4.恋
自覚した恋心は、どんどん膨らんでいった。
「アレクっ」
笑いながら駆けてくるフィルを見つける度に心が躍り、
「大好きっ」
そう言ってフィルが抱きついてくる度に体中が幸せで満たされた。
となると問題は、フィルがアレックスを女の子だと信じて疑っていないことだった。何度も女の子に間違えられるうちに面倒くさくなって、どっちに思われても大した問題じゃないと、いちいち訂正するのをやめていた無気力さがあだになった。
あれこれ考え、手始めに自称を作法どおりの“私”から“僕”に変えてみたけれど、フィルの反応はむなしいぐらいにない。
男だと思ってほしい。意識してほしい。でもそれでフィルが自分に対する態度を変えても嫌だし、一緒に遊ばないなんて言い出しても嫌だ。
(貴族の女子は、家族や親戚、婚約者以外の異性とはあまり遊んではいけないと言われるはず。それだけは絶対に避けたい……)
「フィル、僕が男の子だったらどう思う?」
「?」
ちょっとずるいと自分でも思う訊き方に、フィルは不思議そうに首を傾げると、一瞬の後、大真面目に答えた。
「綺麗な男の子だって思う」
「……それだけ?」
「? うーん、可愛い男の子だって思う」
あまり興味がないらしいと感じて、まだ八つだし、恋とかわからなくても不思議じゃないか、と溜め息をついた。
(それにしても綺麗と可愛い……ちょっと傷つくかも。じゃなくて、まずい)
「フィルの方が可愛いよ」
アレックスが意を決して発した言葉に目を丸くしたフィルは、少ししてから照れたように笑った。
「……」
その顔を見て、自分のほうが真っ赤になっていくのがわかった。
(ちゃんと女の子の顔だ。何で気付かなかったんだろう……)
いつも元気で、熊だって蛇だって雷だって魔物だって遭難だって平気なフィルが、たった一つ苦手とするものが“お化け”。剣で切れない(とフィルの祖母のエレーニナさまが脅したようだ)のが怖がる理由だ。
「……っ、……やっ」
そのフィルがお化けを見たと思って、アレックスに縋り付いてきた時、自分は男だ、とはっきり自覚した。それから、腕の中のフィルを大事にしたい、当たり前のようにそう感じた。
「アアアアレク、おおおお化け……うー……や……」
「……大丈夫、フィル。ほら、布が枝に引っかかっているだけ」
腕の中の感触にも、そんな時にフィルが自分の名前を呼んだことにもびっくりするほど感動した。放したくないと思ってしまって、そんな自分にやはり驚いた。
「洞窟探検? 面白そうだね」
「ふふ、アレクならそう言ってくれると思った。一緒に行こう」
そう言ってフィルが渡してきたのは松明。そうしてロープを入り口に括り、逆の端を持って、真っ暗な洞窟をうろうろする。
蛍光色に光るキノコや、見たことはおろか、想像すらしたことのない形の生き物、天井から漏れ入る光に青く光る地下の池、鍾乳石の作り出す奇景。フィルと一緒に感動できるのが楽しくて、握り合った手の感触が嬉しくて、顔は緩みっ放しだった。
「……おおっ」
「なに? フィル、これ知ってるの?」
水が天井から染み出してくる小さな空間の片隅には、子供の頭くらいの大きさの、白と灰の混ざった丸い石が五つ。
「ふふふふふふふふふ、大発見だ、アレクっ」
にこにこと笑うフィルにつられて、思わずにこにこしたのに、それも一瞬だった。
「前一回、爺さまと一緒に見たことがあるんだ。それは湖の中で、水色だったんだけど」
「うん?」
(湖の中?)
「卵だよ、魔物の! うわあ、中に何がいるんだろう?」
「え゛?」
(まものって、魔物……?)
松明の光に照らされたフィルの顔を恐る恐る見れば、きらきらにこにこ上機嫌。
「……」
まさか、と思う間に、フィルはてくてくその卵へと歩いていく。嘘、と思う間に、フィルはそのうちの一つを両手に「よいしょ」と抱え上げる。そして、くるっと振り返って、アレックスを見上げてそりゃあ嬉しそうに笑った。
あ、すっごく可愛い、と思ってしまってから、そうじゃない、と気付いて慌てた。
(も、もしかしなくても持って帰る気だっ)
「フィ、フィル、そっとしておこう?」
『ダメ!絶対!』と思っているのに、フィルの嬉しそうな顔が曇るのが嫌で、強く言えない。弱い、弱すぎる、と思って少し泣きたくなった。
「一つくらいなら親も怒らないよ、きっと。それに大事にするし」
にこにこと卵を撫でるフィルに、魔物の福祉じゃなくて人の福祉の問題なんだよ、とは言えなかった。
「な、何が出てくるかわからないよ、フィル」
怖がらせて、「だからやめよう?」そう言おうとする。
「だから楽しくない?」
けれどフィルには通じなかった。人の気なんてお構いなしに、これでもかと言うほど上機嫌だ。
「う……で、でもそれで万が一にでもフィルが危ない目にあうのは嫌だ」
困って口をついて出た言葉に、フィルは目を丸くするとふわりと笑った。
「……」
その顔に呆然としている間に、フィルは「アレクに心配かけるのは嫌」と幸せそうに言って、その卵を戻す。
「アレク、大好き」
そうしてから、小さな笑い声を立ててぎゅっと抱きついてきた。
「っ」
松明の光よりもっと赤く、もっと熱くなった顔。手に松明がなかったら両手で抱きしめ返せるのに、とちょっと惜しく思った。
フィルはやっぱり変わっているけれど、それすら愛しくて可愛い。そう思うようになって、ますます嵌っていった。
「お泊り?」
「うん、いつも夕方に別れるの、寂しい。夜もずっと一緒にいよう。それで一緒に寝よう」
(そりゃあ、自分もいつもそう思うし、一緒にいられるのは嬉しいけれど……いいのかな?)
