誇り、旋律を求めて

 王族の一人が暮らす屋敷でメイドとして働き、ある時、別の王族から敵意をもった眼差しを向けられる。

 そんな話を一ヶ月前の私にしても決して信じないでしょう。ですが、どちらともが現実に起こっている事態なのでした。


「誤解よ、お兄様。根も葉もない噂だわ」


 ロザリンド様がレオンハルト殿下にそう言います。甘えている柔らかさはなく、やや硬質な声で。


「だとすれば、ここにいる人物は、君が新しくどこからか見つけてきたモリビトなのかい。実は君や僕よりも年上なのか?」

「……いいえ。お兄様が言及なさった審査会で出会った、ソトビトの女の子よ。でも、私に媚びへつらう真似は一切しない、肝の据わった子なのよ」

「それは、必要な礼節を教わっていないだけじゃないかい」

「お兄様、私のメイドを愚弄するのはどうかおやめになって」


 そこまで言われて初めて、殿下はお嬢様へと視線を向けました。殿下に見つめられ、金縛りにあったようになっていた私はやっと解放されます。


「いいかい――僕が許せないのは君が不当にけなされ、軽んじられることだ。受け取った調査報告が示しているのは、メリア・リズトゥールをメイドとして迎え入れることが、君の評判を下げることはあっても逆はないというものだよ。彼女は凡庸だ」


 既にフルネームが、そして素性まで知られているふうでした。王都に入る際に提出した書類にも目を通されたのでしょう。


「なぁ、ローザ」


 唇を噛み締めるお嬢様に殿下はうってかわって優しげに呼びかけました。


「僕やフランカ以外で、君の理解者となり得る存在を、同年代のソトビトで、かつ音楽に長けた人物を手元に置くのを欲していたのなら。なぜ、相談してくれなかったんだい?」


 はっとしました。

 お嬢様が審査会に足を運んでまで求めていたもの、人物。これまで私はその観点を持ち合わせていませんでしたから。


「たとえば……つい昨日、最終審査を突破して正式に楽団員となった中に、将来はこの王都でソトビト奏者として成功しそうな子がいるんだ。黒い瞳のピアニストでね。審査員を務めた僕なら、その子と君を明日にでも引き合わせることができる」


 楽団員として認められたピアニスト。

 しかもピアノ部門は選出審査会の中でも最も狭き門だと聞いています。長年に渡るプロの指導を受けていなければ一次審査にだって通過できない部門であり、最終的な採用人数もわずかだと。


「ああ、ローザ。君が非情になれないのはわかっている。メリアのことは僕に任せていいよ。心配ない。罰なんて与えない。お土産を持たせて故郷の町まで安全に送ることを約束しよう。いいね?」


 殿下がそっと抱きしめようとする動きを見せ、しかしお嬢様はそれをひらりと躱して首を振りました。

 横に振って、殿下の提案を拒んだのです。


「お兄様……私はメリアが弾く竪琴の音色、そして彼女自身も気に入っているわ。上手く言えないけれど、今はそれで十分なの」

「しかし、ローザ」

「優しいお兄様、一つ勘違いをなさっているわ。誰が何と言おうと私はロザリンド・セインヴァルトよ。私を、いいえ、私たちを知らない輩たちの評判はどうでもいいの。彼らの声は届かない。そんな声には決して傷つかない。それが令嬢なのよ」


 蔑称をそうとは感じさせずに威風堂々と口にするお嬢様。その仮面の下が見えずとも、私には確信できました。単なる意地っ張りではなく、お嬢様は本心を真っ向からぶつけているのだと。その熱情は私にも伝わり、目が、耳が釘付けになりました。


「もし、王家の面目を保つのが何よりも大切だと言うのなら、この子を好きになさってけっこうよ。けれど、この私が心から敬い慕うレオンハルトお兄様だったら……」

「待った、わかった、そこまでにしてくれ」


 仮面をつけていない殿下、その面持ちに焦りが浮かんでいるのが見て取れます。


「今回は引き下がるよ。事を急ぎ過ぎたかもしれないな。しばらく様子見といこう。なに、僕らには時間があるからね」


 そう言って殿下は私へと視線を移します。

 数秒間だけ。

 

 ――わからない。


 その視線からはそう読み取れました。

 つまり、ロザリンド様が私への執着心を見せた理由がまるっきり理解できないと。 気に入ったから、で片付けていいのだろうかと。   

 

 お嬢様が私に感じていること。それは、当の私でも言葉にできない、筋道立てて説明できません。

 ですが、もしも世の中のすべてが言葉でどうにかなるのなら、音楽はいらないのではないでしょうか?

