箱の中の彼女

 彼女を箱の中に仕舞って庭に埋める事にした。


 準備をしているとインターフォンが鳴った。こんな時に誰が、と苛立ちを覚えながらもインターフォンの画面を見ると警官が立っていた。

 無視をする事も考えたが、壁の薄いアパートなのだから音が聞こえているかもしれない。居留守を使えば怪しまれるだろう。仕方なく対応する事にした。

 チェーンをしたまま扉を開ける。警官は嫌そうな顔を見せた。こちらだって作業中なのだ。知らない人間に彼女の死に姿を見せる訳にはいかない。


「なんですか」

「近くの家で強盗事件がありましてね、何か知らないかと聞きに来ました」

「いえ、何も。さっき帰って来たばかりなので」

「何をしていたんですか」

 面倒に思いながらも、嘘を吐けばバレた時に面倒だと思い正直に話をした。

「昨日は友人の、その……友人の恋人の家に、いました」

 警官が不快そうな顔を見せる。おそらくわたしが友人の恋人と浮気していると考えているのだろう。その顔のまま無線でどこかに連絡を取った。


 しばらくすると警官がニコリと笑った。無実だとわかったようだ。

「大変でしたね。痴話げんかに巻き込まれたようで」

 警官の言い方にイラっとした。「別に」と冷たく答える。

「そうですか。あ、それで、強盗なんですけど、ここら辺に出入りしている奴ららしくてね、他の場所でも事件があったんですよ。お宅は大丈夫ですか」

「ええ。うちには盗むものなんてありませんから。こんなボロアパートですしね。野菜も庭で育てなきゃいけない程、困窮しています」

「そうなんですか」

 警官は情報を得られないと思ったようで「では」と言って帰ろうとした。わたしはさっさと扉を閉めようと取っ手に手を掛ける。警官が「あ」と言った。


「お宅、猫飼っているんですか」

「な、なんでですか」

「猫の毛が落ちていたので。うちも飼っているんですよ」

 警官はスマホの画面をわたしに見せる。自慢げな顔をしていた。

「飼っていません。このアパート、ペット禁止ですから」

「え、でも……」と言いかけたが、警官は自分の責務を思い出したのかそれ以上は何も言わずに会釈して隣の部屋へと向かった。

 わたしはホッと胸を撫でおろし、玄関の扉を閉めた。


 昨日も警官と話をしたせいか、どうにも緊張してしまう。部屋に戻り箱の側に座る。そっと彼女の頭を撫でた。

「ゆっくり眠ってね」






 

 近藤梓と出会ったのは大学のサークルだった。

 梓はわがままな性格で、自分の気に入らない事があるとすぐに癇癪を起すような人間だった。でも、自分の仲の良い相手が馬鹿にされると怒ってくれる優しい一面もあり、わたしを含めてサークルのほぼすべての人間が梓を憎めなかった。


 サークルの帰り、梓が足を止めた。耳に手を当て、誰かがしゃべろうものなら「しっ!」と睨みつけた。

 声のありかはゴミ捨て場からだった。すでにゴミの収集時間は過ぎている。なのに黒いゴミ袋がひとつ、そこに置かれていた。中を覗くと猫がいた。


 梓は猫が好きだ。自分の好きなものが悲惨な目に遭っている。それだけで激怒の理由になる。梓は眉間にシワを寄せて蟹股で歩きながら猫を動物病院へと連れていった。

 動物病院の先生いわく、その猫は人間でいうと八十才くらいのおばあちゃんなのだという。すでに目が見えにくくなっているし、世話が大変だから捨てられたのだろうと不快そうな顔で言った。そして不安そうに「どうするの?」と聞かれた。梓はもちろん「どんとこい」と胸を叩いて勇ましく答えた。


 猫は毛が白いから「ミルク」と名付けられた。梓の家に着くとミルクは「初めからここが家ですけど?」という感じで毛繕いを始めた。その態度がなんだか梓に似ていて、わたしはすぐにミルクが好きになった。

