第17話 告白の返事
トキくんに告白まがいの事をされて、二週間が経った。
その間、私とトキくんの関係はどうなっているかというと、あの日を境に何も変わっていなく、まったりとのんびりと……ほのぼのした平和な空気が流れていた。
と言っても、私の方は嫌でも意識をしてしまうわけで……だけど、トキくんが試合に向けて集中力を高めている時に、私が変なことを言って水をさすわけにはいかないし、変な態度をとって気取られるわけにもいかない。
トキくんには試合を頑張ってもらって、やりきってもらいたい。応援すると決めたからには、私も邪魔にはならず、トキくんが精いっぱい戦う姿を見守りたかった。
だけど――
「ぬるい、砂那はぬるい!」
私の友達、しずかちゃんはひたすら首を横に振った。静観すべきではない、この状況を改善しろ――と言う意味を込めて、今日も私の隣で首を振っている。
「そんな中途半端な事をされて、よく平気なふりしていられるね?しかもキスされてただあ?そんなの、もう確信犯じゃん!」
「ちょ、しずかちゃん声が大きい!それに、キスっていっても、私が保健室で寝てるときにほっぺに、だから!口じゃないよ?」
「だとしても!それはほっぺにチューも立派なキスよ砂那!」
今は昼休み。日陰のある中庭に出て、人の気配がないのを確認した後に、この話題に燃える私たち。しずかちゃんの様子を見るに、今日も白熱しそう……。
「私が気に入らないのはねぇ、砂那の前でははっきりした事は言わずに、砂那の知らないところではしっかり意思表示をしているところよ!そんなのただの意気地なしじゃない」
「そ、そうなの、かな……」
好きな人である手前、あまり悪口は言いたくない。そんな気持ちを汲み取ったのか、しずかちゃんも「ごめん言葉が過ぎたね」と私に謝った。
「たださあ」しずかちゃんは、お弁当に入っている卵焼きに、ぐさりとフォークをさす。綺麗に巻かれたそれは、形が崩れることなく持ち上がり、しずかちゃんの形の良い口に運ばれていった。
「私は心配になるのよ。砂那があまり前へ前へ出るタイプじゃないでしょ?むしろ引っ込み思案というか、あまり自分に自信が持てないというか……。そこに、うり二つのトキくんが横に並んだら、砂那が更に殻に閉じこもるんじゃないかって不安なのよ」
「殻に、閉じこもる?」
「トキくんには、砂那の手を引っ張ってほしいの。多少強引なくらいに。砂那の魅力を引き出してほしいの。自分に自信をつけてほしいのよ。委員長をやれって言われても断れるくらいにはね」
「う……っ」
しずかちゃんの言いたい事、痛いほど分かる。しずかちゃんの言葉は全て「正しい」。私が引っ込み思案なところも、自分に自信がないところも。
「(正論すぎて、言い返せない……)」
しずかちゃんは長年の友人なだけあって、腹を割って話せる仲。しかも彼女自身が竹を割ったような性格なので、私を叱ってくれる姿は、お母さんとさえ思えてくる。
だから、トキくんの事がちょいちょ悪く言われても、それはあまり気にならない。全然気にしてないよって言ったら嘘になるけど、しずかちゃんの心配は痛いほど分かるから。
しずかちゃんは優しい。優しいからこそ、私を保てない私を、叱らないといけない。しっかり前を見て歩けと、いつも叱咤激励しないといけないしずかちゃんに、何度心の中で謝ったか分からない。
だけど、そんな彼女に依存してしまう私は、かなりの甘ん坊なのだと……今日も反省している。
「私自身が頑張って、自分の殻を破らないといけないよね?」
おずおずと聞くと「そりゃね」としずかちゃん。うぅ、やっぱり、そうだよね……。
「砂那はね、とりあえず自信がないのがね……。新オリの時だって化粧がめちゃくちゃ可愛いのに、私にはやっぱり似合わないって、新オリが終わった途端、いつもの砂那に戻っちゃって。あれで肩を落とした男子を、私は何人も知っている」
「そんな、大げさだよ~」
「そんなことないってば。ほら、そういうところ!自分を卑下しない!」
「ぅッ……!」
ビシッと指をさされて、私は食べていたおにぎりが、思わず喉に詰まりそうになる。だけど、なんとか噛むことが出来てほっとする。そして安心したと同時に……しずかちゃんは、あの話題を持ち出した。
「大橋にもさ、返事はまだなんでしょ?」
「うん、まだ……」
そう。新オリの時に告白してくれた大橋くん。長い時間が経とうとしているのに、私はまだ返事を出来ないでいた。
「迷ってる?大橋のこと、好き?」
「ううん。私は、好きな人は……もう決まってるから」
「だよね。じゃあ、なんで返事をしないの?大橋、待ってるよ」
「……うん」
返事をしたまま口を閉じる私に「まさか」としずかちゃんはジト目で私を見る。
「あの告白って、本当に告白だったのかなぁって、そう思ってる?」
「え、いや、そうじゃないよ!ちゃんと大橋くんの気持ちは、伝わってる……っ」
「じゃあ、なんでよ?」
意味がわからない、と肩をちょいと上げたしずかちゃんに、私は「あのね」と口を開く。
「大橋くんに、どういったら傷つかないかなって……それを考えてたら、考えるだけ、悩んじゃって」
「……はあ?」
今までで一番の呆れた声を出したしずかちゃんは「そんなこと」と言ってため息をついた。そんなこと――で済ませるしずかちゃんを、少しモヤッともしたし、聞いてみたいとも思った。しずかちゃんなら、どういって断るのかを。