 ふとそんな考えがよぎったのでした。




 レオンハルト殿下のおられた部屋を、お嬢様と二人で出て15分から20分ほどしてから、音楽会が開始されました。

 短い開会宣言をステージ上でなさった、獅子の仮面をつけた人物が殿下であるのは大ホール内の誰もがわかったことだと思います。その所作には生粋の王族を感じさせるものがありましたから。


 社交パーティーのような趣から一転、音楽が奏でられ始めると皆がそれに耳を澄まします。その演奏がより優れたものであればあるほど、参加者の手や足は止まり、ひたすらに傾聴なさるのです。

 客席が不定で食事付きであることはこの会が厳粛なコンサートの様式と異なるのをはっきりとさせていましたが、それを皆が承知しているのでした。


 私たち三人はホールの隅のテーブルにつき、給仕された食事と提供される音楽を楽しみます。主従関係にある三人が同じ席についているのもこの会ならではです。


「ロザリンドお嬢様」


 レオンハルト殿下と別れてから何度、声をかけようと思ったことか数え切れませんが、ついに私はお嬢様と話す決心がついたのでした。ちょうどステージ上の弦楽四重奏が一息ついたタイミングです。


「お兄様に声を奪われてはいなかったのね」

「えっ?」

「貴女、ずっと黙っていたから。ねぇ、何を考えていたの? 教えなさいよ」


 お嬢様らしいと言えばらしい、棘のある口調に私は臆してしまいますが、ここで口を閉ざすほうがいけないと自分を励ましました。


「お嬢様のことです」

「貴女自身の身の振り方ではなくて?」

「……それもあります」

「フランカ、追加で飲み物を持ってきてちょうだい。よく冷えていれば何でもいいわ。慌てず、ゆっくり戻ってきて」


 お嬢様の遠回しの注文にフランカさんは「かしこまりました」と言って席を離れました。幕のないステージ、そこでは次の演奏が準備されていきます。金管楽器による五重奏。


「お嬢様、私には夢ができました」

「突然何よ」

「その夢が馬鹿げたものかどうか、ご判断していただけますか」

「いいわ、話してみなさい。聞いてあげる」


 お嬢様はわざわざ席を私の近くへ移しました。


「私は……お嬢様が後援なさっている一人の竪琴弾きだと、誰にどこで紹介しても恥じない演奏者になりたいです」

「それはたしかに馬鹿げているわね」

「不可能ですか?」

「大馬鹿ね。そうじゃなくて、貴女は貴女の演奏を極めるべきよ。世間の評価よりも」

「私の演奏?」

「あの日、そうよ、まだせいぜい一週間かそこらしか経っていないわよね、貴女と出会った日。屋敷で演奏してくれたわよね。私が『女王』のことを話しても、躊躇いなく。忘れたの?」

「もちろん、覚えています」

「あの時、貴女は私の体面や外聞なんて気にしていた?」

「いいえ、まったく」


 私が即座に答えると、お嬢様は「でしょ?」とクスッと笑いました。


「貴女の演奏を、伝統的で厳格な、型にはまった音楽教育を一切受けてこなかったからこその賜物。そんなふうに評することは容易いわ。でもね、それだけではないはずよ」

「つまり?」

「答えを急がないで。貴女自身で見つけるのよ。無論、旋律の中に」

「言葉ではなく」


 お嬢様が肯き、それから「お兄様は時間をくれたわ」と独り言のように言いました。


「……そのご意見はごもっともです」

「まだ納得がいっていない声ね。いいわ、言ってみなさい。ただし、貴女に貴女自身の竪琴を極める意志がないというのなら、即刻、故郷へと帰ってもらうわ」

「夢見ることは許されますか」

「……どういうこと?」


 強引に話を戻した私に、問いかけるお嬢様の声には動揺があります。


「願っていいですか。私の最高の演奏をお聴きになったロザリンド様が、いつのどんな、誰の演奏よりも満足なさって感動してくれる、そんな未来を。望んでよろしいですか」


 ぽかんと。お嬢様の口がだらしなく開いたままになっているのがわかりました。

 

「……これも馬鹿げていますか?」


 おそるおそる訊ねた私に、お嬢様はぎゅっと唇を結ぶとしばし沈黙します。


 やがてフランカさんが戻ってきました。お嬢様が手招きをします。


「そろそろ部屋に向かうわ。メリアのお守りを頼んだわね、フランカ。今夜は貴女もここで聴いていて」


 フランカさんから受け取ったグラスを豪快にあおって、半分ほど一気に飲んだお嬢様が立ち上がってそう指示しました。「部屋」というのはどこなのでしょう。王家所有のこの大邸宅内に、お嬢様のために用意された部屋があってもおかしくはないのですが。


「それから、もう一つお願い。この子に……『グラスジールの骨笛吹き』の物語を教えてあげて」


 追加で出された指示に、フランカさんの返事はワンテンポ遅れます。お嬢様が意図するところがわからなかったようです。私もそうです。『グラスジールの骨笛吹き』だなんて初めて耳にしました。


 五重奏が鳴り響く中、お嬢様がホールから姿を消すと、フランカさんが口を開きます。


「物語の舞台は千年以上前のグラスジール、その高原地帯にあった集落です」

「史実なのですか」

「どうでしょう。セインヴァルトに伝わっている、グラスジールを起源に持つ昔話の中では比較的有名なものです。音楽に関わるものだからでしょう」

「どうしてお嬢様は私にそれを?」


 フランカさんは質問に答えてくれません。そうして、否応無く耳に入ってくる演奏とはまるっきり合わない緩やかな調子で、とある高原の笛吹きの話が紡がれていくのでした。

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