第20話 俺のだから side トキ


砂那が駆け足で中庭を後にした、今、この時。俺は、静かに中庭に佇んでいた。きっと今頃、砂那は屋上で二人を見つけて、和解をして、そして――報告する。



「トキくんと付き合うことになったの」



その時の、顔を真っ赤にして話すだろう砂那を想像して、心臓がキュッと音を立てて収縮する。かわいい。砂那の照れながら、戸惑いながら話すその瞬間を、俺もみたかったな――なんて、そんな事を思いながら。



「でも、そっか……」



砂那も俺のことを好きでいてくれた。それだけで、こんなにも満たされた気持ちになる。俺、やっと……砂那と思いを通じ合う事が出来たんだな。


受験の日から今まで、自分の頑張りは無駄だったんだろうかと、何度も自問自答してきた。入学式の日なんて、砂那に知らない人って思われてたし、「トキくんは私の事を気にせず好きな人作ってね」なんて頭に隕石が落ちたくらいの衝撃的な事も言われた。


だけど――


今、こうして砂那と両想いになれて……あの時からの俺の努力は、やっぱり無駄じゃなかったって思える。良かった、本当に。



「砂那……ありがとう」



すると、ポケットにいれたスマホがブブと振動する。差出人は大橋だった。そういや、いつか連絡先交換してたの忘れてたな、なんて思いながらメッセージを開くと、そこには簡潔にこう書かれてあった。



「ジュースだけじゃ足りない。ラーメン!!」



その文字を見て、ふっと笑みが漏れる。おおかた、詫びの品の催促だな。俺だってジュースだけで終わらせるつもりはない。ラーメンも、おかわりだってさせてやる。



「もちろん」



それだけ返して、スマホをまた元に戻す。ジュースが無事に大橋の手に渡ったということは、砂那は無事に二人に会えたって事なんだろうな。そして、仲直りが出来たんだ。よかった、本当に。


そう思っていると、またスマホがブブと振動する。不思議に思って中を見ると……いや、中を見ても、不思議だった。だって、そこには――



「俺、相条さんと付き合うことになったから!お試しだけど。トキくんより先に彼女出来ちゃって、ごめんね~!」

「は?」



文面を見て、思わずズリこけそうになった。あの二人が付き合うのも驚いたけど……あれ?砂那?もしかして、俺と付き合うことになった事、二人に言ってない?



「いや、まさか……だってさっき抱き合うまでしたし……」



そこまで言って、ハッとなる。どこかで覚えた、この感覚。そう、俺は……



「砂那に、付き合おうって、言ってない……」



俺の好きな人は超がつくほどの鈍感な子だって、今、思い出したのだった――




それから数日が経った、ある日の帰り道。今日は部活が休みな俺と砂那は、歩いて学校から帰っていた。



「トキくんと帰れるなんて久しぶりだね」

「そうだね」



と返事をする俺の口は重い。なぜなら――



「ねーねートキくん、どうして砂那ちゃんと付き合わないのー?告白したんじゃないの?不発に終わったのー?」

「やめな大橋。誰だって触られたくない過去の一つや二つあるでしょ。告白して、それで終わったなんて……ねえ?言えないよねぇトキくん」


「え、”付き合おう”って言わなかったの?ウソ、信じられない!」

「……」



詫びのラーメンをおごる事になった、昨日。砂那を除く、俺と大橋と相条さん三人でラーメン屋に来ていた時の事。どうやら砂那は、あれから「付き合うことになった」とは言わなかったみたいで。相条さんには「無事に両想いになった」とだけ報告しているらしい。



