双子と猫と……

 ロザリンド・セインヴァルト嬢のお屋敷にてメイドとして働き始めてから1ヶ月が経とうとしています。「もう」とも「まだ」とも感じられる月日です。


 残り5ヶ月ほどに迫った大音楽祭については、主にエドワードさんとの手紙のやりとり、そして屋敷に定期的に通われている庭師の方やお嬢様の公務に携わる方などから、情報収集をしているのでした。

 とはいえ、残念ながら運営に携わっている人々ではないため、大した情報は得られていません。それに、田舎町で生まれ育った私からすると「あの有名楽団を率いている人のご子息」や「あの名門音楽学校を若くして卒業した誰々」と聞かされてもさっぱりでした。


 それはさておき。

 この1ヶ月で、トレモデラート学院の附属図書館以外でも、お嬢様に同行して外出を何度かしました。公務の一環である文化施設の訪問、たとえば博物館や美術館などに赴く機会がありましたが、どうやらお嬢様は単に読書家であるだけでなく――そして仮面の歌姫というだけでなく――直に芸術作品を鑑賞するのを楽しめる方なようです。かつての私の級友たちの大半が、楽しめない、あるいは楽しまない方々だったので新鮮です。

 

 行く先々、館内でお嬢様は嬉々として私に作品の詳細をご教授なさります。専門の学芸員にお任せしてもいいのに。そう思いつつも、お嬢様の楽しげなご様子を見て、そして耳をくすぐる囁きを聞くのは私にとっても心地よいことなのです。最近は、お嬢様から勧められた美術史の本を読んで勉強している最中でもあります。


 さて、肝心の竪琴はというと。


「あまり上達した気はしないですね……」


 お屋敷の庭近くにある丸屋根のガゼボにて、夏季の日差しを避けて竪琴を弾いていました。お嬢様がお昼寝をされている時間です。急ぎでやる仕事がない私は気分転換にといつもと違って野外で練習をしているのでした。


 通いの使用人の方々が口を揃えて言うことには、こんなにも休憩が多い職場はないとのことです。たしかに、ある時は遠回しに給料泥棒ともなじられたことがあったほどに、私は自由な時間が与えられています。

 広い屋敷なので、毎日、掃除を徹底的にしようと思えば、私一人だと朝から夜までかかりそうなものですが、お嬢様は空き部屋にはほとんど無関心なのでした。ありがたいことに、と付け加えてもいいでしょう。


「太古の竪琴弾きは、鳥や虫の鳴き声、そよ風と川のせせらぎに調べを習ったと聞くけれど……うーん」


 お嬢様がモリビトの音楽家先生を新たに迎えない限りは、私は自力で私の竪琴を極めないとなりません。それは王都を代表に、大都市の演奏家たちに見られる、強固で絶対的な師弟関係や門下制度で成り立っている音楽教育とは非なる在り方です。

 ようするに、ここ王都の音楽の「普通」と異なる方針なのでした。


 だからでしょうか、先日、ノーラさんに約束どおり演奏を披露してみせた時に微妙な反応をされたのは。「まだ18と言っても、ソトビトはすぐに老いるからねぇ」というのは明らかに褒め言葉ではありません。


 もちろん、エドワードさんに助力を求めはしましたが、彼は既に王都で新しいお仕事に就いており、ご多忙です。まだあの日から直接会えていないのです。

 手紙では「馬車を凌駕する、未来の交通機関の発明と発展の功労者となれるチャンスを掴んだ」と書いていましたが……。


「メリアさん、何かお困りごとですか」

「悩んでいるのか」


 琴線から指を離して、しばし呆けていると、左右からふらっと二人のメイドが現れました。


 揃いのメイド服、季節に合わせた涼しげなそれを着込んだ彼女たちの顔もまたそっくりで、ミルクティーのような髪の色合いも同じ。ただ、その長さは違います。全体的に短く切り揃えている子がラナ、三つ編みのワンテールにしているのがシエルです。

 12歳の二人はなんと双子で、しかもなのです。


「相変わらず、日向ぼっこのような演奏をなさるのですね」

「シエル、そんな言い方はメリアに伝わらない。眠たくって欠伸が出るって言わないと」

「ラナってば、それだと心地よいのか退屈なのかわからないでしょう?」

「後者に決まっているじゃないか。メリアの演奏には力強さが足りないんだ」

「そうかしら。私が思うに、メリアさんに足りないのは細部にまで気を配る緻密な表現力。けれど、もしかすると……」

「どちらとも足りないかも」


 大きな耳をぴくぴくっとさせ、最後は二人同時に言いました。意識せずとも息ぴったりなのです。

 少しばかりぶっきらぼうな物言いのラナと丁寧な物言いのシエル。高低差のある二人の声が重なると神秘的な響きがもたらされます。その内容が私の演奏へのダメ出しでなければよかったのですが。


