第7話 並んだ手形
『倉掛さんに好きになってもらったら喜ぶよ。だって俺……倉掛さんのこと、好きだもん』
大橋くんにそんなことを言われてから、数日が経った。今日は部活がないと言うしずかちゃんと、放課後、残って出し物の準備中。
「は?」
眉間にシワを寄せて不快感を露わにするのは、私の友達――絶世の美女のしずかちゃん。大橋くんに言われたことを包み隠さず話していると、すごい形相になった。あぁ、美人が台無し……。
「なにそれ大橋、サイテー。ふざけんな、やっぱチャラいね」
「しずかちゃん、落ち着いて……。大丈夫、私もウソだって分かってるから」
「だとしてもよ!?何でもない子にそんな事をいう事自体、万死に値する」
「(古風だな、しずかちゃん)」
絵の具の筆を片手に持つ私たちは、もう片方の手に各々筆で塗りたくっている。しずかちゃんは紫。私は赤。
実はこれ、新オリの出し物。みんなで何かするって言っても、入学したばかりだし一致団結モノは難しいかも――っていうことで、皆の手形で大きなハートを作ろうって提案したの。そうしたらクラスの皆に採用されて……放課後、空き時間がある人から下書きした大きなハートの中を、みんなの手形で埋めていっている。
今日はやっとしずかちゃんが手形を押す日。押し始めてしばらく経ってるから、もうほとんどの空白は埋まって残っていなかった。
「あとはこの余白部分だけだね。うん、見事に私たちのためだけに残されたような隙間、二人分。下手すりゃ押せなかったね」
「た、確かに……」
言われてみれば、結構際どい。皆が詰めて手形を押してくれて良かった……。ホッと安堵の息をついていると、しずかちゃんから「手の準備はいい?」と言われる。私は笑顔で返事をした。
「しずかちゃんと一緒に押せるなんて嬉しいなぁ~」
「私もー。待っててくれてありがとうね!」
「へへッ」
私は毎日居残りしてたから、いくらでも押す時間はあったのだけど……どうしてもしずかちゃんと一緒にやりたかったから、終盤まで我慢してた。我慢して良かった。二人で作業が出来て、良かった。
「じゃあ行くよ~」
「せーの!」
パンッ
しずかちゃんと笑いながら手に力を籠める。しばらくして離すと、そこには二人仲良く並んだ手形があった。
「綺麗だねー」
「なんか嬉しいな。あ、私、写真撮っとく!」
「手形だけじゃなくて、私たちも入ろうよ」
「うん!」
内カメラで何枚か写真を撮る。撮った写真を眺めるしずかちゃんに「手を洗いにいこー」と声をかけた。
で、現在は手洗い中――しずかちゃんから思いもよらない言葉を聞いたのは、その時だった。
「ねえ、砂那ってさ……本当は美人だよね?」
「ぶは!」
予想外の事を言われて、思わず吹き出してしまう。しずかちゃんは「大丈夫?」と一応は心配しながら、絵の具を落とすために一生懸命に自分の手をこすった。
「な、なにを、いきなりッ」
「いや、さっきも写真見て思ったんだけど……髪をほどいて化粧を少しするだけでも、スッゴク変わると思う」
「そんなことないって……も~ビックリしたなぁ」
自分の手をゴシゴシ洗う。しずかちゃん、自分のことを棚に上げておいて、よくこんな私の事を可愛いなんて……やっぱり優しいなあ。「でも、だからこそね」としずかちゃん。
「大橋が砂那のことを好きだと思うのも、変な話ではないなって思ったの。砂那はかわいいよ。それに、明るいし性格もいい」
「え……や、やめてよ。大橋くんのは絶対からかってるだけだって」
「まあチャラい大橋は仮にそうだとしても……砂那、いつかも言ったけど、自分に自信を持ってね。砂那はいつも自分を過小評価するから心配なの」
「……ふふ、ありがとう」
素直にお礼を言うと、しずかちゃんは笑ってくれた。そして二人とも綺麗になった手を見せ合いっこして、教室に戻る。だけど、その途中で――
「あ、ちょっと部室に忘れ物したんだった。先に教室に戻ってて、すぐ追いつく」
「分かったー」
しずかちゃんは美術部に入ることにしたらしい。美術室ってここからちょっと遠い……かな?気長に待とう。
「にしても、中学時代がチアリーディング部で、高校は美術部って……しずかちゃんは多彩だなぁ」
感心して教室のドアを開けた、その時。
「あ、倉掛さん」
「トキくん……」
筆を持ったトキくんが、手形ハートの前で佇んでいた。
「どうしたの?あ、もしかして手形まだだった?」
「うん。ここ数日は部活に出てたから……まだ押す所あるかな」
「まだ余白あるよ。こっち」
さっき私としずかちゃんが押した手形へ案内する。私の隣にまだ余白がある。良かった!
