魔性

由比 瑛

天使の午後

 閉ざされた屋上の扉の前。広い踊り場となっているそこに、一組の男女がいた。

 女子生徒は強張った面持ちで頬を赤らめ、おぼこい瞼を震わせ俯いている。正座を崩して座り、小さな両の手で制服のチェックスカートを握りしめる。

「あのねっ、キス、してほしい…」

 絞り出した声に、隣に座る男子生徒がわずかに眉を上に動かす。予想外の言葉に驚いたようだった。が、すぐに目を細めてとけるような甘い微笑に変わる。こきゅ、と女子生徒が喉を鳴らして息を呑む。

「いいよ」

 そう言って左手を伸ばし、女子生徒の頬を覆う髪を耳を撫でるようにかける。びくっと肩に力が入ったのを見て、紅潮した頬に細い指先をするすると滑らせ、きゅっとした口角をあげて笑いかける。

「かわい」

 吐息のような言葉に女子生徒の視線が揺れる。男子生徒が焦らすように無色のリップクリームで潤った唇を見つめる。薄い瞼が伏し目になり、ゆるく上向いた長い睫毛に女子生徒の目が留まる。すっとした鼻。長い睫毛に縁取られたぱっちりとした二重の目。血色感のない薄い唇。小さな顎と脂肪の少ない白くなめらかな頬。繊細で直線的な輪郭。

 底の見えない濡れた瞳が彼女の躊躇いを射抜く。吸い込まれるように見つめ合い、触れ合った二人の手が絡み合う。繋いだ手をぎゅっと握って男子生徒がいたずらに微笑む。軽く瞼と閉じて唇が重なるすれすれで止まり、ゆっくり瞼を上げる。その仕草の色っぽさに女子生徒の胸が騒がしいほど高鳴る。

「ちからぬいて」

 互いのおでこがすれ合う。女子生徒の肩がふるふると揺れながらぎこちなく降りるよりも早かっただろうか。ふぬ、と唇が触れた-のも束の間、すっと男子生徒が身を離す。ふふっと幼い子のように得意げに笑う。女子生徒の唇が何か言いたげに開いたあとぐっと引き結ばれる。

「なあに?」

 笑みを隠さずにもったいつけて男子生徒が言う。女子生徒の眉根に皺がよる。だがすぐに降参したように力無く俯く。

「もっと、ちゃんと、ちゅーしてほしい、です」

「なんで敬語なの」

 とからからと笑う。笑みをおさめ、端正な顔を再び近づける。今度は食むように唇を動かし、ちゅ、ちゅと何度も口づける。不敵に微笑みを崩さず、彼女の瞳を覗き込み長く、長く唇を重ねる。

「どうだった?」

 身体を離して男子生徒が尋ねる。え、と声を漏らして視線を彷徨わせる女子生徒の手を取り、手の甲に唇をつける。びくっと驚く純情な彼女の反応を見て、少し意地悪な笑みを滲ませる。

「よ、よくわかんなかった…けど、やわらかかた」

「『やわらかかた』か。そっか〜」

 揶揄うように繰り返す。女子生徒が恥ずかしそうに頬を膨らませる。

「かわいいね?」

 とさらに言い募ると、耳まで紅潮させ目を潤ませる。満足げに男子生徒が笑うと予鈴が鳴った。

「残念。戻らなきゃ」

 男子生徒が肩を落として言う。女子生徒は現実に戻ったように、いそいそとそばに置かれたお弁当箱を片付ける。

「…じゃっ、じゃあね」

「うん、ありがと。またね」

 階段を駆け降りる女子生徒の背中を見つめ、物憂げに溜息を吐く。そうして自らも気だるく階下へ降りていった。

 

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