第14話 好きなんかじゃ、ない……!

「お前も、シンヨウが居なくなって悲しんでいる。寂しくて寝られなくて、ここで身体を動かすことで気持ちを誤魔化していた。違うか?」

「……るさい」


 小さい声で呟いたアサミは、唇を噛みしめる。


「その気持ちは痛いほど分かる。けどな、自分の体を酷使したところでその胸の痛みは取れない。時間をかけて受け止め――」

「うるさいっ!」


 アサミはランニングマシンから降りて俺に詰め寄ってきた。


「あたしはあいつのことなんて何とも思ってない! 悲しくないし寂しくもない! あんな奴がいなくたって戦える! そうやって生きてきた!」

「違うな。それはお前が一番よく分かってるはずだ」

「っ! あんたに何が分かるのよ……!」


 分かるさ。

 だって俺は、前世でお前の活躍も、気持ちの移ろいも見てきたんだ。

 劇場版では、シンヨウとアサミは最終的に恋仲になって結ばれた。

 この時点で気持ちを自覚していたかは分からないが、芽生えていたっておかしくない。


「シンヨウのこと、好きだったんだろう?」


 瞬間、アサミは憤怒の表情で拳を上げた。

 俺はガードもせず、それを見ていた。

 ぷるぷると振るわせた拳は、俺の胸にゆっくりと当たって、ぽすという間抜けな音を立てる。


「違う……好きなんかじゃ、ない……」


 彼女の肩が震えていた。

 俯いた顔からは、表情は見えない。


「好きなんかじゃ、ない……!」


 だが、床に落ちた雫が、彼女の感情を如実に物語っていた。


「好きなんかじゃ……」


 繰り返す台詞は、弱々しく消えていく。

 代わりに聞こえてきたのは、しゃくり上げるような泣き声だった。


「……どうして……どうして、あたしより先に、死んじゃったのよ……」


 拳を俺の胸に置いたまま、アサミは声を押し殺すように泣く。

 俺は、何も言えなかった。

 その役目は俺じゃなくて、主人公のものだと知っているから。

 その場を取り繕うように、彼女の肩を擦ることしか、できなかった。


 ***


 泣き終えたアサミが自室に戻っていくのを見送った後、俺は更に船内を歩き回った。


(アサミは……強い奴だ。きっといつも通りになる)


 第15話の後、シェヘラザードが撃沈しサンナイト・ミッドまで失ったアサミは、別の部隊に引き取られていった。

 しばらくシンヨウとイリエスのやり取りが続いて場面には出てこなかったが、シンヨウが物語におけるもう一つの敵――バビロンと呼ばれる人類の裏切り者達に追われていたとき、颯爽と新機体で助けに来る。

 それまでの物語はスピンオフ漫画で補完されていて、当然前世の俺も読んだ。

 彼女は自分のアイデンティティに悩みながらも、シンヨウの大切さと己の役割に気づき、復活を遂げる。彼女は強い人間だ。

 だから、心配はいらない――そう考えても、彼女の泣き声が、哀切の言葉が、鼓膜に張り付いて消えなかった。

 アサミはこの現実の中で生きる17歳の少女だ。

 淡い恋心を抱いていた相手との死別なんて体験、すぐに乗り越えられるはずもない。


(見守るしかないのが、こうも辛いことだとはな)


 己の無力感を噛み締めながら、食堂まで辿り着く。

 そこも明かりが灯っていた。

 時間的には調理番が朝の仕度を始める頃合いだろうか。

 しかし覗いてみると、予想とは違う人物が居た。


「イリエス……?」


 食堂の中央あたりのテーブルに、白銀の髪をした少女が座っていた。

 彼女は何やら本を読んでいる。

 周辺にも数冊の書籍が積まれていた。


(そうか、ちょうど今日がその日だったか)


 原作での出来事を思い出す。

 きっと、シンヨウとイリエスの読書会の日なのだろう。

 原作では、物語を読んだことがないというイリエスに、シンヨウが見繕った本を選んで、更に読み聞かせるという交流のエピソードがあった。

 イリエスは、人造人間だ。

 バビロンという組織はとある計画のために堕天システムを利用しようと企んでいた。そのトリガーを引ける人間を人工的に作り出した結果が、イリエスだ。

 マリアが施された肉体急成長の実験も実はこの計画のためで、イリエスは赤ん坊の段階から肉体を急成長させられた。なので彼女は17歳の肉体でありながら、実年齢はもっと幼い。

 シンヨウはそんな事情なんて知るはずもなかったが、物事に無頓着な彼女を気遣ったか理解しようとしたか、読書という手段を通じて心を通わせようとした。

 シェヘラザードなんて名前の船の中で行うその交流は、まさにおあつらえ向けなやり方だったかもしれない。

 その読書会が確か、今日だったはず。

 だが、相手であるシンヨウは、居ない。当たり前だ。

 ではなぜイリエスだけが座っているのか――推察して、口の中に苦いものが広がる。

 俺は食堂に入り、イリエスの前に座る。

 彼女は俺に気づいて顔を上げた。


「――おはようございます、少佐」


 挨拶をするのは当たり前のことだが、普通この場面で出てくる台詞ではない。

 やっぱりどこか変わっている少女だ。


「なんでここに来たのか、聞かないのか」

「? 聞いてほしいのですか?」

「……いつもこんな時間に俺を見かけないだろう。気にならないのかと思って」

「いえ、特に」


 答えたイリエスは、また読書に戻る。

 しばし無言のままページをめくる音だけが響く。

 たぶん、素でどうでもいいと思っているなこれ。

 物事への興味が薄い理由はわかっている。

 あくまでVNパイロットとして作られた存在だから、必要な情報や技術しか教え込まれていない。

 情操教育が成されていないから関心を向ける心が育まれていない。

 一緒にいて気まずいとか嬉しいとか、そういう当たり前の感覚もよく分からないままなのだろう。


(やっぱりシンヨウじゃないと駄目かな)


 イリエスが唯一心を開いていたのがシンヨウだった。

 最初はシンヨウもイリエスの無関心ぶりに苦労していたが、この読書会以降にちょっとずつ変化があった。

 原作では可愛らしい仕草や愛情深い表現をすることもあって、魅了されるファンも多かった。

 シンヨウは単に放っておけなかっただけのようだが、その優しさが孤独だった彼女を救った。

 最終的には生みの親であるバビロンを裏切り、シンヨウを助けてくれるほどにまで自分というものを確立した。

 しかし、それは終盤の話だ。

 第12話だと、心の成長は途中段階だろう。

 今、彼女は何を想っているのだろう。


「……シンヨウは来ないのに、まだ続けるのか」


 ぴくりと、ページをめくる指が止まった。

 彼女はまた、無表情のまま目線を上げる。


「少佐は、ご存知だったのですか?」

「まぁな。リーダーはメンバーの挙動に目を配る物だ」


 本当は前世の記憶が蘇るまで何も知らなかったが、それは内緒だ。

 イリエスは無言で俺を見つめる。なにか考えているような感じだ。


「少佐も読書会に入りたいんですね」

「……なんでそうなる」

「読書会があると知っていた。そして今ここに来た。つまり入りたくなった、そう導けます」


 俺はどこから突っ込もうか迷った。「……違う」眉間を揉みながら答える。


「気分転換で散歩をしていただけで、ここに来たのは偶然だ」

「そして見かけたので入りたくなった」

「どうしてもそこに帰結したいのかお前は。俺が入りたそうな顔してるように見えるか?」

「はい」


 はいじゃないが。なんで自信満々に言い切るんだ。

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