「ここ。実は隣の手形、私なんだ~」
「!……へぇ、そうなんだ」
少し驚いた顔をしたトキくん。自身の手を青く塗った後、余白部分に近づいて……
タンッ
その大きな手を、押し付けた。
「(隣の私の手と、全然大きさが違う……)」
改めて感じる。今のトキくんを――
「……どう?」
「うん、すごく綺麗についてる!」
不安そうに尋ねてくるトキくんが、少し可愛い。私は手形に近づいて「どれどれ~」と見つめた。すると、気づいたことがある。
「トキくん、これ……」
トキくんの青の手形と、私の赤の手形。その親指同士が重なって、触れあって……混ざった色になっていた。
「……ごめん」
「ううん、いいの。私もさっき押したばかりだから……ごめんね。言えばよかったね」
「いや……俺は平気だから」
「そ、そっか……良かった」
自分の赤くなった顔を隠すように、私は手形に顔を近づけた。親指が重なる二つの手は、ちぐはぐな大きさで繋がっている。すると、「ごめん」とトキくん。
「わざとした……って言ったら怒る?」
「……へ?」
わざと?何のために……?頭の中がグルグル回る。どこか恥ずかしそうなトキくんから、目が離せない。
「わ、私は……」
「……うん」
「その…… 」
「……」
「嫌じゃ…………ない」
「……そっか」
どこか安心したような、そんな笑みを浮かべるトキくん。やめてよ、そんな顔しないで……。
「(ドキドキが、止まらない……)」
すると、トキくんが言いにくそうに「あのさ」と口を開いた。
「前に大橋と内緒話してたの見ちゃって……あれって」
「へ?大橋くんと?」
「…………何でもない。忘れて」
「そ、そう?」
何かいいたげだったけど……何だろう?このまま沈黙というのもアレだから、大橋くんの話題もそこそこに、部活の話を振る。
「そういえばトキくんって何部に入るの?」
「入らないよ」
「え、でも毎日部活に行ってるんじゃ……」
「助っ人だよ。その日に呼ばれた部活に顔を出してる」
え、じゃあ、オールマイティに何でもできるってこと!?
「す、すごいねトキくん!そんなカッコいい人いるんだね、ビックリしちゃった」
「カッコイイ……って、そんな事ないよ」
「あるよ!普通そんな事できないから、すごいよ!トキくんはっ!」
興奮して思わず大きな声を出す私に、トキくんは「ふふ」と少しはにかんだ。
「倉掛さん……なんか猫みたい」
「え、猫?」
「うん。なんか、猫が鳴いてそうな感じだった」
「(猫が鳴いてそう……?)」
猫って言えば、アレだよね?あの鳴き声だよね?
「にゃーん?」
「っ!!」
「(え!?)」
なんとなく猫の鳴き声を真似てみたら、なぜかトキくんが顔を赤くした。え、な、なんで!?
