第2話 隙と嫌い
あの入学式から一週間が経った現在。
わたしは一人の人物に付きまとわれていた。
銀色のさらりとした肩まである少しウェーブのかかった髪に、何もかもを見通しているような緑の瞳。
柔和な笑みを浮かべる彼女こそが、史上最強とさえ呼ばれる『勇者』――セイン・ヴィグリッド。
わたしの倒すべき、いわゆる天敵である。
「なんでそんなわたしに構うの」
「面白そうだから?」
「わたし的には迷惑なんだけど」
「うーん。これがツンデレというやつか」
「違うわ。あんた、会話が苦手な人?」
この通り、この女はわたしの言うことなんて聞きやしない。
ただ、この一週間で彼女のことは少しずつ分かってきた。
まず『勇者』というのは、自称ではなく正式な肩書。
王立の冒険者ギルド、そのトップに君臨する者たちがその称号を与るらしい。
冒険者志望も多いここアドリア魔術学院においては、まさに彼女は憧憬の的、スーパースター様的な立ち位置らしい。
そんな存在がわたしにばかりひっついているものだから、周りからの印象は最悪だ。
――憧れの勇者様を占領する、よく分からないモブA。
傍からはそんなとんでも解釈をされ、わたしはすっかり孤立してしまった。
一人で廊下を歩いていた時、「あの子露骨に可愛いアピールしてんのほんとムリ」と耳に挟んだりもした。
少なくとも新入生の間では、わたしの話題でもちきりだろう。
もちろん悪い意味でね。
あえて数少ないメリットを上げるなら、標的がすぐ目の前にいるということ。
最終的にわたしの目的は、こいつに勝利すること。
それがどうだ、こんな近くにターゲットがいる訳だ。
表面上でも仲良くしておけば、きっと隙を見せるに違いない。
平和な学園生活の夢は消え去ったが、目的を果たすには絶好な環境だ。
この状況をうまく利用して、わたしはあの家から開放されてやる。
ふふ……そう考えれば悪くない。
この状況では、そう自棄になるしか無かった。
「どうかしたの? なんだか不気味な笑みを浮かべているけど」
「う、うっさい……! てかそれより、放課後にどっか寄っていかない? わたし良い喫茶店見つけたんだ、一緒に行こうよ!」
「情緒がすごいね……。でもいいよ。君からそんなデートの誘いをしてくれるなんて初めてだし、楽しみにしておくよ」
「で、でしょでしょっ!! 楽しみにしててね!?」
ちくりと、わたしの心を刺すような感覚。
でもやるしかない。
こんな絶好な機会、そうそう無いのだから。
帰り道、襲撃地点は決めてある。
人気のない場所で、死なない程度に痛めつける。
本当は
けれど大きな問題がある。
どうやってそれを証明するのか。
自白……は心許ないし。
録画……は倫理的に駄目な気がするし。
拉致……はさすがに可哀想だし。
まあなんとかなるか。
こいつの心を粉々にへし折れば、きっとたぶん……それは勝ちと言ってもいいだろう。
悪いけどマイライフの為に犠牲になってもらうとしよう、最強の『勇者』さんよ。
「どうしたの? なんだか複雑な表情だけど」
「え……そ、そんなことないよ? いやあ、放課後が楽しみだなあ!」
「そうだね」
そっと視線をそらしながら、わたしは適当に返したのだった。
◇
放課後はいつも、彼女はクラスメイトに囲まれている。
「セイン様!! 私といっしょに帰りませんか!!」
「いいえ、
「勇者セインよ、今日こそ我と勝負してもらうぞ……!」
「セイン様! 今日の下着について詳しく教えてくださいな!」
変態は変態を呼び寄せるのか。
いや、認めるよ。やつはわたしと違い人気者だ。
だからこうして、わたしが絡まなければこうしてクラスメイトに囲まれているわけで。
そして彼女は、向けられた好意を無下にはしない。
できないといった方が正しいのか。
笑みを浮かべてはいるが、その対応に困っているのが分かってしまう。
ああもう、しょうがないな!
普段ならやっと開放されるとうきうきと帰宅するのだけど、今回は違う。
わたしはずかずかと人混みの中からその手を拾い上げる。
「え?」
「わたしとの約束が先だから!! でしょ!?」
「う、うん」
場が静まり返るのをよそに、わたしはその手を引っ張り出した。
連れ出された彼女が、その頬を緩ませていたのには気づかないまま――
◇
校門をくぐり、目的の場所へと向かう。
「ねえ、なんで断らないの。わたしに対してはいつもぐいぐいくるくせにさ」
「君は特別だからね。……なんて、そんな風に誤魔化す空気じゃないか。まあ単純だよ。あまり断れない性分ってだけさ」
「嫌な特別だな。でも確かに、あんたって他のクラスメイトには付き合い良いよね」
「本音を言うとね、わたしは期待を裏切るのが怖いんだ」
「それはなに、『勇者』だから?」
こくりと、彼女は首を振って肯定する。
彼女の場合は特に、最強の『勇者』ということもあって背負う期待は計り知れないと思う。
彼女が残した伝説。
年間三十八もの迷宮を、新人の冒険者が単独で踏破した。
加えてその大半が決して簡単なものではない。
そして、次の年には最高難易度にまで到達し勝利を収めた。
観たことはないけど、彼女の伝説は映像として残っている。
眉唾だと罵る恥知らずはいない。
正直わたしなんかとは住む世界が違う、何もかもが異なる人間。
「理想の私を裏切ることはしたくない。いや、してはいけないんだよ」
「分かんないよ。つまりどういうことなの」
「冒険者としての使命は大方果たした私がこの学園に来たのは、別に研鑽の為じゃない。人との付き合いを学ぶこと。他人の理想を裏切らない、そんな完璧な存在になる為だと言い聞かされたよ」
「…………」
絶句した。
なんだよ、なんだよそれ。
もう実力は充分だって?
