財団と作曲者

 大音楽祭まで残り2ヶ月を切った頃、3通の手紙が同じ日の朝に屋敷に届きました。


 そのうちの1通はヴェルディ伯爵令嬢たちからの招待状で、以前よりも大衆向けで規模の大きい演奏会が来月あるようです。せっかくだから私にも意見を聞かせてほしいとのことで、演奏会前に会って話がしたい旨が記されていました。こちらはロザリンドお嬢様のほうからお返事を書いて貰うこととなりました。


 別の1通は、フェルディナンド王子から私個人に宛てられた手紙でした。連絡が遅れたことに対する形式的な謝罪から始まっていましたが、要点としては、近い内に王都内の指定された場所を訪ねてくるようにというものでした。つまりは召喚状と言っていいでしょう。

 場所はソトビトたちの居住区画にある建物で、王子が多額の寄付金によって名誉職に就いている財団の本部らしいです。その活動目的は、王都内に暮らすソトビト音楽家の正当な待遇と評価の保障なのだとか。関係者の大部分がソトビトであるのは容易に見当がつきます。


 残り1通もまた私宛てで、差出人はエドワードさん。フランカさんへの想いは一旦忘れることにして、しばらく仕事に打ち込むので、私と会う機会も減ってしまうのか残念でならない、という内容が夥しい修辞技法を伴って綴られていました。何度も読み直してみて、言いたいことが単純であるのに気づいたのです。

 そんなエドワードさんの手紙の文面、私から送った手紙への反応として、私の作曲を応援する趣旨の一文も書かれていました。


 ――そうです、私は今、作曲に挑戦しているのです。


 あの夜、ドアを隔てたままで私がお嬢様に頼んだ「贖罪」は、彼女のために、いえ、私たち二人のために曲を作るのを許してほしいというものでした。


 あのドア越しでの問答を経て、私が思い描いたのは自分で作った曲を奏で、それに合わせてお嬢様が歌う光景です。

 それがたとえ表舞台でなくても、それは贅沢で、それは夢のようで、それは……私とお嬢様との関係を確かなものにする方法だと信じられたのでした。


 ――とはいえ。


「難航しています、かなり」

「何を独りでブツブツ言っているのよ。もう着くわよ」


 手紙を受け取ったその日の昼前に、例の財団本部へとフランカさんが御者を担う一角獣たちの「馬車」に乗って向かっていました。

 お嬢様もいっしょです。王子の手紙には、お嬢様は連れてこないようにとは書かれていませんでしたし、そもそもの話、私一人で土地勘のない区画を出歩くのは危険なので誰かと共に行くのは当然です。お嬢様以上に心強い味方はいないのですが、一波乱ありそうな気もするのでした。


「ええと、ソトビトたちの居住区画となると、一角獣もお嬢様も目立ちますよね?」


 他の区画と隔絶されてはおらず、モリビトも普通に出入りしているらしいと言っても、王族は別でしょう。フェルディナンド王子だって、平然と通りをふらついてはいないに違いありません。


「心配いらないわ。後ろめたい事情があって赴くわけではないのだから。騒がれるようなこともないでしょう? 私が彼らから石を投げられる道理はないはずよ」

「それは、そうですが」


 前提として、モリビトに対して表立って敵対思想を持つソトビトが、王都に合法的に留まれはしないはずです。

 だから過度に警戒しなくてもいいとは思うのですが、そわそわしてしまいます。お嬢様のメイドになって以来、同じソトビトの方と会う回数がめっきりなくなり、疎遠になっているからかもしれません。


 目的地に着くと、私を先頭にして建物の中に入ります。私が進んでそうしたのではなく、お嬢様に言われるがままに一番前を歩いたのです。


 吹きつける風の冷たさが痛くなりつつある季節、二階建ての建物内は暖かな空気に満ちていました。カウンターで受付業務をされているソトビト女性に来訪を伝えます。正直、相手が相手なのでいきなり押しかけても日を改めることになるのでは、という考えが私にはあったのですが、すんなりと応接室へ通してくれました。


 屋敷の応接室と比べると、芸術品は何一つ置かれていない、機能的で整然とした空間です。緊張してきた私をよそに、お嬢様とフランカさんが話します。


「よく訓練されている受付だったわ。私やフランカを見てもまったく動じないなんて」

「ですが、王家に対する挨拶としては落第点ではありませんか。お嬢様の訪問を公式に記録するつもりはないのでは」

「いないものとして扱われたってこと?」

「ええ、おそらく。王子にあらかじめ、そうするように言われていたのでしょう」

「まぁ、記録に残さずとも、記憶には十分残ると思うわ。ところで、これから来るのは王子本人だと思う?」

「常駐なさっているとは考えにくいですし、事情を知っている職員が応対するのではないかと」


 結果として、フランカさんの推測は合っていました。


 私たちのもとに現れたのは一人のソトビト男性で、彼自身が言うにはこの財団とフェルディナンド王子が構想している楽団とのパイプ役だそうです。

 モリビトと違って、彼の年齢は見かけどおりのはずですから、40歳過ぎといったところです。中肉中背をした、いかにも穏和そうな顔をしている方でした。丁寧な話ぶりで私にまず教えてくれたのは、王子が人材を募っている最中の楽団の運営方針でした。


