第1話 

 おざなりなお辞儀だけの挨拶をし、着席して教科書類を机に突っ込む。何か奥に詰まっているような手応えを感じ、一度抜いて手で探ると、くしゃくしゃになったプリントが出てくる。保護者面談のお知らせ。また面倒な時期になってしまった。とくに生活態度が不良なわけではないが、良いと言うこともないので、何かしら指摘はされるだろう。それで母さんから講釈受けるのがだるい。

「洋志、コンビニ行こ」

 右斜め前の席から長谷が立ち上がる。テキトーな相槌を打ち、連れ立って教室を出る。ちょうど隣の教室の前を通ると、平良と島田が姿を現して合流する。

「そっち小テストやった?」

 平良が未だ寝ぼけているようなぼやっとした顔をして言う。声色も心なしかあくびのようにこもっている。冴えない顔しているのはいつものことだが、今日は寝癖に、半開きの眼に、目の下の隈といつにも増して寝不足顔だ。

「何の」

 短く長谷が応答する。速度制限のかかっている平良に代わって島田が振り返る。

「数A、数A」

「まだだけど」

 そう返した長谷に、ちゃんと勉強しといたほうがいいぜ、と平良が諦観を孕んだ皮肉な笑みを浮かべる。どうやら寝不足はその小テの所為らしい。徹夜したが、眠くて、あるいは全く頭に入っておらず、いざ本番で手こずったらしい。

「馬鹿じゃねえから大丈夫」

 長谷が一語一語はっきりと嫌味たっぷりに言う。平良が目の端で長谷と俺をキッと睨む。平良は一重で吊り目がちで-簡単に言うと目つきが悪いので、睨むと少しばかり覇気がある。

「頭良い奴はいいよな。こちとら努力してもできねえっつうのに」

「お前の努力は一晩だろ」

 唇を尖らせてあからさまに拗ねる平良の後頭部めがけて言葉を飛ばす。「洋志、キレッキレじゃん」と長谷が囃し立てるように口角を曲げる。

「いや、学校行って帰ってきたら疲れんけ? 勉強する体力なんて残ってねえよ…」

「おこちゃまやん。学校楽しくって、はしゃいじゃうんかな?」

 島田が隣を歩く平良の脇腹を肘でつついて揶揄う。「違うわ!」と軽くキレた平良が肩でぶつかって仕返す。と、よろめいた島田に前から歩いてきた小柄な人影がぶつかり「わっ」と声を漏らす。

「うっわ島田何してんの。ごめんなさい、大丈夫っすか?」

 長谷がすかさず相手に声をかける。女子相手だとチャラそうな敬語に変わる。胸元までの重たい黒髪が慌てたように揺れた。

「だ、大丈夫です! すみません、ちゃんと見てなくて」

 目立って乱れているところのない前髪に必死に指を通して整えている。太くて濃い無造作な眉に重たい瞼。校則に則った長いスカートと黒いタイツを履いたメリハリのない脚。いかにも陰キャ。目も合わないし、男慣れしてないのだろう。

「ほら、島田も謝れよ」

 元凶の平良が島田を肘でつつく。さっきされたまんまだ。楽しくてしょうがないと言う風に口の端が上がっている。先程から周囲から好奇と煩わしさが入り混じった視線を感じる。早く抜けたい。

「すいませんでした」

 些か不服そうに目を細めて低い声で島田が言う。謝られた女子は周囲の視線に耐えきれなくなったのか「全然!気にしないで」と歩みを進める。遠ざかっていく女子の背に長谷がへこへことお辞儀をし、上体を戻して口を開く。

「あの子見たことあるわ」

 すっかり口調が戻っている。いつだったか、休み時間にこの切り替えがキモいと女子たちが話していたのを思い出す。

「カミヤくんとちゅーしてた」

「え」

 島田が言外に「地味なのに」と含みのある声をあげる。一階へと階段を降りながらとっておきのゴシップを披露できる機会を得た長谷が得意げに口角を上げる。歪んだ表情に性格が出ている。

「昨日かな、昼休みに南階段の屋上の手前あたりでこそこそ密会しててさ。たぶんあのだろうけど。あの女子がお返しに強請ったのがちゅーだったんよ」

「見たんかよ」

 平良がつっこむ。のネタを直に聞けて興奮しているらしい。

「めっちゃ覗いてたけど、女子の方がカミヤくんにお熱だったから気づかれなくて」

「どんなんやったん?」と長谷の言葉に平良が下卑た笑みを滲ませる。

「かわいいって囁きながら一回して」

 「一回じゃないん!」「うるせえぞ、童貞」「…お前もやん」と色めきたった平良と小馬鹿に嗜める島田が戯れる。一段落してから長谷が続ける。

「『ちゃんとして』って強請らせて、また」

 「え、べろちゅー?」「そこ詰めるんキモいって」と再び童貞ムーブをかます平良に嫌気がさしたのか島田が棘を吐き、その様子を見ていた長谷が「いや、」と眉を下げて平坦な声を出す。