「しずかちゃんなら、なんてお返事をするの?」
「ごめん好きな人がいるから――それだけ」
「そ、それだけ……?」
「むしろ、他に何かある?」
しずかちゃんは、短い髪をポリポリと書いて、やっぱり呆れた声を出した。「まさかそんな事で返事を保留にされてるとは、大橋も思わないだろうね」と痛いところをつきながら。
「そ、そんな事って……」
「そんなこと、だよ」
ビシッと言ってのけるしずかちゃんに、私は黙らされる。
「砂那の優しさを悪だとは言わないよ。だけど、大橋に対するソレは優しさとは言わないよ。自分を守るためのだけの偽善に似てると思う。大橋にとって、それは残酷だよ」
「偽善……残酷……?」
「大橋も、振られる覚悟ありきで告白してる。とっくに覚悟は出来てるの。覚悟が出来てなくて逃げ回ってるのは、砂那の方じゃない?大橋の事を思うなら、早く返事してあげることだよ」
「……」
ぐうの音も出なかった。しずかちゃんの言う一言一句が、何も間違ってなくて……その通りで、私がいかに自分に甘いかということを、再認識させられた。
しずかちゃんは、正しい。
間違っているのは、私だ。
「……あ、ごめん。言い過ぎた。言葉悪いよね、私も……ごめんね、砂那」
「え、ううん……っ」
しずかちゃんはハッと我に返ったように、私に謝る。確かに私は傷ついた。だけど、私は傷つくべきであって、これは妥当な代償だ。告白してからソワソワと返事を待つ大橋くんの事を無下にしてきた、私の怠慢。
「……っ」
急に自分が恥ずかしくなって、下を向く。大橋くんは、こんな私の、一体どこを好きになってくれたんだろう。自分自身でも分からない。自分の良さが、見えてこない。深い沼の中に、私がボチャンと浸かっている気がした。私は、何もかもが不透明だ。
「砂那……これから、どうするの?」
「うん……大橋くんに謝る。そして、返事をしようと思う」
「うん。それがいいよ」
しずかちゃんは、お弁当を完食したのか、蓋を閉めて袋に入れた。私は三分の一ほど残っていたけど、もう喉を通りそうにないので、しずかちゃんに倣って蓋を閉める。
「ねえ、砂那。私のこと、怒っていいんだよ?」
「え、なんで……?」
「だって、こんなに友達の心を傷つける人……そばにいてほしくないでしょ?」
あはは~と笑いながら言ったしずかちゃんだけど、その目は悲しそうだ。あぁ私、しずかちゃんにこんなことを言わせて……自分がふがいないばかりに。
自分のふがいなさを、しずかちゃんが気づかせてくれたばかりに。しずかちゃんは私に怒ってくれる度に、こうやって傷ついてる。申し訳なさと、有り難さが、私の中で複雑に絡み合った。
「私は、しずかちゃんが隣にいないと、私じゃなくなる。しずかちゃんがいないと、私はずっと不透明なままだよ。だから、いつもありがとう。しずかちゃん。こんな私と仲良くしてくれてありがとう」
「……不透明?なんだそりゃ」
ははと笑ったしずかちゃん。その笑顔は、さっきまでの寂しい笑みじゃなくなっていて……ほっとする。大切な人には、笑っていてほしいもん。私が理由のせいで、しずかちゃんが暗くなるのは、絶対に嫌だ。
「私、もっとしっかりする。もっと頑張る。頑張ることから始めてみるよ……!」
「ん、砂那なら出来る。応援してる」
ニッと笑ってくれるしずかちゃん。照れ臭くなって「へへ」と笑い返した。だけど、次にしずかちゃんが見せた笑みは、ニヒルなそれで……。
「あ、あれ?しずかちゃん?さっきまでお弁当箱の袋を持ってなかった?なんで今、お化粧道具を持っているの……?」
「やっぱ、自信をつける近道は、お化粧という魔法をかけることだと思うんだよね、私は」
「へ、へぇ〜……それを、今、私に?」
おずおずと聞くと、しずかちゃんは「許して砂那」と言って近づいてきた。とても容認できそうにない。きっと、あの道具で私はまた塗り替えられる。それは何だか恥ずかしくて、今の私はいたたまれなくて……「大丈夫だよ!」と言って、急いでお弁当箱を袋に戻した。
そして、「職員室に呼ばれていたんだったー!」とウソをついて、その場を後にした。
「砂那ー!逃げないでー!」と私の背中に、しずかちゃんの声がささる。だけど私は、今また魔法にかかろうとは、どうしても思えなかった。
◇
「はぁ、はぁ……」
とりあえず走って、長い廊下にやってきた。あまり人の気配がない。時計を見ると、お昼休み終了まで、あと三分を切っていた。
「急いで、帰らなきゃ……」
今きたばかりなのに、もうトンボ帰りをしないといけない。一心不乱に、どこまで走ってしまったんだろうと、自分自身に呆れる。
「しずかちゃんに謝らなきゃ、な……」
教室に戻ろうと、振り返ったその時だった。私の視界に見知った人物が現れる――トキくんだ。
「砂那……」
「あれ、トキくん……どうしたの?こんな所で」
まさかトキくんと会うとは思ってなかったから驚いたけど、努めて冷静を装う。二人きりになるのは、あの告白まがいの日以来なので、妙に緊張する……。
「あ、の……私、私は、道に迷っちゃって、ここまで来ちゃった……って、感じです……」
「そうなんだね」
「(トキくん?)」
そうなんだね――と言った彼の顔に、どこか違和感を覚えた。なんか、奥歯に物が詰まったような、そんな物言いにも聞こえる。
偶然じゃない?
