引っ越しする家族

 我が家は定期的に引っ越しをしており、今日は新しい家を下見しに行く日。俺は、仮病を使う事にした。

 なぜならこの時にしかできない事があるからだ。引っ越しをして新しい自分になる前に、やり遂げなければならない。


「お兄ちゃん、大丈夫?」

「あー凛子か。悪い。ちょっと風邪っぽい」

「えー? 今日お出かけなのに、行けるの?」

 俺の身体よりも出かけられるかどうかの方が凛子にとっては大切らしい。次がどんな家なのか気になっているからだろう。口を歪めて不機嫌な表情を見せていた。

「んー。ちょっと無理かも。俺は寝てるから、みんなで行ってきてよ」

「えー? お兄ちゃんがいないと大変なのに?」

「仕方ないだろ」

「うーん、わかった。お母さんに言ってくる」


 凛子が部屋を出て行った数分後、母親を連れて戻ってきた。母親を連れて来る事で俺が「行く」というのを期待しているようだ。残念ながら俺の意思は変わらない。

「大丈夫? 身体、動かない?」

「ちょっと無理。頭痛、ひどくて。寒いし」

「そっか。頼りにしていたんだけどな。まぁ、病院に行く事になるよりはマシよね。無理しなくていいわ。お父さんに頑張ってもらうから」

「ごめんね」

「いいのよ」

 母親は微笑んで部屋を出て行った。


 しばらくすると、家を出て行く音がした。飛び起きてカーテンの隙間から外を見る。出づらそうに何度か壁にぶつかりながら車が発進していった。

 騙せた事にガッツポーズをし、さっそくサイドテーブルにあったスマホを手に取る。家族が帰って来るのは遅くても四時間以上後。その間に目的を済ませなければ。

 目的のホームページを開き、ささっと手続きをおこなう。どこかのサイトで住所を書いたのか、履歴が残っている。引用してスムーズに個人登録の完了ができた。


 二十分後、来客を知らせる呼び鈴が家中に響き渡った。待ってました、と一目散でインターフォンへと向かう。画面に映っていたのは宅配業者だった。

 舌を打って居留守を使う。もう一度インターフォンが鳴ったが無視をすると、宅配業者は不在届を入れて帰っていった。

 

 目当ての人物ではなかった事に肩を落としていると再度インターフォンが鳴る。また業者か、と思っていると五十代くらいのおばさんがいた。

 写真とずいぶん違う。騙された、と怒りながら扉を開ける。

 扉を開けてすぐに「チェンジ!」と言ったところでおばさんの手元に目が行く。回覧板を持っていた。たぶんお隣さんだろう。しまった、と思いつつも言葉は取り消せない。何事もなかった顔で手を出した。


「あら?」とおばさんが怪訝そうに俺を見る。家の中を一度見て、問いが来る前に答えた。

「ああ。今、出かけているんです」

「……そう。あの、回覧板お渡ししておきますね。それでは、失礼しました」

 おばさんは眉を寄せたまま、自分の家へと帰っていった。


 しまったな、と悔やみながら扉を閉めようとした時、黒髪の美少女がこちらに歩いてくる姿が見えた。

 黒髪ストレートにぼってりとした唇と豊満な胸が特徴的な可愛らしい女性、写真の人物だ。ようやく本命の彼女に出会えた俺は、嬉しさから裸足で玄関を飛び出し手を振った。

 女性が俺に気付く。短いスカートがめくれないように一生懸命手で押さえながら小走りで俺のほうへと駆け寄ってきた。

「あの、ご連絡……頂いた、慶太さん? ですか」

 上目遣いで見てくるのが堪らない。高いトーンで発せられた声色はまるでオルゴールのようだ、と返事をするのも忘れ聞き惚れる。


 俺は今日、この為に仮病を使った。

 いつもいつも両親と妹から女性との付き合いについては口を酸っぱくして言われていたから誰とも付き合った事がない。ましてやセックスなどできる訳がない。

 だから、一般女性と付き合うのは難しいかもしれないけれど、デリヘルなら、一度だけなら、許されるはずだ。

 その為に金集めに勤しんだ。ずっと家族がいなくなるこのチャンスを狙っていた。やっと願いが叶う。


「あの?」女性の声で意識が戻る。女性の手を引いて中へと引き入れた。

「あの、にゃんにゃん倶楽部のアユミです。慶太さん、ですか?」

「そうです」

「あ、そうなんですね」アユミは言葉を止め、顔を綻ばせて微笑んだ。その可愛らしい表情に胸を打たれる。


「とりあえず、俺の部屋に行こうか」

 アユミを引き連れて自室へと戻っていく。階段を登るときに「気を付けてね」と振り返る。アユミの胸は上下に大きく揺れていた。

 自室に着くと二人でベッドの上に座る。

「じゃあ早速ですが、百二十分コースで三万五千円です」

 結構な値段だ。でも百二十分あれば色々できる。そう思うと呑んでいたいた。

 金を渡すとアユミは嬉しそうに受け取ってカバンに仕舞った。それからキッチンタイマーをカバンから取り出してセットする。

「では、今から百二十分です。よろしくお願いします」

 アユミは深々と頭を下げる。それに合わせて俺も頭を下げた。


「えっと、まずどうされますか。お話からですか、お風呂ですか?」

 風呂、は無理だ。「風呂は汚れているから」と断る。

「ですが、お風呂に入らなければ、その、そういう事はできません」

「え、そうなの?」

 まさかの展開に驚く。風呂が必須だなんて聞いていない!

