高貴なる兄妹

 ロザリンドお嬢様が私に差し出してきた黒塗りの仮面は、一見すると大きな蝶々のような形をしていました。目元を覆い隠すばかりか、顔の上半分を隠せる代物です。

 散りばめられた煌びやかな金色の点描は夜空に瞬く星々に見立てたものでしょうか。


 つけ耳はというと、標準的なモリビトの耳よりも更に大きく存在感があり、仮面が蝶々ならこちらは巨大な花弁とでも言うべきデザインです。左右で別れておらず、頭部に固定するためにベルト状となっていてその両端に耳がついているのでした。


「どっちとも私のおさがりではあるけれど、文句ないわよね? ドレスのほうは既に三つまで候補を絞り込んでいるわ。最終的な判断は貴女の意思を尊重してあげる」


 ベールに覆われていない素顔のお嬢様がにこりと笑います。ですが、私には何のことだかわかりません。


「……お嬢様。まずはメリアに今夜の件をご説明なさらないと。私からではなく自分で話すとおっしゃっていましたよ」


 フランカさんが助け舟を出してくれ、お嬢様が「あら、そうだったわね」と言って、一つ咳払いをしました。


「今夜はお兄様主催の仮面音楽会があるの。ここにいる3人で出席するわ」

「仮面音楽会?」


 端的に言うと、各人が仮面とつけ耳で素性を隠して参加する、定期的に開催されている会員制の音楽会だそうです。


「貴女が竪琴を披露する機会はないわ。そこは我慢なさい」

「は、はい。えっと……モリビト貴族たちの集まりなのですか」

「ええ、お抱え演奏家を伴って参加する貴族たちが多いわ。けれど中には、いわゆる文化人と称されるソトビトも招待されているのが、参加者たちの間で公然となっているの。結局、誰がいるかを正確に把握しているのはお兄様ぐらいだと聞くわ」


 お嬢様の口から二度出た「お兄様」が誰を指しているのかピンときていない私は、直接うかがうか迷って、フランカさんに視線を投げかけます。

 すると聡明な彼女は心中を察してくれて「先代女王の次男にあたるレオンハルト殿下のことです」と補足してくれるのでした。王都に来てから耳にした噂話のおぼろげな記憶だと、レオンハルト殿下はセインヴァルト屈指のピアニストだったはずです。


「貴女を、私の庇護下にある音楽家として紹介するつもりはないから」

「それでも私は参加していいのですか」

「私のメイドだもの。実際、従者を着飾らせて参加させている人たちもいる。立ち居振る舞いで露呈するケースも多いけれどね。今夜は黙って私の傍にいればいいいわ」


 音楽会と銘打つだけあって、毎度さまざまな演奏と歌唱とが繰り広げられる会なのだそうです。

 モリビト貴族たちの支援を受けている演奏者たちのみならず、主催者側と何らかのコネクションによってゲストとして演奏する楽団員や歌い上げる歌手の数々、話を聞くだけでも心踊ります。


「何をそんなに呆けているのよ。行きたくないの?」

「いいえっ、ぜひ連れて行ってくださいっ」

「そう。なら、さっさと着替えを済ましましょう。フランカ、お願い」


 そんなわけで私たち三人は音楽会のためのドレスアップを始めました。

 私もお嬢様もフランカさんにされるがままです。実に手慣れた様子で彼女は私たちを着飾るのみならず、気がつけば彼女自身も装いが変わっていたのです。


「男装……ですか?」


 そこにいたのは絵に描いたような男装の麗人でした。

 フランカさんはタキシードを纏い、黒い蝶ネクタイをつけポケットチーフまで差しています。手に持った銀色の仮面の形状は猛禽類を思わせ、つけ耳は羽根のようです。


「フランカの場合、女性らしさを前面に押し出した格好だと、背格好で身元がすぐにばれてしまうのよ。本人も悪目立ちはしたくないって言っているわ。ただ……何が言いたいかわかるわよね?」

「こうも着こなしが素晴らしいと、ご令嬢たちがこぞって話しかけてくるのでは?」

「ご名答」


 私たちのやりとりに、フランカさんは何か物申す代わりに、仮面をつけてお辞儀をすると「先に外でお待ちしています」と衣装部屋から出て行きました。


「さて、と。よく似合っているわ、メリア」


 私が候補から最終的に選んだのは、ミントブルーの基調に花の刺繍をあしらった、シルエットが細身のドレスでした。

 お嬢様はネイビーを基調とした華やかさと上品さを兼ね備え、私からすれば動きにくそうな全体像を持つドレスです。シルバーアッシュの髪色は珍しく、ロザリンド様だと特定されやすいので、ブロンドのウィッグを被っています。お付けになった仮面は何かを模しておらず、真っ白でシンプルなデザインでした。


「ありがとうございます。お嬢様こそ、お綺麗です」

「素顔を隠して他の部分で魅せるのには慣れているもの」


 また反応しづらい受け答えをされるお嬢様です。彼女のありのままの顔立ち、美しい瞳だけでなく、たとえばその微笑みの魅力を知っている私としては、隠されたままというのは少し残念な気がするのでした。