「そこまでは分からんけど。ディープなのはカミヤくんしなさそうじゃない?」

「確かに」と妙に納得したように平良が首肯する。

 ダラダラ歩いてようやく生徒玄関を出ると、十一月の冬めいた硬い風が頬や手を刺す。ぶわっと全身に鳥肌が立って身震いする。そろそろベストの出番かもしれない。 寒い寒いと駄弁りながら、校門を通って坂道を下る。人気のない寂れた公園の裏を用水に沿って進むと右手に水色の看板のコンビニが現れる。ピロリロリロ〜♪と鳴る自動ドアをくぐると、同じ制服姿で店内が賑わっていた。

 さっさと人並みをすり抜け、250mlのホットのほうじ茶、焼きそばパン二つ、ナゲットを手に取り、袋をもらって会計を済ませる。外に出てほうじ茶を両手で持って暖をとる。中にいてもよかったが、混み合っていて邪魔かもしれない。三人が出てくるまで待とう。

 「清瀬早くね?」と一番に平良が出てくる。長谷は決めるのに時間がかかるタイプで、島田はその尻を追っているのだろう。飯ぐらい自分が食いたいの選べばいいのに。

「お前らが遅いの」

「そうか? 清瀬いっつもおんなじの食ってね?」

「好きだから」

「好き嫌いすると大きくなれないですよ?」

「…俺より10センチ小せえやつに言われてもなあ」

 と平良の頭頂部を見下ろす。平良の髪はアホ毛が多く、ごわごわと傷んでいて、高校に入るタイミングで染めたらしい地毛より少し赤茶色いハイライトが入っている。正直、目立たないが本人はよく自慢げに指を通す仕草をする。校則はもちろん違反だが、知る限り、今のところ何もお咎めはない。

「えっ清瀬可愛い〜」

 声のした方に目を向けるとクラスメイトの西口軍の首領ドン・西口仁菜がとりまき一人を従えて店内から出てきたところだった。二人とも細すぎない、まっすぐな脚を見せつけるようにスカートを短く折っている。見るからに寒い。

「寒いん? カイロいる?」

 とブレザーのポケットからふにゃふにゃのカイロを取り出しこちらに差し出す。それを手で制して、二周りは小さいだろうか。カイロを持った手とその先にある脚を見つめる。

「…女子からもらうのは気が引けるし、いいわ。そんなカッコなんやしあったかくしときな」

 ほええ、と隣から聞こえた吐息を無視する。西口が元から大きな目をさらに大きく見開き、はにかむようにとりまきの子と視線を通わせる。

「じゃ、そうする…」

 と尻すぼみに言って手を引っ込め、逃げるようにとりまきと腕を絡ませて去っていく。ほうじ茶に目を落とすと平良から肩でど突かれる。

「お前それやめな」

「やっぱモテるやつは違うな!」

 は、と声を上げると「なになに〜」と島田と長谷が出てくる。歩き出しながら嬉々として、先ほどの出来事を少し誇張して平良が二人に伝える。

「平良と違って、洋志は気遣いができるからなあ」

 長谷が寒そうに首をすくめる。島田がうんうん頷きながら「平良と違って、勉強もできるからなあ」と長谷の口調を真似る。「平良より背も高いし、イケメンだし」と長谷が言い募ると「もう何も言えんわ」と引き合いに出された本人が不貞腐れる。

「ぶっちゃけ、うちのクラスの女子はカミヤくんのことが好きな奴と、洋志のことが好きな奴の二極だと思う」

「それはないだろ」

 目を細めて異議を唱えると、「ありえなくはないな」と平良まで賛同する。

「別にみんながみんな好きな人がいるわけじゃない。好きな人がいる奴は、って話」

「それにしても、神谷とは並ばないだろ」

 この手の話は苦手だ。なんでそんな、誰が誰のことを好きだ、なんて話に興味が持てるのかが分からない。所詮他人の実らない話だ。知って何になる。

「いや、体育祭と文化祭で女子は洋志の良さを知っちゃったからな…」

 リレーが云々、運搬が云々と何度も聞いた話を掘り返す。

「とりあえず、西口は好きじゃん? 西口軍は…あと下っ端に二人いるし、吉沢軍なんてほぼじゃね……で、橋本さんと乾さんもでしょ。九人!?」

「モテモテやん。やば」

「ガチ半数やし。うちのクラス、女子全体で18人やから」

 そろそろ面倒になり、三人を抜かして先頭をきって校内に入り階段を登る。別に鼻に掛けているわけではないが、女子が避ける理由ってそういうところだと思う。何するかわからないうえに、ろくなことしないし、内輪でこそこそ共有して盛り上がる。