 梓はミルクを可愛がった。わが子のように、時には友人のように接しながら生活を共にした。わたしもたまに梓の部屋に泊まらせてもらい、ミルクの世話を手伝った。

 わたしは梓とミルクといられるその時間がとても幸せだった。誰にも壊されたくないといつも願っていた。


 幸せな日々は続かなかった。梓に恋人ができた。

 彼は親しみやすく愛想がよかった。子供が転べば手を差し伸べ、足腰の弱そうな老人が入れば席を譲り、嫌味を言われても受け流す、常識人であり良識人であると誰もが思っている事だろう。だから、サークルのメンバーは部外者である彼を受け入れ、彼の家に遊びに行く事も多々あった。


 けれど、わたしはなぜか彼を好きにはなれなかった。叶わない願いだと知りながらも、できれば別れてほしいと願った。


 ある日、梓が何日も大学を休んだ。熱を出しても来ていた梓が休むとは思えない。心配になり、学校が終わってから梓の住むマンションにお見舞いに行った。

 インターフォンを押したが出てくれなかった。それでも持ち前のしつこさで何度もインターフォンを押したらやっと顔を出してくれた。


 その顔は風船のように腫れていた。


 梓が出たくない気持ちを理解した。それなのに押しかけて何度もインターフォンを押して、思いやりのかけらも持てなかった自分を罵る。このまま踵を返そうか。しかし、なぜ梓がそんな顔になったのかは気になった。

「どうしたの?」

「彼に、やられたの。あんな人だとは思わなかった」

「最低だね。梓と付き合えたから本性見せ始めたんだよ」

 梓は観念したような顔で部屋に通してくれた。梓に嫌な事を思い出させるようで申し訳なく思ったが、ソファーに座ってすぐに話の続きを訊いた。

 彼にどんな事をされたのか、梓は涙を零しながら話をしてくれた。 わたしが彼を好きになれなかったのは、動物の勘か何かが働いていたのかもしれない。アイツは最低な奴だった。