「いや、ちょちょっとでいいから。俺、汚くないし。風呂入ったばっかりだよ」

「お客様と入るのがお店のルールなんです。私、掃除しますよ」

 アユミが立ち上がり、部屋を出て行こうとする。止めようとした手はするりと抜けていった。

「いや、いいって。どこかわかんないでしょ」


「わかりますよ。先月、呼んでくれたじゃないですか。妹さんがいるのは聞いていましたけど、お兄さんもいたとは知りませんでしたよ。ふふ、でも弟さんの名前で連絡するなんて、恥ずかしがり屋さんなんですね。それとも、自分が頼んだなんてバレたら困っちゃうんですか」


 アユミはいたずらっぽく言った。

 住所がスムーズに打てたのは、以前に頼んだ事があったからなのか。やばい、と思った。

 その瞬間、彼女の背中を押していた。





「ただいまー」

 家族が帰って来た。俺は平然とした声で「おかえり」と言った。アユミの死体は風呂場に隠した。

「あら、起きて平気なの?」

「うん。まぁ」

「今日のドライブでちょうどよい家を見つけたんだ。ここと同じくらい静かで住みやすそうな家だ。そこへ引っ越しをしようと思う。な、母さん」

「お父さんが見つけてくれたのよ」

「そこはね、庭が広いんだ。お兄ちゃんも絶対気に入るよ!」

「キッチンも広かったわね。料理のしがいがありそうだわ」

「母さんたち、家の中も見てきたの?」

「ええ。ちょうど誰もいなかったしね。ねぇ、父さん」

「ちゃんと見たぞ! という訳で、そこに引っ越ししようと思う。問題ないよな」

 父親が俺たちの顔を見渡す。俺以外、誰も不満な顔一つ見せず頷いた。

「では明日、ここを引っ越そう。みんなそれまでに準備をするんだぞ」

 やばい。引っ越す前に言わなくちゃ。俺はおそるおそる手を挙げた。


「ごめん。今日、人を殺したんだ」


 父親が目を見開いた。「誰を?」

「その、女性を。デリバリーを、頼んで」

「ご飯用意していったのに、何をやっているの!」母親が怒る。

「ずるーい、何頼んだの?」と凛子が口を尖らせる。

 デリバリー、という言葉ですぐに理解したのは父親だけだった。

「母さんも凛子も落ち着いて。それで、死体はどうしたんだ?」

「風呂場に、まとめておいた」


 家族全員で風呂場へと移動する。思いっきり大きな溜息を吐いてから背筋を伸ばし、開き戸になっているお風呂場の戸を開く。

 浴槽の中には男が二人、女が三人放り込まれている。一番上に重ねられた死体は、にゃんにゃん倶楽部のアユミだ。眼を見開き、口からはだらしなく舌が這い出ていた。

 浴槽の周辺には零れ落ちた血や肉片が飛んでいる。それらはすでに固まっていた。


「まぁ、もう仕方がないわよね。このままにしておきましょう。ねぇ、父さん」

「そうだな。今日中に出るか。皆、急いで準備して」

 怒られなかった事に安堵して部屋に戻った。

 結局、俺は自分の夢を叶えられなかった。それは人を殺してしまった後悔よりも大きかった。


 荷物と言ってもどうせ向こうにもいろいろあるだろうし、この部屋から持っていきたいものはないから少しの着替えをリュックに詰めてリビングへと下りた。

 五分も経たず、全員がリビングに集合した。

「じゃあ、そろそろ行くか。そうそう、次は『合田』という名字になるから、間違えないようにな」

 次の俺は『合田隼人』になるらしい。自分に言い聞かせるように名前を何度も唱えた。

「じゃあ慶太、じゃない。隼人、火をつけてきて」

 俺は風呂場にある死体に灯油を撒き、火をつけた。


         *


『深夜に火災が発生し、その家に住む野島輝彦さん(四十五歳)、洋子さん(四十一歳)、慶太さん(十八歳)、凛子さん(十六歳)、風俗店勤務の江島弘子さん(二十六)の遺体が発見されました。遺体は損傷が激しく、死因については捜査中です。

 火災発生の当日、風俗店に勤めていた弘子さんと慶太さんの間で何らかのトラブルがあったと警察はみています。今後も詳しく捜査していく模様です』

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