1-8.入団

 翌朝、フィルは入団式の会場である鍛錬場に向かっていた。

 身を包んでいるのは、濃い青地の従騎士の正装で、王国の紋章でもある魔物のレメントが銀糸で刺繍されている。まだ生地が硬くて身体に馴染んでいないし、微かに染料の名残もある。その全てが嬉しくて、フィルは顔を綻ばせた。

 先ほどまで隣には、正騎士の黒い正装姿のアレックスがいた。

「悪いが、少しここで待っていてくれ」

 彼は幹部らしき装いの人に呼び止められて、フィルの頭をぽんと叩き、その人と連れ立っていった。

 

(ほんと、アレクみたいだ)

 彼に叩かれた頭を左手で押さえて、フィルは口元を緩ませる。

 なんだか温かくて、ほっとして、嬉しくなる仕草だ。祖父が亡くなって、兄や別邸の管理人夫妻とも別れて久しくなかった感覚が、ひどくくすぐったい。

 運、本当によかったなあ、としみじみと思いながら、昨日よりずっと雑多な空気の廊下の壁にもたれて、フィルは遠ざかって行く彼の背を見送った。


 フィルはアレックスに昨日のうちにすっかり馴染んだ。自分も彼も話し上手とは言えない気がするが、ポツポツと話すうちに、彼の一見近寄りがたい雰囲気は、こちらを蔑んだり遠ざけたりするためのものではない、と思うようになった。

 その証拠に、よく見ていれば、表情は結構動いていて、しかもそれが結構優しくて面白かった。楽しかったり嬉しかったりすると、目や唇の端が少し弧を描くし、困ったり驚いたりすると全身が微妙に固まったり、これまた微妙に顔が引き攣ったりする。

 だから、最初に冷たそうと感じたのは、彼の寡黙さや磨き上げられた動作、容姿の完璧さに、フィルが勝手に気後れをしただけだったのかな、と思う。

 そういえば亡くなった祖父も似た雰囲気だった(黙って真剣な顔をしていて、なおかつ動いていない時限定だったけど)と気付いてからは、さらにアレックスに好感を抱いた。

 だが、なんと言ってもアレクだ。彼女に何となく似ている、そんな彼が悪い人であるはずがない、などと冷静に考えれば理由になっていない理由もフィルには大きい。

 

 気にしていた生活も大丈夫そうだ。

 昨日の夜には「おやすみなさい」と彼と挨拶を交わして寝た。ここが居場所になるんだ、と思えてとても嬉しかった。しかも、そのせいだろう、昨晩の夢にはアレクが出てきて頭を撫でてくれた。

 今朝もそうだ。目が合って、アレックスは「おはよう」と笑ってくれた。その瞳の色も柔らかく弧を描く動きもゆっくりとかみ締めるように告げられた挨拶も、お泊りの翌朝に見たアレクのそれらととても似ていて、それでさらに幸せになった。



 だから、今朝のフィルは人目にわかるほど上機嫌だった。昨日居心地が悪いばかりだった、自然の匂いが一切しない、騎士団のこんな大きな建物だって、今日はそう悪くないように思える。

 だって、昨日ここに足を踏み入れた時は、今日この朝を無事に迎えられるかどうか、真剣に危惧していたのだ。

 それがどうだろう。フィルは無事。何もばれていなくて、しかも同室の、相方となる人はいい人で、その上大好きな親友に良く似ている。

 これで幸せ気分にならないわけがない。

「おい」

 ――が、それもここまでのようだ。

 

「はい」

 覚えのある声と気配に、フィルはげんなりと肩を落とすと、それでも礼儀正しく返事をして、アレックスが消えたのと逆方向を振り返った。そして、予想通りスワットソンとその仲間たちを視界にとらえ、片目を眇める。

(……どう考えてもまた良い雰囲気じゃない)

 しかもその向こうで、ある者はニヤニヤとこちらを見、ある者は眉を顰め、ある者は視線を逸らせてこちらに気がつかないふりをしている。

 

「お前、フォルデリークと一緒だったな」

「はい。彼付きの従騎士を拝命しました」

 舌打ちして、スワットソンはフィルをじろじろ眺め回す。

「どこまでも気に入らん奴だ。自分の付き人には、お上品な貴族仲間しか受け入れられないってか」

 彼は器用に顔の片方だけ歪め、はき捨てるように呟いた。フィルは思わず首を傾げる。

「貴族、仲間……?」

「そうだろうがよ、てめえのおばあちゃんはお貴族さまってな」

 それでさらに首を傾けた。

「いえ、そちらではなく」

(つまり……)

「えーと、アレックスは貴族なのですか?」

 

「……」

(ああ、またやった、昨日と同じだ……)

 スワットソンたちだけじゃない。周囲皆がフィルの発言に押し黙り、異様なものを見る目で見てくる。

 人がたくさんいるのに妙に静かになった長い廊下の只中で、フィルは情けなく眉を下げた。

 静寂の中、「呼び捨てた……?」「アレックスって……」という呟きが響き、フィルは一瞬の逡巡の後に口を開く。

「だって本人がそう呼んでいいと」

 だが、周囲はそれでさらに顔を引きつらせた。つまり、さっきのあれは質問ではなかったらしい、せっかく答えたのに、とフィルも顔を引きつらせる。

 

「貴族だよ……フォルデリーク家、三大公爵家のひとつ」

 広がっているおかしな沈黙に耐えかねたのか、スワットソンの取り巻きの中でも比較的気のよさそうな中肉中背の青年があきれたように声を発した。

 それに「へえ」と思わず声にしたのはフィルだ。

「意外ですね」

 その言葉のまま、フィルは首を捻る。

「貴族ってもっと愛想があって、ふわふわきらきらした雰囲気だと思っていました」

 フィルがこれまで出会ったことのある貴族は、そりゃあ浮世離れしていて、襲われたら三秒で殺されそうな人たちだった。兄はその典型だろう。

 アレックスは絶対そんなことはない。それどころか、多分結構腕が良いと思う。

 

 続く沈黙の中で、フィルは目の前の人物たちの顔色が青くなったことに気付いた。

「……?」

 自然と振り返った先には、いつの間にか戻ってきていたらしい、なんとも言えない顔をしたアレックスと、俯いて肩を震わせている三十代半ばくらいの赤毛の、これまた極めつきに鍛えられた体格と雰囲気の騎士。

「……」

 フィルはじっくりアレックスを見ると、もう一度つぶやいた。

「ああ、でも、姿かたちや立ち居振る舞いは確かにそれっぽいです、アレックス」

 その瞬間、アレックスの隣の人物が堪え切れなくなったように吹き出し、盛大に笑い出した。ちなみにその時のアレックスの表情は、形容しがたいものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る