喝采

 ロザリンドお嬢様に頼まれたフランカさんが私に語ってくれた『グラスジールの骨笛吹き』は、一組のモリビトの男女が恋愛を成就させるまでの紆余曲折を描いた物語でした。


 高原の集落、そこで暮らす明るい性格の女性と、集落と定期的に取り引きを行なっている無口な狩人の男性の二人が主役です。彼らの名前は特に決まっていないそうで、地域によって変わるのだとか。


 フランカさん曰く、短いバージョンと長いバージョンがあり、二人が仲を深める過程は他の昔話と混ざったり入れ替わったりが起きているのですが、二人の仲が深まる結末は同じです。


 物語の終盤、集落にとって長らく脅威であった魔獣――それは狼とも、大鹿とも巨大な熊とも言われているそうですが――を見事に仕留めたモリビトの男性は、その骨で作った笛を女性のために鳴らします。

 その骨笛の旋律は確かに女性を感動させるに足りるものでしたが、女性が欲する愛の言葉ではありませんでした。

 もどかしく感じたのは女性だけでなく男性もです。彼はどうにか女性に愛を伝えたく思って笛を鳴らし続けるのですが、その懸命さが裏目に出て、その音色はやがて女性にとって憤りや拒絶を感じさせるものとなっていきます。


「それでいったいどうなったんですか」


 フランカさんの語り口は上手く、私はついつい演奏を忘れて彼女の声に聞き入っていました。


「女性は集落の長に相談します。以前は狩人への想いを断ち切るようにと忠告していた長ですが、二人の想いのすれ違いを不憫に感じ、女性に別の骨笛を渡します。それは狩人が仕留めた魔獣のつがいである魔獣の骨でできたものでした。ずっと昔に集落の近くで息絶えていた骸の一部で作ったものなのです」

「もしかして、魔獣が集落を襲っていた理由は……?」

「さぁ、はっきりとはしません。その骨笛を委ねられた女性もまた、魔獣たちにあったはずの物語に思いを馳せながら、今を生きている愛しい彼へ笛の音を鳴らしました」


 骨笛の音が重なり合い、通じ合って、ようやく二人は互いが深い愛を抱いていると信じられました。笛を手にした男性はとうとう自らの言葉で女性に言います。


「『僕の奏でる笛の音色を聴いてくれて、その美しい心を星のように輝かせるきみとの、明るい未来を願いたい。そんな未来を信じてもかまわないだろうか』……と。これはほんの二百年前に書かれた戯曲の引用ですが、このような台詞を男性は言ったのです」

「……狩人にしては、その、なんというか気取っていますね」

「戯曲用のものですので。私が知る結末の一つでは、二人は笛を捨て、服も脱ぎ去り、高原中に響く声を上げて何度も交わったというのもあります。こちらがお好みですか」

「えっ、あ、いえ……」


 思いがけない結末、激しい愛の証明に私は顔を熱くします。


「――失礼しました。忘れてください。お嬢様を含め、多くのモリビトが気に入っているのは彼が音楽を頼りに求婚したという部分でしょう」

「なるほど」

「知っているかもしれませんが、我々の間では『あなたのために自分の音楽を一生捧ぐ』というような台詞が、求婚で使われるのはありふれているのです」

「それも初めて知りま………うん?」

「どうしました」


 点と点とが繋がった気がしました。


 私は狩人の求婚と部分的に似たセリフを、ほんの10分前に口にしているのです。そしてそれを受け取った側は彼女の忠実な従者に『グラスジールの笛吹き』の話を私に聞かせるよう頼んで、颯爽と去って行きました。


「メリア? 具合が悪くなったのですか」

「そ、そうではありません。私、お嬢様に謝ってきます!」


 勢いよく立ち上がったはいいものの、その先は動きようがありません。なぜなら私はお嬢様の行き先を、今いる部屋を知らないのですから。


「フランカさんっ、お嬢様がいる場所を教えてください」

「座りなさい。ほら、落ち着いて。どうしたと言うのですか」

「で、でも、私……」


 あろうことか、高貴なるモリビト、ロザリンド・セインヴァルト嬢に求婚まがいのことを口走ってしまったのでは。

 あの時、お嬢様がぽかんとしていた理由がやっとわかったのです。フランカさんに物語を聞かせるよう命じたのは、失言を悔い改める時間をくださったということでしょう。


 喝采。

 金管楽器の五重奏が終わりを告げたみたいです。その後、司会進行役を務めている方が、会は第2部に移るという旨をホール内に伝えました。すると、いささか騒々しくしていた人々が鎮まり、姿勢を正していきます。

 

 もしやレオンハルト殿下のピアノが聴けるのでは、そう予感した私です。

 果たして何人かの係員によってステージにグランドピアノが運ばれてきました。天蓋と鍵盤、椅子が調整されています。そちらに気を取られていた私の腕を、いつの間にかすぐ傍にいたフランカさんが掴んで「さぁ、座ってください」と言いました。


