1-2.戸惑い
食事を終えて、ヘンリックと一緒に部屋に向かうことになった。案内してくれるという彼の申し出を、そりゃあありがたく受け取って。
祖父はそんなフィルを「情けない、活路は自分で開け」と嘆くだろうけど、自分一人では夕方までに部屋にたどり着けるか怪しいし、彼がいれば、相方となる人との初対面を上手く乗り切れるかもしれない、などと姑息なことも考えていたりする。
「だけどさ、本当に圧倒的だったよ、俺も相手も途中から試験忘れて見入ってたし」
「ええと、そう、かな」
「だって相手は副騎士団長だよ? 御前試合を五連覇した剣聖の一番弟子。伝説みたいな人だよ? フィル、その人相手に全然引けを取ってなかった」
「あー、それ、多分違う。あの人、大分手加減していたと思う」
部屋への道すがら、ヘンリックから試験中の剣技について褒められたが、なんだか居たたまれない。
フィルの剣の師でもある祖父が手放しで褒めてくれることはなかったから、どう反応していいのかわからないし、謙遜しようにも、他と比べたことがないから、自分の技量がどの程度なのか知らない。何より――。
「……」
途中すれ違う人たちを横目で捉えれば、みなその祖父が昔、何回か着ていた黒の制服に身を包み、足元をおそろいのブーツで覆っていて、自分たちとは違う硬質の足音を廊下の奥へと響かせていく。
(――これがカザック王国騎士団の騎士たち)
そう、何よりの問題は、自分はこの人たちと比べて、ちゃんとやっていけるだけの力を持っているのか、ということだろうから。
「おい、待て、お前ら新入りだろう?」
そうして微妙に居心地悪い思いで、鍛錬場と思しき空間の横を通りかかった時、不意に野太い声に呼び止められた。
声の方向に体を向ければ、その拍子に、夏の名残なのかこの季節の王都の日中ではそれが普通なのか、とにかく暑さと湿気を帯びた風が顔を撫でる。
フィルの視線の先でニヤニヤとこちらを見ているのは、声に違わない大柄な青年と、その取り巻きらしき二人。それから、彼らの背後に泣きそうな顔をした五、六人。体つきから判断するに、恐らく彼らも新人だろうが……。
(なんだろう、変な感じ……?)
そう感じてしまって、フィルは思わず片眉を跳ね上げた。
「そう、ですが」
応じたヘンリックの声も戸惑いでいっぱいだ。
「そうです、だろうが、ああ?」
おそらく三人の青年は騎士団員なのだろうが、風貌と声、雰囲気をとれば町のごろつきと大差ない。声をかけてきた男にいたっては、フィルより頭一つ、ヘンリックからすると一つと半分高い。横幅に関して言えば、もしかすると三倍はあるだろう。
「何今頃のこのこやってきてんだ? 新人なら新人らしく早朝から来て、先輩に挨拶して回ったり自主的に鍛錬したりするくらいの心構えを見せたらどうだ?」
そう言いながら、男はこちらへとにじり寄ってくると、威圧するように自分たちを見下した。
(……大きい人だなあ、こうやって近くで見ると余計に)
手足の長さ、歩幅、足運び、重心移動、筋量、身に付けている得物をざっと観察した後、フィルは彼の顔をまじまじと見上げる。顔から年齢が読み取れないのは、どこか表情が歪んで見えるからだろうか、とぼんやり思う。
「あ……」
横で小さな声を漏らしたヘンリックへと慌てて視線を落とすと、その幼い顔からは血の気が引いていた。フィルはそれに眉を顰める。
「合格時に入寮は本日中、入団式および訓練開始は明日、と説明がありましたが。変更になっていたのですか?」
フィルはもう一度男の顔を正面から見上げて、首を傾げつつ聞き返した。
確かにいかつい人ではあるが、今のところ悪いことをした覚えは(多分)ないし、なぜヘンリックが怯えているのか、いまいちわからない。
「フィル」
眼前の男の片頬が微妙に引きつり、それを見たヘンリックの顔が青を通り越して白くなった。それでフィルは首を傾ける。
「お前、わかってねえな」
それに「何を」と聞き返そうとして、すぐに口を噤んだ。
(ええと、空気がおかしい……?)