「俺の中では、両想いになる=付き合うって事だと思ってたんだよ……」



半ば項垂れながら言うと、相条さんは「甘いなぁ」とチャーシューを持ち上げながら言った。



「あの砂那相手に、その方程式が通じると思ったら大間違いだよ!この甘じょっぱいチャーシューより甘い!あ、大橋、チャーシューちょうだい?」

「いいよー♪可哀そうだねぇトキくん。付き合ってないから、こんな事もできないよね……同情するよ」

「……はぁ」



的を射ているあたり、俺はやっぱり、まだまだ未熟だなぁと思い知らされる。詰めが甘いんだ。あのチャーシューよりも……。



「改めて、交際申し込んでみる。宙ぶらりんのままは嫌だし」

「おーおーそうしな」



じゅるると麺をすする大橋の横で、相条さんが「んー」と何やら考えている。大橋に「どした?」と聞かれると、大橋のチャーシューを箸で掴んだまま俺を見た。



「何もしないでみたら?」


「へ?」

「え?」


「だから、何もしないでみたら?砂那の鈍感はそりゃ今まで通りだけど……でも、もう今までの砂那じゃないでしょ?」


「今までの、砂那……」



復唱すると、相条さんが「そ♪」と言って、大橋と似てきた雰囲気で俺に笑った。



「自信をつけたじゃない砂那。だから……今頃、砂那の方が、何か行動したいと思ってるかもねって事」

「えーどういう事、しずかちゃん~」


「すべては砂那次第ってね」

「砂那次第……」



付き合いたいと思うも、思わないも……砂那次第ってことか?砂那は、両想いになれたら、それで満足してるんじゃないか?


その先を望んでいるのは、俺だけじゃないかって……思ってしまう。大橋も同感なのか「純度百パーセントな砂那ちゃんだから、両想いになったらそれで終わりだと思ってるんじゃない?」と、俺の心配ごとを口にした。


だけど相条さんは、もう何も言わず「ごちそうさま」と静かに手を合わせただけだった。



と、そんな事があってからの、今。


二人きりになって歩いている。これは、デートじゃないのか?付き合ってるってことじゃないのか?と、俺は重たい口を動かせずにいた。すると、いつにもなく静かな俺を、砂那が気にしてチラチラ見ていた。



「トキくん?大丈夫?どこか調子が悪い?」

「え、ううん。大丈夫だよ」

「そう?よかった」



ニコリと笑われると、弱い。今までの暗雲はすぐさま立ち退き、俺の周りが明るく穏やかな雰囲気に包まれる。それを砂那も感じ取ったのか「良かった」と二回目のそれを口にする。



「そんなに心配してくれたの?」



聞くと、素直にうなずく砂那。珍しい。いつもなら「え、だって」と照れながら少しばかりの言い訳をしてくるのに。


疑問に思っていると「実はね」と砂那は立ち止まる。見ると、もう砂那の家に着いていた。砂那が続ける。



「実はね、今日、ちょっと時間をもらいたいんだ」

「時間?」


「うん、ちょっと待っていてほしいの。すぐ……10分くらい」

「分かった。ここで待ってるよ」



中に入る?と言われたけど、断った。少し頭を冷やして整理したかったから。だけど、バタンと玄関のドアが閉まった後の、砂那の家の中は騒がしいものだった。ドタドタと走り回る音が外まで響き、小さな子供でもいるのかと思うほど。時たまガシャンとかバタンとか聞こえて、静かに考える暇もなく、むしろハラハラしてきた。


だけど、時間にして約十五分。砂那の予想タイムを少し超えた頃に、砂那は玄関のドアを控えめに開けた。


「トキくん」と声だけ発し、姿を見せようとしない。



「砂那?」



不思議に思い、ゆっくりドアに近づいた。扉の取っ手に手をかけた、その時。「あ、あのね!」と砂那の焦った声が聞こえる。



「私、トキくんのおかげで、あの日から自信がついたの。好きって、そう言ってくれて、本当に嬉しかった……ありがとう」

「え、あ……ううん。俺こそ、ありがとう」



と言いながら、冷や汗が流れる。ここは砂那の家。ご家族は、いないのかな?もし御在宅なら、かなり恥ずかしい現場を見られていることになる。すると、俺の心配事を察したのか「今は誰もいないから、安心して」と砂那が一言添える。



「そ、そうなんだ」



ホッとしたと同時に「誰もいないのか」なんて、また違うドキドキが俺を襲う。でも、そんなことを知らない砂那は必死に、言葉を探しているようだった。俺へ、何を言おうとしてくれてるのか……気になった。



「トキくんと両想いになれて嬉しかった。すごく、幸せだった。だけど、その……私たち、付き合ってるのかな?って、ずっと疑問で、不思議で……じれったかった」

「え――」


「トキくんは、私とどうなりたいんだろうって、ずっと気になってたの」

「っ!」



まさか砂那の口から、そんな言葉が出るとは思わなかった。俺がずっと気にしていた事を、まさか砂那も同じように疑問に思っていてくれてたなんて……それだけで、胸が満たされる気がした。


だけど砂那は「私は」と、少し切羽詰まったような声を出す。



「私は、ずっと……トキくんの隣にいたかった。その……付き合いたかったの!トキくんの彼女だって、思いたかった」

「さ、砂那……」



堪え切れずに、ドアを開けようとする。すると砂那は「まだダメ!」とグッと、俺とは反対方向へ力を加えた。拒否されたことに、少しだけショックを受けていると砂那が「ごめんね」と謝る。



