原点と原始

 ロザリンドお嬢様は、私に詰め寄る王子を諌めて、席へと再び座らせます。

 そして私は自分が使っている竪琴、つまり母の形見に関して演奏前に詳しく話すように王子から頼まれたのでした。


「――面白い。お前の母親が集めた蔵書というのが、お前の音楽知識の拠り所になっているのだな」


 一通り話してみると、王子は素直に感心を示してくれました。レオンハルト殿下からは頂戴していない反応で、なんだか気恥ずかしくなります。


 私の記憶にある音楽知識はどこが元になっているのか。これは、あのヴェルディ伯爵令嬢たちの演奏会直後にお嬢様からも問われたことでした。


 あの時、なぜあのような曲を思いつけたのか。それは私の師であるエドワードさんからの教えのおかげだったのか、と。

 もちろん、それも正解です。ですが、彼からは主に技術的な部分の指導が中心です。曲の種類や成立経緯、地域間の伝播等々の情報部分は母の蔵書に基づいているのです。


 マリー叔母さん曰く、竪琴の腕前は決して趣味の域を超えなかった母です。しかし、音楽誌や譜面、音楽と関連する伝承録、音楽家の伝記など紙媒体での音楽収集は「ちょっとした資料館」なのでした。


 無論、その資料館を私が頭の中で「音付き」で享受して一部を再現するに至るまでには、音を知るのが必要不可欠であり、エドワードさんのみならず級友や町にいた演奏家の助けもあったのですが。


「あのヴェルディ伯爵令嬢からも賛辞を贈られたと聞いたぞ」

「お兄様ってば、あの演奏会の件も話したのね。悪いように話さなかったみたいだからいいけれど、おしゃべりなんだから」

「父親は存命なのか?」

「……わかりません」


 話の流れで聞かれるのは予想していましたが、上手に誤魔化すことはできませんでした。


「母が亡くなってから半年後に、私を叔母夫婦に預けて、どこかへ行ったきりです。元々、仕事柄、年がら年中旅をしている人だったんです」

「どんな仕事だ」

「王子、そんな根掘り葉掘り聞くことじゃないはずよ。メリアも、そんな簡単に何でも話さないで。誰が主人であるか忘れたの?」

「叔母様は先ほど彼女を『友人』と言っていなかったか」

「それはそれ、これはこれよ」


 ふん、とそっぽを向くお嬢様に何て声をかけたらいいのか迷います。うっかり下手なことを言って怒らせたくはありません。

 迷っているうちに王子が「言えないような仕事なのか?」と答えを催促なさったので私はそちらに応答することにしました。


「叔母夫婦から、考古学者だと聞いています」

「考古学者……。旅をすると言うと、現地調査を積極的にしているわけか」

「はい。あっ、ですが、盗掘を生業としているような人ではないとも聞いています。そこそこ名のある研究施設に籍を置いているとかいないとか」

「べつに疑うつもりはない。かく言う俺も歴史や文化、地理には関心があり、王宮の図書室では得られないものを求めてこの国を出たというのもある」

「そうだったのですね」

「……ねぇ、まだ談笑を、いいえ、尋問を続ける気なの?」


 お嬢様がテーブルを指でトントンとしました。


「わかった、ここまでにしよう。俺もそこまで暇ではない身だ。側近を言いくる……、説得して抜け出してきたが、毎度あいつの胃を心労で痛めつけるのも悪いしな」


 高貴な上司を持つと部下は大変なようです。他人事でない気もします。


「それでは、フェルディナンド王子。私に求める曲がおありですか」

「待ちなさい、私が決めるわ。この私が一番、メリアの竪琴を聴いているもの。あと、早合点しないでよ。メリアの身を貴方の楽団に譲る気はないから。ただ……本人の意志は尊重するわ、できるだけね」


 お嬢様がそう言ったことに私は安心しました。楽団でもどこにでも好きに行けばいいじゃないと言われたのでは、以前に私が直にお伝えした夢の件は泡沫になってしまいます。

 私はまだお嬢様を満足させられていません。私はまだここを離れたくないのです。


 理想的には、他の方々、王子が話したような「伝統的な音楽教育の外側」にいる演奏者たちとの交流だけはしたいというのが本音でした。その交流を通して私の、そう、私だけの旋律を実現できたならと。


「それでかまわない。だが、さっき言ったとおり俺は忙しい身だ。あまりに退屈で新鮮味のない演奏であれば中断させ、帰らせてもらう。いいな?」


 お嬢様ではなく直に私を見据えて訊ねる王子に、私は肯いてみせました。


 聴き手がいつものお嬢様一人から二人に増えただけのこと。なのに、彼の存在感というのは十数人の聴衆が並んでいるかのようです。ふと、審査会が思い起こされます。曲を最後まで弾けなかったあの時を。


「しっかりしなさい」


 いつの間にか席から離れ、私のすぐそばまでやってきていたお嬢様が囁きます。


「いつもどおり演奏に、指先に集中すればいいわ。それができず、彼が気になったとしても……彼ではなく私を見て。いいわね?」

「おおせのままに」

「馬鹿。普段どおり『そうします』でいい」


 それならお嬢様も、普段どおりにその顔を見せてほしい。そう思いましたが口にはしません。ベールの下、あの深海色の瞳の奥を今一度覗き込めたなら、緊張せずに演奏できそうなのに。それとも、かえって惑わされてしまうでしょうか。


