第11話 デュラン様。あなたまで失ったら、私は、私はもう

 カツカツと小気味良いヒールの音を鳴らしながら、マリア・オフェリウスは自室へと向かっていた。

 周囲に誰も居ない通路まで来たところで、彼女は壁に手を付く。

 胸を押さえて、唇を噛みしめる。


(駄目だ、まだここでは……誰かに見られてしまう)


 よろよろと壁に手を付きながら進み、マリアは自室まで辿り着く。

 そしてベットルームに入った。入室を感知して自動的に証明が付く。

 部屋の壁には無数の写真が貼り付けてあった。シンヨウ、アサミ、イリエス、副艦長、オペレーター――整備兵や医療員や事務方の人員まで、余すことなく全員の顔写真が壁に一枚一枚、中には複数の乗員が揃った写真まで壁にべたべたと張ってある。

 それらのほとんどは真正面から撮影されたものではない。

 マリアがこっそりと、バレないように写真を撮影して、誰にも入られないプライベートなベットルームだけで見れるようにしていた。

 空母シェヘラザードに乗艦している全員の顔写真が、ここにはある。

 それはマリアの誓いだった、

 全員の命を預かっていることを忘れないために、刻み込むために。

 そして、ここが自分の居場所であることをいつも自覚するために。

 乗員は家族にも近い存在だった。

 彼女にとって守るべき存在だった。

 だが今日、その中の一人が、死んだ。


「……シンヨウ……」


 壁に貼り付けた一人の少年の写真を指でなぞる。

 控えめに笑う彼は華奢で、繊細そうな少年だ。

 移動都市ジュライの第二等住民の民間人で、本当だったら身分相応に学校にでも通っていた年頃の子供。

 偶然からマギ・ログリスに搭乗し、操縦に必要なFP値がずば抜けていたことから戦時徴用されてしまった。

 その偶然のせいで、彼は命を失った。

 自分が、戦ってくれと彼に頼んだがばかりに。


「シンヨウ……シン君……!」


 マリアはその場に崩れ落ちる。

 嗚咽が止められない。

 彼との会話はそれほど多くはなかったけれど、自分を信頼し頼ってくれた。

 優しくて気遣いができて、緊張で強張る環境の中でも彼の有り様に癒された。

 実は年齢も同じくらいなのだが、まるで弟のように感じていた。


「うぅぅぅ……うぁあぁあああああ……あああああ!」


 ベットシーツにしがみつき、溢れる声を染みこませる。

 抑えようとしても止められない。

 後悔ばかりが後から後から湧いてくる。

 彼を殺したのは、自分だ。

 あのときオレンジのネフィリムの残骸に反応があったことを、空母側では観測できていた。

 それがどういうことか気づいていれば、咄嗟に盾を射出してシンヨウを守れたかもしれない。

 自分の無能さが招いた判断ミスだ。


「私が、私が死ねばよかった……!」


 アサミにはこの場に居る全員が駒だと告げたが、それはマリアの本心ではない。

 駒として扱うべきは、自分一人のみだ。

 人体実験の果てに本当の年齢より肉体だけが急成長し、正体を偽りながら生きるしかない紛い物など、この世界に居場所はない。

 いつ死んだって構わない存在だ。

 しかし乗員達は違う。彼らは未来を作れる。子孫を残していける。

 とっくの昔に終わるはずだった短い人生の、いたずらのようなめぐり合わせで得られた尊い仲間。

 彼らを犠牲にして自分だけ生きるなんて、望んでいないのに。

 カタン、と小さな音がした。

 ベット脇のサイドテーブルに置いていた写真立てが落ちていた。

 マリアはそれに手を伸ばして拾う。

 その写真だけは、綺麗な写真立てに入れて飾ってある。

 そこには、自分の人生を救ってくれた二人が映し出されていた。


「ルーデウス様……デュラン様……」


 一人は温和な笑顔を覗かせた、長髪を後ろで縛った眼鏡の成人男性。

 もう一人はムッツリとした表情ながらも愛嬌のある少年。

 二人の顔立ちはよく似ていて、兄弟だとすぐに分かる。

 眼鏡をかけた男性は、自分の命を救ってくれた人だ。

 オクトバー軍部で行われた非合法の人体実験によって肉体が急成長させられ、FP波増幅施術の代償で左目の視力など色んな機能に障害が出た。

 しかも期待していたFP波の増加は認められず、失敗作として廃棄された。

 本来ならそこで餓死するか好色家な軍人の玩具になるかの二択だったが、彼女を拾ってくれたのはルーデウス・ワグナーという、移動都市ジュライ首長の息子だった。

 彼は当時ジュライ防衛軍に所属していたため、マリアは彼の慰み者にでもなるのだろうと覚悟していたが、ルーデウスは彼女に手を出すどころか自分の知識・技能を丹念に教え始めた。

 どうしてかと聞いたら、彼は優しく笑って答えた。


 ――オクトバー軍部のやり方が心底嫌だからだね。君を育てれば、彼らの考えがいかに傲慢で無駄なことかを証明できると思って。まぁ君の正体がバレると秘密裏に引き取った僕が処分されちゃうから、単なる僕の自己満足なんだけど。あっはっは。


 そう言ってマリアの頭を撫でた彼は、その手で一枚の写真を渡してきた。


 ――それと、僕にはデュランという弟がいる。天才的な素質を持っているけど慢心しがちでちょっと抜けてるところもある奴でさ。こんなご時世だ、僕はいつ死ぬか分からない。だから君には、僕の代わりに弟を守ってほしいんだ。


 孤児だったマリアは、兄が弟を想う家族愛に触れて、こんなにも尊いものがこの世にあるのかと感動した。

 そして、それとは別種の感情も稲妻のように飛来していた。

 弟の方のデュランは、マリアのタイプの少年だった。ど真ん中だった。

 まるで物語に出てくる王子様のようにキラキラしていた。

 たぶん初恋だったのだろう。

 生きてデュランを支える――ルーデウスに仕える以外にもう一つ、彼女の生きる目標が誕生した。


 その後ルーデウスは戦死し、彼の補佐官としてジュライ軍部に所属していたマリアはその技能をいかんなく発揮し、ロー・アイアスに引き抜かれて航空戦闘空母シェヘラザード艦長に任命される。

 マリアは、ルーデウスから与えられた恩を返すため、その空虚な身を人々のために捧げることを決意する。

 戦場で死ぬために、生きることにした。

 しかし何の因果か、弟のデュランにVNパイロットの素質が認められたことで、彼がシェヘラザードに配属されてくる。

 上官として初対面することになってしまった。

 もちろん実年齢とかけ離れた素性も恋心も秘めたままだ。

 ルーデウスの補佐官をしていた経歴は知っているようなのでそのことに言及されたことはあったが、こちらにあまり興味はないようで、仕事以外の会話をしたことはない。

 それで構わない。今やルーデウスの遺言となったデュランを守るという約束と、自分の使命を果たせれば後悔はない――そう考えていたのに。


「戦うことは、こんなにも辛いのですか……ルーデウス様」


 今やデュランを守るだけがマリアの目的ではない。

 乗員全てに愛情が湧いている。

 彼らはこんな偽りの人間に従い、命を預けてくれている。

 時に励まし、時に慰め、貴重な時間を共有してくれる大切な存在だ。

 彼らを失いたくはない。


「……デュラン様。あなたまで失ったら、私は、もう」


 写真立てを大切に胸に抱きながら、マリアは静かに泣き続けた。

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