「トキくんと付き合いたいって思った。トキくんの隣を歩きたいって……でも、今の私じゃ、不釣り合いだから、似合わないから……自信がなかったの。私がトキくんの彼女になったら、絶対、みんなから変な目で見られるって」

「そんなこと……」



俺が雰囲気を変えたばかりに、砂那がこんなに悩んでいることが申し訳なくなって……また中学の自分に戻ろうかとも考えた。さえなくて、地味な俺に。だけど背は伸びてしまったし、あの頃のトキコちゃんは、もういない。


「俺は……」暗くなった声に、砂那が反応した。



「あの、違うの!だからね……その、自分に自信をつけたくて。もっともっと……堂々とトキくんの傍にいたくて。だから、その……ごめん。口では上手く説明できないから、直接見て貰ってもいい?」

「え、うん。もちろん」



すると、中から控えめにガチャという音が聞こえ、しずしずと砂那が出て来た。そして俺は、天地がひっくり返るほど、驚くことになる――



「砂那、その恰好……」

「あの、ごめん……どう、かな……っ?」



さっきまで隣を歩いていた砂那は、スカートはひざ丈と同じくらいで、髪は一つ括りで、化粧はしていなかった。だけど、今、俺の目の前にいる砂那は……


スカートは相条さんと同じくらい短くて、髪は降ろしている。化粧も薄くだけしているようで、ナチュラルに砂那の顔が色づいていた。綺麗な艶のある髪がサラサラと揺れる。黒い髪に、白い肌……唇に引いた薄い赤色が、彼女の綺麗さを際立たせていた。


「……っ」ゴクリと自分の喉が鳴るのが分かった。俺は、今、何を見せられているんだろう――



「と、トキくん……?」



俺の溢れ出す想いが、砂那に名前を呼ばれたことではじけ飛んだ。砂那の細くて白い手首を強引に掴み、たった今出て来た彼女を、家の中へと戻す。今度は、俺も一緒に中へ――



バタンッ


閉じ込められた空間。誰の目も届かない場所――俺の理性がプツンと、音を立ててちぎれた。



「砂那、ごめん」



薄赤い唇に、自分の唇をグイッと近づける。直前に砂那の驚いて見開かれた目が視界に入った。けど、もう、俺は俺自身を止められそうになかった。けど、


ガンッ



「え、トキくん!?」



チリッと、まるで摩擦が起きて火花がはじけたように。少しだけ唇が当たった、その時に――俺は急いで頭を引き、その衝動で玄関の扉で思い切り後頭部を打つ。


砂那は俺の頭を触り、しきりに心配したけど、俺は安堵していた。痛みが加わった事で、俺の理性がだんだんと戻ってきたからだ。熱が引いていく。砂那に、幻滅されないで済んだかな……。



「砂那、痛くないから。頭は大丈夫だから。それより、ごめん、俺……」



顔を赤くして、砂那を見ないように、わざとらしいくらい顔をそむける。申し訳なさと、自分の体たらくを見られてしまった恥ずかしさから……砂那を見ることが出来ない。だけど、砂那は「よかった」と、そう言って俺の頬を撫でた。



「この恰好、似合わないって、変だって思ってた……だけど、さっきのトキくんの反応を見たら、安心しちゃった」

「へ?」

「私この恰好に、自信を持っていいかな?」



へにゃりと笑う砂那。俺は少しだけ言葉を失ったあと、気づいた。砂那のしたたかさに。彼女の、強さに。


昨日、相条さんが言っていた。「放っておけば?」と。「砂那の方から何かしてくるかもしれない」と。「砂那はもう前の砂那じゃないんだから」と。


さすが相条さんだ。さすが、砂那の親友だ。その通りだったよ。砂那は、もう前の砂那じゃない。自信がないなら、どうやって自信をつけられるかって、前を向いていた。俺よりも、ずっと前を見ていた。強く、真っすぐ――



「トキくん?」



不思議そうに俺を見る砂那。俺は眉を下げて「もちろん、似合い過ぎるくらい似合うよ」と笑った。俺の笑顔につられるように、砂那も「へへ」と照れくさそうに笑う。



「ねえ、砂那」

「ん?」



長い髪がサラサラと、俺の手を滑る。一掬いして、優しくキスを落とす。そして――



「好きです。俺と付き合ってください、砂那」



ようやく、二人で願っていた言葉を言えるのだった。


砂那は長い髪を耳にかける。その時に、俺があげたゴムがきらりと手首で光ったのが見えた。今でも大事にしてくれているのだと、素直に喜ぶ自分がいた。砂那は、嬉しそうに頷く。そして、俺にギュッと抱き着いてきた。