周囲に漂う空気が重苦しくなっているのはわかるが、原因がさっぱりわからない。わからなきゃ対処のしようがないじゃないか、とフィルは今度は口をへの字に曲げた。
「名は?」
(ああ、やってしまった)
いっそう低くなった声に、どうやら何か彼を怒らせるようなことをしたらしい、とフィルは確信する。そして、自分が思うよりやっぱり世間は難しく出来ている、とここ数ヶ月で学んだことを再度思い知って、思わずため息を吐き出した。
「フィル・ディランです。もしよろしければ、今から訓練に参加してもかまいませんか?」
それでも今度は危なげなく彼に答えて、諦めるな、と自分に言い聞かせた。でなきゃ、何にも出来ないままだ、前には進めない。
だが、そのフィルに男はさらに顔を歪めた。
(あ、あれ? 目上には敬語との爺さまの教えも守った、言われたとおりにしようともした、なのになんでだ……)
疑問が更に深まり、顔を引きつらせつつも理由を聞こうとした瞬間、それまで見下すような色しか滲んでいなかった男の目に、殺気めいた色が混じった。
「……」
フィルは目を眇めると、培った習性のままに半歩退き、その男への間合いをとる。
「お前、貴族だろう? さっきの名は偽名だな」
「――いいえ」
男の質問に、フィルは内心の動揺を悟られないように無表情を装い、わざと落とした声を出した。
それから周りの反応を窺おうと、周辺に視線を向ければ、青年の仲間の視線は睨み付けるようなものに、同情するようだった新人仲間の視線は、驚愕と困惑の混じったものに変わっている。
少し驚いてヘンリックを見ると、彼は咄嗟に視線をフィルから逸らせた。
(……ばれた? 訳じゃない、よね……?)
冷や汗と共に更なる疑問が生じる。
「嘘をつくんじゃねえ。てめえみてえなお上品な世間知らず、貴族以外にいるわけねえだろう!」
「世間、知らず……」
(たった何十秒かの会話で見破られたのか、私は……)
そんな怯えも、この数ヶ月で何度も街の人々に言われた台詞を、初対面の人にいきなり浴びせられた情けなさには、勝てなかったけれど。
(ああ、世の中って本当に難しい)
などとたそがれるフィルの頬を、今度はちゃんと九月らしい、冷たさをわずかに含んだ風が撫でていく。
ああ、世間の風、という奴も冷たくなってきたらしい。いや、冷静に考えれば日が少し翳ったからだってわかるけど、と逃避してしまいそうになったフィルは、首を左右に振って、何とか意識を目の前の男へと向け直した。
「上品に見えるのであれば、母方の祖母が没落した貴族の出だからかもしれません。あと、世間知らずなのは田舎者だからです」
そう言い返してみたのは、これ以上その話題に突っ込まれると困るからだ。
嘘ではないよね、と自身の後ろ暗さに言い訳しつつ、フィルは無表情になるよう努める。
「ふん。まあ、いい。どのみちお前は気にいらねえし、貴族に関わりがあるってんなら尚更だ」
ジロジロとこちらを見ていたその男は、苦々しく呟いただけで、あっさり追及をやめた。もっと深く触れてくるかと思って、どうかわそうかと身構えていたフィルは拍子抜けする。
(ええと、ただの貴族嫌い? まあ、この国じゃ珍しくはないことだけれど……)
「来い、稽古付けてやる」
「……とっ」
その彼から自分の持つものより遥かに太い剣を投げて寄越され、フィルは反射でそれを受け止めた。
(おお、さすが、実践重視ってだけある)
刃をつぶしていないその剣を見て、やはりここでも訓練には真剣を使うのか、などとフィルは思わず感慨を覚える。
「フィル……」
さっき目を合わせてくれなかったヘンリックが、悲壮な顔をしてフィルの上着の裾を引っぱって来たけれど、彼は男にひと睨みされて泣きそうな顔で数歩後ろへと退いていった。
* * *
そして、今、そのフィルの目の前で、男が剣を構えているのだが……。
「うーん……」
フィルは剣を握ったまま、途方に暮れる。
(だって、稽古付けてやるって言ったって、それじゃ話にならないような……)
「……」
そんなことを口に出したらまずいことぐらいは、さすがにフィルにもわかる。
「おいこらどうした、真剣にびびってんのか」
こっちに出て来て知ったところによると、“びびる”というのは、確か怖がるという意味だ。だが、真剣に“びびる”も何も、物心付いた時には当たり前みたいに握っていた。むしろ模擬剣なんてほとんど使ったことがない。
……と口に出していいものか、これもまた謎。
「そうそう、お坊ちゃんには騎士団よりおままごとの近衛騎士団のほうがお似合いでちゅよー」
大柄な目の前の男の仲間が、そう囃し立てている。
「近衛?」
そう呟いてフィルは再び首を傾げた。
(ああ、もう、次から次へと、わからないことだらけだ……)
ギャラリーも増えてきたのに、誰かが止めてくれる気配もない。ああ、世の中って厳しい、世間の風って本当に冷たいなどと、思わず溜息をついたその時。
「そこまでだ。スワットソン」
「っ」
気配の無かったはずの場所から突然響いた涼やかな声にフィルは驚き、反射で自らの剣の柄に手をかけながら、即座に振り向いた。
「……嘘」
だが、そこでフィルは目を見開き、停止した。
『何してるの?』
あれは、あの日そう声をかけてきた――。
「……」
そして、息をすることすら忘れたまま、フィルは近づいてくる人物を瞬きもせずに見つめた。
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