新風を吹かせて
フェルディナンド王子とロザリンドお嬢様が最後に会ったのは半年前の、現女王の生誕パーティーだそうです。
大々的なものではなく、王家を除くと、ゲストとして招待されたのはほんの一握りのモリビトたち。彼らは、今日のセインヴァルトを築き、明日を担う有力者だったそうです。
「王子は14歳の頃から留学という名目で10年余り世界各地を転々としていたわ。お姫様たちが上に三人もいるせいなのか、王宮での暮らしには早々と嫌気がさしたという噂よ。幼い頃に彼と会った覚えはない」
ロザリンドお嬢様はご自身でベールを選びながら、私に話し聞かせます。屋敷内、そして身内相手であっても耳と顔を隠す理由は敢えてうかがいません。もしかすると身内、すなわち王族相手だからこそなのかもしれません。公の場で耳と顔とを隠すようにお嬢様に命じたのは現女王だそうですから。
「数年前にこっちへ帰ってきてからは、さっき言ったとおり、ソトビト楽団員と関係する事業に携わっているわ。専門というより、関わっている活動の一つみたいだけれど」
身だしなみを整えたお嬢様は私に、フェルディナンド王子を部屋へと招き入れるよう指示しました。それに従ってドアを開くと、壁際で腕を組んで王子がぎろりと睨んできました。お待たせしました、と言い切る前に彼はずかずかとお嬢様の部屋へと入ります。
「ロザリンド叔母様、お久しぶりです。最後にお会いしたのは……お祖母様の葬式だったでしょうか」
「違うわ。お姉様の誕生パーティーよ。そこで直接話したわけじゃないし、私は隅で大人しくしていたから気がつかなくてもしかたないわ。それより、敬語は不要よ。貴方のほうが年上、しかも王子という立場なのだから」
「では、そうさせてもらおう」
お嬢様の溜息交じりの訂正に、王子は憚ることなく答えます。
二人は小さなテーブルを挟んで座りました。お茶をお出しするかうかがうと「遠慮しておく」と王子にばっさり言われてしまいました。お嬢様も手振りで、不要なのを伝えてきます。
お二人の了解を得てはいませんが、私も部屋の中にいさせてもらい、事の成り行きを見守ることにしました。王子が口にした「勧誘」が本気ならいるべきでしょう。
「堅苦しいのは嫌いと風の噂で耳にした。だから本題から話す。メリア・リズトゥールの竪琴弾きとしての力量を確かめに来たのだ」
「その目的を教えて。護衛もなしに、しかも森から来たそうだけれど?」
「経緯を話すと長くなる。叔母様が興味おありなら話すが」
王子の提案にお嬢様はしばし考えこみ、やがて王子の後方、彼の視界の外にいる私を見ました。私が小さく首を横に振ると「いえ、やめておくわ。話を戻しましょう」と言います。
「彼女の腕を確かめたい理由、それは俺が作ろうとしている楽団に加えるのを検討しているからだ」
「新設の楽団? それはソトビトだけで構成されているということかしら」
「いいや、そうではない」
王子の返答を聞いて「へぇ……」とお嬢様は少し驚いた反応を示します。
私もまたそうです。てっきり、ソトビトだけの楽団を新たに作ろうとしていて、そこに私を参加させる算段なのだ思っていました。
王都内には既に大音楽祭の時期以外でも活動しているソトビト楽団員があるのは知っていますが、その規模は小さく、そして表舞台とは言い難いのです。これはエドワードさんからの情報であって、私が直に見聞きしたわけではないのですが。
「俺はセインヴァルトに戻ってきてからというもの、ここの音楽に懐疑的だった。もちろん、音楽の質は決して低くない。教育レベル、その普及についてもだ。音楽大国と言っていい。だが、音楽先進国ではない。むしろ後進国なのだ」
「興味深いわ。どう遅れているのか教えてくれる?」
「伝統という呪縛。それに囚われているのは叔母様も知っているはずだ」
「フェルディナンド王子、貴方が来たのはお兄様のさしがねなの」
レオンハルト殿下のことでしょう。
お嬢様の声には警戒がありました。
「それは話の腰を折って訊くことか?」
「私がこの国の音楽に精通しているか、愛しているかは大事な部分でしょう? けれどね、民の多くは私と音楽とをいい意味で結びつけることはないわ。王家の中でもそれは同じ。貴方がメリアの存在を知っていて、私にこの国の音楽の伝統云々と語り聞かせるなんて、お兄様の影を感じずにはいられない」
「なるほど」
短く返答をした王子の表情は私からではうかがえません。ですが、少なくとも声には動揺は微塵もありませんでした。
「確かに、俺は先週、レオンハルト叔父様と話す機会があった。その時にメリア・リズトゥールを知った。だが、俺は叔父様と違って、あなたを家族の一人として特別に慕うつもりはない。同時に、排斥しようと動く気もさらさらない」
断言する王子の声は冷静そのものです。低く、研ぎ澄まされていました。
「あなたがソトビトのメイドを雇うことに賛成も反対もなく、必要なのはメリア・リズトゥールが俺の思い描く楽団にとって逸材たるかどうかを知ることだ」