「ありがとう、参考にしますね」


 そう返事をよこす私に二人はにこっと笑い、両隣に腰かけました。


 セインヴァルトでは長らく、双子のモリビト、中でも男女のそれを凶兆とみなし、忌み子として少なくとも片方を早くに葬ってきた習わしがありました。

 その事情が変わったのは、ソトビトを奴隷という立場から解放したモリビトの君主のおかげです。何を隠そう、彼女たちは双子だったのです。ソトビトにとっての偉業である奴隷解放以外にも、双子の女王がそれぞれ成した功績によって、双子は吉兆としてみなされることが多くなりました。

 こうした経緯があってなお、双子の扱いには地域差、それに生まれた家による差が残っているのも事実です。


 たとえばラナくんとシエルちゃんの生家にあたる、とある侯爵家は長い歴史の中で双子を断固として認めてこなかったそうです。

 彼らが4年前、つまりは8歳の頃からロザリンドお嬢様のお屋敷でメイドとして暮らしているのには、込み入った事情があるみたいです。


 この屋敷内で働く分には、ラナがメイドの格好をずっとしている理由はないはずですが……本人に厭う様子がないので私がとやかく言うべきではないでしょう。

 シエルと顔立ちが瓜二つなこともあって、そうと教えられなければ、彼が男の子なのだとはきっと誰も思いません。


「二人とも、森ではなくこっちにいるのは珍しいですね」


 洗濯物であったり清掃であったりを職務にしている双子は、二人でいるのが常で、休憩時には森で遊んでいるのです。

 前に本人たちから聞いたその一連の「遊び」は、私には理解の及ばない、ようは二人だけの世界で繰り広げられているものばかりでした。


「ええ。メリアさんの竪琴の音色に誘われてきたんです」

「そんなおべっか言ってどうするんだ。庭師からの頼みごとを思い出しただけだろう」

「もうっ。空気を読みなさいよ、ラナ」

「メリアだって嘘は嫌いだよね?」

「わ、私は嘘をつくつもりなんて……!」

「大丈夫、わかっていますから。えっと、その頼みごとは終わったんですか」


 左右を交互に見やって私は訊ねます。

 屋敷内の庭の手入れについては、庭師の方とお嬢様ご自身とこの双子たちとで分担しています。


「ううん、今からやるとこ。急ぎじゃない」

「あ、そうだ。せっかくだからメリアさんもいっしょにどうですか」

「勝手なことを言わない。お嬢様にバレたらどうするんだ」

「えー? メリアさん、お嬢様から庭仕事しちゃいけないって言われているんですか」

「……いちおう『棘で指先を怪我でもされたら鬱陶しいからダメ』とは」


 先日、手伝いを申し出た私に対する返しがそれでした。過保護な気はしますが、竪琴を弾くのに支障が出ると困るのは確かです。


「ほらね、やっぱり。お嬢様はメリアを可愛がっているんだ」

「ラナ、それは犬や猫に使う時の言葉だよ。こういうのは『愛されている』っていうの」


 それはそれで違うような。聞いていて、なんだかくすぐったくなる会話です。


 その後、二人にお願いされて私は立て続けに数曲奏でました。暗譜している有名な曲、エチュードの中でも芸術性が高いと認知されている曲たちです。


 二人が視界から消え、私もそろそろ屋敷内に戻ろうとした竪琴を片付けた折に、今度は別の訪問者がやってきました。


 彼はゆったりとした足取りで私へと近寄り、傍らに飛び乗ると、そのまま私の膝へとのそっと移って、音なく丸まりました。あっという間の出来事です。

 黒い毛並みの彼、アルトはなぜか出会った当初から私に懐いているのでした。

 推定4歳から5歳の猫である彼にこの広い屋敷で飼われている自覚があるかは怪しいのですが、お嬢様の計らいで、ノーラさんが彼に餌付けをしています。その意味で森から彷徨い出てくる者たちとは待遇が違うのです。


「……あの、お屋敷に戻るところだったのですが」


 私がそう言うと彼は「にゃあ」と短く鳴きました。お嬢様のご友人である彼を説得して、膝から穏便に退いてもらう方法を私は確立していません。

 そこで私は竪琴に触れるときとはまた異なる手つきで、まずは彼の背中を毛並みに沿って撫でます。反応なし。次に頭の天辺、それから耳のつけ根を試します。ごろんと。彼は無防備にも腹部を晒しました。焦ってはいけません。慌ててお腹を撫でるのは悪手でしょう、私は彼から「撫でよ」の合図を待つことにします。


「楽しそうにしているわね」


 予期せぬ声に私の手が止まります。

 膝上のアルトが「にゃっ」と、まるで挨拶するように鳴きました。声の主、近くに立って私たちを観察していたのはロザリンドお嬢様でした。


「そのままの体勢でいいわ。アルトも気持ちよさそうにしているから」

「決して仕事をサボっていたわけでは……」

「知らなかった? 貴女の雇い主は、メイドが猫と少しぐらい戯れていただけで叱りつける器の小さな人物ではないわ」


 皮肉交じりの笑みも可憐なお嬢様です。ベールで隠されていないので、そのお顔を直に見ることができます。


「ぞ、存じておりました」

「よろしい。ねえ、私も撫でていい?」

「はい。私が許可を出すのも妙な――」


 話ですが、と言おうとしましたができませんでした。寝起きのお嬢様がその指先で触れてきたので。

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