「私を彼女にしてください、トキくんっ」

「! ふ、不意打ち……っ」



そんな可愛いことを、こんなに急に言わないでほしい。さっき落ち着いていたと思った俺の「欲」がジワジワとまたうごめいているのを感じる。



「砂那……」



意味ありげに、物欲しそうに……色んな意味を込めて砂那の名前を呼ぶと、砂那は少し黙った後に、俺の耳元で囁いた。



「さっきの続き……して?」

「! もう、砂那のばか……っ」




押さえていた理性はあっという間に切られてしまい、俺は砂那に唇を重ねる。砂那の乱れた息遣いが、キスの合間に漏れて、その吐息だけで、俺はおかしくなってしまいそうだった。



「砂那、好き、大好き……ずっと、こうしてて」

「トキ、くん……っ」



ギュッと抱きしめあった体はどんどん熱を帯びて、そして互いの体温を高くする。その体温は二人に、止まない興奮と、絶え間ない愛を降り注いで……俺と砂那の体は、唇は、なかなか離れなかった。



「(もう、永遠にこうしていたい……)」



そう思った時だった。


ガチャ


不意に開いたのは、玄関の扉だった。



「やっほー砂那~!なかなか会えなくて寂しかったから遊びに来ちゃったー!」


「あ……」

「え、アオくん!?」



入ってきたのは、なんとアオだった。片手にコンビニの袋を持って、ガサガサ振り回しながら玄関の扉を開けた。だけど、開けた先には、可愛くなった砂那がいて。その砂那を俺が抱き、二人の唇の距離は、五センチも離れていなかった。


加えて……



「お前、その唇……!」

「え、俺……?」


「砂那の唇についてる同じ赤い色が、お前の唇にもついてるぞ!!」

「(あ、しまった。移ったのか)」



どうやらキスをした時に、砂那のリップが俺の唇にもついたらしい。そりゃ、そうか――さっきの事を思い出す。あれだけすれば、そりゃ、つくよな……。


目の前でワナワナと震えるアオを見て、俺は頬が緩む。そう、芽生えたのは「優越感」。プール掃除の時は、抱き合う二人をただ見ているだけだったけど、今は違う。


砂那は今、俺の腕の中にいる。

砂那はもう、俺の彼女なんだ――



「えっと、アオくん、これはね!」



ワタワタとアオに説明を始める砂那。だけど、そんなんじゃ、この前の敗北感は拭えない。俺は子供っぽいと自分で思いながらも、俺から離れようとする砂那をグイッと自分に寄せた。そして赤いリップをなめとるように、舌で自分の唇をペロッとなめて、



「ごちそうさま」



そう言って、ニヒルに笑って見せたのだった。



――――その後は、散々だった。



「な!お、まえ……!!」と激高したアオが、まんまと俺の挑発に乗ってくれた。だけど、怒りよりショックの方が大きすぎたのか、目が次第に白目をむき、そして倒れてしまった。



「え、アオくん!?アオくんー!」



倒れる直前で俺が支えて、アオは何とか床にぶつからずに済む。だけど、玄関だ。そこからどうしようかと迷っていると、砂那のお母さんが帰宅した。俺はアオをリビングに運び、そして後は何もしてやれないと悟る。なので挨拶をして、アオを砂那達に任せて玄関を出た。


バタンと玄関のドアを閉めた時に、砂那のお母さんが「砂那が最近お化粧を練習してたのってあのイケメン君のため?」という声がした。しばらくした後に砂那が「うん」と控えめに、小さな声で返事をしたのが聞こえた。



「(照れてる、かわいい……)」



さっきの出来事が夢のようで、でも、夢じゃなくて……。どうしようもない幸福感で満たされる。砂那と付き合えた喜び。彼氏彼女になった恥ずかしさ――どれもこれも、全てが愛しく思える。



「砂那、ありがとう」



俺のために一歩を踏み出してくれてありがとう。

俺のために頑張ろうと思ってくれてありがとう。


砂那、大好きだよ。

これからも、ずっと。


ずっとずっと、その先まで――俺は砂那を、愛し続ける。



side トキ end


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