オレンジ、切りそろえられた爪

 財団本部と同様に、裏手にあるアパートメントも2階建てでした。各部屋の防音性が高いことが売りだそうです。

 教えてもらったミルスタインさんの部屋、すなわち一階の角部屋の前に到着すると、金属製のドアノッカーを叩き、中にいるかうかがいました。

 財団の人からの情報だと、彼女は夕方前から深夜まで区画内のバーで働いているそうで、お昼にさしかかった今なら部屋にいることも多いようです。


「いないのかな」


 返事のないドアへと私は呟き、ひとまず辺りを見回します。特に彼女の不在を証明するようなものは見当たりません。耳をすましてみれば、どこからか音楽が聞こえてきます。しかも数種類。この場所も確かに音楽の都の一部であるのを感じさせました。


 もう一度だけドアノッカーでドアを低く鳴らし、またしても返事がないのを確かめると、お嬢様たちが待つ財団本部へと戻ろうとしました。


「あたしに何か用?」


 ドアの正面から右へと方向転換、数歩先から向かってくる女性と目線が合います。声をかけてきたのは若い女性。大きなバスケットを抱えていました。


「ナターリヤ・ミルスタインさんですか」

「そうよ。あんたは? あたしのファン……って、そんなわけないか」


 事情を説明しようとすると、ミルスタインさんはバスケットをどうにか抱えたまま、片手でポケットをまさぐり、鍵らしきものを取り出して「ほら」とそれをこちらへと放ってきました。私はあわや掴み損ねるところでしたが何とか落とさずに取ることができました。


「開けてくれる? 立ち話もなんだから、中に入って」


 鍵を突き返すわけにもいかず、私は解錠してドアを開くと「どうぞ」とまずは彼女に入ってもらいました。それから私も内心はらはらとしながら、その部屋へと足を踏み入れます。


「いやぁ、一昨日に大掃除しておいてよかったよ」


 その口ぶりどおり、整然とした部屋です。物自体はたくさんありますが、散らかっている雰囲気はありません。一人暮らしをするには十分な広さ。


「んー、その格好を見るに、物乞いってわけではないし、財団関係者にしては若すぎる。となると、やっぱりあたしのファン?」

「いえ、そうではなくて……」


 お嬢様の勧めで、今日は一音楽家として扱ってもらえる服装、つまりはメイドの格好ではありません。

 お嬢様は私に華やかなドレスを着せたがりましたが、謹んでお断りをして、王都内にいる同じ年頃の女性が着ている普段着とそう大差ないものを着ています。それでも、見る人が見れば素材の上等さがわかる代物なのですが。


 テーブル上にバスケットの中身、食品や生活用品を取り出して並べるミルスタインさんに、私は名前や竪琴弾きであることを含め、簡単な自己紹介とここに来た経緯を話しました。


「へぇー、あんたも王子から例の楽団に誘われているんだね」


 オレンジ色のショートボブ頭の彼女が手を止め、私をまじまじと見ます。その髪色の人と会うのは初めてです。

 財団の男性が口にしていた、彼女の出身地である南東部の町ではごくありふれた髪色なのでしょうか。


「で、彼にどんなふうに口説かれたのさ」


 彼女はそう言って、にやりとしました。


 モリビトが苦手だという彼女に私がロザリンドお嬢様にお仕えしているのをそのまま打ち明けるかどうか、一瞬だけ悩みましたが、言うことにしました。

 誇りであっても恥ではないのですから、堂々と話すべきだと判断したのです。


「……驚いたね。あの王子じゃなくっても、そりゃ、会いに行きたがるよ。あの曰く付きのご令嬢に気に入られたソトビトの演奏者ってだけで十分にさ」


 ミルスタインさんの口調にはさっきまでなかった角がありました。そのつり目の瞳の奥に、私に対する不信感が宿ったのも見て取れます。


「それで、本題なのですが」


 私はこれまでの身の上話から切り替えて、フェルディナンド王子から作曲を勧められた件を話しました。実際、勧められたのは嘘ではありません。ただ、お嬢様と交わしたやりとりをここで彼女に教えるのは悪手であるよう思えたので、より重要な動機であるそちらは話しませんでした。


「作曲のコツねぇ。ところで、お昼はすませた? よかったらここで食べていく?」

「すみません、あまり長くはいられないんです。お嬢様を待たせているので」

「ははぁ、いきなりやってきて、聞きたいことだけ聞かせてほしいってわけね。……そんな顔しなさんな。もっといじめたくなっちゃうだろ。あんたさ、その『お嬢様』にも可愛がってもらっている?」

「……そうだと思います」

「そっか、そっか。なによりだね」


 買ってきたばかりの品々を検分し終えたミルスタインさんは、それらを戸棚や他の所定の場所へと片付け始めます。

 私は彼女に「適当に座りなよ」と促されましたが、室内のテーブルに対して椅子は一脚のみです。私は床に敷かれている手織りの絨毯へと腰を下ろしました。大輪の花のように見える幾何学模様が中央部分を占めていて、暖色系の色合いです。