「……そう。話を中断させて悪かったわ。どうぞ続けて、貴方の楽団についてぜひ聞かせてほしいわ」
王子の物言いに、お嬢様は苛立ちを覚えているようです。私ははらはらとしつつ、王子の話の続きを待ちました。
「俺が欲しているのはセインヴァルトの音楽史に新しい時代を作ることだ。しかし今ある伝統をすべてぶち壊したり塗り替えたりする暴挙に出たいのではない。外の国の音楽を知り、あるいは聞き過ごされてきた旋律の再発見を通じて、得られるものがあること。そして伝統への固執を捨て去る選択肢があることを世に知らしめたいのだ」
行進曲を奏でるように話す王子に、お嬢様も今度は迂闊に話題を変えることはできません。
「そのために、伝統的な音楽教育の外側で演奏してきた者たちを集めている。モリビトもソトビトもだ。不合格者含めて大音楽祭参加志願者からも、望ましい人材を探しているところなのだ。将来的には選抜した者たちを教育者とした教育機関の設立も考えている。こちらはまだ遠い先になりそうだがな」
「――それが次の呪縛になったら?」
お嬢様の言葉に王子は「ふっ」と笑います。その笑い方はお嬢様をいっそう不機嫌にさせたようで「何がおかしいの?」という声は刺々しさがありました。
「怒らないでほしい。あなたを侮辱したのではない。その逆だ。俺は既に何人かのお偉いさんに今の話をしたが、嗤われたのは俺のほうだった。彼らの視野は狭く、暗い。音楽はこうでなければいけないと頑固さばかりがある。広い世界を知らないのだ。しかし、あなたは……」
王子の声に高揚があります。
「次の世代を、未来を一番に突きつけてきた。嫌味や皮肉であるにせよ、そういった反応は初めてだ。思っていたより面白い人のようだ」
「面白い? 貴方、張り倒されたいわけ」
「怒らないでほしいと言ったが? それに、調べによるとこの俺を力ずくでどうにかできる使用人は雇っていないだろうに。お祖母様の懐刀も一線を退いて久しいはずだ」
「はぁ、もういいわ。とにかくメリアに何か弾かせてみればいいのでしょう。先に言っておくわ。演奏を気に入らなくても、彼女を傷つけるような言い方をしたら許さない。彼女は、私の友人でもあるから」
お嬢様の親愛を嬉しく感じる私に、座ったまま王子が振り向いてきます。
「一人の演奏家として、その演奏については嘘偽りのない評価が欲しいんじゃないか」
レオンハルト殿下とはまた違う微笑み。意地の悪い、でも憎めはしない魅惑的な。
「……竪琴をとってまいります」
無礼だとわかっていましたが、王子からの質問を躱して私はそそくさと部屋を出ました。急ぎ足です。自室に行く前に、エドワードさんたちのもとへと一声かけてからと思ったのです。
一階に下りてすぐ、玄関ホールでフランカさんとばったり出くわします。そばにエドワードさんはいません。
「メリア、話があります」
表情からは話の内容、その明暗が読み取れません。エドワードさんを勝手に招き入れて一人で行動させた私への説教か、はたまた彼と意気投合して、いついつに二人で出かけに行くという報告なのか。
……前者が現実的であるよう思いました。
「あ、あのっ、その前に私の話をどうか聞いてください」
「いいでしょう」
頭ごなしに話さないフランカさんの寛大さが幸いして、私はフェルディナンド王子がたった一人でご訪問なさっている件を伝えられました。そして、わけあって私は彼らのために竪琴を弾かないといけない事情を。
「予定にない訪問者は一人で十分なのですが……」
片手をこめかみあたりにつけて難儀そうな声をあげるフランカさんでした。
「わかりました、お行きなさい。走って転ばないように」
「ありがとうございます。えっと、ちなみにエドワードさんは……」
「彼ならもう帰ってもらいました」
「そ、そうでしたか」
詮索するなとフランカさんの顔に書いてあります。そうして私は歩調をわずかに緩め、私室へと向かうのでした。
竪琴が入ったケースを手に、お嬢様の私室へ戻ると二人は席についたまま、黙って別々の方向へ顔を向けていました。
「小さいな。お前の郷里ではその大きさと弦の本数が主流なのか」
私がケースから竪琴を出すと、フェルディナンド王子が訊ねてきます。同様の質問は屋敷に来たばかりの頃にお嬢様にもされていました。
「そうではありません。亡くなった母が若い頃、古い文献を参考にして、知り合いの職人に作ってもらったものです。ええと、南方の湿地帯付近の村々に源流を持つ意匠のはずです。楽器としての機構は通常の竪琴とそう変わりありません」
「ほう……。文献に記載された地域と年代についてもっと詳しく聞かせてくれ」
フェルディナンド王子が立ち上がって私に詰め寄ってきます。その瞳に灯った好奇心をして、彼が楽器、ひいては音楽を愛しているのがよくわかったのでした。
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