 聞き終えたお嬢様は「悪くないわね」と、あたかもあの日の王子の言葉をなぞるような感想を述べていました。


「さて……フェルディナンド様からは、リズトゥール様がすぐには入団を決断されずとも、他のソトビト音楽家との交流や、王子自身が選んだ指導講師への紹介の場を設けよと、仰せつかっております。都合のいい日時をお聞きしてもよろしいでしょうか。こちらからお屋敷までお迎えにあがりますよ」


 男性はにこにことそう言います。


「メリア、出発前に打ち合わせたとおりよ」


 お嬢様はそう言って、別の職員が用意した紅茶を優雅に飲みました。特に味については口にしません。


「ええと、それでしたら……」


 ひとまず1日分の約束を取り付けました。


 屋敷を出発前、お嬢様は私に他の音楽家、特に同族の奏者たちと交流する意思があるかどうかを確認しました。私は嘘偽りなく「はい」と答えました。楽団に入るかどうかは別として、会って話を聞きたいとはかねてより思っていたのです。そしてお嬢様は私の意思を尊重してくださいました。


「それと、これはお願いというより確認事項なのですが」

「なんでしょう」

「現在、集められている楽団員、またはその関係者に、ご自身で作曲をなさっている方はいますか」

「ふむ。それはつまり、作曲家として一定以上の実績と地位にある人物がいるかどうかですかな」

「いいえ。何か作曲のコツのようなものを授けてくれる方であれば、実績も地位も関係ないのです」


 きっぱりとそう言った私にパイプ役の男性は穏やかな表情のままで「ふむ……」と考えこむ素振りをしました。


「リズトゥール様は作曲家志望なのですか」

「え? いえ、そうではありません。ですが、わけあって今は新しい曲を欲しているんです。私だけの……私たちだけの曲を」

「ええ、まさしく我々の中にもそのような考えの持ち主は少なからずいます。既存の曲を極めることに興味を失ってしまった、とでも言えばいいのか、常に新しさを求めている方々がね」


 うんうんと強く肯いた男性が「そうだ、よかったら」と目を輝かせます。


「ちょうどここの裏手にあるアパートメントに住んでいる人物を訪ねてみるといいでしょう。当財団に籍を置き、フェルディナンド様からも声がかかっている若い女性ヴァイオリニストなのですが、作曲もしているのです。彼女からであれば、何か得られるでしょう。ただ……」


 トーンを落とした男性がお嬢様とフランカさんに視線を投げかけ、それからまた私を見ます。


「モリビトの方々との付き合いは苦手のようです」

「それでも王都に居続けているのはなぜ?」


 間髪入れずにそう訊いたのは、お嬢様でした。この王都でソトビトが同じソトビトだけを相手にして、何らかの仕事で生計を立てている日常があるとは想像されていないご様子でした。


「彼女自身が知っているからでしょう、この王都に響く音楽の素晴らしさを。その上で新しい旋律を求めているのですよ」


 男性はそう答え、その女性がモリビトを苦手とする背景を話す素振りはありませんでした。


「……王都でしか味わえない音楽があるのは確かね。なんて、外に出たことがない私が言っても説得力に欠けるけれど。その方の生まれ育ちは王都なの?」

「いえ、南東部の町だったはずです。2つ前、つまり8年前の大音楽祭の時にソトビト楽団員として選出されて以来、王都に移り住んでいます。現状、音楽活動だけで生活しているわけではありません」


 王子の楽団に正式に加われば話は変わるでしょうが、と男性は言い足しました。


 私と同じく外からやってきたソトビトの演奏者。私と違って楽団員に選ばれた人物で、作曲をしている……。私はその方に会ってみたいと感じました。


「会いに行きたいって顔をしているわね」

「えっ。あ、その……」


 お嬢様がベール越しに睨んできます。


「ふん。いいわよ。私たちはここか、馬車で待たせてもらうから。一人で会ってらっしゃい。でも、長居はしないように。置き去りにして帰ってしまうかもしれないわ」

「お嬢様はそんなことをするお方でないと、ちゃんとわかっていますよ」


 初対面の財団関係者がロザリンドお嬢様の人柄を勘違いしてはいけないと思い、私は努めて笑顔でそう返します。お嬢様なりの、親しい従者に対する冗談なのだと。


 意図が伝わったのでしょうか、お嬢様は「そう。わかっているなら、いいのよ」と言って、ティーカップの縁を指でなぞるのでした。


 その後、私はヴァイオリニストの名前を男性から、そして部屋番号を受付の方から教えてもらって、彼女――ナターリヤ・ミルスタインさんのもとへと向かいました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る