「ここにいれば、お嬢様にお会いできます。話しかけることはできませんが」

「それってどういう……?」


 私の言葉は大きな拍手、先の喝采よりもさらに賑やかな音の群れによって妨げられました。そして、すとん私は元の席に座ります。


 ステージ上に優雅に現れたのは獅子の仮面をつけたモリビト男性、レオンハルト殿下その人です。

 殿下が手振りで、拍手の停止を命じるとぴたりと場が静まり返りました。まるで魔法のよう。いよいよ彼がピアノの前に腰掛けました。仮面をつけての演奏はやりにくそう、そんなことは今この時に至っては瑣末な問題でした。


 一音。


 殿下が軽く鍵盤をはじきました。合図。そう直感します。そしてそれは正しかったことがすぐにわかりました。ステージの反対側から、もう一人の演者が姿を見せたのです。


 見間違えるわけがありません。

 あの方は……ロザリンドお嬢様。


 かくして、稀代の名ピアニストと称されるレオンハルト殿下の伴奏で、ロザリンドお嬢様が歌い始めました。

 歌い出してすぐに、昨夜、私が耳にしたのはお嬢様の歌のほんの切れ端、その歌の余韻と呼ぶことすら差し出がましい音の残滓だったのだと思い知ります。


 歌詞をなぞっていくと、それは怒りと悲しみの歌だとわかります。一人のいたいけな少女の胸中を繭として刻一刻と膨らんでいった激情が、彼女の心身を突き破って、世界へと羽ばたくのです。

 そうした叙情が、凡庸と言われた私の頭にさえも浮かび、しかも振り払えないのでした。


 耳なし令嬢の噂に、類稀なる歌手というものは聞いた覚えがありません。


 であれば、この場に集っている人たちの中で、あの歌手の正体を知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。それともあの殿下が伴奏を担っていることから、見当はついているのでしょうか。


 けれど、ひとたび外に出たのなら、彼らは認めてくださるでしょうか?

 モリビトらしくない耳を持ち、いつも顔をも隠しているご令嬢が、傑出した歌声の持ち主であると。


 歌が終わって、一瞬の間を置き、ホール内を揺るがすほどの喝采が響きます。私は思わず「あぁ……」と嘆息を漏らしつつ、痛みを忘れて両手を打ち合わせていました。




 大邸宅の庭は、騒然とした邸宅内が嘘みたいに感じられる静寂に包まれていました。


 二人がけのベンチに私とお嬢様は並んで腰掛けています。傍らではフランカさんがランタンを持って立っているので私としては申し訳ない気持ちがあるのですが、お嬢様のご要望である以上は仕方ないことです。


「家族同然のフランカを蔑ろにしているつもりはないわ。貴女に見下ろされるのは慣れていないから隣に座らせたまでよ」


 私がフランカさんをチラチラと見ていたのがお嬢様に気づかれたようです。


「それならいっそ地面に……」

「ドレスを汚す気?」

「す、すみません」


 お嬢様の出番が終わってから、15分程度経っています。耳にはまだお嬢様の歌と殿下の伴奏が残っている気がします。

 庭への散策を提案したのは席に戻ってきたお嬢様で私たちはそれに従ったのでした。


「ねぇ、お兄様の言ったことをまだ悩んでいるの?」


 お嬢様が隣からひょいと私の顔を覗き込みます。


「いいえ、正直忘れていました」

「ぷっ。貴女って、本当に大物ね。素直すぎるのはどうかと思うけれど」


あの部屋でレオンハルト殿下に言われたことをフランカさんはまだ知らないだろうに、何の反応も示さず背筋をぴんと伸ばして立っています。時に無関心であること、少なくともそう装うのも侍女の務めなのでしょう。


「お嬢様の歌……あの素晴らしい歌声を思い出していたんです」

「はいはい、さっきからそればっかり。他にないわけ」

「他に? ……あっ! そ、そうでした。お嬢様、申し訳ございませんっ」

「何に対する謝罪よ」


 怪訝そうな声を返してくるお嬢様に私は覚悟を決めて伝えます。


「フランカさんから聞きました。『グラスジールの笛吹き』を。私、とんでもないことをお嬢様に言っていたみたいで」

「あら、後悔しているの? 夢見ていることなのでしょう? ほら、フランカにも教えてあげなさいよ」


 そう言われてフランカさんに目をやると、無言で私を見下ろしています。感じる圧に耐えかね、レオンハルト殿下とのやりとりを含めて、お嬢様が席を離れるまでにあった出来事を説明しました。


「求婚云々はさておき、メリアが一人の竪琴弾きとしてお嬢様に宣誓したことに意味があります。私の知る限り、実兄であるレオンハルト殿下を除いて、お嬢様へ音楽を送ろうと真摯にお考えになった方はこれまでいませんでしたから」


 フランカさんは淡々と述べますが、ランタンに照らされた口許には、優しげな笑みがありました。


「まぁ、そうね。貴女が隣国の王子様や誉れ高い宮廷楽師で、仮面なしの表舞台であったなら、あの時の言葉に本気になっていたかもしれない。ううん、そうでなくても――」


 短い音、それから不思議な感触。お嬢様が私の頰に軽く口付けをしてきたのでした。


「嬉しかったわ、貴女の言葉」


 その囁き声は私を甘く痺れさせるものなのでした。

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