 ふと、違和感を持った。何かが足りない。静かすぎるのだ。部屋を見渡し、その原因に思い至る。

「ねぇ、梓。ミルクはどうしたの?」

 梓は目に涙を溜め、下唇を噛んだ。

「入院中」

「どうしたの?」

「あいつが、ミルクに暴力を振るったの。お腹を蹴って、壁に叩きつけた。この顔は、庇った時にやられたの」

「そんな、なんで?」

「猫が嫌いだったみたい。捨てろって言われたけど拒否したら、こうなった」

 梓は震えていた。彼女は自分の大切な人が理不尽な目に遭うのを許せない。怒っているのがその握り拳で理解できる。

「私、許せない。アイツを、少しの間好きになった自分自身さえも」

「梓、その気持ちはわかるけれど落ち着いて。ミルクはいつ帰って来るの?」

「明日」

「じゃあ一緒に迎えに行こう」


 梓は首を横に振った。

「悪いんだけど、動物病院までお迎えを頼めないかな」

「それは別にいいけれど」

「私も病院に行かなきゃなんだ」

 長袖を捲って手首を見せてくれた。損傷は顔だけではなかった。もしかしたら服の下もひどいのではないか。想像すると憎しみが湧いてきた。

「わかった。まかせて」

「それで、ちょっと検査入院とかあるらしいから、ミルクの事、預かってくれない?」

 アパートはペット禁止だ。けれどそんな事を気にしている状況ではなかった。

「いいよ、怪我が治るまでだっていい。わたしがミルクの面倒を見るから安心して」

「ありがとう」

 梓は儚げに笑った。




 次の日、わたしは大学が終わってすぐに動物病院へと向かった。

 ミルクと再会した時、言葉を失った。すべての足に包帯が巻かれていた。目は虚ろで動く様子はなく、名前を呼んでも反応しなかった。


「おばあちゃんだからね。骨もボロボロだったから、いろんな箇所が折れていたんだ」

「よく、なるんですよね?」

「あまり体力も残っていないんだ。もう長くないと思う。病院では、何もできない。あとは家で様子を見てあげたほうがいい」

 先生のつらそうな顔を見て、何も言えなくなった。精一杯の事をしてくれた。こんな状態なのに梓の家に帰してあげられない事が悲しい。わたしはミルクを連れ、家路に着いた。


 状況は知っているかもしれないが、先生から言われたことを梓にメールしておく。いつもなら返事は早いのに、今日は何時間待っても返信はなかった。

 梓から連絡が帰ってきたのは、日付が変わる少し前だった。

「遅かったね。なんか、息荒いけど、大丈夫?」

 梓は全速力で走った後のような息遣いをしている。検査入院で息切れを起こすなんて、ありえるのだろうか。

『大丈夫。検査つらかったから。ミルク、どうしている?』

「今は落ち着いているよ。けれど、つらそう。早く会いに来てあげて。明日帰って来るんだよね。大学休むからさ、うちに来てくれない?」

『ごめん、無理になった』

「え? どうして」

『ミルクと話がしたい』


 戸惑いながらもビデオ通話にする。梓の顔は映らず、真っ暗な映像しか流れない。疑問に思いながらもカメラをミルクの方に向ける。動かなかったミルクが、梓の呼び声に反応して頭を上げた。


『ごめんね。うちに来てくれてありがとう』

 まるで今生の別れのようだ。嫌な予感がした。

「今、どこにいるの?」

『病院』

 噓だ、と思った。


 通話が切れた後、わたしはミルクに「ごめん」と言って家を飛び出した。向かったのは梓の恋人の家だった。

 玄関に辿り着き、インターフォンを押すも反応はない。取っ手に手を掛けると簡単に開いた。

 部屋の中に飛び込む。そこには惨状が広がっていた。


 男女が二人、血まみれの床に寝転がっていた。男の身体には複数の刺し傷があり、女の腹部には包丁が刺さったままだった。


「梓!」


 呼びかけるも反応はない。死んでいる、と絶望した。しかし、よく見ると胸が動いている。急いで救急車を呼んだ。


 五分後、救急車は警官と一緒に現れた。

 警官は第一発見者のわたしを疑っているようだった。何度も同じ事を聞かれ辟易したところ、別の警官が近寄ってきて教えてくれた。

「もうちょっと遅かったら死んでいたかもって。二人とももう大丈夫だよ」


 よかった。梓は人殺しにはなっていない――。

 そう思ったら、わたしは安堵からその場に膝から崩れ落ち泣いていた。


 家に帰れたのは午前六時だった。防犯カメラの状況からわたしは無関係だとわかったらしく釈放された。

 部屋に入るとミルクの元に直行した。声をかけるも目も開けない。よく見ると腹部に動きがない。ミルクは息を引き取っていた。


 最後の力を振り絞り、梓が殺人犯にならないよう守ってくれたような気がした。「ありがとう」と言うと、頬に何か暖かいものが触った。ミルクだ、と思った。


 ミルクと梓が再会する事は叶わない。それならせめて、梓が戻って来るまでミルクを綺麗な箱に入れてアパートの庭に埋めておく事にした。ミルクの骨はボロボロだから火葬だとすべて燃えてしまうと思ったからだ。


 ミルクを箱に仕舞うと涙が出てきた。元気だった頃の姿が懐かしい。おばあちゃんなのによく動き回っていた。一緒に入れた遊び道具も入れておこう。気に入ってくれるといいな。


 猫は毛皮を変えて戻って来るという。ミルクも戻って来るだろうか。それならまた、梓の元に来てあげてほしい。


 わたしは涙をぬぐってから箱の蓋を閉めた。

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