招かれざる客
エドワードさんが言うには、大音楽祭を前にしてソトビト楽団員に欠員が出るのは恒例だそうです。
それはたとえば、規律と指導の厳しさで有名な音楽学校が毎年、新規入学者の二割を半年以内に退学に追い込んでいるのと同様なのだとか。
「もちろん、追い込んでいるのではなく各人の選択なのかもしれない。いずれにしても、新しい環境に順応することに長けた者とそうでない者がいるのはいっしょさ」
審査会を突破してソトビト楽団員となった人たちが皆、モリビトばかりの街での暮らしに慣れているわけではないのです。
私の故郷より遥かに遠方からやってきた人だっているでしょう。音楽の才能だけでどうにかなるほど甘くない、それはおそらく誰もが事前に周囲から言われています。それでもなお、現実に直面して初めて実感できるのでしょう。
「本題に戻るけど、4日前に欠員を補充する旨が発表された。大音楽祭の運営本部が設置されているセントラル大音楽堂からの通達だ。各音楽堂に募集要項が掲示されている。その様子だとまだ見ていないんだね」
「はい。欠員が出るのが普通だなんて、話してくれなかったですよね?」
「おいおい、そんな恨めしがるなんて君らしくないぞ」
「ち、違います。教えてもらっていたけれど、私が忘れちゃっていたのかなって」
「事前に話すことに意味がなかったからさ。だって、君がまだここにまだ残っているのは特殊な状況だろう? 僕たちが町を出た時にはまったく予想していなかった。いいかい、補充楽団員の資格があるのは王都にいる者だけなんだ」
なるほど、と合点がいきます。
元々の予定では、落選していたら町に戻って、またカフェの給仕として働く日々を過ごしていたはずでした。しばしば竪琴を奏でる町娘におさまるというだけの話。
王都内にいる人にしか補充員になるチャンスがないというのなら、審査会前に聞いていても意味がなく、無価値な情報だったのです。
「もし挑戦するとして、殿下は許してくれそうかい?」
「……わかりません」
「なぁ、メリア。ひょっとしてもう、大音楽祭にさほど憧れや興味を抱いていないのか」
「そんなことは。お母さんが遺した日記に書いてあったこと、それからエドワードさんに学んだ十年間……私にとって大音楽祭への参加は一つの――」
夢、という語を口にしようとして躊躇いました。夢、それはお嬢様へと伝えたことでもあります。大音楽祭への関心は今なお確かにあり、そもそもが、聴衆の一人でもいいから直に見聞きしたいと願ってメイドとして働き始めた私です。
でも、と頭を掠めたのは、大音楽祭よりも心を強く震わせている夢なのでした。
「……お嬢様に相談してみます」
「それがいい。さて、それではお屋敷まで送るよ。と言っても馬車を拾うんだけどね」
ただの使用人であるソトビトが一人で王都をうろつくのは、大通りならともかく、中心部から外れた区画では推奨されません。辻馬車を使うにしても、積極的にソトビトのみを乗せる御者はまずいないのでした。
私たちはカフェを出て、夏季が終わって間もない青空の下、適当な辻馬車を探すのでした。
「100年後には馬車が全部、機械に置き換わっているだろうな」
「ですが、その頃には私はもちろん、エドワードさんだって骨に変わっているのでは」
「それは言わない約束だよ」
森の入り口近くで馬車を降り、そこから歩きで屋敷に到着すると、遠くで一角獣の近くにいるフランカさんの姿が望めました。どうやら放牧中のようです。カフェを出た時間から計算すると、今はお嬢様のお昼寝時間といったところでしょうか。
「手紙でも聞いたが、フランカさんがまともに休みをもらっていないのは本当かい」
「お嬢様に非はないです、たぶん。フランカさんはその、時間を持て余すのが苦手といいますか、ああして一角獣たちと触れ合っている時間が十分に休息になっていると話していました」
「遠くからでもあの美しい佇まいは目を惹くものだね」
単に長身だからなのでは。いえ、フランカさんの佇まいに気品があり、私も見習いたいと思っているのは事実です。
「こういうのはどうだろう」
急にかしこまった口調をしたエドワードさんです。
「僕は今からフランカさんに声をかけにいく。そう、一人の男としてね。メリア、君は竪琴を持ってきて、陰からこっそり演奏をし始めてくれ。わかるだろう、いいムードを作る曲だ。昼下がりというよりも、まるで星空の下の……」
「残念ながら、私の師はそういった曲を教えてくれませんでした。あの、本気ですか? ここはロザリンドお嬢様のお屋敷で、フランカさんは侍女ですよ? 何かあったら……」
「このままだと何もないまま1年、いや、10年、50年と過ぎるだろう。それではいけない。あの人との出逢いを運命だと感じたのなら、行動あるのみだ。そう思わないか」
そう情熱的に口にする割には、屋敷に出向いたのはこれが二度目であるエドワードさんです。手紙の文面ではしばしばフランカさんの名前は出てきていましたが、エドワードさんが彼女に顔を覚えられているかどうか怪しいものでした。
