第5話 在来種純粋日本人の芸術性
在来種純粋日本人とは、ただのパフォーマンスではなく、なんでも芸術にしてしまうところが凄い
→ 天理大学創作ダンス部のダンス
ダンス自体も芸術的でしたが、彼らの筋肉の素晴らしさ。柔道や日本拳法といった格闘技系の筋肉と違い、柔らかい(見た目でよくわかる)。
「ダンス」というと、文化系のサークルか、なんてバカにする人がいるかもしれませんが、とんでもない。私たち体育会以上にハードな練習をされているというのが、その筋肉を見ればわかる。
単に力をつけて投げ飛ばす、破壊力をつけてぶん殴るための筋肉ではなく、歩く・走る・跳ぶ・踊るといった演技(激しい運動を伴ったダンス)のための筋肉なので、柔らかい。筋トレの筋肉が死んだ筋肉であるとすれば、彼らの筋肉とは生きた鋼(はがね)の筋肉(Live metal muscle)。
夏になると、タンクトップ(ランニング・シャツ)を着たマッチョマンが街をウロウロしていますが、彼らの姿とは人を威圧するための暴力的・示威(威力を示すこと。気勢を見せること)的に見える(オレは力持ちなんだぞー、オレは厳しい練習をしているんだぞ、という)。
しかし、創作ダンス部員男女の筋肉には、柔らかさ・優しさがにじみ出ている。全く以て「攻撃的でない」。「生活の一部としての筋肉」「哲学された筋肉」なのです。
私は創作ダンス部のダンスを今回初めて拝見させて戴くことで、彼らの「芸術的筋肉」にも感銘を受けました。
大学日本拳法部のマネージャーさんで、日本拳法の部活以外にダンスのサークルに入って活動されている方があると聞きましたが、それぞれの筋肉の違いを見れて楽しいのではないだろうか。
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アメリカや韓国といった、建国してから間もない国々では、小中高大学、そして今回の天理パフォーマンス・フェスティバルのような村や町で行われる祭り(文化イベント)というものは(寡聞にして)ないのではないか ?
日本でも、朝鮮人中高で文化祭というのは聞いたことがない。
アメリカ人とか韓国人というのは、アメリカ的プラグマティズム(実用主義)的感性ですから、早い話が「金にならないことに対して努力するのは無駄」という風潮が強い。ですから、在日韓国人とは、芸能プロダクション、人材派遣、斡旋業といった、才能や能力のある人間(在来種純粋日本人)を使って儲けるという立場を取らざるを得ない。自分たちが文化や芸術を発揮できないから、そういう文化人や芸術家・有能人を飯の種にするという商売をする。
つまり、在来種純粋日本人にとって、文化とは生活の一部であり楽しみなのですが、彼ら外来種日本人にとっては飯の種(金儲けの対象)でしかない、という違いなのです。
なんだかピンハネされているようですが、自分たちの文化で楽しめる私たち在来種純粋日本人は「それでよしとする」(歌手、美川憲一の新曲。「NHK素人のどじまん」で歌ってました。)べきなのでしょうか。
2016年世界中で大ヒットした映画「君の名は。」。
この実写版映画化権を即座に購入したのは、この映画のテーマである「もう一度生まれ変わる」こととは全く無関係、現世利益のみの追求者である外来種、韓国人(実際は国際ユダヤ資本家・銀行家)でした。 彼らは奥深い意味を持つこの素晴らしい映画を、文化としてではなく金儲けの手段・道具としてしか見れない。もちろん、「それがオレたちのビジネスさ」と開き直られれば、それだけなのですが。彼らの実写版とは、原作とは全く異質なものになるでしょう。
2024年11月12日
V.2.1
平栗雅人
揺りかごから墓場まで(一貫した在来種純粋日本人性)V.1.2 @MasatoHiraguri
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