1-4.相似
結局、異様なものを見る目と沈黙に耐え切れなくなったフィルは、口をぱっくり開けたままのヘンリックに別れを告げ、あの場をそそくさと逃げ出した。
“また”非常識さを露呈したらしい……自分でもわかっているが、胸に突き刺さる。
騎士団に入団するまでの一ヵ月間お世話になった宿屋リアニ亭の女将さんが、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言っていたけれど、それを続けるには精神力がいるということを悟った。
これはきっと試練に違いない。……とでも思わなくてはやっていられない。
再び三十分ほど迷って、やっとの思いで見つけた301号室。そこは説明してくれた人の言うとおり、“東”の棟の三階、突き当たりの部屋だった。
まどろっこしいことをしていないで、窓から出て、建物があれば外壁を登って降りてで乗り越えて、そのまま東に行けば、あんな目に遭わずに済んだのに、と少し反省した。
(まあいいや。それでもちゃんと辿り着けたんだ。都会でもきっとそれなりにやっていける)
浮上した気持ちに弾みをもらって、フィルはその扉を叩いた。
「はい」
(ん?)
ひどく短く、不愛想な応答に、奇妙な予感を覚えた。再び湧き上がってきた緊張と共に、ゴクリと唾を飲み込みつつ、「……失礼します」という定型句と共に開いた扉のすぐ向こう。
「……ぅ」
一体何の偶然だったのだろう、“一見アレクそっくり”な彼が、その凍て付くような視線と共にフィルを出迎えてくれた。
「……」
彼は青い瞳でこちらを見つめ、無言のまま身じろぎもしない。フィルはフィルで、目の前の彼が纏う空気の冷たさもあって、体も頭も見事に停止した。
「……え、えと、」
(そ、そうだ、剣士たるもの落ち着かねば。祖父がいつもそう言っていたじゃないか。あと、礼儀はとても大事だ、と)
加えて、自分は隠さなければならないことを山ほど抱えているのだから、こんなところで仕損じる訳には絶対にいかない――。
フィルはなんとか気を取り直すと、唇をすばやく舌で潤して口を開く。
「失礼いたしました。それから先ほど助けていただいたこと、お礼申し上げます」
そして、姿勢を整えて挨拶し、祖母に叩き込まれた作法どおりに頭を彼へと垂れた。
「私はフィル・ディランと申します。今日から301号室でお世話になることになりました。あなた付きの従騎士を勤めるようにも拝命しております」
そのまま礼を保っていたのだが、言葉が返ってこない。
「……」
生唾を飲み込んだ後、つと目線を上げる。まさかもうばれたのか、という怯えが、いつもより早い心臓の音をより鮮明に耳に運んできた。
「……ディラン?」
「え、あ、はい」
「フィル……」
「はい。……あの、なにか?」
「……いや」
彼が眉を顰めて自分の新しい名を呼んだ。何かを確かめるような奇妙な物言いにフィルも思わず眉根を寄せる。
「あの……」
頭の位置を元に戻して、戸惑いつつフィルがかけた声は、彼を正気に戻したらしい。数度瞬きをすると、こちらを見つめたまま、自己紹介を返してくれた。
「すまない。俺はアレク、サンダー・エル…………フォ、ルデリーク」
(アレクサンダーとアレク――名前まで似ている)
思わずフィルは目をみはる。しかも、今彼が見せている表情は、先ほど鍛錬場で見たものよりずっと柔らかい気がする。
何の根拠も無いけれど、それだけのことでアレクサンダー・エル・フォルデリークに対する好感が湧き上がってくる。それでようやく微笑むことが出来て、フィルは続きを口にした。
「よろしくお願いいたします、えと、フォ、フォルデリークさま?」
(長い。舌を噛みそうだ)
「……」
不思議なことに、彼はそう言ったフィルに固まった。美しい造りに似合わない奇妙な表情だったけれど、それでますます親しみを覚える。ぱっと見とっつきにくいけれど、案外面白い人なのかもしれない。
「……とり、あえず、中に」
気を取り直したらしい彼は、フィルが足元に置いていた荷物をごく自然に持ち上げた。
「あ、自分で」
「これだけか?」
「……え? あ、はい」
フィルの遠慮と戸惑いをさらりと無視して、彼は部屋へと入っていって、フィルは慌ててその後を追った。
