第26話 名前呼びは本当に恥ずかしいので……びっくりしますから
「は?」とマードックが上ずった声を上げた。
「な、何を言ってるんですか少佐。私は移動都市ディセンバー防衛軍から派遣された軍医ですよ。知っているでしょう」
「同時にバビロン戦略諜報部隊、ならびにマルドゥーク計画に参加する研究者でもある」
間があった。
背中に銃を突き付けているので表情は伺えないが、急所を突いた感触だ。
「……少佐が仰っていることが、分かりかねます。聞いたことのない組織だ」
「あくまで白を切るか。じゃあ聞くが、貴様はこんな夜中に何をしていた」
「眠れなくて夜の散歩をしていただけです」
「嘘をつくな。さっき胸元にしまった通信装置でどこかと連絡を取ろうとしていただろう」
「やだな。これですよ」
マードックが白衣の内ポケットに手を入れる。
俺はすぐにでも発砲できるようトリガーの指に力を込める。
男が取り出したのは、携帯ゲーム機だった。
「ちょっとしたゲーム好きでして。セーブしたか気になって見ていただけです」
俺はゲーム機を奪い取る。
確かに何の変哲もない、移動都市の第二等住民の間で出回っている遊び道具だ。
「通信装置が埋め込まれてるんだろ」
「まさか。気になるのなら調べて頂いて結構ですよ」
言い切った。となると生体認証、もしくは調べようとした瞬間に装置が破損する、みたいな漏洩防止措置が組み込まれているかもしれない。
「少佐。おそらく貴方は精神を病んでいる」
マードックが同情したように言ってくる。
「現実と妄想の境界が曖昧になっているかもしれません。統合失調症の可能性があります。今すぐ銃を下ろしてください。そして私と一緒に医務室に行きましょう」
「俺は健康体だよ。妄想なんかじゃない」
なぜなら前世の記憶という確かな情報源がある。
まぁ証明の手段はないので、他人に説明すればそれこそ精神病と疑われるだろうが。
「少佐……私を信じてください」
「悪いな、俺が信じているのは仲間だけだ」
「私は仲間ではないと?」
「そうだろう? イリエスの監視でここに居るだけの間者など」
「だから! あなたが何を仰ってるのか分からないんです!」
俺は露骨に溜息を吐く。
「なぁマードック先生。どうしてバビロンが組織名だと分かった?」
男が、ギシリと身じろぎした。
「俺はバビロン戦略諜報部隊としか言っていない。そういう部隊名かもしれないだろう? 俺に聞くなら、そんな部隊は知らないと言うべきだ。それがお前は真っ先に知らない組織の名前だと言った」
「……あ、当てずっぽうですよ」
「そうか。まぁそういうこともあるかもしれないな。だがお前が決まった時間にどこかと通信している形跡、各パイロットの検査結果をどこかに送信している形跡はどう説明する?」
これは、はっきり言ってブラフだった。
前世の記憶でそういう行動をしていたと知っているだけで、証拠を掴んでいるわけではない。
だが証拠など集めるまでもなく、こいつが敵であることは明白だ。後で探せばいくらでも見つけられる。いまは時間が優先だ。
「さぁ質問に答えろ。バビロンはどこに――」
腹部に衝撃。
腹を蹴り飛ばされた俺は廊下に倒れる。
「ちぃ!」
俺は床に転がりながらも即座に銃口を向け、引き金を引く。
逃げていくマードックには当たらず壁に当たって跳弾した。
足音がどんどんと遠ざかる。薄暗がりの廊下では、もう後ろ姿も見えない。
俺は溜息を吐いて立ち上がる。油断した。
もう少しちゃんと拘束しておくべきだった。
だが、詰めが甘かったわけじゃない。
「ぐぁあ!」
廊下の奥から男の叫び声が聞こえた。
俺はゆっくりと廊下を進む。
「ご苦労だった、マリア」
進んだ先ではマリアと、彼女に後ろ手で腕を拘束され脂汗を浮かべているマードックがいた。
「怪我はないか?」
「はい。ですが、あの」
もじもじとしたマリアは頬を赤らめる。
「名前呼びは本当に恥ずかしいので……びっくりしますから。か、艦長では駄目でしょうか?」
「だめ」俺はきっぱりと言う。
「言っただろ。俺達はかなり大きな組織に敵対することになるし、君の素性だってそいつらと関係がある。名前で呼び合おうと決めたのは、秘密作戦の行動中であることを互いに認識するために必要な措置だ。アイコンタクトやハンドサインでもいいが、音が一番早い」
普段の俺達は役職や階級で呼び合っている。
だからこそ名前で呼ぶのは特別なときに限ることができる。
たとえば打ち合わせしていない突発的な事態でも、名前で呼べば即座に秘密作戦に関係あることだと相手に気づかせることができる。
「で、ですが」
難色を示すマリアだったが、俺がじっと見つめてやると恥ずかしげにうつむいた。
「り、了解です、デュラン様。善処します」
「様はいらんぞ」
「それだけは譲れませぇん!」
手をグーにして鼻息荒く反抗される。
つくづく、マリアってこんなキャラだっけ?
(まぁ様づけくらいは許してやるか)
俺も、互いの身の安全だけでなく、名前で呼ぶと反応が可愛いという個人的な理由もある。約得というやつだ。
「……どういうことだ、貴様ら」
拘束され膝をついているマードックが掠れた声を出した。
睨み付ける表情は、いつもの温和な医者の顔とかけ離れている。
「工作は完璧だった。勘づかれる隙など与えていない。それがワグナーだけでなく、オフェリウスまでもだと?」
「演技は止めたってことでいいようだな」
俺を睨み付けるマードックが歯を剥く。
「どんな手を使った、ワグナー」
「全てはルーデウス様の手腕です」
マリアが代わりに答えた。
「ルーデウス? ワグナー家の妾腹が?」
ピクリ、とマリアの柳眉が不愉快げに動く。
「……そうです。亡きルーデウス様があなた達の組織について調べ上げていた。ロー・アイアスに内偵が潜り込んでいることも、あなた方の目的についても。私たちはあの方の意思を継いでいるに過ぎません」
そこでマリアがこちらを見てくる。ね?と相槌を求めていそうな瞳だった。
俺はなんとも言えず、心中で苦笑いする。
(悪いな兄貴。死人に口なしってことで、都合良く使われてくれ)
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