主従と献身、ずるい子

 レオンハルト殿下の話を中断してまで、伯爵令嬢がこの場にいる人たちへと伝えたこと。


 そこには重要な情報が二つ含まれていました。すなわち、演奏会の選曲は彼女一人によるものではなく協力者がいること、そして私が推理してみせた曲は彼女たちの選択とは異なってはいましたが、決して的外れでなかったことです。


「クララ、それは本当なのかい」


 殿下は眉根を寄せ、ご令嬢へと訊ねます。


「つまり、ここにいる一介のメイドが選んだ曲のほうがよかった、と。……冗談だろう? 僕のせいで君は曲目を変えたわけだが、そうしなかったとしたら、君が作り上げる予定だった演奏会は『不完全』だったと言うのか?」


 笑い飛ばそうとする殿下でしたが、半歩踏み出した伯爵令嬢が先に含み笑いをしたものですから、彼の表情は固まります。


「殿下、お戯れはおよしになって。若輩者である私が、完全なる演奏をできたことはただの一度もございませんわ」

「ほう?」

「セインヴァルトの歴史と共にある無数の調べ、今この時においても新たに生まれているであろう旋律。そのほんの一部しか知り得ない私が、どうして完全なる演奏を果たせるでしょうか。もしも私が完全無欠の奏者であると胸を張って言うのなら、驕りであり欺瞞です。殿下であればご承知のはずでしょう?」


 両者ともに今度は笑おうとせずに向かい合い、互いの心中を推し量っているようでした。数秒後、殿下が小さく溜息をつきます。


「いかにも。君が姉上から高い評価を受けてなお、慢心せずに精進し続けているのは賞賛に値するよ。今日の演奏は素晴らしかった」


 殿下は伯爵令嬢へと右手を差し出し、彼女はそれに応じ、二人は固い握手を交わします。それを解いてから殿下が「ローザ」と気を取り直して言いました。


「僕はまだ、君の可愛い野良猫ちゃんを認めたわけじゃない。引っ掻かれないように君も気をつけるといい」

「ご忠告痛み入りますわ、お兄様。爪研ぎは欠かさないようにしますわね」

「ああ、そうしたまえ。悪いが僕はこれにて失礼する」


 そうして殿下がご退室なさると、ロザリンドお嬢様はフランカさんとリベリオさんに室外での待機を命じました。

 二人は速やかに従い、残ったのは伯爵令嬢とその侍女、そして私とお嬢様だけです。


「ヴェルディ伯爵令嬢は、この後は急ぎの用がおあり?」

「どうぞクララとお呼びくださいませ。ええと、大音楽祭関連の打ち合わせがありますが、まだ時間に余裕はありますわ」

「そう。それなら、お兄様が触れなかったもう一点について、私が聞いてもいい?」


 自分の倍を生きている初対面のモリビトであっても、お嬢様は立場上、下手に出ることはなく、かと言って権力を振りかざすふうでもなく話を進めます。


「ロザリンド殿下がそれをお望みならば従うまでです」

「その言い方は好きではないわ。ねぇ、本心を聞かせて。あなたがもし、さっきの発言にはもう触れてほしくないと言えば、私は触れない。ここに敢えて残した、私のワケありメイドと屋敷に帰るわ」


 伯爵令嬢が私を見ます。

 品定めするような目つきでもなければ、嫌悪を示すこともなく。


「……あなたも竪琴を弾くのね?」

「はい、そのとおりです」

「どこかの楽団に属しながらメイドとして働いているのかしら?」

「いえ、私は……えっと……」


 どこまで事情を明かしていいか判断しかねて、お嬢様に意見を求めます。


「メリアはどこの楽団員でもないわ。私が拾ったの。野良猫なんかじゃないのよ。さて、あなたは私の使用人について聞いた。であれば、私がそうするのも当然ね」


 伯爵令嬢は軽く肯くと、侍女へと目で指示を出します。


 型通りのカーテシー。

 黒髪の彼女が「イゾルデ・アイヒホルンと申します」と特徴的な掠れ声で名乗りました。


「アイヒホルンというと、西方の海岸部に領地を持つ男爵家の名前でなくって?」

「お見知りおきいただいて光栄です」


 前もってリベリオさんがそこまでは素性を話してくれていたので、私も知っていました。お嬢様曰く、ヴェルディ伯爵領とは遠く離れた場所です。どういった経緯でイゾルデさんがヴェルディ伯爵家へと雇われることになったかまでは不明です。年齢はお嬢様とそう変わりない、若い方のように見えました。


「もう回りくどいのはなし。教えて、あなたたち二人合わせて『女王』なのか」

「……はい、と答えるべきですね。これまでの演奏会は皆、イゾルデの力なしではそんな大そうな名で呼ばれる成果を得られなかったに違いありませんから。言うなれば彼女は演出家なのです」