「素敵な敷物ですね」

「ありがとう。故郷の特産品ってやつさ。あんたのお嬢様のお屋敷にはもっといいのがあるだろうけど」

「どうでしょう。私には絨毯の良し悪しはわかりませんが、これからは特別なものを感じます」


 見れば見るほど不思議な気持ちになる柄なのです。


「まるで、今まで聞いたことのない旋律、知らなかった楽譜に出会ったような」

「それさ、歴史を鑑みるに、あながち間違いじゃない」

「というと……?」

「あたしの故郷をかつて治めていたモリビトはあたしのご先祖様たちに日々、特別な織物を作らせていたらしい。どう特別かっていうと、そこに音を編ませたそうなんだ。わかる? ようは一つの絨毯を一つの楽譜とした。いや、逆か。いずれにせよ、そこには調べが織り込まれた」

「では、この絨毯も?」


 ミルスタインさんは「さあ」とかぶりを振って両手を広げてみせます。


「その柄は伝統的なものだよ。新しい伝統さ。あたしたちがモリビトから解放されてから織り込まれた。いわばシンボルでありモニュメントなんだ」

「解放のシンボルでありモニュメント……」

「新しい時代の一歩を象徴しているわけ。なのに、あたしはモリビトたちにまだ支配されているような街で肩身を狭くして暮らしている。音楽に取り憑かれることさえなかったら、故郷でずっと織物を作って生きていたかもね」

「あの、ミルスタインさんは……モリビトを嫌っているのですか」


 つい思わず口にしたそれは、ミルスタインさんの顔をしかめさせることはありませんでした。彼女は私をじいっと見てから「話がどんどん逸れていくけどいいの?」と言って、薄ら笑いを浮かべました。


「よろしければ、何か作曲の心得を教えていただけませんか」


 さっきよりも丁寧に私はお願いしてみます。彼女に教えてくれそうな気配がないのなら、お暇しようと考えていました。

 彼女の言うとおり、突然やってきて知りたいことだけ知ろうとするのは傲慢な気もします。出直すべきでしょう。あるいは別の当てを探すか、です。


「んー、とりあえずさ、これまでに試したことを聞かせてよ。ゼロから指南しないといけないってのは、こっちもしんどいからさ」


 意外にも彼女はそう口にすると、椅子ではなく床に、私のそばへと座ります。

 そうして私は今日までにしてきた試行錯誤を話し始めました。




 天啓の如く空からメロディが降ってくることはありませんでしま。ゆえに、それまで得てきた知識と技術とを掛け合わせて、どうにか譜面に旋律を起こそうとしてきた1ヶ月。


「話を聞く限り、よくやっている。独学にしては、そこいらの音楽家気取りのモリビト学生よりも真っ当な話しぶりさ」


 彼女が働くバーには、ソトビトだけでなく、若いモリビトたちもふらりと入店してくるそうです。彼女は彼らが話す音楽理論には好感を持っていないようですが。


「あのさ、メリア」


 硬さがなくなって、むしろ柔らか過ぎるぐらいの声。ミルスタインさんはその左手を私へと伸ばします。ヴァイオリニストである彼女が弦を押さえるために用いる左手、その爪は短く切りそろえられているのがわかります。


があるなら個人指導しようか」

「個人指導、ですか」

「そ。あたしが培ってきた作曲法を手取り足とり教えてあげる。でもね、あたしたちソトビトの間では対等な関係を結ぶべきなんだ。わかる? あんたは対価として、あたしに『時間』を提供する」


 下顎に触れる彼女の指先。

 そのひんやりとした感触の私は緊張感、もっと言うと悪い予感を得ました。


「『時間』というのは……」

「皆まで言わせないで。あたしは強要しない、あくまで対等でいたいから。メリア、あんたって男を知らないでしょう?」


 彼女の指が服の上から私の左の鎖骨をなぞります。あたかもそれによって何か響くものがあるかのように。


「……あなたをそういうふうには見れません」

「優しいのね。露骨に気持ち悪がるかもって予想していた。でも、ちがった。ひょっとして、例のお嬢様から触られることがあるの? もっと……敏感なところとか」


 細く強かな指先が小さな蛇のように私の胸元へ近づき、私は反射的にそれを払いのけ、立ち上がりました。すると彼女もまた勢いよく立って、今度は妙な強張りを帯びて囁いてきます。


「その表情、まさか本当に? モリビトのお嬢様と関係なわけ?」

「違います」

「目が泳いでいるよ。可愛い子。こんな形での出会いじゃなかったら――」

「帰ります」


 長居は無用。この人とはもう会わないほうがよさそうです。踵を返し、出入り口へと向かいます。が、彼女は私の腕を掴んできした。ただ、その力は簡単に振りほどけるほど弱くて、脆くて。

 振り返った先の彼女、その顔にあったのは憐憫でした。


「報われないよ」


 か細い声。

 けれど室内に、やけに響きました。


「……何のことですか」

「自覚していない? それとも目を逸らし、耳を塞いでいる?」

「私は――」


 その時、ドアがノックされる音が聞こえました。

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