魔族なんか敵じゃないって?
だから人として、他人にとって完璧な存在とやらになる為に生きてます――そう彼女は言ったのだ。
そんなの……おかしいよ。
わたしは確かに、自分のことばかり考えるどうしようもないやつだけど。
それでも、そんなわたしだから思うことがある。
「あ……」
いつの間にか、計画していた道。
人気のない、暗い路地の裏へとたどり着いていた。
「ここを通る必要があるの?」
「う、うん……隠れた名店的なあれでね……。ここからじゃないといけないんだよ……」
奥へと進む。
更に暗さが増すこの場所。
視界も悪く、上手く動くことも出来ないだろうここで、彼女を討つ。
でも、
「これで、いいの?」
思わずそんな心の内が漏れた。
彼女は何もいわず、わたしの後を付いてくる。
聞こえなかった……なんてことは無いはずなのに。
何だろうか、この思いは。
この不可解で難解な感情は、一体なんだろうか。
「もうすぐ、だから」
「うん」
思い返すには、彼女との付き合いは短すぎる。
あえて言うなら、マイペースでこっちの話なんか聞かないし、べたべたとくっついてくるし。
そのせいで同級生からは距離を置かれるし、なぜかわたしの方が付きまとってることになってるし。
いや、思い返せるじゃないか。
散々な思い出だとしても、わたしの脳内には刻まれた。
「ひとつ、聞かせて」
「なにかな」
「あんたにとって、敵って存在はいるの?」
「……敵?」
「そう。別に人間でもいいよ。倒すべき宿敵とか、意識してる冒険者とか。そういうのを教えて」
その問いに、彼女は眉根を寄せる。
言葉巧みに言い逃れをさせないように、わたしは真っ直ぐに彼女の瞳を射抜く。
迷っているのは、それを言葉にしていいかどうか、それだけだ。
「何の意味があるか分からないけど、正直に言うよ」
彼女は観念したように、胸の内を白状する。
敵というのが、自分を脅かす存在だとするなら。
そう前置きをして、彼女は応えた。
「――――いないよ」
はっきりと、そう告げられて。
わたしのこの、もやもやした感情の正体がやっと分かった。
ああ、そうか。
わたしはこいつを、セインを否定したいんだ。
「わたしって案外、嫌なやつだなあ」
「どういう……」
いつの間にか、わたしたちは目的の場所へとたどり着いていた。
閑散とした、暗く入り組んだ場所でわたしは足を止める。
さあ、やってやろうじゃないか。
覚悟を決めろ、わたし……!!
「聞け!! セイン・ヴィグリッド!!」
身を翻し、少し目線が高い彼女の瞳の中で、わたしは声高に叫ぶ。
「ここであんたを痛めつける――――つもりだった!!」
「え?」
理解が追いついていない彼女に向け、わたしは続ける。
「不意打ちで動きを封じてぼっこぼこにして、わたしに逆らえないようにする、そんな卑怯な手であんたに敗北を認めさせるつもりだったのっ!!」
「なにを……言ってるんだい?」
「わたしはあんたを超えるため、ずっとやりたくもない事をやってきた! この学園に来たのも、そんな教育の一環だった!! でもそれが嫌だったから、解放されたかったからわたしはここであんたを討つつもりだった!! けど……っ!!」
言ってしまえば取り返しがつかない言葉だ。
けれどわたしは、この道を行こうと決めたから。
「セイン――わたしはあんたのすべてを否定する。その凝り固まった生き方も、無敗で最強の伝説も、ぜんぶわたしがひっくり返してやる」
「それは……どういう……」
だからさ、わたしが言いたいのはつまり――
「なってやるよ!! わたしが!! あんたを倒す、最強の『魔王』に!!」
「君が、私を……?」
言ってのけた、言ってしまった。
結果的に、わたしが歩む道は父の思い通りになってしまうのかもしれない。
けどこれは、自分で選んだ道だ。
別に後悔は無い。
やれるだけやってやろうじゃないか。
史上最強とすら呼ばれる『勇者』は、史上最強となる『魔王』に敗北するのだ。
「…………君は、すごいね。付きまとってよかったよ」
「付きまとうのはよくない。そのせいでわたしぼっちだし」
「私がいれば充分じゃないか。百人力だよ」
「友達に百人力とかいう概念はありません」
「ふふ、冗談だよ。でも君は魔族の王を目指すんだよね? 人間と馴れ合っていいの?」
「え? えと……そ、そう! 人間を観察することが目的だから! 別に仲良くしたい訳じゃないから!」
なんかこう、セインの前だと見栄を張っちゃうな。
ま、倒すべき宿敵だしね! むしろ健全?
対して「はいはい」と流すセインは、なんだか機嫌が良さそうに見えた。そんなにわたしをからかうのが楽しいか。
まあでも、他の生徒に対する誤解については助力してくれるらしい。
名付けて「打倒セイン同盟」。
発案者がその標的だというのがふざけているが、大真面目にそれを成し遂げるのが、わたしの使命だ。
「じゃあ改めて、よろしく頼むよ。私をしっかり、打ち倒してくれよ?」
「もちろん、期待しててよね」
差し伸べられた手を取る。
わたしより少しだけ、冷たくて柔らかい手だ。
けど、人も魔族もあまり変わらないんだなと。
そんな小さなことで、わたしは少し嬉しくなったのだった。
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