「演奏はしない?」

「それは……」

「できません、今はもう」


 ご令嬢の代わりにイゾルデさんが答えます。彼女は白い手袋をはめた両手、そのうち右手を掲げました。手袋を脱ぎ取らずとも、言わんとしていることは伝わります。

 何らかの理由によってその指は竪琴を含めた諸々の楽器を演奏するのに「不適な」状態にあるのでしょう。


「ごめんなさい、もう少し考えて訊くべきだったわね」

「私の身に余るお言葉です、ロザリンド殿下。あの……言いそびれないように、私からも一ついいですか、メリアさんに」


 二人の令嬢の顔色をうかがいながらイゾルデさんがそう言いました。六つの目が私へと向けられます。


「あなたの選曲には感服致しました。私がまだまだ勉強不足であるのが知れて、よかったです」

「えっ、そ、そんな大袈裟な。思いつきを素直に口にしたまでです」

「そうね。賭け事じみていたわよ。貴女ってば怖いもの知らずだわ、本当に」


 どこか嬉しげなロザリンドお嬢様の声に私は安堵します。その声を聞いてやっと、先の自分の言動が過ちでなかったのだと信じられました。


「殿下、それにメリアさんも。ぜひ、また演奏会にいらしてください。それがいいわよね、イゾルデ」

「ぜひ。なんでしたら、メリアさんとどこかで時間をとって話し合いたいぐらいです」

「あら、主人を放っておいて?」

「クララお嬢様、お二人の前で揶揄うのはよしてください」

「そうね、二人きりの時だけにするわ」


 二人のやりとり、それを眺めているロザリンドお嬢様がうずうずしているのが伝わってきました。ベールで隠れていたって、1ヶ月間、そばで暮らしていればわかります。


 お嬢様は知りたがっているのでしょう、リベリオさんの噂に関して、まだ確かめていない部分を。

 ずばり、お二人の関係性を。

 しかし、さっきのイゾルデさの右手の件もあって軽率には質問を重ねられはしません。


 それならば。

 ここは私が一肌脱ぐ番です。


 こほん、と私の芝居そのものの咳払いは再び三人の注意を集中させました。


「クララ様とイゾルデさんのお二人は、大変仲がよろしいのですね。まるで――」

「メリア」


 低く冷たい声でお嬢様が口を挟みます。やめておきなさい、とそう言っているのです。ですが、その声色は私だけでなき伯爵令嬢たちにも緊張感を与えたらしく、お二人は互いに目配せをしてから視線を逸らしました。


「……弓と弦のようです」


 途中まで口にした手前、私は仲睦まじさを表す喩えを即興で披露します。


「はぁ。ヴァイオリン弾きならともかく、竪琴弾きに使う喩えじゃないわね」

「申し訳ございません」


 軽はずみな試みであったのを反省します。いくら信頼し合っているのがわかるお二人でも、いきなり「恋人のようですね」と言うのは無礼でしょう。彼女たちは主従関係にあるのですから。

 せめて姉妹のよう、いえ、それもまた身分差がある二人を喩えるのに適してはいないはずです。まずはイゾルデさんがいつから侍女をなさっているかでも訊いてみればよかったのでしょうが、後の祭りでした。


「私のメイドが失礼したわね」

「いえ、お気になさらず」

「ありがとう。さて、そろそろお暇させていただくわ。行くわよ」

「はい、お嬢様」


 こうして私たちは噂の真相を得ないまま、部屋を後にしました。


 


 がらんとした廊下を歩いていきます。お嬢様の後を追いかけていると、しばらくしてお嬢様がぴたりと足を止めました。


「メリア、私に何か言うことは?」

「……すみませんでした。出過ぎた真似をしてしまって」


 こういう状況では回り込み、跪いて許しを乞うべきでしょうか。


「まったくよ」


 お嬢様が答えます。私とは背負っている立場も重みも違うその背中で。


「噂の件は気になっていたけれど、ほぼ初対面で全部確かめようとするだなんてあり得ないわ。二人が協力して『舞台』を築いているのが聞けただけでよかったのよ」

「……思慮が足りませんでした」

「はぁ。最後のあれがなければ、私は今すぐにでも貴女を抱きしめて、その慧眼と胆力を褒めたのに」

「そうなのですか」

「『そうなのですか』って、貴女ねぇ……まぁ、いいわ。別に怒ってないから。帰ったら貴女の竪琴を聴かせなさい。それで許してあげる」

「――――抱きしめてくれないのですか?」


 この短時間で二度目の浅慮。

 口が滑ったと思った時には遅くて、撤回する前にお嬢様がくるりと振り返って私を見ました。


「調子に乗らないで」


 上擦った声です。


「いい? 今どこにいて、貴女がどんな恰好をしているかを忘れたような発言は慎みなさい。そういう台詞は、もっと……こう、相応しい場面があるはずよ」

「相応しい場面」


 心当たりがなく、私はとりあえず復唱してみるのでした。お嬢様が肩を竦めます。


「……ずるい子。さっさと行くわよ。二人が待ってくれているわ」


 そしてまた背を向けて歩き始めた、お嬢様の後をついていくのでした。




 ヴェルディ伯爵令嬢たちの演奏会に赴いた日から1ヶ月が経った頃、お嬢様の許可を得て、私とエドワードさんは屋敷の敷地外、王都内にあるカフェで会って話をしました。


 あの審査会の日、行きそびれていたカフェです。コクがあるチーズパイを美味しいと感じると同時に、マリー叔母さんが焼いてくれた林檎のパイを二人で思い出すのでした。


「それはそうと。君は挑戦する気なのかい」

「挑戦? 何にですか」

「何って……大音楽祭の補充楽団員にだよ」

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