もしかして、私と二人きりになるために、ここに来た?
私の姿を見つけて――?
「ッ!!」
ブワッ
また、体中に電気が走る。それは、喜びから来るものだった。
「(トキくん、私と二人きりになりたかったって、事?なんだよね……?)」
よく考えれば、こんな場所、私みたいに何も考えずに来るか、用事があってくるかしかない。トキくんにいたっては前者は考えられないので――後者。私と話をする用事があって、きっと今、ここにいる。
「トキくん……その、授業、始まっちゃうよ?」
戻ろう――とは言わなかった。あえて。だって、トキくんが私に何の話があるのか、興味があったから。そして、その先を期待していたから。もしかしたら、この前の告白まがいの事がスッキリするんじゃないかって。告白まがい、から、告白になるんじゃないかって。
そんな淡い期待を抱いて――
だけど、違った。次にトキくんの口から出て来たのは、私の思ってもみなかった言葉だった。
「変な事、聞いて良い?大橋から告白された?」
「え……」
正直、ビックリした。だって、なんでトキくんがそんな事を知っているのって……。いや、知ってるだけじゃなくて、どうして私に聞くのって?わざわざ、二人きりになってまで……。
「ど、どうして……?」
「いや、その……ごめん。詮索するような事を言って」
「いや、全然……。えっと……」
言葉の続きが思い浮かばなくて、私は言い淀んでしまう。だって……「告白されたよ」って言うのもあれだし、かといって隠すことでもない……よね?だって、トキくんと大橋くんは何だかんだ仲良しだし、きっとそういう話もしているだろうし……。
「(あれ?)」
自分で思っていて気づいた。そうだよ、大橋くんがトキくんに「告白した」って言ってても不思議じゃない。ばかりか、トキくんは私じゃなくて、大橋くんに直接聞けばいい話なのに……どうして私に聞くの?
グルグルと思考をめぐらせていると、トキくんが「ごめん、大橋から聞いたんだ」と自ら白状してくれた。
「大橋くんが……?」
「うん。それで…………」
「(トキくん?)」
やっぱり、トキくんの様子がなんか変だ。元々寡黙だったけど、こんなにも会話が途切れるなんて事は珍しい。
大丈夫?
どこか調子悪い?
そう言おうと動かし始めた口は、次のトキくんの言葉で、固まってしまった。
「その……ごめん、ストレートに聞くね。大橋に返事、した?」
「え……?」
「もしかして、まだ……?」
「……」
頭が真っ白になったって、こういう事を言うんだと思う。だって、トキくんの言っている内容は、私がずっと迷っていた事で。なんて返事をすればいいか悩んでいた事で――その事を、まさか好きな人に指摘されるとは、思ってもみなかった。
「あの……それは……」
さっきしずかちゃんと話して、決めたこと。これから向き合うって、自分自身と向き合って大橋くんに返事をするって、決めたこと。
トキくん、本当だよ?
私、これから頑張ろうって、本当にそう思ってたの――
「……っ」
聞かれてもいないことを、言ってしまいそうになる。トキくんがどういう気持ちで私に聞いてきたのかも知らないで、私は、勝手に自分の心の中で言い訳をしていた。
そして――
「ごめん、砂那。こんなこと聞いて……でも、」
「……いで」
「え?」
私の口の中に籠った声は、トキくんの耳には届かなかった。私の声が、トキくんまで届かなった。そのことが、今の私には変に堪えてしまって、目じりにジワジワと涙がたまるのが分かった。
そして――
「トキくんが、そんなこと、言わないで……っ」
それだけ言って、走ってしまった。大橋くんの告白から逃げたように、しずかちゃんから逃げたように、そして――好きな人からさえも。私は、逃げてしまった。
「さ、砂那ッ!」
トキくんの声が聞こえる。追いかけてきてくれる足音も。だけど私は、すぐに近くの空き教室に隠れて、トキくんをやり過ごす。
「本当……逃げてばかりだよ、私……っ」
トキくんの足音を聞いた後、入ってきたドアに寄りかかり、膝を抱きしめて座る。そして声が漏れないようにと、声を押し殺しながら涙を流すのだった。
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