を引くための大事なものでもある」

「いーやーだー! 自分を不利に陥れるための書類をなんで書かなきゃならねーんだよ!」

 己の金髪をぐしゃぐしゃ搔きむしって悶えるリロイに対して、クルーガーはふぅと溜息を吐いて、つぶやいた。

「真面目に仕事をして、給料の底上げをしたら、マイナス分なんてすぐに補填されるだろう」

「それだ」

 瞬間、リロイは真顔に戻って背筋を伸ばすとサラサラとペンを持つ手を紙に走らせる。その早い事早い事……。その様子を半眼になりながら横に立ってクルーガーは見ていた。

 リロイというのは本当によくわからないやつである。クルーガー自身はまったく魔術は使えないのだが、リロイはそうした目に見えないはずの力を手足の一部のように使えるだけでなく、その気になれば大抵のことは短時間に完遂してしまう能力の高さもある。それなのに、この気持ちの揺らぎと仕事の遅さよ……。二人一組以上で行動するよう義務付けられているこの部署においては、過去に何度となくパートナーの交代を余儀なくされたそうだが、確かにこれだけ怠惰だと仕事を共にするのはつらかろうな、とか勝手なことまで思ってしまうわけである。

「できました」

 なぜか敬語でそういって、リロイは書き上げた始末書をクルーガーに手渡した。用紙に目を走らせる。字は達筆。内容も理路整然とわかりやすく、謝罪の言葉も丁寧だ。

 これが8分で書けるというのならば、午前中の四時間は何に使っていたのか?

 埃と木材の山を一人撤去してきたオレの四時間を返せこの野郎。

「じゃあ早速次の仕事に行きましょう! 行きましょう! そして失った俺の信用を取り戻す! そして失いかけている俺の給料を取り戻すんだ!」

 言うなり、いそいそと上着をひっかけてたちあがる金髪の相棒の背中を後ろから蹴り上げたい衝動に駆られたが、クルーガーはグッと我慢した。己の給料が失いかけているという事実は理解しているのだから、それで御の字としておこうではないか。

「ほらいくぞ。次は三丁目の新婚夫婦の家だ」

とクルーガーは相棒を扉の外にうながす。

 しかし「新婚夫婦」という単語に、二十二年恋人のいたことがないリロイが、また目くじらをたてた。

「新婚夫婦なんて、うっかり偽商品かまされて苦しんでいたらいいんだ!」

「だから、実際に偽商品を買わされて苦しんでいるんだろうが。ほら、早くいくぞ」

 まだ何か言いたそうな相棒を外に促し、クルーガー達は執務室から外に出た。

 古い執務室の扉の横には、そこだけ新しい表札がかかっている。

 

 魔導製品対策処理室「クオリテッド」班


 はじめについている魔導製品対策処理室の略称なのかどうかは知らないが、クルーガーがこのクオリテッド班に配属されてそろそろ半年になろうとしていた。仕事は山積み。相棒は適当。だが、今の自分の居場所はここしかない。

 そんなわけで、本日もクルーガー・バーズの眉間の皺は、実年齢二十二歳と相反して、また深くなるばかりである。

 ついでに給料は、減給されても上がることはほとんどない。

 どこかに訴えたら状況は改善するのだろうか。

 いや、そもそも相棒がもう少し真面目に働いてくれたら、それで心労は減りそうなものなのだが。

 そこでクルーガーは考えるのをやめる。

 どうせ今回の仕事内容も「穏やかな報告」とかけ離れた厄介なものに違いない。無駄な考えを持って現場に向かうと、怪我しかねない状況に変わりないだろう。

 午前中に報告を受けたのは「結婚指輪が火を噴いた」だったが。

 どうして指輪から火が噴くのか。これだから、魔法とか魔術とか魔導とかいうのは訳が分からない。

 

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