と一人真っ赤になった。
「アレク、どうかした?」
「ううん、なんでもない。ええと、老伯爵さまたちはいいって?」
「うん、楽しんでおいでって」
(そりゃあ、心配するようなことは何もないけど……どうなんだろう、それって)
と考えて、少し心配になってしまった。
フィルがずっと一緒にいる。
いつものようにお昼を一緒に食べて、日がある間中外で遊んで、日がすっかり暮れてから屋敷に戻って侍女のシェリーに怒られて、それから一緒に夕飯を食べる。
アレックスがいつも部屋で一人で食べていることを知ったフィルは、ぱっくり口を開けると自分の分のご飯を持ち、アレックスにも自分の分を持たせる。それから階段を駆け下りていって、護衛をしてくれている男性と彼の姪でもあるシェリーが使っている共用の食堂へ入り込んだ。そして呆気にとられる彼らにかまわず、「一緒に食べよう、そのほうが美味しい。アレクはこっち。いただきます!」と言って、そこでご飯を食べ出した。戸惑っていた彼らも、最後には食事をとりながら、フィルと一緒に笑い出す。
部屋に戻ってお風呂に入ろうとなった時には、フィルはあっけらかんと「一緒に入る?」と訊いてきた。それには全力で首を横に振った。
「フィル……今までに誰かと一緒にお風呂に入った?」
上機嫌でお風呂から出てきたフィルに思わず訊いてしまえば、彼女は不思議そうな顔をしつつ、こくりと頷いた。
「爺さまでしょ、婆さまでしょ、ターニャも。オットーもあったかな? あと、オットーとターニャの孫のキャシー、まだ小さいから私が洗ってあげるんだ。あとは兄さま。髪がすごく綺麗で、洗ってあげると喜ぶよ。兄さまも私の髪洗ってくれるし。それからロギア爺。お風呂じゃないけど、時々一緒に川で水浴びするよ」
色々引っかかった人物と事があって、結構自分はやきもち焼きなのだと知った。
「フィル、むやみに一緒にお風呂入ろうなんて言っちゃだめだよ」
(本当は誰かと一緒に入っても欲しくないけど……)
「言わないよ。でもアレクは特別だし」
嬉しいけど、少し心配になった。
一緒に部屋でごろごろしながら、ゲームをしたり、話をしたりして過ごして、侍女にもう遅いから寝なさい、とそれぞれのベッドに押し込まれて、明かりを消される。
「アレク、眠い?」
「全然、フィルは?」
「私も全然」
だからといって眠くなる訳も無く、くすくす笑いながら、ベッドから降りる。そして二人で毛布に包まってバルコニーに出、月明かりの中で毛布を被って話し続けた。少し寒くなってからは一緒のベッドの上で。
「……来たっ」
フィルはアレックスにはわからない感覚で、侍女が部屋にやってくるのを事前に察する。そういう時は急いでこちらのベッドから降り、自分のベッドへ戻って寝たふり。そして扉の蝶番が立てる小さな音の後、顔を出した侍女が部屋の様子をうかがうのを感じながら、二人で笑いを必死で堪えた。
「おなかすいた」
深夜。夜のおやつを取りに、フィルと一緒にこっそりこっそり台所へ忍び込む。
「どこにあるんだろう?」
「多分、涼しくて通気性のいいところだから、この辺……あった」
「すごいっ、さすがアレクっ」
そうやってお菓子を失敬して、笑い出しそうになるのを苦労して抑えながら部屋へと戻った。
そうこうするうちに、フィルはこくりこくりと舟をこぎ出した。はっとして起きて、目をこすり、何とか目を覚まそうとするが、瞼は重そうなまま。
「もう寝る?」
「ううん、せっかくアレクと一緒にいるのにもったいない」
「また来たらいいんだから」
「うーん……」
結局睡魔に耐え切れなくなったフィルは、ベッドに倒れ込み、規則正しい寝息を立て出した。と思ったのに、もう一度目を擦って起き上がる。
「おやすみ、アレク」
「っ!」
そう言ってアレックスの頬にキスを落とすと、今度こそパタンと倒れて寝入った。
(……人の気も知らないで)
唇の感触を追うように頬を抑えつつ、アレックスは真っ赤な顔で横になる。
自分ばかりが意識しているとむくれながら、目の前のフィルの頬をつつけば、寝ているはずの彼女の口元がふよっと動いた。それに目を丸くした後、思わず笑い声をもらす。
「っ、ちょっ、フィルっ」
フィルがぎゅっと抱きついてきて、すぐにまた笑えなくなったけれど。
「……おやすみ、フィル」
一人ドキドキしている自分は、ものすごく間抜けかも、と抱きしめられたまま、ため息を吐き、アレックスはフィルの額にキスを落とすと、その身を抱え込んだ。
結局、その晩は寝られないままだったけれど、ずっと幸せな気分だった。翌朝、侍女にお菓子の件で怒られたけれど、それでも幸せなまま。
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