「トキくん、大丈夫っ?どこか調子悪い?」
「いや、ごめん……その……。怒った時の鳴き声を想像してたから。フシャーって怒る、あれ」
「(そっち……っっ!?)」
顔を赤くする私に、トキくんは笑いを押し殺したように「クク」と笑う。私は恥ずかしくて、両手で顔を覆った。
「忘れてください……」
「わかった。じゃあこの手、洗ってくるね」
「う、うん」
そう言えば、トキくんの手はまだ絵の具の青色がついたままだった。トキくんはドアを出る直前で「倉掛さんは?もう帰るの?」と聞いてくれる。
「まだ。しずかちゃんを待ってるんだ~」
「そっか、気を付けて帰ってね」
「うん、ありがとう」
そうしてドアから出て行ったトキくん。だけど、すぐに戻ってきて私の前まで来て「あのさ」と、未だ赤い顔のまま話す。
「さっきの、その……他の誰にも見せちゃダメだからね?」
「さっき?」
「……ネコの鳴きまね」
「(そんなに変だったんだ!)」
釘を刺された事にショックで「はい」と小さな声で返事をする。その間にトキくんはいなくなっていて、代わりに入ってきたのは、しずかちゃんだった。
「お待たせ~って、砂那?どうしたの?」
「自分の限界を、今、知った所だよ……」
「何の話?」
「猫にはなれないなって話」
「はあ?」
首をかしげるしずかちゃんに「こっちの話」と話を打ち切る。すると、しずかちゃんが「そういや新オリの日さ」と、もうすぐに迫った新オリの話を始めた。
「クラス対抗のドッチボールがあるの知ってた?」
「へ?なにそれ?ドッチボール?」
「そうそう。何でも極秘事項らしいよ。直前まで内緒にしてて、公表した時の一年の反応を先生が楽しむんだって」
「発想が小学生だね……」
「まあ楽しみだよね~」と言うしずかちゃんは、中学時代にチアリーディング部に入るくらい運動が出来るから羨ましい。対して、私は……
「あーその日だけでも運動神経がよくならないかなぁ」
「逃げればいいだけだから楽勝でしょ」
「出来たら苦労しないよ~……あ!いい事を思いついた!」
パンと手を叩く。しずかちゃんは「なに?」と荷造りをしながら答えた。
「ハチマキ作ったら盛り上がらないかなぁ?クラス皆の分!」
「はあ!?」
私の提案にビックリした様子のしずかちゃん。彼女の言いたい事は分かる。だって新オリは、もうすぐだもん……。
「絶対無理。間に合わないって。委員長だからって、そこまでしなくていいんだからね?ただでさえ、無理に決められた役なんだし」
「そ、そうだけど~……ほら、手形も皆はやってくれるけど何か渋々な感じもあるじゃない?決まったことだからやる、みたいな」
「まあ……なくはない、かな」
私がいる手前、少しだけオブラートに包んでくれるしずかちゃん。その気遣いが嬉しい……。
「皆まだ入学したてで、ギクシャクしてるんだよね。もしハチマキがあれば……皆と一緒の物があれば、団結力が生まれると思うんだけどな」
「でも、そのハチマキを頭に巻いてドッチボールをするの?高校生が?」
「首にかけとくだけでもいいよ!危ないなら、腕に巻くだけでも」
「あ~なるほどね。女子はオシャレとか言って喜びそうだね」
「でしょでしょ!」
浮かれる私。だけど、しずかちゃんはやっぱり冷静だった。
「だけど砂那一人でハチマキ作るとか言わないでよ?」
「――え?」
「やっぱり、その反応だと作ろうとしてたでしょ?」
「だって皆に頼むのはなんか違うし……」
ゴニョゴニョ言い訳をしていると「皆で作らないなら却下」と言って、しずかちゃんはカバンを持って教室を出ようとする。「待って待って!」と必死に止めたけど、どうやらしずかちゃんは頑として譲らないようで……。
「じゃあトキくんに協力してもらえば?」
「トキくん?」
「トキくんがクラスの皆に言えば、全員素直にやってくれると思うよ。女子は特にだけど、男子も。この前ちょっと話したけど、見た目より話しやすい感じだったし」
「(この前って……あ、私と大橋くんが壇上で皆に話している時かな)」
あの時、確かにしずかちゃんはトキくんと話していた。そしてトキくんは笑っていて……。その瞬間に私の心臓がキューってなった――結局アレは……なんだったのかな。
「トキくんに言いにくいなら、私からトキくんに言うけど?でも、まぁ……トキくんは、砂那のいう事だったら絶対に聞いてくれると思うけどね」
「え、それってどういう……」
ニヤニヤ笑うしずかちゃん。すごく気になる笑い方なんだけど……っ。だけど教えてくれる気はないのか「とにかく!」と手をパンと叩く。
「ハチマキの件、トキくんに協力してもらわないなら、この話はナシ!さ、帰ろう。遅くなる前に、久しぶりに何か食べて帰ろうよ。中学の塾帰りの時みたいに」
「た、食べる!わーい、楽しみッ」
ルンルン気分でカバンを持つ。そして胸に小さな蟠りを残したまま、教室を後にした。
「……」
その時、手を洗い終わったトキくんが、反対のドアにいたことに気づかないまま――今までの話を、まさか聞かれていたとは思わないまま、私はひっそりと計画を進めよう企んでいたのだった。
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