 ――いずれにせよ。


「それで、お嬢様。私は何を弾けばよろしいですか」


 私は自分の精一杯を奏でるだけです。




 ロザリンドお嬢様が望んだ曲、それは竪琴の独奏曲としては比較的新しく、ポピュラーな部類でした。発表からは50年、演奏家でもあった作曲者の没後20年程度しか経過していない曲です。

 そして私にとっては、屋敷に来てからお嬢様のために演奏した回数は二、三番目に多い、慣れ親しんだ曲です。つい数日前にも演奏の機会を頂いた覚えがありました。


 お嬢様が用意してくれた椅子に腰掛け、竪琴を鳴らし始めます。


 ヴェルディ伯爵令嬢の演奏会を経て、今日まで私なりの修行をしてきました。

 お嬢様を始めとして、自由奔放な双子や口数の少ないノーラさん、忙しいフランカさんの耳を借りて、まずは基礎練習から見直しました。練習方法というより心構えから。


 どんな音を鳴らせば彼らの耳に心地よく残るのか、私自身はどんな音を響かせたいのか。答えは出ずとも、屋敷内外を彷徨い歩いているうちに、新たな師匠たちと出会えた気がしています。


 たとえば、骨董品がひっそりと納められている部屋の湿り気と暗さ、月の見えない夜に灯されるオイルランプの揺らめき、庭に咲く色とりどりの花々の周りを舞う蝶や蜂、森の木々を抜けていく風、古池を飛び立つ水鳥、羽が作る波紋……。


 街中ではなく、森に囲まれているこのお屋敷だからこそ得られる、原始的な空気の震えと、はっとするような静寂。それら両方とが私に音楽を教えてくれるのでした。


「悪くなかった」


 最後まで聞いてくださった王子の短い感想に、私はひとまずお辞儀をしました。


「……だが、やはり竪琴の独奏曲は俺の好みではない」


 やはりも何も、初耳です。

 好みを言われてしまうと困ります。ヴェルディ伯爵令嬢たちのように一つの演奏会を「舞台」に昇華させて聴かせるならともかく、曲一つで相手の好みを変節させるようなビジョンが私にはありません。


「付け加えると、お前が表現したいことは今の曲で達成できているのか」

「私の表現したいこと……?」

「俺にはお前ならば、もっと別の音色を作れるような気がした。直感的にな。お前にその気があるなら、作曲に挑戦してみろ。なに、上手くいくかどうかは瑣末な問題だ。自分の音楽を持とうとする意志が肝心なのだから」


 自分で曲を作る――?


 それは目から鱗でした。お嬢様が私に言ってくれた、私自身の、すなわちメリア・リズトゥールの旋律。それがあるとしたら、私が作り出した曲の中では……?


 ですが、演奏と作曲とが表裏一体にないこと、ようは優れた奏者が必ずしも卓越した作曲家となれるわけでないのは誰もが知るとおりです。ましてや未熟な私では、とすぐに現実にぶちあたりました。


「それはそうと、別の楽器と合わせてみるのも面白そうだ。団員を編成中の今はまだ、誰それと組んで演奏してほしいとはっきり言えないが……時が来たら、楽団に参加してくれ。それまで腕を磨いておくんだな」

「あの、結局のところ、私の演奏を認めてくれたということですか」

「ああ。悪くない、そう言っただろ。従来の大音楽祭向きでないとも伝えておく。欠員補充に応募する気があったなら、やめておけ。こき下ろされるぞ」


 喜んでいいのかよくないか、いまいちわかりませんでした。


 王子は嘘をつくタイプの人物には思えません。補充員の件はお嬢様に相談するまでもなく諦めるのがいいだろうと頭では答えが出ています。

 それでもすぐには納得できません。

彼は認めてくれたと言えるのでしょうか?悪くない、というのは美点が見つからなかったのを言い換えた表現なのでは……。


「詳細は追って知らせる。手紙か使いの者をよこすとしよう」


 王子は立ち上がり、お嬢様へと軽く頭を下げます。


「叔母様、安心してくれ。あなたのメイドを攫いはしない。だが、近い将来、リズトゥール自身が、ここよりずっと旋律に満ちた場所で生きたいと言い出した時は……どうか心良く送り出してやってほしい」


 お嬢様が何か口にするより先に王子が退室します。


 残されたのは私とお嬢様。


「ロザリンドお嬢様……今の演奏は、その、どうでしたか」

「気に食わないわ」


 そう言って立ち上がると、今度はお嬢様が私へと詰め寄ってきます。あれよあれよと有無を言わさず壁際まで私を追いやります。


「どうして初対面のあの男が貴女を、貴女の音楽を理解しているように振る舞うの。どうして貴女は甘んじて受け入れるの。心良く送り出すなんて、私には……」


 唇をぎゅっと噛みしめたお嬢様はやがて、何か呟きます。


 聞き取れなかった私が聞き返すと、お嬢様はその震える唇を近づけてくるのでした。

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