「拒まれたら、さっさと引きさがってくださいね。それを守ってくださるのであれば、今回だけ協力します」
「安心してくれ。僕は紳士だ。少しばかり放浪癖があるだけで、王都生まれの本物の紳士なんだ、そうだろう? よし、やってやろうじゃないか、エドワード。そうだ、僕ならできる」
途中から自分自身を鼓舞し始めたエドワードさんを後に残して、私は言われたとおり竪琴を取りに行きます。
敷地内の構造はもう十分に理解できています。私は近道をすることにしました。
ですが、そこには予期せぬ出逢いがあったのです。
正面玄関ではなく、裏口の一つから屋敷内に入ろうとした私でしたが、その近くで一人のモリビト男性と遭遇しました。例のごとく、20歳より上、100歳より下としかわかりません。
彼はおかしな格好です。
身につけている服装は見るからに高価なものですが、あたかもそれを飾り付けるかのごとく、小枝や葉、花弁がくっついているのです。言うなれば、森より生まれし貴公子です。森の中、道なき道を抜け、お忍びでやってきた上級貴族、まさにそういった風貌なのでした。
「あ、あの! わ、私はロザリンドお嬢様に仕えるメイド、メリア・リズトゥールでございます。貴方様のお名前とご用件を伺ってもよろしいでしょうか」
私が怖々と近づいてそう尋ねると、彼はその長髪、レオンハルト殿下と比べて明るめのブロンドをしたそれをかきあげ応じます。
「俺はついている」
「え?」
「森で迷った時はいささか焦ったが、こうして噂の竪琴弾きにすぐに巡り会えるとはな。リズトゥール、今すぐ叔母様のところに案内してくれるか。不用意に二人で話しているのを見られると厄介だ」
「叔母様というのは……」
「お前の主人である、ロザリンド・セインヴァルトだ。ああ、そうか。さっきの答えだが、俺はフェルディナンド・セインヴァルト。早い話が、この国の王子の一人だ」
胡散臭いです。
王子が護衛もなしに一人で森を彷徨い、ここまで来ただなんて。高貴な装いは仮装の可能性があります。振る舞いから感じられる品格は修練の賜物かもしれません。
そんな疑念とは裏腹に私は「かしこまりました」とお辞儀をして、彼を先導することにしました。目の前の彼の真偽がどちらであっても私一人では対処できないからです。
年上の甥と姪がいるのはお嬢様から聞いていました。つまり、現セインヴァルト女王の子供たちのことです。ロザリンドお嬢様とは70歳ほど離れている女王の、ご子息・ご息女がお嬢様より年上なのは自然なことなのです。しかし彼らがこの屋敷に訪ねてくるという話は聞いていませんでした。
私は裏口ではなく正面玄関へとまわります。途中、フェルディナンド王子の顔を知る誰か――理想的にはフランカさんですが、ノーラさんや、ラナとシエルでもかまいません――と会うのを期待しましたが、会えないまま到着しました。……エドワードさんはフランカさんと上手くいったのでしょうか?
フェルディナンド王子を名乗る男自らがその煌びやかな服から枝葉や花を取り除き、玄関ホール内に私の後に続いて入ります。
「先に聞いておこう」
二階への階段を上る前に、彼が私に言います。
「お前はこの屋敷ではなく、街に住居を構えて正規の楽団員として働く気はあるか」
「私ですか」
「そうだ。無論、お前の素質と知識、そして覚悟しだいだがな。今日ここへと非公式にやってきたのは勧誘のためだ」
私は同じ台詞を繰り返しそうになりました。ですが、寸前でそれを飲み込みます。
勧誘? この私を楽団員に……いったいどんな楽団だと言うのでしょうか。
「お嬢様のところへ案内してから、詳しいお話を聞かせていただいてもよろしいですか」
「かまわん」
レオンハルト殿下よりも低い声、粗暴さを感じさせる返答。私は彼に背を向けて階段を上ります。
「――お前は叔母様に自らの命運の一切を委ねているのか」
背後からの問いかけ。私がすぐには返事ができずにいると彼は言葉を重ねます。
「お前は叔母様の遊び相手、人形なのか?」
「いいえ。私は一人のメイドであり、そして竪琴弾きです」
階段を二段すでに上っていた私が振り返ってそう言うと、図らずとも、まだ階下にいた彼と視線の高さが釣り合っていました。
むしろ私の目のほうが高い位置にあるぐらいです。
「ふっ。最初からそういう目をしていれば、余計なことは聞かなかったのだ」
唇を結んだ彼に、再び背を向けて私はお嬢様の私室を目指して上っていくのでした。
私室にはまず私一人で入りました。
王子そして身内とは言えども、寝起きの貴族女性のもとにそのまま案内するわけにはいきません。
顔立ちや物言いをお嬢様に話すと、フェルディナンド王子に間違いなさそうだとおっしゃいました。
「彼は王都におけるソトビト音楽家の地位向上活動に関わっているわ」
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