2  猫カフェ

 あれこれが落ち着いた頃、56号室の石川君が「たこ焼きが食べでえ」と、つぶやいた。

 寮の食事が休みの日のことだ。ぼくらは、ラウンジと呼ばれる、いくつかソファーの並んだ部屋でくつろいでいた。

 子息の様子を伺いに来る父兄と、ここで面会する。そういう空間である。

「食べたことないのかい?」

 ぼくは、たこ焼きを食べたことない人がいるんだと驚いて、バカなことを聞いた。

たこ焼きが食べでえんだよ」

 石川君は、ぼくの早とちりを責めなかった。

「そうか」と、ぼくは納得した。


 大阪は粉物の聖地。そう教えてくれたのは、浪人している友人だ。

「お好み焼き、たこ焼き、ハシ焼き。それ、食べてたら、心配しーんぱいないからね。生きていけるっしょ」と、誰も知る人がいない大阪への進学を嘆く、ぼくを励ましてくれた。(心配しーんぱいないからねのフレーズを歌うのは、彼のヘキだ)

 何かの言葉を贈るべきは、ぼくの方だったのに。木彫りの熊までもらって。


「せやったら、うまい店に連れてったるで」

 少し離れたソファーから声がして振り向くと、先輩だろうか。無精ひげを生やした青年が、いつのまにか座っていた。

宮崎みやざきや。はじめまして」

 右手の側面を、こちらに見せて、彼はチョップを入れるような挨拶をした。

宮崎みやざき出身ですか」

 間髪入れず、石川がツッコんで行った。

「うん? 生まれも育ちも、千里せんりニュータウンや」 

「地元じゃねえが。なんで寮にいるんですか?」

 石川はおくさないやつだった。どんどんからんで行く。

「実家は、姉ちゃんが子連れで出戻ってきて、オレの部屋あらへんのや」

 青年は、ほんのり、家庭の事情を匂わせた。



 次の週末、ぼくらは、その宮崎さんに連れられて、電車に乗って梅田を通り過ぎて、どこだかわからない商店街へ、たどり着いた。アーケード街を歩いて行く。

「ここへ来たら、まず、猫カフェや」

 宮崎さんの先導で、ぼくらは、まず猫カフェに行くことになっていた。


「猫カフェ。石川、行ったことあるか」

 ぼくは、今まで猫に触ったこともない。

ねえない。じいちゃんは牛カフェを経営してるけんど」

「そうか」

「そうがって、流すなよ」

茨城いばらきにも牧場あるのか」

「うん。ねこめもいぬめも、じいちゃんのどころには、いだ。山口は?」

「父親が転勤族でさ。賃貸マンションで、生き物は飼えんかった。それに、母親は犬派でさ。ラッシーとか、フランダースの犬で泣くタイプ」

 これ、今、必要な情報じゃないな。危ない。ぼくも父に似てきている。

「猫か」

 ぼくは、ごくんと生唾なまつばを飲んだ。未知との遭遇だ。



 猫カフェは、ビルの2階にあった。1階からあがって、2階が受付で、意表を突かれたのは、猫のいる部屋には靴を脱いで入室することだった。引き戸の格子の向こうの和室で猫たちは、くつろいでいたのだ。

 

 ざっと猫たちを観察している気持ちでいると、観察されているのは、ぼくらの方だった。

 座布団に丸くなっている黒猫。棚の上にふさふさの灰色猫。黒白猫。しましま猫。金目に青目。じっと猫たちは、こっちを見ていた。

(うぉぉぉ)

 なんか興奮してきた。猫好きでも何でもないのに。


「午前中のほうが、猫が遊んでくれるんだ」

 宮崎さんは、猫カフェの常連なのだろうか。

「寝ている子ぉは、そっとしとき。追いかけては、いかん。無理やり抱っこも、いかん。ただ、座って彼らがやって来るのを待ち」

「えぇ、待ってるだけですか」

 ふさふさの尻尾に目を奪われていた、ぼくは消沈した。


「であるからこその、や」

 宮崎さんが示した受付の一角には、猫のおやつ売り場があった。


 てってれって、てー。

 『宮崎さんのおごりで、ぼくと石川は、ちゅーるを2本ずつ手に入れた』


 猫、ぼくらにまっしぐらである。

 石川は、動物とたわむれ慣れた様子だ。

、ちょっとづつ押し出すんだ。そったらに、ぎゅーて押したら、すぐなくなるよ」と、ちゅーるの細長いパッケージの扱い方まで教えてくれた。

 宮崎さんはと振り向くと、部屋の隅に居心地良さそうに胡坐あぐらをかいていた。そこへ黒白の猫が新体操のリボンの演技者の足取りのごとく近づいて来て、宮崎さんの胡坐あぐらの中へ納まった。

「おー」

 ぼくは羨望せんぼうに、うめいた。

 なしで猫を引き付けるとは。なんておとこなんだ。

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