第32話 まだ続いているからな、読書会

「もう一度言う。シェヘラザードに戻れ。お前は?」

『はは、死んだ男の話を出してどうするつもりなのか』


 鬱陶しい野郎だ。

 できればぶん殴ってやりたいが、今はイリエスのことに神経を尖らせる。

 彼女は動かない。乾いた風が白銀の髪を撫でる。

 ――と、一歩だけ、イリエスが進んだ。

 そのままゆっくりとマードックの方へ向かう。

 そして男の近くで反転し、マリアに向けて銃口を向けた。


「イリエス……!」


 くそ、やっぱり駄目か。

 ここまで来て奴の思い通りになるのかよ。

 いや駄目だ、そんなの許せない。

 イリエスをこのままバビロンの連中に渡すわけにはいかない。

 考えろ、考えるんだ俺。


『おっと、動くな。艦長の頭を打ち抜きますよ?』


 俺の焦燥を嘲笑うかのようにマードックが言う。思わず舌打ちが出る。


『さて、では行きましょう、イリエス』

『マードック先生。その前に確認したいことがあります』


 それまで黙っていたイリエスが、いつものように静かに言った。


『先生がバビロンの関係者であることは分かりました。それで先生は、お父様の、何ですか?』

『なに? ……何って、代理ですよ、代理。僕はバビロンの、お父様の忠実な配下です。今まで隠していたことは謝りますが、僕の言葉はすなわちお父様のご意志。さぁ共にバビロンに凱旋しましょう』

『代理伝達者ということですね。承知しました』


 その瞬間だった。

 イリエスが振り向き様に、肘鉄を男の顎に食らわせた。

 思い切り急所に入ったおかげで、マードックは白目を剥いて倒れ込む。


「――は?」


 いま、なにをした? イリエスがマードックを殴ったのか?

 俺が唖然としている間にも、イリエスはマードックの拳銃を蹴り飛ばして武装解除させる。

 慌てて近寄ったマリアは気絶した男を確認しつつ、イリエスも警戒し続けた。

 それはそうだろう、さっきまで裏切るかもしれないなんてやり取りをしていたのだから。


「お、おい。お前、最上位命令ってやつ、効いてなかったのか?」


 思わず確認してしまう。


『命令の更新は破棄しました』


 イリエスは、太股のホルスターに銃をしまいながら答えた。


『お父様からの直接の伝令であれば、私のあらゆる行動において最優先事項となります。ですが代理者からの命令処理系統と承認レベルは最上位命令にあたりません。よって現在遂行中の作戦行動の更新は破棄し、任務に障害となる者を排除しました』

「な、なるほど?」


 機械的につらつらと述べられているが、ようは代理人だとイリエスの縛りはさほど大きくないということか。

 考えてみれば理解はできる。

 おそらく親玉は、自分と同等レベルの制御権を他人に与えたくなかったのだろう。

 確かに自分と他人の命令権が同一レベルだと、同じ場で言われたらイリエスは混乱してしまう。

 その思惑が、とんだミスに繋がったわけだ。

 はははマードックめ、ざまーみろだ。

 しかしそこで、俺の中に気がかりが生まれた。


「でも、お前は命令を聞いたわけだよな」

『はい』

「作戦が終わったら、出て行くのか?」


 空気を読んで黙々と男を縛っているマリアも、気になったのかイリエスの方を見ていた。

 彼女は事情はまだよく分かっていないが、バビロンの呪縛があることに気づいているだろう。

 果たして、どう出るか。

 俺の緊張は、イリエスがふるふると首を振ったことで解消された。


「いえ、遂行中の任務があります。無期限のため、私はそれを優先しなければいけません」


 何のことかと考えて、ハッとする。


「そうか……そうだな。まだ続いているからな、読書会」


 思わず口元が緩んだ。


 ――あの、イリエス。僕と一緒に本を読んでみない? 色々教えるからさ。

 ――タカキ軍曹。それは何かの任務でしょうか。

 ――え? いや、そういうんじゃなくて……なんだろう。もうちょっとお互いを知ろう的な会というか。

 ――あなたは上官ではありませんが、そういう任務であれば従います。


 原作の会話を思い出す。

 シンヨウとの読書会はあくまでレクリエーション程度の催しだったが、確かに任務の一つとして刻まれていた。

 シンヨウにとっては不本意だったかもしれないが、結果としてイリエスが寝返ることを防いだわけだ。


(やっぱりお前は主人公だよ、シンヨウ)


 この場に居ないことが、心底悔やまれる。

 嬉しさと寂しさの混ざりあった感情を噛みしめていると、イリエスがじっとこちらを見ていることに気づいた。


「なんだ? イリエス准尉」

『少佐は、お父様のことを……バビロンのことを、ご存知だったのですか』


 抑揚のない声のはずなのに、猫が敵かどうか見定めているような神経のささくれを感じた。

 原作にはなかったが、正体を知った者を消せと言われている可能性はある。

 果たしてどちらか。

 逡巡したが、俺は包み隠さず答えることにした。


「ああ、知っている」

『では、私の出生のことも』

「ああ。正確には、兄貴からのレポートのおかげだがな」


 うーん、便利な設定だ。ルーデウスレポートとでも名付けようか。

『そうですか……』イリエスは俯く。


『私は、バビロンという組織で作られました。その目的はVNパイロットとしてネフィリムと戦い世界を救うためです』


 俺は聞きながら顎をさする。

 自分が生贄になるために生み出された、なんてことはもちろん聞かされていないわけだ。

 だからこそマードックという監視かつトリガー役がついていたのだし。

 となると、ロー・アイアスに対する関係性にも、建前しか刷り込まれていない可能性があるな。


「ロー・アイアスはバビロンなんて組織を知らない。勝手に送り込まれているわけだが……それはパイロット補充のため、か?」

『はい。組織の関与を秘匿している理由は、機密扱いなのでわかりません』

「知られた場合、どうなる?」

『わかりません。こういうときどうするのか、お父様からは教えられていません』


 俺はちらりと、白目を剥いているマードックを確認する。


(バレたときのための監視役でもあったんだろうな、あいつが)


 建前しか刷り込まれていないのは、人造人間の情緒の不安定さとか精神年齢の低さとかで、ロー・アイアスに正体がバレることを恐れての措置だと聞いている。

 だから不測の事態、裏切ったときの対応役もシェヘラザードに潜り込んでいたのだろう。味方の中に更にスパイがいるみたいな、入れ子構造になっているわけだ。

 だが、不幸中の幸いだ。

 監視役が先にくたばってくれたおかげで、イリエスが守りやすくなる。

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