招き入れられた扉の向こうは、玄関にあたる空間だった。その空間の両側に扉があり、奥から先が居室ということになるらしい。
そちらへと足を踏み入れた彼に続くと、左右の壁際にはそれぞれ大きめのベッドと机、クローゼットが置かれていた。右側を彼が使っているのだろう、机とその横の本棚にはたくさんの本が置いてある。
(あ、木がある。大きい)
部屋の奥、広い窓の向こうに立派な樹が見えた。その葉が日差しを受けて生み出す懐かしい色にフィルは口元を綻ばせる。ちなみに、その窓の手前にはテーブルと椅子、ちょっと離れて1人がけのソファがある。
それら以外には何もない、総じて殺風景な空間だった。
「……フィル」
「はい」
名前を呼ばれて振り返ると、これまた彼の表情が奇妙に動く。そして、呻き声のようなものが聞こえてきた。
「フィル、その、念のため確認したい、のだが……」
「はい」
「ここで暮らす、のか?」
「? はい。東棟301号室と」
「いや、そう言う意味ではなくて……」
「はい?」
「……なんでもない」
再び形容しがたい表情になった彼は天を仰ぎ、息を吐き出す。それから額を押さえながら、意を決したかのようにベッドの片方を指した。
「そっちのベッドが空いているが、もしこちらの方が都合がいいというなら換わる」
そして、ちらりとこちらを見、困ったような顔をした。
(あ、少し幼く見えたかも)
「あと、その他にも何か不便があるようなら好きにすればいいし、言ってくれればなんとでもするから」
(おお、親切。やっぱりいい人だ。さすがアレク似)
そう思って、嬉しくなったフィルは、顔を綻ばせた。
「どっちでもいいです。どこでだって寝られるんです」
なんとなくうきうきしながら答えると、彼は一瞬呆れたような顔になって、それから苦笑を零した。
続いて彼は部屋の中を説明してくれた。要約すると、こんなのがあるけど好きにしたらいい、何か要望があるなら言うように、ということらしい。
「こっちがキッチン、と言っても湯を沸かすぐらいにしか使えないが、それでこっちが洗面台、奥にシャワーがあって…… 鍵、か」
(ん? お湯が沸かせるということは……)
「フィル?」
黙り込んだ彼に説明が終わったとみて、フィルは部屋に戻ると、かばんからいそいそとお茶の葉を出した。
今日ここに来る前、不安で仕方が無くて、元気になれそうなものを探してかばんに詰めた、お気に入り中のお気に入りだ。
王都に来てから見つけた茶葉の香りが、まだ馴染みのない部屋に微かに漂って、フィルは知らず微笑むと、彼を振り返る。
「お茶、飲みませんか、フォルデリークさ」
「アレ……アレックス、でいい」
「アレックス……」
ちょっと助かった。フォルデリークなどと毎回呼んでいたら、いつか舌を噛むに違いないし、アレクだと親友と一緒になってしまって紛らわしくなるし。
(それに……誰かに名前を呼んでいいって言われるのは、やっぱりちょっと嬉しいな)
「アレックス」
そう思って用もないのに、つい名前を呼んでしまった。
すると、それに彼は少し驚いたような顔をしてから、笑った。
「……」
笑った。ちゃんと、笑った。苦笑とかじゃなくて、自分を見て、綺麗に笑ってくれた――。
「……っ」
「フィル? どうした?」
「なななな何でもないです。お茶淹れてきます」
ちょっとだけ涙が出てきて、フィルは茶葉を抱えるとキッチンへ慌てて駆け込んだ。
水道の蛇口をひねると、フィルは水音に紛れて洟をすすり、悟られないように目元を拭った。
なんだかホッとしてしまった。
この先、どうなるんだろうとずっと不安だった。自分はちゃんとここでやっていけるのかな、ここで駄目だと言われたら、次はどこに行ったらいいんだろうと思っていた。
だから、アレックスが笑ってくれて、安心して緊張の糸が切れてしまった。
「……きっとアレクと似てるからだ」
またも洟をすすりながら茶葉をポットに移し、フィルは一人呟く。そして少しだけ笑った。
(爺さま、何とかなりそうだよ。だから――見ていて)
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