「何でそんな把握してんの」

「いやマジ、女子って分かりやすい。教室とか廊下で恋バナしとるし、西口とかは態度でわかりやすくね? あと奥手な子の背中押してあげたりとかしとるし。それで最近、吉沢軍ギクシャクしてんの。吉沢が『清瀬のこと好き』って仲間内で言ったみたいで」

「エグ〜! 牽制ってやつ?」

「かもね」と長谷が気取って肩をすくめる。

 教室に辿り着き、俺と長谷は自分の席に、島田と平良は近くの空いている椅子を借りて陣取る。コンビニのロゴが入ったビニール袋から焼きそばパンとナゲットを机に出す。パンの袋を破るとフルーティーなソースと青のりの香りが食欲を掻き立てる。大きく口を開いてかぶりつき、甘辛い焼きそばの味を楽しみながら咀嚼する。「清瀬可愛い〜リスみたい〜」と先程の西口の口調を真似て平良が揶揄うので小突く。

「あ、カミヤくんだ」

 長谷がつぶやく。教室の扉が開いて、一瞬、気づかないくらいの間で、教室中の会話が止まる。まるでそこだけ光が差しているみたいだった。一瞬の沈黙なんてものともせず、教室に入り、細い指を取っ手に掛けてカラカラと扉を閉める。

 その一挙手一投足を見ていると、凪いだ瞳と視線が合う。思わず唾を飲み込む。笑ったのか。人間味がないほどバランスの整ったパーツ。その薄い唇が弧を描いたように見えた。心臓がドクッと跳ねる。

 細い腰からストンと伸びた長い脚で窓際の自分の席に向かい、隣の席の女子に「おはよう」と小鳥のような軽やかな声で挨拶をする。女子は恥ずかしそうに微笑んで「おはよう。ちゃんと来て偉いね」と返した。えへへ、と長いまつげに縁取られた柔和な目を細めて笑い、机に伏せる。

「いいなあ。俺も来るだけで褒められたい」

 女子から、と耳だけで聞いていた平良が椅子の背もたれに頬杖をつく。神谷の方に吸い寄せられていた長谷と島田の視線も自然とこちらに戻る。何やら島田がニヤニヤと笑っている。

「山本ちゃんに頼めば? 『学校来たから褒めて』って」

「は、あんなのに褒められても嬉しくねえわ」

 山本ちゃん、平良の幼馴染の子か。黒髪のボーイッシュなショートヘアのちっちゃくてよく動く子、というイメージ。何かとできない平良に手を焼いてくれていて、平良のことを好きなのでは、と島田から聞いている。平良も素直じゃない、とも。

 焼きそばパンの最後の一口をよく噛んでからほうじ茶で流し込む。ナゲットをぱくつき、これもほうじ茶で流し込む。手を合わせて「ごちそうさまでした」と心の中で唱え、ゴミをビニール袋にまとめてスクバに押し込む。

「そろそろ教室戻らんでいいの」

 と時計に視線をやって長谷が声をかけ、チョコチップパンを分け合っていた他クラス二人が立ち上がる。ちょうど予鈴が鳴り、口から飛び出したパンを押し込んで足で椅子を下の位置に戻す。

「じゃ、戻んますわ」

 平良がひらひらと手を振り、島田が後に続いて教室を出る。長谷も黒板の方に向き直り、ガタガタと着席したり、机に教科書を出したりと、教室全体が授業に備え始める。ただ一人を除いて。

 机の中から英コミュの教科書たちを取り出し、左の、神谷のほうを窺い見る。窓のほうに顔を向けて机に臥している。柔らかい髪がキラキラと光を反射し、呼吸に合わせて薄い肩が上下する。先程登校してきたばかりなのに、もう寝るのか。

 ジーッ…と本鈴がなる前の音がする。教師が大きな音を立てて入ってきて教卓に教材の入ったカゴを置く。


 キーンコーンカーンコーン…


 教師が「はい」と言って会長の号令で授業が始まった。

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魔性 由比 瑛 @motomushi

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