 レオンハルト殿下が手配なさった馬車に乗り、会場まで向かいます。昼間の馬車も庶民用ではない外観をしていましたが、こちらはいっそう格式が高く見え、馬たちも立派でした。フランカさんの話だと1時間もしないうちに到着するらしいです。


「あの……一角獣というのは、ひょっとしてお嬢様のお屋敷以外にはいないのですか」


 今更ながら気になったことを訊ねてみます。お嬢様にはまだ訊きたいことがいくつかあるのですが、まずは答えが得られそうなものから。


「逆に聞くわ。王都に来るまでに一角獣を目にしたことは?」

「ありませんでした。たしか彼らの主な生息地はグラスジールの秘境ではなかったかと」


 いつかどこかで読んだ動物図鑑に書いてあった知識です。

 西方および北方はおおよそ海に面しているセインヴァルト。隣接している国が二つあり、どちらともここ二百年は友好関係にあります。そのうちの一つがグラスジールです。


「秘境というのはぼかした言い方ね。元々あの子たちはグラスジール王室からお母様への贈り物だったのよ。詳しいことはまた別の機会に、そうね、フランカから聞くといいわ」


 そうして話題は転々としていきます。専ら主導権をお嬢様が握っておしゃべりを続けているうちに、日が暮れていき、夜の帳が降りる頃、会場へと着いたのでした。


 私の身の丈二つ分の高さの石塀に囲まれた、王家所有の大邸宅です。ロザリンド様のお屋敷よりも広大な敷地――あの森を含めるなら話は変わってきますが――に建てられており、その正門には武装した門衛が待ち構えていました。

 彼らは私たち身なりを見るとそのまま通してくれます。音楽会の入退場をより厳正にチェックしているのは別の人員、正門を抜けて少し歩いた先にある大きな玄関扉の付近にいる揃いの仮面をつけた人たちでした。

 お嬢様は「ここは門から玄関までが近いのがいいのよ」と教えてくれますが、庶民の感覚とかけ離れています。


 正規の参加者である証たる招待状を、フランカさんが仮面の係員に渡します。お嬢様宛の一枚で私とフランカさんの分もまかなえるとのことでした。

 邸宅内に足を踏み入れてすぐ「ついてきなさい」とお嬢様が私の手を軽く引いて、奥へとどんどん進んでいきます。


 人混み。皆が一様に仮面とつけ耳をつけている異様な空間。ですが、仮面とつけ耳以外は想像していた社交パーティーそのものです。音楽会という雰囲気ではありません。


 豪華絢爛な装飾品、聞こえる笑い声、ひしめく囁き、刺激的な香水の匂い、鼻腔をくすぐる食べ物の匂い……それらを振り切ってやってきたのは、一階の最奥部。

 外の受付係がつけていた仮面と同じものをした人たちが扉の前に二人。並んで立つ彼らはロングテールコートを着込んで白手袋をつけています。


 今度はお嬢様ご自身で招待状を彼らに示しました。確認後、彼らのうちの一人が扉をノックします。彼は耳をそばだて、そして返答があったのか、徐ろにドアを開くと、私たちに入室を促しました。お嬢様の言いつけでフランカさんは外で待ちます。


「ごきげんよう、お兄様」


 室内にいたのは仮面もつけ耳も装着していないモリビト男性でした。小さな円卓に向かって座っている彼へ、お嬢様が明朗な声をかけて近寄ります。


 この人がレオンハルト殿下……。


 その肖像画すら見たことのなかった私にはその見目麗しさは衝撃的でした。いえ、妙な言い方ですが、ロザリンド様があれほどお美しいのですから、その兄であるレオンハルト様もまた美形であるのは自然の理なのでしょう。とにかく、彼は異彩を放つ方なのでした。


 お嬢様と殿下はハグとチークキスを交わします。形式的な挨拶ではない、親愛から自然と生じたふうでした。


「紹介するわ。新しいメイドのメリアよ。ああ、メリア、いいのよ、楽にして。この場では、そう、この仮面音楽会だけは礼儀作法から外れたっていい。そうでしょう?」


 あのお嬢様が甘えた口調で殿下にそう言います。


「可愛い妹にそう言われてしまうと、僕がまだ仮面も耳もつけていないと反論するのは意地悪かな。はじめまして、メリア。ローザとはどう知り合ったんだい?」

「まぁ、お兄様ったら、いきなり探りを入れるなんて。メリアはメリアよ。それでいいので――」

「大音楽会、ソトビト楽団員選出審査会」


 殿下が愛妹の声を遮り、並べた語句で空気が変わりました。その転調にお嬢様も怯みます。


「……何のこと?」

「賢明な我が妹らしからぬ、とぼけ方だ。屋敷最寄りの音楽堂で開かれていた審査会に君が姿を見せたという報告が上がっているよ」

「禁じられてはいないわ」

「ああ、もちろんだとも。ローザが音楽を愛しているのは僕が一番知っていると言ってもいい。ただ……」


 殿下の眼差しをわずかな間でも独り占めするのは、王都の女性たちにとって垂涎の出来事なのでしょう。

 ですが、私は今、その視線に背筋を凍らせています。


「ローザにおもねって、屋敷に滞在しているソトビトの少女がいると聞いたものでね」

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